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2013年2月 の投稿

議論に絶対負けない法

カテゴリー:司法

著者  ゲーリー・スペンス 、 出版  三笠書房
アメリカのナンバーワン弁護士が議論に絶対負けない方法を教えてくれるというので、買って読んでみました。
 なーんだ、と思いました。決して突飛なことは書いてありません。むしろ、なるほどそうだよね、と同感するようなことばかりが書いてありました。
 これなら、明日から私だって実践できそうです。さあ、やってみましょう。
ありのままの自分こそ、最高の自己主張である。大げさに騒ぎ立てる人が議論の勝つことはまずない。
 まずは相手の言うことをよく聴くという技術が必要である。相手を一度は自分のなかに受け入れること、相手と一体になる技術が必要である。
自分を自由に解放するためのカギは、自分自身に扉を開ける許可を与えること。
 勝利とは、相手に降伏の白旗をあげさせることだと思っているとしたら、それは大間違いだ。最高の議論は、沈黙がもつ絶対的な力と忍耐とを持ち合わせることだ。
 妨げになっているのは、拒否されるかもしれないという恐怖だ。
 怒って復讐に燃える相手には、議論をふっかけても意味はない。
勝利をおさめるひとは、他人の話をよく聴いている人である。
 書くことが大切なのは、自分の心を探索するためだ。
 議論を人間味のある言葉で思い描くことによって、無味乾燥な抽象的概念を避けることができる。動作を大切にし、抽象的概念は避けること、これが鉄則だ。
ストーリーに力があるのは、ストーリーは動作をつくり出し、抽象的概念を避けることができるからだ。言葉が跡形もなく耳を通りすぎてしまう、そんな話し方をしてはいけない。
笑顔を、感情を隠すために使ってはいけない。ほほ笑みたいと感じるときに、ほほ笑むべきだ。相手に対して喜びや親しみを感じたときにほほ笑むべきだ。愉快に感じたときにほほ笑むべきだ。相手の心を開かせるためにほほ笑むのはやめよう。
まずは自分自身の感情を完全に意識し、理解することができなくては、相手の感情を感じることはできない。すべては自分自身から、自分の感情から始まる。
 内容を伝えるのは、言葉だけではない。言葉は、それほど重要ではない。音、リズム、身体、ジェスチャー、目、つまりはその人全体なのだ。
 力は心の底から生まれる。書いた議論をいかに上手に読んだとしても、絶対に聞き手の心を動かすことはできないし、陪審員を心変わりさせることもできない。魔術的な議論は常に心の底から生まれ、心の底の言語をつかって、相手の心の底に語りかける。常に相手の感情に語りかけることが大切だ。
 迷ったときには、主導権を握り、攻撃を開始する。それが最良の戦略だ。
 相手を侮辱する言語は慎むこと。相手に敬意を払うことによって、私たちは高い次元に上がることができる。相手を軽蔑する人は低い次元にとどまるだけ。敬意とは、相互に働くもの。
子どもらしい見方を絶対に失わない。喜怒哀楽を感じる子どもの部分を絶対に捨てない。子どもの素晴らしい自発性、魔法のような創造性、純真な心を投げ捨てないこと。
いい言葉が山盛りの本です。ぜひ、あなたも一読してください。
(2012年3月刊。1400円+税)

ぼくは猟師になった

カテゴリー:生物

著者  千松 信也 、 出版  リトルモア
著者は京大文学部に在学中、狩猟免許を取得し、ワナ猟、網猟を学んで実践している現役の猟師です。
兵庫県では河童(カッパ)を河太郎と書き、ガタロと呼ぶそうです。小さいことから野山を駆けめぐって育ち、動物好きになって、自宅では蛇まで飼ったそうです。さすがに、そのときはおばあちゃんが叱りました。その叱り方がすごい。うちの守り蛇が出ていったらどうするの。もう我が家は終わりになるじゃないの・・・。
 実は、我が家にも守り蛇がいます。一度だけ怖さのあまり殺してしまいましたが、大いに反省しました。それ以来、決して蛇を見つけても殺しません。とは言うものの、遭遇したら怖いです。
 著者が大学3年生のとき、4年間の休学を申請したいというのもすごいですね。そして、アルバイトをして軍資金を貯めて、海外放浪の旅に出かけたのです。勇気がありますよね。私には、とても真似できません。韓国を皮切りに、東南アジアへ出かけて、最後に東ティモールに入ったそうです。
 そして、日本に戻ってきて、大学4年生のとき狩猟免許をとったのでした。ワナ猟です。猟銃で殺傷するのではありません。
シカがワナにかかっているのを見つけた。ナイフで頸動脈を切断し、後ろ脚を持ち上げて逆さにして血抜きする。まだ心臓が動いているので、すごい勢いで血が噴き出す。血がある程度出たら、その場で腹を割いて内臓を取り出す。膀胱と肛門周辺の処理は慎重にする。これをおろそかにすると、内容物や糞尿で肉に臭いがついてしまう。腹の中で両手を血まみれにしながら、なんとか内臓を全部取り出す。食べない内臓の部位は土の中に埋める。あとで、いろんな動物がやってきて掘り起こして食べ、きれいになくなる。動物たちのごちそうだ。
 大学の寮で、このシカ肉を解体して、たき火を囲んだシカ肉大宴会が明け方近くまで続いた。20キロを優に超すシカ一頭を丸々食べ尽くした。若者の食欲はすごい。
仕掛けるワナ猟のワナの臭いを消すのが大変。大鍋で、カシやクスノキなど、臭いのきつい樹皮と一緒に10時間以上も煮込んで臭いを消す。
 そして、ワナを仕掛ける前日は風呂場で石けんを使わず、身体を念入りに洗う。タバコもしばらく前から禁煙する猟師が多い。猟師のあいだでは、獲物がかかるのは、一雨降って、臭いが一通り流れたあとというのが定説だ。
イノシシの行動を特定するのに一番よいのは、ヌタ場を見つけること。ヌタ場というのは、イノシシがダニを落とし、体を冷やすために泥浴びをする沼のようなところをいう。
 ワナは、ひとつの山で5丁から10丁を30分か長くても1時間ほど見回れる範囲にしかける。それ以上広げると、毎日の見回りが不可能になる。何日も放っておくと、ワナにかかった獲物が傷ついたり、場合によっては死んでしまう。死んでしばらくたった動物の肉は、血が抜けず臭みが残ってしまったり、腐敗して食べられなくなる。
 見回るときは、トドメ刺し用のナイフ、刃渡り20センチ以上のナイフを持っていく。タヌキやキツネは、煮ても焼いても食えない、臭い。これに反して、アナグマは非常に美味。
 イノシシがワナにかかったのを見ると、まずは心臓をナイフで一突きする。イノシシが意識を取り戻して反撃してくる危険がある。山の動物は、たくさんのダニやイノシシがついているので、運ぶときに背負ったりはしない。
 内臓を処理するとき、胆のうは破らない。これを破ると、とてつもなく苦い汁、胆汁が出て、肉に苦みが付いてしまう。
狩猟は残酷だと人は言う。しかし、その動物に思いをはせず、お金だけ払って買って食べるのも、同じように残酷なことではないのか。
自分で命を奪った以上、なるべくムダなくおいしくその肉を食べるのが、その動物に対する礼儀であり、供養にもなる。だから、解体も手を抜かず、丁寧にやる。とれた肉をなるべく美味しく食べられるよう工夫する。
シカ肉は、全身が筋肉で、脂肪のないきれいな赤身の肉。焼き肉で食べると、やや淡白で味気ない感じ。
 若いイノシシの肉は、市販の豚肉のようにやわらかい。
 イノシシもシカも、オスのこう丸が食べられる。魚肉ソーセージのような感じ、なかなか美味しい。小さめに切ってフライにして食べると、カキフライのようだ。
シカの脳みそは、頭蓋頭を割って取り出し、ムニエルにして食べる。豆腐のような、チーズのような、白子のような感じ、なかなか美味しい。
 私も、一度だけ仔牛の脳みそをムニエルで食べたことがありますが、とても美味しくいただきました。
 猟師に関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2008年9月刊。1600円+税)

3万冊の本を救ったアリーヤさんの大作戦

カテゴリー:アジア

著者  マーク・アラン・スタマティー 、 出版  国書刊行会
アメリカのイラク侵攻戦争は、その初めからインチキでしたよね。大量破壊兵器をイラクのサダム・フセイン政権が隠し持っているというのが侵攻戦争の大義名分でした。しかし、どこにも、そんなものはありませんでした。初めから嘘っぱちだったのです。
 それでも、アメリカ軍はイラクに侵攻し、日本もそれを支えました。膨大なお金をアメリカ軍に投じただけではなく、自衛隊はアメリカ軍将兵の運送事業に従事したのです。兵站(へいたん)は、戦争参加の重要な一環です。
ですから、名古屋高裁判決が日本政府のイラク派兵を憲法に違反していると明確に判断したのは画期的なことですが、当然でした。
この本は、イラク戦争のとき、アメリカ軍と一緒にイギリス軍が侵攻してきたバスラの図書館から、3万冊の本を運び出して、戦火にあうのを免れたという実話をマンガで紹介しています。
マンガでイラク戦争の一局面を知ることが出来ました。このマンガを描いたのは、アメリカ人です。政治風刺画やマンガをよく描いているそうです。
 マンガによってイラク戦争の真実を知ることができました。
(2012年12月刊。1400円+税)

拉致と決断

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  蓮池 薫 、 出版  新潮社
著者は1957年に生まれ、1978年、21歳のとき、中央大学法学部3年に在学中に拉致され、以来24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされました。
 何の落ち度もないのに、異郷の地に連れ去られ、仮面を被った生活を過ごさざるをえなかったのです。どれほど悔しい思いをしたことでしょうか・・・・。
 日本で考えられている自由の基準からすると、拉致被害者はほぼ完全に自由を奪われていた。「身体の自由」もままならない状態だった。行きたいところには行けず、連絡したい人とも連絡ができない。その理由は、拉致という事実、拉致被害者が存在するという極秘事項の漏洩と拉致被害者の逃亡を防ぐことにあった。招待所の周辺を散歩する自由くらいしかなかった。
 一番悔しかったのは、人生の幸せを追い求める自由を奪われてしまったことだった。
 著者一家は、日本人ではなく、「帰国した在日朝鮮人」と偽装した。著者たち拉致被害者が帰国できたのは、北朝鮮経済の不振が極限に達していて、指導部を窮地に追い込んでいたことによるものだろう。
 著者は子どもたちに日本語を教えなかった。それは、将来、工作員のような危険な仕事をさせられることのないようにするためだった。これは、夫婦で話しあって、ひそかに決めた。
 北朝鮮の社会はほぼ慢性的に食糧不足に苦しんでいた。だから、北朝鮮の人々は、食糧配給にことのほか敏感だった。引っ越しはもちろん、出張・旅行するときにも、配給制はついてまわった。配給制は、北朝鮮の人々の運命を大きく左右する国家のかなめの制度だったが、1990年代に入ってから、それがほころびを見せはじめた。
 子どもたちが寮に入ったとき、食べ物を小包で送ることはできなかった。届く前に郵便局員に奪われるのが常だったから。そこで、寮に戻る前に、子どもたちには煎った大豆をもたせた。十分に成長できないまま大人になってしまうのを心配して、1日2回、5、6粒ずつ数えて食べろと念を押して送り出した。うひゃあ、これはすさまじいことですね。
北朝鮮では、食べられるものが捨てられることなどない。
 節酒令や禁酒令は国民の健康や社会風紀維持のためというより、穀物(トウモロコシ)の浪費を防ぐのが重要な目的だった。著者も、トウモロコシが1粒落ちていても、拾っていたということです。厳しい社会環境ですね。日本にいると、とても想像できませんよね。
 著者は日本に帰国したあと、中央大学に復学し、今では著述業、翻訳家として活動しています。この本を読みながら、とても理知的な人だと思いました。
(2013年1月刊。1300円+税)

宮中からみる日本近代史

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  茶谷 誠一 、 出版  ちくま新書
大久保利通の求める天皇像は、あくまで西欧流近代国家の建設が第一義で、天皇親政はそのための「道具」にほかならなかった。これに対して侍補グループは天皇自身に「徳」を修めさせたうえ、大臣や側近らと協力して施政にあたる「天皇新政」を志向しており、天皇を強制君主として「密教」的に扱うことに従うはずもなかった。
 要するに、両者とも、天皇を利用しようとしていたことでは共通していますね。
 戦前の天皇は「玉」(ぎょく。たま)として利用される存在だったわけです。
 内大臣職は、維新以来の功績者である三条を処遇するために設置された感があるものだが、この官職は、その後の日本近現代史において、重要な役割を担った。長年にわたって元老筆頭格として政界や宮中を牽引してきた山県有朋も、大正期に入ってからはその支配力を低下させていった。
 皇太子裕仁の婚約をめぐって、その破棄を主張していた山県有朋は政治的に敗北し、それ以降の政治的影響力と宮中支配力を大きく減退させた。
 山県の影響下にない牧野伸顕の宮相就任は、旧友であり、当時首相として政権運営にあたっていた原敬にとって、自身の思い描く立憲君主論を実現していくうえで、力強い味方を得たことになる。
 大正天皇のもとで、元老や政府首脳は、君主としての資質を欠くかのような大正天皇の言動に振りまわされていた。同時に、政界指導者らは、明治天皇のような政治的調整力を有しない大正天皇の言動を目の当たりにして、自らの意思を「聖意」に即せしめるべく、政争を呼びおこしていった。
 大正天皇に替わった昭和天皇は、政治的な言動を抑制していた感のある摂政時代と異なり、政局に強い関心を示し、積極的に関与していく姿勢をみせた。そして、昭和天皇の積極的な政治関与は、天皇を支える宮中をはじめ、政党や軍部、民間右翼などを政局の荒波に巻き込んでいった。
 昭和天皇は田中義一内閣の政権運営に何かと不満を抱き、施政の一つ一つに注文をつけようとしていた。牧野内大臣は、田中内閣の施政に不満を募らせる天皇をなだめつつ、田中首相に善処を求めていた。
 田中義一は張作霖爆殺事件のあと、二度にわたって天皇から叱責され、天皇の親任を失ったと判断して内閣総辞職した。しかし、この一件は、天皇や側近にとって一時的に望ましい結果をもたらしたかもしれないが、他方、天皇と側近が行政府のトップを罷免させたという行動に対して、批判的なまなざしを向ける動きも起こりはじめた。
 君主が天皇大権を行使して政変にいたったが、明確な政治意思をもつ天皇の存在はその後の政局に波紋を広げた。
 牧野グループを標的にした側近攻撃は、暗に昭和天皇の政治意思や政治姿勢をも対象とするものであり、特定の政治勢力にとって聖意とみずからの政治意思や政策論とが異なるとき、これを批判するような政治風潮が醸成されていった。満州事変のころから、軍部とくに陸軍は政治勢力化し、国務を担う内閣と統師を担当する軍部が対立し、「国務と統師の分裂」という構図を常態化させていった。
 満州事変の拡大は、天皇をひどく動揺させた。
 犬養首相たちは政党内閣の手に負えない統師事項につき、大元師・天皇の憂慮の念を伝達することで、陸軍側に自発的な行動抑制の枠をはめようとした。ところが、このような軍部統制の手法は逆効果をもたらした。
 陸軍は、政党内閣や宮中勢力に批判的であり、天皇の権威を利用して統師権に介入しようとする犬養首相の手法に不快感をあらわした。西園寺は、天皇に政治責任を及ぼしかねない御前会議にも反対だった。御前会議で決定されたことを陸軍が順守するかどうかも疑問視されていた。
 天皇はあくまでも政界のごたごたから超然としていることが必要だと考えられた。
このように、天皇は軍部や政治家たちから単なる利用しやすい持ち駒のような存在として扱われていたわけです。そこには天皇崇拝のかけらもありません。それにもかかわらず、国民には天皇崇拝を押しつけていたのです。いやになってしまいます。
(2012年5月刊。780円+税)

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