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2013年7月 の投稿

教育統制と競争教育で子どものしあわせは守れるのか?

カテゴリー:社会

著者  日弁連 、 出版  明石書店
昨年10月、佐賀で開かれた教育シンポジウムが本になりました。大阪からは子どもたちのつまづき、そして非行の原因を明らかに驚きの事実が語られます。そして、北海道・稚内では、教組と教育委員会そして父兄・地域が一丸となって子育て運動をすすめているという元気の出る話が語られ、聞いているうちに、うれしくなりました。でも、地域の現実は深刻です。地域経済が疲弊しきっているからです。私も稚内の商店街のシャッター通りを見学してきました。東京の養護学校の先生は、性教育に取り組んだ真面目な実践を一部の都議と都教育委が押しつぶしてきたのに闘った現場の状況をレポートしました。
 卒業式で在校生との対面式を許さず、壇上には日の丸を掲げ、「君が代」を歌わせる。口パクでも許されない。いったいどうなってんだろう、この国は・・・。こんなこと、まともな大人のやることじゃないよな・・・。本当にそう思います。でも、したがわないと処分されるという現実があります。
 子ども第一というより、おカミによる統制第一という教育現場は、一刻も早く変えなければいけません。学校では子ども本位、そして、そのためには教師が伸びのび自由に教材研究がやれるような環境を保障すべきです。
 昨年1月の最高裁判決は、「不起立は教職員の世界観や歴史観にもとづくことから、『減給』以上の処分は謙抑的であるべきだ」として、懲戒処分(一部)を取り消しました。当然です。そして、弁護士出身の宮川光治裁判官は、「教員における精神の自由はとりわけて尊重されなければならない」と述べました。本当に、そのとおりです。
大阪の橋下市長の教育関係の条約もひどいものです。子どもたち同士、そして学校同士で過度の競争をあおりたてようとしています。教員統制も問答無用式に強めているため、今では大阪市の教員志望が激減しているとのことです。教員をいじめて、学校が良くなるわけはありません。そして、子どもたちが伸びのび育つはずもありません。道徳教育を上から一方的に押しつけて、効果のですはずもないのです。
 北海道でも、教育委員会が組合活動についての聞き取り調査を実施し、それに答えなかった6500人に対して文書によって「注意・指導」をしたいと思います。
 世取山洋介・新潟大学准教授は新自由主義教育の問題点をアメリカとの対比で分かりやすく解説してくれました。親の経済的格差が子どもの学力に影響している。学力と相関関係にあるのは、親の学力だけということは確認ずみ。
 親の資力は、子どもの力では変えようがないので、早くから学力競争をすると、自分の力ではどうにもならないことでマイナスの烙印を子どもたちは押され続けることになって、無力感と絶望感が蓄積していくことになる。
 競争主義のプレッシャーの下で子どもたちがとる行動は四つある。プレッシャーを他人シャーを感じる、そしてプレッシャーを感じる自分を壊す。
 他人への転嫁は「いじめ」に、相手方の破壊は「校内暴力」に、逃避は「不登校・登校拒否」に、そして、自己破壊は「自殺」としてあらわれる。
アメリカのおける教育改革、「おちこぼれゼロ法」は華々しくスタートしたが、結局のところ、失敗した。「成績向上」のために全米で不正が横行してしまった。そして、肝心の学力は低下していった。
小学生で九九ができず、掛け算ができない。また、漢字が読めない。これでは、中学生になって問題が解けるはずもない。すると、もう競争なんてできない。子どもたちのずさんだ世界の源泉がここにある。
人間は永遠の学力感の中で生き続けることはできない。やがて、彼らは破壊を求め出す。これは、エーリヒ・フロムの『悪について』という本に書いてある文章。こが日本の中学生に起きている。
 この大阪の小河勝氏の指摘は実に驚きでした。
200頁のハンディな、読みやすい本になっています。ぜひ、あなたも手にとってお読み下さい。
(2013年7月刊。1800円+税)

江戸の風評被害

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  鈴木 浩三 、 出版  筑摩選書
江戸時代にも風評被害があった。ええーっ、ホントですか・・・。
 ソバを食べた者が中毒死した。この噂が広まってそば屋の休業が続出した。近く小判の改鋳(かいちゅう)があるらしい。この噂が広まって、金融(両替)に支障が発生した。江戸時代の日本って、現代日本とあまり変わらないんですね・・・。
 ただし、江戸時代には「風評」とは言わず、浮説、虚説、風説と言っていた。
 江戸時代、情報の伝達は驚くほど早かった。江戸城内に起きた政変や有力閣僚の任免は、その日のうちに江戸中の上下が知るところとなった。天保の改革で有名な水野忠邦が失脚したときには、その日の夕方には、江戸の市民がその屋敷を取り囲んで投石に及んでいる。これって、すごいことですよね。もちろんテレビもラジオもない時代ですからね。早刷りの瓦判(かわらばん)でも出たのでしょうか・・・。
 文化10年(1813年)4月ころ、江戸市中に「ソバを食べると、あたって死ぬ」という風評がにわかに広がった。ソバを食べる人が激減し、そば屋の休業が続出した。
 昨年の出水によって綿作が不作となり、その畑にあとからまいたソバが江戸に出回ったことによるという、もっともらしい理由がついていたという。もちろん、デマだったわけです・・・。
 このような風説の調査、報告、取締りに関わったのは、南町奉行所、町年寄、名主というもので、江戸の都市行政機構にもとづく法令伝達のプロセスがあらわれている。
 江戸時代、町内に寿司屋が1、2軒、ソバ屋も1、2軒というほどの密度で存在していた。風説を流した浪人は、逮捕されて死刑(斬罪)となった。同じように講釈師で戯作者の馬場文耕も獄門とされた(宝暦8年、1758年)。ただし、浮説、虚説で処刑された例は決して多くない。
 名主の配下には、職能集団としての家主の集団があった。町年寄、名主集団は、相当に広い範囲の自治能力をもった公法人、公共団体として機能していた。260年にわたって、小さな組織で江戸の行政、司法を運営できた効率性の理由は、なによりも町年寄りなどを使った間接統治システムの成功にあった。
 天明6年(1786年)9月、江戸で「上水に毒物が投入された」という浮説(噂)がでまわり、上水から水をくむ者がいなくなった。当時の水道は、将軍の仁政の象徴として扱われていた側面があった。
 田沼政権の追い落としの一環として反田沼派によって計画的・意図的にこの浮説が流された可能性がある。
 なーるほど、そういう側面もあるんですね・・・。
 元禄15年(1702年)に赤穂浪士の討ち入りは、将軍綱吉の治政下、幕府批判のうずまくなかでの出来事だった。江戸の人々は、綱吉政権への不満もあって、赤穂浪士を英雄視した。討ち入りの予想日時や、討ち入り後の処分についても喧伝される状況だった。
 ええーっ、そんな風説が流れていたのですか、知りませんでした。
 江戸の火災は多かったが、その大半は、実は放火だった。明暦の大火は、幕府によって改易された大名の家臣による反幕行動としての放火だった。
 なんだ、そうだったのですか、これも知りませんでした・・・。
 確実に景気を刺激したのは、火災だった。江戸の人々は火事を喜んだ。「宵越しの銭」をもてないような下層階級の人々は火事で潤ったので、火事は、「世直し」と呼ばれた。
 江戸の消防組織は、自在に火事をコントロールする能力を備えていた。
江戸の人々の生活の実際を知ることのできる本です。
(2013年5月刊。1700円+税)

赤ちゃん学を学ぶ人のために

カテゴリー:人間

著者 小西 行郎・遠藤 利彦 、 出版  世界思想社
ヒトの赤ちゃんを知るということは、人間を知るということです。
 赤ちゃんは、自ら動くことによって他者や周囲の環境を認知する。
 赤ちゃんの脳は、ムダなシナプスをバランスよく削りながら、成長する。このコンセプトは、何でもかんでも刺激すればするほど、脳は成長するという従来からあった考え方に警鐘を鳴らすものだ。
 赤ちゃん学のもっとも大きな成果は、まったく無力だと思われていた胎児期から新生児期(生後1ヶ月まで)・乳児期(生後1年まで)の赤ちゃんに、きわめてすぐれた能力があることを発見したことにある。
超音波によって、胎児が笑っているような表情を示していることが明らかになった。これは、生まれてきたときに親に愛情を喚起するための方法を準備している証拠ではないかと考えられている。
 新生児微笑というのは、皆さん、私を可愛がってね、というメッセージだそうです。なんと、それを胎児の段階から準備していたというのです。驚きました・・・。
 胎児の睡眠にも、レム睡眠、ノンレム睡眠がすでにある。視聴覚、味覚そして触覚は胎児期にすでに機能している。つまり、胎児は、音を弁別し、母親の声を学習している。赤ちゃんは「白紙の状態で生まれる」わけではない。
 赤ちゃん学の進歩は、何でもできない赤ちゃんという固定概念崩しただけでなく、むしろ大人(親)は、赤ちゃんによって育児されているのではないかという側面を明らかにした。
 赤ちゃんは、生後すぐに目にした母親の顔を記憶して、他人の顔と見分ける能力をもっているようだ。6ヶ月の赤ちゃんは、ヒトの顔でもサルの顔でも見分けることができる。
 赤ちゃんが人見知りするというのは、顔を見分ける能力が身についた証拠だ。
赤ちゃんは、生後すぐに自発的な微笑を示す。そして、生後6~7週間たつと、赤ちゃんは社会的な微笑をあらわす。
 赤ちゃんは、眠っているあいだに身体の中で、あちこちでいろんな活動をすすめている。全身の細胞が点検され、修理され、新しくつくられている。寝る子は育つ。このたとえのように、ぐっすり眠っている間に、成長ホルモンがまとめて分泌されるからである。
 赤ちゃん学の参考文献がたくさん紹介されています。
 人間の不思議さを究明したい人にとって、よい手引き書となっています。
(2012年10月刊。2400円+税)

ワニの黄色い目

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  カトリーヌ・パンコール 、 出版  早川書房
いかにもフランスの小説だな、そう思いつつ上下2巻の本を読みすすめていきました。大人の男女の絡み合いが複雑なうえに、若い男女もからんできてストーリーはややこしく展開していきます。
 しかも、そのときどきで語り手が代わり、その視点で物語がすすんでいきますので、ますます、ややこしくなります。
 一般に、小説は読み手が本の登場人物に感情移入することが大切だといわれていて、モノ書き志向の私もそれを心がけているのですが、この本は、そんなルールなどお構いなしに、目まぐるしく視点が変転しながら、どんどん話が展開していき、ついていくのが大変です。上下2巻からなるこの本はフランス人の女性作家の手になるもので、フランスの女性に大受けして、3部作シリーズはなんと400万部を突破したというのです。これはすごいことですよね。
 監訳者のあとがきを紹介します。まさしく、そのとおりの本なのです。
恋愛あり、不倫あり、夫の家出や、ねじれた母親との関係あり、娘との葛藤あり、はては殺人事件までありと、登場人物のさまざまな女性が経験する人生のドラマを、ときには深刻に、ときにはユーモアをまじえながら、軽妙に描いた三部作の一作目。
 ロイヤルファミリーの大変さが語られるかと思うと、小説を書くことの大変さまで、そしてゴーストライターやら、本の販促など、さまざまなテーマが怒濤のように進行していくので、しまいには何がなにやら理解するのも困難になるうちに大団円を迎えてしまうのでした。
 私には、とてもこんなマネは出来ないなと思いつつ、著者に敬意を表して紹介してみました。
(2011年10月刊。1600円+税)

犬の伊勢参り

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  仁科 邦男 、 出版  平凡社新書
ご冗談でしょう・・・。江戸時代の中期に犬が単独で歩いて伊勢神宮にお参りをしていたというのです。フィックションではなく、実話として記録がいくつもあるといいます。信じられません。
記録に残された初めは、明和8年(1771年)4月のこと。最後の記録は明治7年。
 誰が記録したのか。たとえば松浦静山は『甲子夜話(かっしやわ)』に、日光からの帰り道に、伊勢参りの犬と道連れになったと書いた。
滝沢馬琴の息子は、千住(江戸)で伊勢参りの犬を見たと『八犬伝』執筆中の父親に報告している。根岸肥前守鎮衛(やすもり)の『耳袋』にも登場している。
 犬は、その首にひもを通して名札を付けていた。そして、銀の小玉がくくりつけてあった。飼主の所書と伊勢代参の犬であえることを示す札を首から下げていたのである。犬は人に声をかけられると立ち寄って餌をもらい、人の合図でまた家を出ていく。ええーっ、そ、そんなことが・・・。
 江戸時代には、日本中に信じやすい善男善女があふれていた。こういう時代だからこそ、犬は伊勢参りをすることができた。
 司馬遼太郎は犬の伊勢参りをウソだと断定したようです。著者は、司馬遼太郎でも、間違えるときは間違えると厳しく批判しています。まあ、司馬遼太郎が疑うのも当然だと私も思いますが・・・。
 幕末のころ、欧米に出かけて見聞きした日本人は、犬に必ず飼い主がいることに驚いた。そして、犬に税金までかかるとは・・・。
もともと日本の犬には値段がなかった。犬にお金を出す人などいなかった。
江戸時代の人間と犬との関係は、今とは感覚がまったく異なるようです。
 おとぎ話のような「実話」として面白く読み通しました。
(2013年3月刊。800円+税)

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