著者 グードルン・パウゼヴァング 、 出版 小学館
平穏な毎日を過ごしているなかで、突然、原爆が落ちたら、社会と生活はどうなるのか。そのことを実に事細かに分からせてくれる貴重な小説です。
3.11のフクシマのあと、私たち日本人の少なくない人々が原発事故の恐ろしさに目をふさいでいるように感じます。今でも「電力不足」を本気で心配している人がいますが、それって、本当に心配しなくてはいけないことなのでしょうか。お互い、多少の不便を耐えしのんでも、次々世代にわたって安全に生きられることを優先して考えるべきではないでしょうか。
ある日突然、原爆が近くの村に投下され、その付近一帯は消滅してしまった。こんな情景から物語はスタートします。福島第一原発で事故が起きたのとまるで同じです。
しかし、人々は事態の本当の恐ろしさを信じようとしません。それまでどおりの日常生活を過ごしたいのです。
病院はすぐに満杯になります。食べるものもなくなっていきます。弱い子どもたちが次々に死んでいくなかで、孤児となった子どもを収容する施設もつくられます。でも、誰がどうやって面倒をみるというのでしょうか。
原爆症のために亡くなる人が続出します。白血病、腸の出血そして吐血。みな放射能による病気です。
死んだものを埋める、葬る。これが生き残った者の主な仕事になってしまった。その朝、葬る側にいるのは、もうたくさんだと思った。むしろ、やっと安らぎを得た死者がうらやましかった。
核戦争が起きる前の数年間、人類をほろぼす準備がすすんでいくのを、大人たちは何もせずに、おとなしく見ているだけだった。大人たちは、そんなことを言ってもしょうがないと、あきらめていた。また、核兵器があるからこそ平和のバランスが保てるんだと飽きもせずに、大人たちは主張していた。心地良さと快適な暮らしだけを求めて、危険が忍び寄るのに気がつきながら、それを直視しようとしなかった。
子どもは大人に対して、あなたは平和を守るために何かしたのですかと問いかけた。大人たちは、黙って首を横に振るだけだった。
こんなふうにならないように、今こそ声を大にしてあまりにも危険な原発なんかなくせと叫ぶ必要があるのではないでしょうか。
この本は今から30年も前にドイツ(当時の西ドイツ)で出版された本です。反核運動を大いに励ましたそうです。いま読み通して(わたしは初めて読みましたが)、フクシマの恐ろしさを伝えるのに絶好の本だと思いました。
(1984年5月刊。780円+税)
2012年5月1日
最後の子どもたち
カテゴリー:ヨーロッパ


