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2013年11月 の投稿

ペンギンが空を飛んだ日

カテゴリー:社会

著者  椎橋 章夫 、 出版  交通新聞社新書
生き物のペンギンの話ではありません。電車・バス・地下鉄・モノレール、どこでも使えるようになった便利なIC乗車券が誕生するまでの苦労話です。
私にとっては、今でも不思議でなりません。なぜ、接触させることもなく、機械に近づける(かざす)だけで瞬時に見分けることができるのか、そして、いろんな路線を利用しても、きちんと清算できるのか。ナゾだらけのカードです。この本を読んで、読みとりには短波を使っていることが分かりました。
自動改札機の読みとり装置が電波を出し、ICカードが反射して通信するパッシブ方式。でも、ICカードが反応するには、何らかの電源が必要なのではないでしょうか・・・。
 そこで、電力を内蔵せず、通信ごとに電波で電力を供給する方式にする。すなわち、非接触式で、バッテリーレス。
 カードを読みとり機に少しでも「かざす」時間を長くするために考えられたのが「タッチ・アンド・ゴー」。つまり、カードを触れさせることによってカードの軌跡はV字を描く。直線的な動きより、本の少しだけ時間がのびる。このわずかな傾斜によって、歩行速度が減速して改札機を通過する。これはこれは、偉大なる発明ですよね・・・。
 技術的に解決するのが困難な課題を、「運用」で解決した。
電池を内蔵しないICカードは電波を使った電磁誘導で電力を供給するために、その電力は不安定になる。そのため、データの書き込み途中でチップが止まって書き込みができなくなったり、データ破壊が起こりやすくなる。
スイカ・カードにID機能は不要だという意見もあった。しかし、ID機能をつけたおかげで、その利用可能性は飛躍的に高まった。
2007年3月、スイカ・カードがJR、私鉄、地下鉄、バスで使えるようになった。スイカの運用開始は2001年11月。サービス開始から1年たたないうちに500万枚、2004年10月には1000万枚の利用となった。
 今では、スイカ・カードで買い物までできるのですよね。典型的にへそ曲がりの私は絶対使いませんが、自動販売機やコインロッカーを利用するとき、小銭のないときには便利ですね。でも、コンビニまで・・・・。
 今では、全国の列車、私鉄に通用するのですから、恐ろしいことです。スイカキャラクターはペンギン。飛べないはずのペンギンが空を飛んだ・・・。
(2013年8月刊。800円+税)

統合失調症がやってきた

カテゴリー:人間

著者  ハウス加賀谷・松本キック 、 出版  イースト・プレス
真面目な本なので、真剣に読みました。私は、仕事で、精神科の閉鎖病棟にときどき入ります。弁護士会の精神保健当番弁護士として出動するのです。もう何回も面会しているなじみの人もいます。閉鎖病棟は看護師さんにカギを開けてもらって入るわけですが、面会するときは留置場と違って、オープンな個室で自由に話せます。
 今まで怖いと思ったことは幸いにしてありませんが、下手すると、怖い思いをすることになりかねません。でも、それは法律事務所などでの離婚相談のときと同じことではあります。どこにでも人格異常の人はいるものです。
この本は漫才コンビを組んでいた人が統合失調症になり、長い闘病生活を経て、10年後にコンビ復活したというのを、自分の体験記として書いたものです。ですから、迫真性があり、その苦しみが惻々と伝わってきます。
 両親も大変だったと思いますが、とくに母親の支えがあってこそ復活できたようです。エリートサラリーマンの父親は家庭をあまりかえりみなかったようです。それだけに、母親は子どもを進学競争に駆り立てていったのでした。それが即、病気につながったというのではないでしょうが、子どものころにあまり受験勉強に追い込むのは考えものですよね。
 良い子でなければならない。親を喜ばせなければいけない。そう思って行動していた。いつのころから親の顔色をうかがうようになったのかは覚えていない。
 加賀谷家ではテレビを見るのは基本的に禁止。見れるのは、NKH教育の海外ドキュメンタリー番組のみ。だから、ドリフターズを見れず、友だちとの会話がかみあわなかった。
 石の仮面を装着するのはひどく疲れた。
 一流の大学に入って、一流の会社に就職するのが幸せになること。これが母親の口癖だった。でも、一流企業に勤めている父親の姿を見ていると、その言葉の意味が分からなかった。お酒を飲んでは母親にあたり、家の物を壊す。酔っぱらって、そのままリビングのソファーにバタン。朝までソファーで眠っている。これが父親の日常生活だった。
 母親は言った。
 「父さんのいいところは、仕事の愚痴を家で言ったことがないの」
 しかし、著者は心の中で叫んだ。
 「愚痴を言ってもいいから、家で母さんを泣かせたり、物を壊さないで!」
父親は会社でひどくストレスのたまる仕事をしていたようです。でも、これでは子どもはたまりませんよね。
一流になることが果たして幸せなのか、よく分からなかった。
本当にそうですよね・・・。
中学生のとき、幻聴が始まった。「臭い」と友だちから言われているというのです。自己臭恐怖症という病名があるそうです。そして、睡眠障害。夜、布団に入っても眠れない。思春期精神科のクリニックに通い、横浜市内のグループホームに入った。
ところが、芸能界に入った(飛び込んだ)のです。
挙動不審で落ち着きがなく、遅刻が多かったりした。それも、病気と薬の副作用のせいだった。それでも、なんとかお笑いコンビ「松本ハウス」が誕生したのでした。すごいですよね。テレビで、かなり売れたようです。
どうにでもなれというパワーは、人々を圧倒し、魅了することすらある。だけど、それは必ず自分にはね返ってきて、自分を追い込む危険な刃物だ。
この分析は鋭いですね。そのころの著者は、世の中が悪い、両親が悪い。すべて他人のせいにして事実を処理していた。
両親に対する反抗心は、自分自身に向けられた。親からもらった自分の体が嫌いだった。脳みそも含めて、自分という存在そのものが大嫌いだった。
調子を壊した原因は、自分勝手に薬の量を調節していたことにある。自己判断で、気分に応じて薬をのむ。薬を過剰に摂取して、安心を得ようとした。嘘の安心を手に入れてしまうと、摂取する分量を増やして、さらに大きな安心を求めてしまう。バランスが崩れ、反動が仕返しのように襲いかかってきた。感情のコントロールは完全にきかなくなってしまった。
そうやって入院生活を続けていくことになるのですが、著者が立ち直ったのは本を読むことにありました。
無気力、無意欲だったが、唯一、行動力を発揮したのは読書だった。週に3、4冊のペースで本を読んだ。すべて小説。冒険小説、ハードボイルド、警察小説など。
 芸人に戻ることがあきらめてはいなかった。その思いは絶やさなかった。
 芸人に戻るためには、エンターテイメントを保つ必要。そのための読書だった。
 こうやって10年後に芸能界に復帰したのでした。その執念と行動力には感服します。ぜひ、これからも無理なくがんばってください。
(2013年5月刊。900円+税)

浮世絵出版論

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  大久保 純一 、 出版  吉川弘文館
浮世絵の現物を手にとってみたことはありませんが、美術館そして、本では鑑賞してきました。素晴らしい、日本の誇るべき芸術作品だと思います。この本は、浮世絵の出版をめぐる話を満載しています。
 浮世絵は江戸時代を代表する絵画、版画の一領域である。
 浮世絵師の多くは、自分たちが岩佐又兵衛、菱川師宜に端を発し、大和絵の流れを当世に移し替えた絵師たちの系譜に身を置いているという、ある種の帰属意識を強くもっていた。
 浮世絵は、その当初から版画を主たる形態として発展してきた。支配階級からの経済的庇護があるわけではなく、地本問屋という版元が大量供給の商品として版画を生産し、不特定多数の購買者に販売し、利益をあげてきた。
 商品として売れるためには、浮世絵版画は、移り気な時代の美意識や趣味、嗜好を絶えず追い求めていなければならない。同じ画風を墨守したために人々に飽きられてしまったら終わりなのである。
 浮世絵における美人画の作風を通観すると、およそ10年以下の時間幅で変化していることに気づかされる。浮世絵は、17世紀後期、菱川師宣により始まる。
 錦絵の享受者は、けっして江戸の庶民層だけに限られていなかった。身分的にきわめて高い社会階層あるいは富裕層のなかにも錦絵の享受者がいた。
 錦絵は、庶民から大名まで実に幅広い階層で享受されていた。錦絵をはじめとする浮世絵の版画は、絵師・彫師・摺師の分業によって生み出されていた。その全体の工程を統括するのが、出版資本である地本問屋である。
 地本問屋とは、文字どおり地本の出版と販売をおこなう版元である。地本とは、上方から下ってくる読本や絵本に対して、地元江戸の地で出版された本のこと。そして、草双紙や浄瑠璃本などの大衆的な内容をもつ本をさす。
 これに対して、仏書、儒書、医学書、また学問書的な本などは「物之本」と呼び、これを出版する版元は書物問屋といった。
 「南総里見八犬伝」などの読本は、地本問屋ではなく、書物問屋が出版している。
 ただし、地本問屋と書物問屋の両者を兼ねる者もいた。
 総師は画面の隅から隅まで描き込むのではない。こまかいところは彫師の技量にまかせるのが普通だった。版下が書きあげられると「改」という出版検閲を受ける。色版が彫りあがると、摺師のもとに届けられ、最終工程である摺がおこなわれる。摺りあがると、絵師がチェックする。
 版元は、売れると見込むと、最初から1000組、つまり300枚も摺り込むことがある。ところが予想に反して150組しか売れないことがおきる。そのときには、貧困層の布団の材料として売り払われた。
 絵草紙屋の店内で役者絵が目につく場所を占めていた。それは、もっとも売れ筋の商品だったからである。
 たくさんの浮世絵、錦絵そして役者絵も図版で紹介されている、楽しい本でした。
 また、美術館で浮世絵を見ることにしましょう。大英博物館には、たくさんの浮世絵があるそうですね。今度、日本で春画の展示が企画されています。ぜひ見てみたいものです。
(2013年4月刊。3800円+税)

銀河と宇宙

カテゴリー:宇宙

著者  ジョン・グリビン 、 出版  丸善出版
たまには、銀河と宇宙のことを考えてみるのは必要なことではないでしょうか。
人間の死後を考えたら、人間をつつむ銀河と宇宙がその後どうなるのか、考えずにはあれません。
 銀河がどのような最期を迎えるのかは宇宙の運命にかかっている。その宇宙の運命については三つのシナリオが考えられる。その一つは、宇宙が今日と同じ程度の加速膨張を続けていく。その二は、加速膨張の加速の程度がしだいに増えていく。第三は、それほど遠くない未来に加速傍聴に転じ、最終的には宇宙がビックバンを時間反転したビッグクランチとよばれる高密度状態になる。もし、宇宙の膨張が十分に長く続くなら、最終的にはガスとダストを使い果たして、宇宙のなかのすべての星成長活動が終わるだろう。
 銀河は1兆年という長い時間のうちに、暗く、赤くなるのに加え、やせ細って小さくなっていく。これを銀河の最期とみなすことができる。
 ブラックホールもまた同じように最期を迎える。ブラックホールも蒸発してしまう。
 現在の宇宙年齢の10倍の時間以内に、局所銀河群のメンバー銀河の合体からできた超巨大銀河の「島宇宙」がしだいに輝きを失っていく様子以外には何も見えなくなるだろう。
 その二のシナリオでは、いまから200億年のうちに必ず最後が来る。原子とすべての粒子は引き裂かれて「無」になり、その後には平坦で空虚な時空が残る。この空虚な時空から新しい宇宙が生まれて、銀河系がふたたび生まれるという考えもある・・・。
 その三のシナリオは、ビッグクランチの20億年前になると、もはや生命は存在できず、銀河は壊されて乱雑な星の集まりとなる。最後から100万年たらず前の時点で星の内部にあるものも含めてすべてバリオンが、それを構成する荷電粒子の成分に分解される。そして、物質と放射がふたたび密接に結合する。
 宇宙の大きさが現在の100万分の1になり、温度が星の内部の温度とほぼ同じ1000万度Cをこえると、星の中心核といえども火の玉のなかで溶融する。最終的には、すべてのものが特異的の中に消滅する。
 そして、この本は次のようにしめくくります。これを呼んで、ほっとひと安心というところでしょうか・・・。
 銀河は数千億年、現在の宇宙年齢の10倍以上の期間は安全で、人類とは別の知的生命体の観測者たちが、それがどんな最後を迎えるかを正確に理解するまでに十分な時間がある。
 私は、それよりも、原発なんていう人類のコントロール不能のものをかかえたまま、原発の操業再開だとか海外への輸出だとか、ましてや日本の原発を狙ったテロとか、そんな状況では、地球上の人類の生存こそ今や危機に直面していると改めて思いました。
(2013年7月刊。1000円+税)

ジェラシーが支配する国

カテゴリー:社会

著者  小谷 敏 、 出版  高文研
ついつい、なるほど、なるほど、と何度も頭を大きく上下させてしまいました。日本型バッシングの研究。こんなサブ・タイトルのついた本です。
 小泉純一郎や橋下徹のような政治家が熱狂的な人気を博してきた。彼らを英雄に仕立て上げたのは、安定した身分と収入と保障された公務員へのジェラシーである。だから、近年の日本を「ジェラシーが支配する国」と呼ぶ。
他人の不幸は蜜の味。人間は悪口を言うのが大好きな生き物である。悪口を言い合っているときには、強力な連帯感が生じる。
ところで、諸外国でバッシングの標的となるのは、政治家や経済人、「セレブ」と呼ばれる各界の著名人。ところが日本では、権力とマスコミメディア一体となって普通の公務員や生活保護受給者のような弱者を叩く構図がみられる。強者が弱者を叩くのが「日本型バッシング」の特徴である。子どもの世界に蔓延している「いじめ」は、大人の模倣である。
 1990年代以降の日本では、人々の所得は減少する一方。労働運動も市民運動も低調で、自分たちの力で社会を変えることはできないという諦観(あきらめ)に人々はつかれている。自分たちの生活を良くすることができないのなら、自分たちより少しでも恵まれた者を叩いて憂さを晴らすしかない。
 そして、為政者たちのあいだにも、スケープゴート(犠牲になる羊)を提供して人気とりに専心する「ポピュリスト」がはびこった。
 日本型バッシングの主役はテレビだ。テレビの世界から政界に躍り出た橋下徹は「巨大な凡庸」を地で行く人間だ。公務員たたきも、競争中心の教育改革も反原発もベーシックインカムも、俗耳に受けそうなことは何でも自らの政策として橋下は取りあげていく。インターネットは、テレビ的な凡庸さを増幅する役割を果たしている。
 日本人は「世間」から後ろ指をさされ、つまはじきにされることを何より恐れている。
 「週刊新潮」は、日本文化の特異性を象徴する存在である。
オレオレ詐欺がこれほど現代日本に多いのは、「自分の夫や子どもが、いつ間違いを犯しても不思議ではない」という「存在論的不安」を多くの人たちが抱えているからに他ならない。
 「存在論的不安」につかれた人々は、「諸悪の根源」となっている悪魔のような存在を探し求め、それを叩くことに熱中する。「悪魔」として名指しされた人たちを叩くのは、面白くもないことが続く日常のなかでの恰好の憂さ晴らしになるし、「諸悪の根源」を叩くことによって自分が正義の側に立っていることが確認できる。このようにして、バッシングに加わることで、フラストレーションだけでなく、「存在論的不安」も解消される。
ネット上の右翼的言辞の多くは、まじめな政治的信念にもとづくものというよりは、盛りあがるための「ネタ」であり、ネット右翼を特徴づけるのは、狂信的なナショナリズムではなく、理想をあざわらうシニシズム(冷笑主義)である。
自分自身が苦痛を味わっている人間は、他人の苦しみをみることを渇望している。なぜなら、他人の苦しみをみることによって、自らの苦しみを忘れることができるからである。
他人が苦しむのを見ることは快適である。他人を苦しませることは、さらに一層快適である。これは、一つの冷酷な命題だ。しかも、一つの古い、力強い、人間的な、あまりに人間的な命題だ。
 公務員に対する人々の激しい敵意が目立つようになったのは、民間の給与が下がり続け、人々の雇用が不安定になった「失われた10年」(1990年代)以降の傾向である。
 小泉純一郎を支持したのは、若者ではなく、中高年だった。そして、若者たちの中でも小泉を支持したのは高学歴層だった。「勝ち組」となることに希望をつなぐ層が小泉に投票した可能性が高い。同じように、橋本支持の中核を成しているのは、新自由主義的競争と経済のグローバル化の受益となりうると考えている人たちである。
橋下徹の言動には、驚くほど独創性がない。橋下は、「創造の人」ではなく、「模倣の人」なのである。その政策も「凡庸」という印象が強い。
 大変に歯切れの良い日本社会の分析です。読んでいて、胸がすっきりしてきます。ぜひ、あなたもお読みください。
(2013年4月刊。1900円+税)

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