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2014年7月 の投稿

藤子・F・不二雄の発想術

カテゴリー:社会

著者  藤子・F・不二雄  、 出版  小学館新書
 オバケのQ太郎、そしてドラエモンときたら、日本人で知らない人はいないと思います。そんな国民的マンガのキャラクターを生み出したマンガ家のコトバですから、とても重みがあります。読んでいて、つい、うんうんとうなずいてしまいました。
 小学校のころは、ひどく人見知りする子だった。カケッコもできず、教室の前に立って話すことができない。そのうえ、なんと、絵が嫌いだった。いじめられっ子だった。
ところが、手塚治虫のマンガに出会って、大きなショックを受けたのです。そのため、マンガを卒業できなかった。ファンレターを書いたところ、手塚治虫から返事が来た。
 昭和27年に高校の電気科を卒業して会社に就職した。ところが、マンガを書きつづけたい。そこへ、手塚先生から、「君たち、上京してきなさい。二人でも十分やっていけるから」という手紙が飛び込んできた。
なんということでしょう。おどろきの手紙ですよね。それほど、才能を見込まれたということでしょうね。
 母親は、息子から上京すると告げられたとき、「そうけ」と平然として答えた。これまた、大した母親ですね。今どき、考えられませんよね。よほど、息子を信頼していたのですね。
 初めは、両国の2畳一間の下宿。押入れもない。半年たって、トキワ壮に移った。4畳半。敷金3万円は不要だった。2年後に、手塚先生に返した。
 マンガを描く意欲をずっと持ち続けられたのは、仲間がいたこと。気が多いというか、好奇心は旺盛だった。
 「オバケのQ太郎」を連載していたときには、それほど人気がなかった。ところが、やめたら抗議のハガキが来た。それで、再開することになった。
 なんとなくわかりますよね。その時時代に生きていた私としては・・・・。
 若いころは、絵もアイデアも早くて、3時間もあれば13頁分を考えついていた。
「キミたちの絵は古い。こんな丸い線は、もうはやらない」
 新人のとき、古くてダメだと言われた。だから、もうこれ以上古くなりようがない。それで、強くなった。
 独創力のための条件は、第一に、数多くの断片をもつこと、第二に、その断片を組み合わせる能力をもつこと。
 人間は本当に複雑ないきものだから、マンガ家は、キャラクターを枠にはめてしまうのではなく、柔軟な目をもってキャラクターの個性を生かし、ある程度自由に行動できるゆとりを持たせていくべきだ。
 思いついたときに、手帳にすぐメモしておく。このとき、タネをふくらませずに書いておくことが大切。自分のスタイルに絶えず挑戦していくことが重要な課題となる。
 結局、自分自身を自作に登場させている。遠い少年の日の記憶を呼び起こし、体験したこと、考えたこと、喜び悲しみ悩みなど・・・。それを核とし、肉づけし、外見だけを現代風によそわせて登場人物にしている。
なーるほど、なるほど、と納得のいく本でした。それにしても、すごいマンガ家です。
(2014年2月刊。700円+税)

風の海峡(上)

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  吉橋 通夫 、 出版  講談社
 秀吉の朝鮮出兵について、児童文学の傑作があるというのを知りませんでした。本当に、世の中は、いつだって、知らないことだらけです。
対馬に生まれて、朝鮮は釜山に渡った日本人14歳の少年、梯(かけはし)進吾がもの物語の主人公です。母を亡くし、対朝鮮貿易業に従事する父のもとで、朝鮮語も自由に話せます。
 釜山には、日本人商人の住む倭館がありました。大勢の日本人が、日本と朝鮮の貿易に従事していたのです。そして、その元締めは対馬藩主でした。当時の対馬藩主の宗(そう)義智(よしとし)は、小西行長の娘婿でもありました。
 平和な朝鮮半島に、突然、日本軍が襲いかかってきます。進吾の友人である朝鮮人の俊民と勢雅と、生命を賭けて戦わなければいけないなんて、進吾には理解できない話です。ところが、秀吉の派遣した日本軍は破竹の勢いで朝鮮半島を北上して侵攻していくのです。
 4月13日に釜山鎮城で戦いを始めてから5月2日までに、東莱(トンネ)、梁山、密陽、大邸(テグ)、尚州と、次々に攻め落とし、ついに王都・漢城(ハンソン)に迫った。
 日本軍が勝ち続けたのは、火縄銃のおかげ。朝鮮軍の武器は、おもに弓矢や刀剣など。火縄銃は弓矢の3倍の射程距離がある。朝鮮軍も火砲類を持ってはいるが、射程距離は短く、城を守るには役立たなかった。
 日本では、ついにこのあいだまで戦国大名同士の領地を奪いあう戦乱の世が100年も続いて、兵士が戦(いくさ)慣れしている。
 ところが、朝鮮では、武力支配ではなく文治政治が続いていた。戦った経験のないもの同士が集まって謀議をこらす。そのうえ、王朝の重臣たちが二つに分かれて勢力争いをしている。
 朝鮮の人々の反撃が始まるなか、日本軍の将兵が集団で投降してきた。朝鮮軍は、これを受け入れた。「沙也可」(さやか)という名前の将軍と部下の兵士たち、あわせて30人の兵が、30挺の火縄銃とともに朝鮮軍へ投降してきた。
 児童文学書ではありますが、また、それだからこそ、きちんと歴史的事実を踏まえています。そして面白い本です。
(2011年9月刊。1300円+税)

ちばてつやが語る「ちばてつや」

カテゴリー:社会

著者  ちば てつや 、 出版  集英社新書
 「ちばてつや」というと、『あしたのジョー』です。「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは、私が東京に出て1年たとうとした1968年1月のことです。6人部屋の大学の寮に入って楽しい日々を過ごしていました。誰かが買ってくる週刊誌を、みんなでまわし読みしていたのです。矢吹丈と力石徹のリング上の決戦に夢中になっていました。毎週の発売日が待ち遠しかったものです。
 私は、「ちばてつや」の絵が大好きです。登場人物の顔が丸顔で、なんだか、ほのぼのしているところがいいのです。
「ちばてつや」は、実は、終戦時に6歳で、生命からがら満州から引き揚げてきたという体験の持ち主です。ですから、筋金入りの反戦・平和主義者なのです。それを知って、私は、「ちばてつや」がますます好きになりました。だから、私は戦争大好き人間の安倍首相にとりいる百田尚樹が大嫌いです。
 子どもの読む戦記ものマンガでは、どれも主人公が格好いいヒーロー漫画になっている。それが少し心配だ。こんな描き方をしたら、読んだ子どもが「戦争は格好いい」と思い込んでしまうのではないか。戦争をスポーツのように描いていいものだろうか・・・。
 私のなかには、戦争で無残に死んでいった若者たちへの追悼の思いが深くあった。そんな戦争とは一体何なのかと、リアルに問いかけたかった。戦争というものは、絶対にやってはいけないと少しでも伝えたくて、体験記を描いた。そう言う気持ちを忘れてはいけないと、私は、今でも毎朝、水を一杯コップに入れて追悼している。
 著者が『あしたのジョー』を描きはじめたのは28歳のとき。私が読みはじめたのは18歳ですから、なんと、10歳しか年齢は違わなかったのですね。そして、5年間の連載が終わったとき、著者は34歳になっていた。
 プロの漫画家になるには、読む人をワクワク、ドキドキさせるにはどうしたらよいか、そこで苦労しなくてはいけない。とても苦しい作業だが、それこそが漫画家という仕事なのだ。
読者をワクワクドキドキさせるためには、何が一番重要か。まず、描く人が「根」を張ること。「根」というのは、漫画という花を咲かせるために必要な感性やアイデア、知識、教養のこと。その根を自分という土壌の中にいかに、張りめぐらせるか。それが創作の根幹である。
 いろいろな本を読み、映画をみ、伝記や資料を調べて読み解く。それからドラマを見つけ、人生や哲学を感じとる心を養うこと。文学も美術も音楽も、ときに思いもよらない創作のヒントを与えてくれる。
 詩情あふれる、さまざまな名曲を聴いて感動する気持ちが持てなければ、漫画においても情景描写はできない。あるいは好きな詩の一節に思いを馳せ、心に残る名画をイメージしてみる。そうした作者の心の軌跡が、漫画の線の一本一本を生き生きとさせ、読者の心にも響いていく。
 こんなことは漫画とは関係ないとは思わずに、好奇心のままにいろんな分野に耽溺(たんでき)してみることだ。
 味わい深いコトバが満載の、すばらしい「ちばてつや」の本です。
(2014年5月刊。760円+税)

いま、ほんとうの教育を求めて

カテゴリー:社会

著者  三上 満 、 出版  新日本出版社
 東京の下町で熱血・中学校教師として活躍した著者の体験にもとづく教育論ですから、読んでいるだけで心打たれるものがあります。さすが、です。
教育とは、希望をはぐくむ営みにほかならない。この座標軸から離れて、他の何かを別のことを軸にするようになると、教育は必ず歪む。
 希望とは、三つのものへの信頼から生まれる。一つは、人間に対する信頼。人間って、いいものだ。ああいう人に、私もなりたい。そう思わせる人が、子どもの周りにいなくてはいけない。教師こそ、そんな魅力ある人でなければならない。
 その二は、自分に対する信頼。子どもが自分のいいところをたくさん見つけ、それが回りから認められ、自分を好きになっていく共同体。それが学校だ。
 その三は、明日に対する信頼。平和や人権が輝く、明日への信頼が育まれる心に、希望は生まれる。
 教育とは、希望の糧となる、この三つのものへの信頼を、子ども、教職員、父母、地域一体となってはぐくむ営みなのだ。
学力世界一のフィンランドでは、基礎教育(7~16歳の9年間)では、いっさいの競争そしてランク付けがない。
日本では、教育の政治支配をすすめようとするものには、もはや教育委員会さえ邪魔者になっている。
 子どもたちが、「ヤッター」という声をあげるのは、自分を乗りこえられたとき、新しい自分と出会えたとき。それは、人の上に立てたときとか、人を出し抜いたときなんかではない。
 人間は弱さを支えあい、辛さを分かちあって生きるもの。だから、互いに優しさを必要とする。教室とは、間違えることによって、いっそう賢くなるという不思議なことが起こるところ。
ある中学校の修学旅行に向けての話し合いのとき。みんなで、ガイドさんを泣かせようという目標を立てた。困らせて泣かせようというのではない。それなら簡単だけど、楽しいことでもない。そうではなくて、別れのときに別れを惜しんでガイドさんを泣かせようというもの。
 いやあ、これはすごい目標です。ガイドさんの説明をよく聞き、親しみ、楽しい旅にしなければいけない。そのうえで、もうひとつ何かが必要です。
この目標をやり切ったクラスは、とてつもない達成感があったことでしょう。すばらしいことですね。なによりの修学旅行の思い出となったことでしょう。
 しばし、学生のころに戻った気分に浸ることができました。みんなに読んでほしい、いい本です。
(2014年4月刊。1600円+税)

憎むものでもなく、許すものでもなく

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ボリス・シリュルニク 、 出版  吉田書店
 1944年1月1日、フランスのボルドー地方でユダヤ人の一斉検挙がありました。著者は、このとき6歳でした。
 「ユダヤ人の子どもたちには消えてもらう。さもないと、やつらはいずれヒトラーの敵になる」
 要するに、大人になったら悪いことをするので、死刑宣告されたのだ。
 その晩、第二の私が生まれた。私を殺すための拳銃、夜のサングラス、小銃を肩から下げたドイツ。いずれ、私は犯罪者になるのだという宣告を背景に。
 6歳のころの著者の可愛らしく、そして、いかにも聡明な男の子だという写真があります。
両親の死は、私にとって事件ではなかった。父と母は、私の前から急にいなくなったのだ。両親の死に対する感情は残らなかったのに、突然、目の前からいなくなったという事実だけは、心にしっかりと刻印された。
 人生は馬鹿げている。でも、だからこそ面白い。平和な暮らしの中で安穏としていれば、試練、危機、トラウマもなく日々の繰り返しだけで、記憶には何も残らないのだろう。自分は何ものなのかを、そう簡単には見いだせない。試練がなければ物語は生まれず、自分自身の役割も見い出せないのではないか。私は逆境をくぐり抜けたからこそ、自分が何者かを心得ることができた。人間の存在は馬鹿げているからこそ、面白いのだ。
 トラウマの記憶があると、心が傷ついた子どもは、トラウマの記憶によって絶えず警戒心を抱く。虐待された子どもは冷淡な警戒心を示し、戦時下で育った子どもは、平和が訪れてもほんのちょっとの物音でも飛び上がるほど驚く。自分の記憶に残った恐怖のイメージに怯える人は、自分を取り巻く世界を遠ざける。彼らは、世間の出来事に無関心で、無感動であるように見える。
 トラウマの記憶は、対人関係を悪化させる。苦しみを軽減させるために、心が傷ついた者は、自分がトトラウマを被った場所、トラウマを思い出す恐れのある状況、トラウマをひき起こす物を避ける。とくに精神的な痛手を呼び起こすような言葉を避ける傾向がある。
 愛情に恵まれ、安心して育ち、他者と会話する能力のある者は、恐ろしい状況に直面した場合であっても、トラウマに悩まされることが少ない。そうは言っても、逆境を生き抜く際には、孤立し、言葉を奪われながら、毎日のように小さなトラウマに悩まされ、克服したはずの脆弱な心が戻ってくる。
 発育段階で心がもろい者が、不幸が生じたときにトラウマ症候群に悩まされるのは、トラウマに悩まされる前に、孤独感にさいなまれ、言葉をうまく操ることができなかったから。
 幼年期に母親が注いでくれた深い愛情のおかげで、他者との出会いが寛容になり、人間関係を構築しやすくなった私は、援助の手が差しのべられると、すかさず、これに反応するようになった。
 戦争中、死と背中あわせだったので、感覚は麻痺していた。悲しみも苦しみも苦悩もなかった。それらは、むしろ死を目前にした非日常的な出来事だった。戦後になって、生きのびていた二人の親族と出会ったとき、私は生まれて初めて孤独と不幸を感じた。
 私は一つの教訓を得た。過去を振り返ると、ろくでもないことが起こる。人は涙を流すと塩柱になり、人生はそこで停止するのだ。生きたいのなら、後ろを振り向かず、常に前を見つめよ。前進するのだ。過去を考えれば悲しくなるだけ。未来は希望にみちている。さあ、未来に向かって歩もう。
 私の悲惨な子ども時代は、例外的な出来事だったのだ。平和な時代になってからは信じてもらえなかった。自分の物語を語ると、自分が異常な人物であるような気がした。聞き手の視線によって、誇らしい気持ちになったり、不名誉を感じた。包み隠さずしゃべったときには、気持ちが楽になることもあったが、ほとんどの場合、周りの反応は私を沈黙させた。
 9歳にして、年寄りのような少年になっていた。私は、かなり前から、すでに子どもではなかった。
安心して暮らしていた子どもは、自分にみあった愛情を注いでくれる人物のもとへ向かう。そうした大人を見つけ、微笑みながらしゃべりかける。
 愛情に恵まれなかった子どもは、相手の大人が微笑んでもいないのに、さらには相手が拒絶する場合でさえ、接近していく。大人を必要とするあまり、追い払われても、その人の近くから離れない。このとき、子どもは快適さを感じるが、自律性は失われ、自分に興味のない誰かと暮らすことを受け入れてしまう。自分を不幸にするような親や配偶者から離れられない子どもや若者がいるのは、こういうわけである。
 そうした人間関係は、精神的な発育障害を生み出し、彼らを意気消沈させる。自律性を養わなければならない思春期に、自信がもてず、自分に注意を払わない、あるいはひどい扱いをする人々の元に留まろうとする。
 フランスでのユダヤ人一斉検挙のときにフランス警察につかまり、強制収容所に送られる寸前に脱走して、逃亡できた6歳の少年が、戦後、孤児院を出て、ついにはパリ大学医学部を出て精神科医になったのです。ベストセラー作家でもあるそうですが、トラウマ分析はさすがです。本当に勉強になりました。
340頁もある本ですが、トラウマとは何かを知りたい人には強くおすすめの本です。
(2014年3月刊。2300円+税)

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