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2013年11月 の投稿

わるいやつら

カテゴリー:司法

著者  宇都宮 健児 、 出版  集英社新書
高名な宇都宮弁護士が悪徳商法の最新の手口を紹介し、それとのたたかいを強調しています。
 本当に、だましの手口は日進月歩です。ついていくのが大変なほどで、今や古典的な「振り込め」詐欺は少なく、現金を郵パックに入れて送らせるなどが流行しています。これだと、口座開設のリスクがないのです。
ただ、先輩弁護士にも記憶違いは間々あるようです。駒場寮には私も住んでいましたし、その生活を小説にして紹介もしたのですが、この本には「寮では7、8人が一つの部屋で生活しています」(12頁)となっています。
 これは間違いで、一部屋の定員は6人で、向かいあった、AとB二部屋をあわせてセットとなっていましたが、合計して8人というところもあったのかもしれません。いずれにしても一部屋に8人という状態はなかったと思います(著者は私の2年先輩なので、少し違うかもしれませんが・・・)。
 クレサラ被害者運動が前進し、弁護士会やマスコミの力とあわせて貸金業者が改正され、サラ金業者に対する抜本的規制が強化されました。その成果として、4万7504業者(1986年)が2217業者(2013年)にまで大激減してしまいました。そして、自己破産件数も24万件(2003年)が今では8万件(2013年)となっています。多重債務者も230万人いると言われた(2006年)のが、30万人未満(2013年)とみられています。
 しかし、ヤミ金や「偽装質屋」は依然として横行しています。
銀行口座は、通帳、印鑑、キャッシュカードの3点セットで、4~7万円で売買されている。
 名簿と口座とケータイ。これが三種の神器と呼ばれている。現在の悪質業者は、店舗をかまえず、偽名だし、足のつかない他人名義の口座やケータイをつかっている。だから、お金を騙しとられた被害者の被害回復は以前に比べて格段に難しくなっている。
 先物取引による被害は商品先物取引法の施行によって大幅に減った。
 「わるいやつら」が世の中にのさばらないよう、私も著者に負けずに、これからもがんばります。
(2013年9月刊。700円+税)

犬から聞いた素敵な店

カテゴリー:生物

著者  山口 花 、 出版  東邦出版
私は犬派です。猫には、なんとなく、なじめません。
 犬派というのは、幼いころから犬が身近にいたからです。小学1年生のころ、優しい大型犬を飼っていたのですが、引っ越しのとき車のうしろから尾いてきていたのが、いつのまにかはぐれて見失ってしまったのでした。私が大泣きしたのは言うまでもありません。親を大いにうらんだものです。
 犬は、昔から人間にとって良き伴侶として過ごしてきました。
 この本は、人間にとっての犬の効果的な働きかけなどが報告されていて、うんうん、そうだよねと大いにうなずきながら読みすすめていきました。
 犬にも、人間のうな多彩な感情がある。人間は、それを知って、愛犬を人生最良のパートナーとして大切にするようになった。
 愛犬は、たがいに思いやり、ともに喜び、悲しみを分かちあいながら、人間に多くの幸せを与えてくれる、唯一無二のかけがえのない存在だ。
 いまや、愛犬は 、番犬でも飼い犬でもなく、大切な家族の一員として、それぞれの家庭にあたたかく迎え入れられている。
 黒い瞳の、やさしい目。じっと見つめられると、それだけで幸せな気分になってきます。子どもたちが幼いころに柴犬を飼っていました。不注意からフィラリアで死なせてしまいました。それ以来、犬は飼っていません。飼えないのが本当に残念です。
 14話の犬を中心とした心あたたまる短編集です。
(2013年9月刊。1300円+税)

赤い追跡者

カテゴリー:社会

著者  今井 彰 、 出版  新潮社
うまいです。おもわず、本の世界にぐいぐいと引きずり込まれてしまいます。
 エイズ患者の売血がアメリカから輸入された血液製剤に混入していた。それを知りながら原生省は見逃し、学者たちも見逃しに加担する。それを全日本テレビ取材班が駆け付けるのです。
 強奪、脅迫、色仕掛け・・・。取材のためなら手段を選ばないディレクターは、死んでいった罪のないエイズ患者の無念を晴らすため、厚生官僚、医学部教授、製薬会社がひた隠す秘密を暴いていく。
 ええーっ、これって、いま問題の特定秘密保護法案が成立したら、全部、違法行為として処罰の対象になるものではありませんか・・・。取材の自由とか報道の自由なんて、あくまでもイチジクの葉っぱで、何の役にも立ちません。警察が動いてしまったら、もう報道されず、記事にもならないでしょう。あとで、真実が明らかになっても、もっとも真実が明らかになる保障もありませんが、遅いのです。
 この本は、1994年にNKHスペシャルで放映された「埋もれたエイズ報告」が出来あがるまでを小説として再現したものです。どこまで事実に忠実なのかは分かりませんが、アメリカ発の汚染された血液製剤が日本に輸入され、血友病患者に患者を続出させた事実は重いと思います。
 それを官僚と御用学者そして製薬会社が共謀して知らぬ顔をきめこんでいたのですから、悪質です。それにしても、よくぞ取材班は真相を究明できたものです。ところどころに、良心のある人、罪の呵責に悩む人がいて助けられたこともあるようです。みんながみんな、自分のことしか考えているわけではないのですね。
 ちなみに、菅元首相が厚生大臣のとき、隠されたエイズ関連資料を厚生省から探し出したと発表して、一躍、時の人として脚光を浴び、さらに、裁判所の和解勧告を受け入れました。この人気をもとに、一気に菅は大臣から首相への道を手にしたのでした。あからさまなパフォーマンスでしたが、それでも和解を成立させたことは評価すべきなのでしょうね。
 どうやってマル秘資料を発掘していったのかが、この本の読みどころです。それこそ、脅迫、強奪、色仕掛けの数々が紹介されています。これでは、特定秘密保護法案の許す「相当な方法」とはとても言えません。きっと厳重処罰の対象になることでしょう。
 エイズ問題は、すっかり小さな話題になってしまいました。不治の病といわれていたのが、特効薬によって治る病気になったのも大きいですよね。
 NHKの番組として放映されるかどうかも、ドラマになっています。放映禁止の仮処分が申請され、NHK内部にも難局を回避して、放映の先送り論が出てきたのです。
 「きみは日本人を知らないね。日本人ほど、パニックになりやすい人種はいないんだ」
 「日本人は気質的に、パニック民族なのだよ。ことに自分たちが被害を受けるとなると、もう冷静さはなくなる。そうした国民を導いてやるのが、官僚や政治家の役目なのだよ」
 官僚と政治家は、私たち日本人をこのように見ているというわけです。まさしく、上から目線の、国民を馬鹿にした言い草です。とんでもありません。今、いちばん馬鹿げたことを言うのは国会議員に多いように思います。
 婚外子の相続分差別を意見とした最高裁判決について、これでは家族制度が守れないから無視しろという声が自民党内部に強いということです。おかしな話です。そんな低いレベルの人たちに日本の政治を任せておくわけにはいきませんよね。
著者は元NHKのプロデューサーです。前に『ガラスの巨人』(幻冬舎)という傑作を書いています
(2013年6月刊。1700円+税)

近代日本の官僚

カテゴリー:日本史

著者  清水 唯一郎 、 出版  中公新書
私も高校生のころ、なんとなく漠然と官僚を志向したことがありました。官僚って、世のため、人のために何かしてあげることができるのではないかというイメージをもっていたからです。もちろん、今では官僚なんて、ならなくて大正解だったと思っています。いえ、官僚のなかにも心底から世のため、人のために何かをしようとしている人がきっといるとは思っています。でも、恐らく主流は、時の政権に迎合している人、むしろ政権にごまをすりつつ、政権を操作するのを得意にしているような人たちなのでしょう。私には、そんな役割はできませんし、したくもありません。かといって、非主流派で、悶々とした日々を過ごしてストレスから病気になるというコースにいるのも嫌ですよね。
 この本は明治維新のあとに誕生した日本の官僚システムを追跡し、解明した労作です。
 1868年(慶応4年)1月17日、新政府は、初めての人材登用策となる徴士制度を発表した。それは、諸藩の藩士はもちろん、在野までを含めた全国の有能な人材を発掘し、身分にかかわりなく登用するもので、行政各課の運営を担うとされた。徴士の俸給は新政府が支払うとし、月給500円という破格の待遇が示された。そして、参与として迎えられた。
 採用された徴士の大半は下級藩士であったから、同時に身分秩序の破壊でもあった。
 採用された徴士は600人以上。鹿児島、高知、福井、名古屋、広島、それに熊本、鳥取、宇和島、佐賀。それ以外では山口が突出し、岡山、金沢、大垣が多かった。
 明治政府を軌道に乗せたのは、元勲たちのもとで大量に登用された徴士たちだった。彼らこそ、新しい時代の要請によって生まれた維新官僚だった。
初めての官吏公選は、1869年(明治2年)5月に行われた。この開票には、明治天皇が立会した。
 6名の参与には、大久保、木戸、副島、東久世、後藤、板垣が当選した。官吏公選の真意は、諸侯の勢力を押さえ、維新官僚の政治的自由を確保して、その政策に正当性をもたせることにあった。
 1870年(明治3年)7月、大学南校についての布告が発せられ、全国から300人あまりの青年が皇居のほとりに参集した。
 年間170両という重い負担にもかかわらず各藩が青年を送り出したのは、他藩との競争意識からだった。人材輩出の競争におくれをとることは許されなかった。
 その一人に、宇和島藩の穂積陳重(ほずみのぶしげ)がいる。
 大学南校には、北は北海道の松前藩から南は鹿児島藩まで、全国261藩のうち259藩から310人が参集した。藩の代表という重荷を背負っての競争は落伍者を生んだ。とくに、年長者や家格の高いものに脱落が目立った。漢学の教養が深いものにとって、英語やフランス語の入門編があまりに幼稚にうつった。しかし、若い学生や身分の低い学生にとっては素直に新しい学問に向き合うことができた。6畳か8畳の相部屋で、押入の上段が書斎として使われた。
 1873年(明治6年)272人が政府派遣で留学していた。
 1873年(明治6年)の政変によって、内務省が誕生した。また、この政変のあと、官僚制度が変革された。
 そして、1885年、政府は太政管制を廃し、総理大臣を長とする内閣制度を発足させた。
 1888年(明治21年)の第1回の文官試験が実施された。原敬は、政党政治家になる前、15年ものあいだ官僚として腕をみがいていた。
 1893年(明治26年)、高等文官試験が始まった。10月1日の朝7時半に出頭した受験生は144人。9時45分に試験が始まり、10時半に終了する。迅速作文試験が5日間あり、これに合格すると、10月15日、本番の筆記試験が始まる。これが、4日間、続く。そして、口述試験が11月15日の朝7時半から昼まであった。
 高等文官試験の合格者は1893年の6人から、37人、50人、54人と順調に増加し、日露戦争(1904年)あとまでは50人前後で推移していた。
戦前の官僚たちは志があればこそ、政党に参加していった。しかし、その勢いはあまりに熾烈であり、政権の交代もあまりに頻繁であった。安定と連続をもって旨とする行政は、彼らが理想としたはずの政党政治によって幾度となく寸断された。その結果、彼らのあいだには、期待とともに政党政治への不信感が刻み込まれていった。政党政治への不信感は、その後、官僚出身者を中心とする政権を現出させた。政党政治の負の側面を記憶に深く刻んだ彼らは、近代日本の発展が政党と官僚の協働によってもたらされたことを忘却していた。
 政党と官僚は協働の関係にあるというのは、今も正しい観点ではないかと思います。
 官僚をまるでダメと言いつつ、実は裏で、こっそり官僚に操作されている自民党、そして過去の民主党政権の失敗をくり返してはいけないように、かつて官僚を志向していたこともある私は痛切に思います。
(2013年4月刊。920円+税)

日本国憲法の平和主義

カテゴリー:司法

著者  清原 雅彦 、 出版  石風社
北九州の清原弁護士が憲法の本を書きました。
 九弁連大会の会場で本を見つけて買い求め、一気に読了しました。
武力攻撃は理由もなく、また突然になされることはない。
 武力により制圧された国は滅亡するわけでもない。
 武力の均衡は、平和につながるのか。止まることを知らない軍拡競争は、疑いようもなく戦争に向かうものである。その戦争に勝利した国の権力者は戦争の誘惑にかられる。
 集団的安全保障の仕組みは、他国のための戦争に加わることを約束する行為である。戦争する機会が増えることは間違いない。
 集団的自衛権や軍事同盟による平和保持は、実際には機能しない恐れが大ではないか。軍事のみに頼らず、他の手段についても併行して考えるべきである。
アメリカは核やハイテク兵器を保有し、世界で群を抜いた軍事大国である。そして、それ自体が世界の脅威になっている。その保有を禁じる必要がある。
 アメリカは、自らが核兵器を保有しながら、他国の保有を認めない。それは、あまりに身勝手で説得力がない。日本では、国家もマスコミもこのことを問題としていないのは、それ自体がアメリカの脅威に屈服しているからではないのか。
自衛隊と称して、他国からの侵入を武力により抑止しようとすることは、日本国憲法の理念に反する。その意味では、武力の不足をアメリカなどの他国の軍事力によって補おうとすることも、アメリカ軍基地を置かせることも、日本国憲法の立場では容認できないところである。
集団的自衛権の行使の必要性の例として、アメリカの軍艦が攻撃されたとき、日本が何もしないのは許されないという議論がある。しかし、日本は攻撃されていないのだから、武力を行使すべきではない。なぜなら、攻撃国に日本までも攻撃する口実を与え、戦争に発展するから。むしろ、日本は仲裁役になって、和平のための努力をすべきである。
 たとえば、友人と食事をしているとき、友人に暴行を加える者があらわれたとして、いきなり暴行した者に暴行で対抗するのは非常識である。まず、止めにはいるのが常識ではないか。
なるほど、著者は現実の事態をよく考察していると感嘆します。そして、著者は東京裁判の意義を改めて考えています。なかなかの卓見だと思いました。
 戦勝国が敗戦国の指導者を一方的に処刑しなかったことは評価できる。裁判の形をとることによって、戦争や戦争犯罪が何たるかを考えさせる契機になった。
 戦勝国も、戦争目的について弁明する意義があることを明らかにした。
 このようにして、東京裁判は文明が進歩した、たしかな証しではないかと著者は総括しています。ふむふむ、なるほど、なるほど、と私は共感を覚えました。
 私より10歳だけ年長の著者は、病気で入院したのをきっかけにこの分野を勉強して、その成果を本にまとめあげたとのことです。大変な労作をありがとうございました。
 今後とも、お元気にご活躍されることを心より祈念します
(2013年11月刊。1500円+税)

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