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2013年10月 の投稿

四万十川の盆の送り火

カテゴリー:司法

著者  河西 龍太郎 、 出版  河西法律事務所
佐賀の河西弁護士が、なんと詩集を発刊した。あまりの驚きに、腰が抜けて歩けなくなってしまった。というのはウソです・・・。
 まあ、ホントにビックリはしたのです。河西さんは、私の学生セツルメント活動(川崎セツル)の先輩になります。この本にもセツルメントのことが書かれています。
 大学で労働者階級という存在を知った。お互いに引きずり落とすことで自分を守るのではなく、団結することで自分を護る労働者階級のたくましさに引かれ、将来、労働弁護士になることを決意した。
 そして、学生時代には労働者と生活の場で接したいと考えて川崎セツルメントの子ども会に入った。とくに子どもが好きだったわけでもないのに、川崎市の労働者のボーダーライン層の居住する川崎市桜本町に下宿した。大学に行かず、専ら桜本町で生活した。
 私も同じ川崎セツルメントに入りましたが、私は青年部で若者サークルで活動しました。そして、幸区の古市場に下宿しました。町工場がそこかしこにある下町の住宅街です。授業にあまりでなかったのは河西さんと同じです。
平日の昼間に一体何をしていたのか思い出せませんが、毎日毎日、忙しいハリのある生活でした。といっても、大学2年生の夏(正確には6月)から学園闘争が勃発し、そもそも授業がなくなりました。
 大学生活のうち3年あまりをセツルメント活動に没頭して過ごしました。人生で学ぶべきことは、みなセツルメントで学んだという感じです。
 そして、河西さんは、佐賀で開業してまもなくから、じん肺裁判で打ち込むのです。
 じん肺裁判の始まりから登場する原告、支援者、そして弁護団仲間の紹介が秀逸です。
 70歳になった河西さんは早々と弁護士稼業からの引退宣言をしてしまいました。ちょっと早すぎるのではありませんか・・・。
 カットまで河西さんが描いたというのもオドロキでした。
(2013年6月刊。非売品)

里山資本主義

カテゴリー:社会

著者  藻谷 浩介・NHK広島取材班 、 出版  角川ワンテーマ新書
タイトルを見ただけでは何のことか分かりませんが、要は日本の山林を見直せば、原発にたよらなくても日本はやっていけるという話です。なるほど、と思いました。
 浜矩子・同志社大学教授は、グローバル時代は強いものしか生き残れない時代だという考えは誤りだと指摘する。グローバル社会をジャングルと見て、そこでは弱肉強食の生存社会しかないという固定観念は、実は成り立たないもの。ジャングルには強いものだけがいるのではない。百獣の王のライオンから小動物たち、草木、果てはバクテリアまでいる。強いものは強いものなりに、弱いものは弱いものなりに、多様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグローバル時代なのだ。
なーるほど、よく考えれば、そうですよね・・・。
新しい集成材、CLT。直角に張りあわせた板。通常の集成材は、板は繊維方向が平行になるように張りあわせているが、このCLTでは、板の繊維の方向が直角に交わるように互い違いに重ねあわせられている。これによって、建築材料としての強度が飛躍的に高まる。いま、オーストリアでは、このCLTによる木造高層ビルが建てられている。
 CLTで壁をつくり、ビルにしたところ、鉄筋コンクリートに匹敵する強度が出せることが判明し、2000年に法改正があって、今ではオーストリアでは9階建までCLTで建設することが認められている。
 オーストリアだけでなく、イギリスのロンドンにも9階建てのCLTビルがある。耐火性機能も十分で、CLT建築の一室で人為的に火災を発生させたところ、60分たっても炎は隣の部屋に燃え広がらないどころか、少し室温上がったかなという程度だった。
日本でも、このCLT建築に光があてられようとしている。
 日本の里山にある木くずをペレットにして、そこから発電してエネルギーをまかなう試みがすすんでいる。コストパフォーマンスはすこぶるよく、灯油と同じコストで同じ熱量が得られる。そして、エコストーブが普及しつつある。
 憲法に「脱原発」を明記して原発を全廃したオーストリアでは、今や木材資源がフルに活用されている。
 木材ペレットを個人宅あてに供給するタンクローリーまである。そして、オーストリアでは木材の管理を徹底させ、むしろ木材面積がどんどん増えている。
 これは、日本でも学び、行かすべき方向ですよね。
 「限界集落」というコトバが流行している日本ですが、このように山里の可能性を見直す取り組みが始まっているのを知り、少しばかり安心しました。
(2013年9月刊。781円+税)

「対米従属」という宿痾

カテゴリー:社会

著者  鳩山 由紀夫・孫崎 享・植草 一秀 、 出版  飛鳥新社
この本のなかで、民主党の鳩山・元首相が何度も謝罪しています。民主党の3人の首相のなかで、一番まともだった首相ですが、アメリカに嫌われ、日本の政財・マスコミから総叩きにあって早々に退陣させられました。「最低でも県外移設」という普天間基地移設についての方針がアメリカは許せなかったのです。
 日本は粉飾にみちあふれている。国民の多くはあまりに粉飾が多いので、それに気づかず、事実だと信じている。アメリカ、官僚、大手業界、政治家、そして大手メディアが既得権益を守るため、事実を粉飾して国民に伝えている。たとえば、TPPについて、なぜこれほどまでにアメリカに尻尾を振らなければならないのか、理解に苦しむ。
 福島第一原発からは、今でも毎日、大量の放射性物質が空に、海に、地中に漏れ出している。
 既得権とのたたかいに勝てなかったのはまことに申し訳ない。しかし、既得権社会に埋没するしかないとあきらめてはいけない。
以上は鳩山元首相の言葉です。本当に、そのとおりですよね。さらに鳩山元首相は、次のように言います。
私の安全保障に関する基本的なスタンスは、日本よ、もっと独立国としての気概をもてということ。
 これまた、私は同感至極です。なんでもアメリカの言いなりなんて、もうゴメンですよ。アメリカに対等にモノをいうのは、それこそ、今でしょ!といいたいです。
 孫崎氏は、オバマ大統領は安倍首相と意識的に距離をおくことを考えていると指摘します。
 そう言えば、中国と韓国の両首脳も、国際会議のときに安倍首相が近寄ってこないようにしてくれと日本の外務省に要求しているという報道が流れていました。安倍と一緒の写真なんかとられたらかなわないというわけです。アメリカ、そして、中国、韓国から嫌われて、安倍首相はいったい国際社会で何ができると思っているのでしょうか。日本がひとりで、孤立して生きていけるはずはないのですよ・・・。
 アメリカの「ワシントン・ポスト」紙は尖閣問題は棚上げにしろと主張し、次のように言った。
 我々アメリカは、日本にもっと軍備をやれとけしかけてきたけれど、それを今の安倍政権がやり始めると、都合が悪い。
そうなんですね・・・。安倍首相に対するアメリカの評価はここまで低いのです。
植草氏は次のように断言しています。
 自分のことがまず大事だと考える政治家は対米従属になり、自分の利益より魂を大事にする政治家は対米自立になる。
 まことに正しい指摘ではないでしょうか。残念ながら、自民党の政治家で対米従属でない人はいない気がしてなりません。前には少しばかり骨のある政治家もいたように思いますが・・・。
 それにしても、小泉純一郎元首相が脱原発を主張すると、マスコミなどの小泉バッシングのひどさには呆れます。鳩山元首相も、この本で、「できるだけ早い段階で原発はなくしてゆくべきだ」と明言しています。
 鳩山元首相は改めて、次のように言い切っています。
 総理まで経験させていただいた人間として改めて申し上げると、やはり、日本はまだ全く独立国になっていないと思う。アメリカに対しても、きちっと自分の意見を言える、尊厳のある日本に仕立てあげていく必要がある。
 本当に、そのとおりだと私も思います。保守で、強いことを言っている人間ほど、実は米国に依存している。日本の現実を知るために欠かせない告発書だと思います。
(2013年6月刊。1400円+税)

日本兵を殺した父

カテゴリー:日本史

著者  デール・マハリッジ 、 出版  原書房
前に『沖縄・シュガーローフの戦い』(ジェームス・H・ハラス、光人社)を紹介しました。
 1945年5月12日から18日までの1週間にわたって繰り広げられた沖縄の首里防衛戦、その西端にある、名もない丘をめぐる争奪戦で、アメリカ第6海兵師団は2000名をこえる戦死傷者を出した。
 最終的に丘を占領するまでに、海兵隊は少なくとも11回の攻撃をおこなった。中隊は消耗し、戦死傷者は500名をこえた。この中隊は2回も全滅したことになる。
 今は、那覇市おもろまち1丁目6番地で、頂上部分には給水タンクが設置されています。モノレール「おもろまち」駅前にあります。
 この本は、ピュリツァー賞作家が父親の死んだあと、その戦友たちから戦争体験を聞き出していったものです。
 アメリカ軍も、太平洋戦争のなかで、
 「敵の捕虜にはなるな。敵を捕虜にもするな」
 としていたという話が出てきます。実際、降伏した日本兵を次々に射殺していったようです。そうなると、日本兵も死ぬまで戦うしかありません。必然的に戦闘は双方にとって激烈なものになっていきました。
 グアム島にいた日本兵の集合写真が載っています。140名もの日本兵は元気そのものです。そして、まもなく、その全員がヤシ林のなかで死んでいったのでした。そのなかの一部の兵士の顔が拡大されています。今もよく見かける、いかにも日本人の青年たちです。その顔をじっと見つめると、こんなところで死にたくなんかないと訴えかけている気がします。
 生き残った元兵士に著者が質問した。シュガーローフ・ヒルの戦術について、どう思うか・・・。
「あれは馬鹿げた戦いだった。やっちゃいけないことばかりだった。オレたちは何度も疑問に思ったよ。あんな丘、迂回していけばいいじゃないかと。周囲に陣地を張って、24時間監視して孤立させればよかったんだ。そうしたら、もっと大勢が助かったよ」
そうなんですよね、まったく、そのとおりです。
アメリカ軍に1万2000人の死者と3万6707人の負傷者を出し、2万6000人をストレスで苦しめた。
「オキナワという無謀すぎる賭け」について、こんな疑問がある。
 「なぜ、これほど多くの戦死傷者が出たのか。それは防げなかったのか。戦術に致命的な誤りがあったのではないか。そもそもオキナワは、どうしても必要な目標だったのか。近くの小さい島々を短期間で占拠したほうが、深刻な損耗はなかったのではないか」
 仮に全長100キロあまりの島を北から3分の2まで制圧できたのであれば、残りは包囲するだけで、日本軍は飢えて戦えなかっただろう。
 アメリカ軍の地上戦死傷者の大半は、島南部にある日本軍の拠点に無謀な正面攻撃を繰りかえし、疲弊した結果、出たものである。だが、日本軍を自ら築いた防塞に閉じ込めることもできた。直接的な強襲にばかり頼る旧来の手法から離れる必要があった。
 日本がアメリカとやろうとしてゲーム、正面対決に、ニミッツ提督はまんまと乗ったのだ。これに対して、マッカーサーの戦略と戦術は、多くのアメリカ兵を生きてアメリカ本国に帰還させるうえで、大いに貢献した。
 海軍主導で戦った沖縄戦の甚大な被害にトルーマン大統領は衝撃を受け、マッカーサー支援に傾いていった。海軍は連合国軍最高司令官にニミッツを推していた。ニミッツは憤然としてAP通信記者にこう語った。
 「死傷者がどれだけ出ようとも、完遂させねばならない任務がある。あれは不手際でも、大失敗でもなかった」
 しかし、著者はニミッツを厳しく批判します。沖縄戦は、あんな戦いでなくても良かったはずだ。ニミッツの愚劣さが、沖縄戦における民間人15万人、日本兵11万人、アメリカ兵1万2000人以上の犠牲を引きおこした。そして、著者の父親も沖縄の戦場での脳損傷の後遺症を一生引きずったのです。
 1950年生まれの著者による太平洋戦争体験記(聴取録)です。アメリカ軍のとった戦術について批判があることを私は初めて知りました。
(2013年7月刊。2500円+税)

血盟団事件

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  中島 岳志 、 出版  文芸春秋
 昭和史の闇を暴いた感のある、読みごたえたっぷりの本でした。
1932年2月、大蔵大臣の井上準之介が小沼正(おぬましょう・20歳)によって暗殺され、3月には三井財閥の総師団琢磨が菱沼五良(19歳)に暗殺された。小沼も菱沼も、ともに茨城県、大洗周辺出身の青年だった。彼らは幼馴染みの青年集団で日蓮宗の信仰を共にする仲間であり、日蓮主義者である井上日召(にっしょう)に感化されていた。
 いま、九州新幹線の新大牟田駅前には団琢磨の巨大石像が建立されています。
 その暗殺者、菱沼五郎は無期懲役の判決を受けたが、結婚して小幡五郎となり、戦後は茨城県議会議員となり、ついには県議会会議長までつとめる地元の名土となった。
 この本は、この血なまぐさい暗殺事件の社会的背景、軍部との結びつきを解明し、「一人暗殺」というのが当初からの方針というより偶然、そして仕方なくとられた手法であることを明らかにしています。
 結局、政財界の要人を暗殺したあとの展望は何もなかったのでした。これでは無政府主義と同じようなものですよね・・・。
当時の日本社会は、世界恐慌のあおりを受け、深刻な不況が続いていた。第一次世界大戦が終結したあと1919年以降、経済は悪化の一途をたどり、貧困問題が拡大していた。とくに地方や農村部の荒廃はひどく、出口の見えない苦悩が社会全体を覆っていた。
 彼らはそんな閉塞的な時代のなかで実在する不安をかかえ、スピリチュアルな救いを求めた。また、自分たちに不幸を強いる社会構造に問題を感じ、大洗の護国堂住職だった井上日召の指導のもと、富を独占する財閥や既得権益にしがみつく政治家たちへの反感を強めていった。
 井上日召は、中国に渡って諜報活動をしていた。つまり、日本のスパイだったわけです。井上日召は、東京帝大の憲法学者、上杉慎吉を「つまらんものだ」と切り捨てた。
 上杉慎吉は井上に言い負かされ、「いやしくも私は博士だ」と言ったとのこと。なるほど、つまらん「博士」です。
井上日召は、対機説法の名人だった。青年たちに難題を投げかけ、答えに窮したところを一気に畳みかける。不安にさいなまれる著者に対して断定的な見解を述べ、明確な答えを与えた。この繰り返しによって、相手との主従関係を築き、自らのカリスマ性へと転化していった。
井上日召は天皇を戴く日本団体を強調し君民協同の精神を説いた。そして、国民の多くが幸福から疎外されているのは、資本家が私利私欲をむさぼっているからで、彼らを排除する「改造」を行わなければ苦悩からは解放されないと説いた。井上日召の中に自己犠牲による国家への献身があると感じられた。
四元義隆は、当時23歳の東京帝大法学部生だった。偶然なことから、暗殺犯にならずに逮捕された。戦後は、政治のフィクサー的役割を果たした大物となった。中曽根、福田越夫、大平正芳、細川護熙などの首相に影響を与え、政界の指南役と言われた。
血盟団というのは、自称ではない。事件のあとで、マスコミが名付けたもの。
 井上日召にとって重要な存在は「破壊」であり、「建設」は二の次だった。血盟団のメンバーは、誰もテロ後の政権構想や具体的計画をまったくもっていなかった。彼らは、ただ自己犠牲をともなう破壊に生きようとした。テロ後をあれこれ想定しはじめると、世俗的な欲が湧き出してしまうからだ。
 1932年の2月、3月というと、その直後の五・一五事件を思い出します。五・一五事件を起こした海軍の青年将校たちは一部で英雄視されました。裁判が始まると、100万通をこえる減刑嘆願署名が集まったのでした。
 この世論の熱狂を巧みに利用したのは、軍部の指導層だった。彼らは、一転して、青年将校たちの側に立ち、政党政治家、財閥、特権階級を糾弾した。軍指導層は青年将校を政治利用、軍部への支持に回収していった。
 その結果、五・一五事件で起訴された青年将校たちへの判決は思いのほか軽い量刑だった。この判決の甘さが、後の2.26事件を括発することにつながる。
 ここには、今日の日本でも学ぶべき教訓があるように思いました。
(2013年9月刊。2100円+税)

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