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2012年5月 の投稿

黒田如水

カテゴリー:日本史(戦国)

著者   小和田 哲男 、 出版   ミネルヴァ書房
 秀吉が天下を取れたのは、官兵衛と半兵衛という二兵衛がいたからだ、と言われることがある。半兵衛とは、竹中半兵衛重治のこと。官兵衛とは黒田官兵衛、義高(よしたか)のこと。
戦国時代、重要な決定は大将一人で決めるのではなく、重臣立ちの会議によって決められていた。
 後詰(ごづめ)とは、後巻(うしろまき)ともいい、味方の城が敵に包囲されたとき、城を攻めている敵に包囲されたとき、城を攻めている敵のさらに外側を大軍で包囲し、城の外と中とで敵を挟み撃ちにしようという戦法であり、そのための援軍のことをいう。
 天正6年(1578年)、織田方だった摂津の荒木村重が有岡城で信長に対して叛旗を翻した。荒木村重の謀反は、三木城の別所長治を相手として戦っている秀吉にとって、まさに青天の霹靂だった。そこで村重を説得すべく黒田如水が最後に送りこまれたところ、有岡城内に幽閉されてしまった。しかし、如水と日頃接していた重臣たちは、如水が村重と同心して織田家を裏切ることは絶対にないと信じていた。
 黒田如水は、1年間も狭い牢に閉じ込められていたため、膝は不自由になり、頭髪はぬけて禿になった。これは一生回復しないままだった。
 織田信長が本能寺の変で倒れ、秀吉が「中国大返し」をするとき如水は知恵を働かした。秀吉の軍勢に毛利勢が加わっているように見せかけるため、毛利家の旗20本を借り受け、陣の先に立てていた。
 著者によると、黒田如水はキリシタンだったとのことです。博多の教会堂で、如水追悼の儀式が行われたそうです。知りませんでした。
 また、如水は、戦国武将としては珍しく、殺戮を好まなかったと書かれています。そして、如水は正室だけで、側室をもたなかったという点でも変わっています。
 この本には偽書とされる『武功夜話』の引用もあったりして、歴史書としてはどうなのかなと思うところもありますが、黒田如水の歩みを分かりやすく伝えていました。
(2012年1月刊。3000円+税)

パブリック

カテゴリー:アメリカ

著者   ジェフ・ジャービス 、 出版   NHK出版
 若者たちは、古い世代が戦々恐々とするパブリックな未来に生きている。自分をオープンにすることへの見返りを分かっているからだ。
 インターネットは、ただのコンテンツを運ぶ媒体ではない。それは、人と人とがつながりあう手段だ。インターネットは既存世界の一部だという考え方には異議がある。それはもう一つの並行宇宙なのである。それほど「別物」なのだ。
 インターネットは、この世界の新たな層、新たな社会、または、よりパブリックな新しい未来へのもうひとつの道筋なのだ。インターネットは、破壊の道具、つまり古い絆を再び分断し、ぼくらを制約から解き放ち、未来の姿をあらためて模索させる触媒だ。インターネットが再びぼくらを原子にする。
 社会がパブリックになることは明らかだし、避けられない。抵抗してもムダなのだ。だが、その新しい社会がどんな形になるかは、まったく予想もつかない。
インターネットをうろついているとき、それを見られるのはうれしくない。
 インターネットは「深い読書」と、それがもたらす「深い思考」を阻むと言う人がいる。そこには、本こそが思考を刺激する唯一の、または最良のものだという思い込みがある。
インターネットができてから読む本の数は減ったが、インターネットのおかげで知識欲は増えた。なぜなら、インターネットは好奇心を呼びさまし、それを簡単に満たすことができるからだ。
 2011年の初め、13歳以上のアメリカ人の半数以上がフェイスブックに登録している。
 アメリカのティーンエイジャーと若年層の4分の3と、成人の半分がソーシャルネットワークを利用していた。1億7500万人をこえるツイッターユーザーが毎日1億回ツイートし、合計で250億のつぶやきを残している。アメリカの成人の1割は、ブログを管理している。
 ユーチューブは、毎分35時間分の動画を受けている。
 果たして、本当にインターネットは人類の知恵を向上させ、相互の結びつきを深めるものなのでしょうか。今の私には、大いに疑問です。
 私の身近な人がツイッター中毒となり周囲の状況が目に入らなくなって周囲の人が困ったということが起きました。その人を見ていて、あまりにインターネットの世界に入りこみ過ぎていて、じっくり落ち着いて考えることが出来なくなっている気がしました。
 インターネットの怖さは依然として小さくないというのが私の意見です。
(2011年6月刊。760円+税)

ナチスの知識人部隊

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   クリスティアン・アングラオ 、 出版   河出書房新社
 ナチスのユダヤ人をはじめとする虐殺の実行部隊を指揮したのは、頭脳明晰な大学出の若きエリートたちだった。彼らは美男で、輝かしく、知的で、教養があった。にもかかわらず、人間にあるまじき、人間として絶対に許されない殺戮を続けていたのです。なぜか?
 本書は、そのような80人ほどの大学出の若者たちを分析しています。
 ナチス親衛隊の保安情報機関に採用されたのは、その知性を買われてのこと。情報の収集や分析に、人文科学の知識が必要だった。また、ナチスのイデオロギーに学問的な裏づけを与え、それを正当化するのも、知識人の重要な役目だった。
 そして、SS保安部(SD)や国家保安本部(RSHA)で中心な役割を担い、その保安業務の一環として東部へ派遣されて、処刑部隊の先頭に立った。
 敵への「恐怖」や暴力に対する「慣れ」によって、人は誰でも残虐行為をエスカレートさせる可能性があることを、本書は証明しています。
これら80人の知識人たちに共通しているのは第一次世界大戦が子ども時代の根源的なトラウマになっていること。およそ10年間、日常生活は混乱をきわめた。その10年間に多感な子ども時代そして青年時代を過ごした。そして、ドイツ国民の半数が、近親者と死別する経験をした。
 1万人の学生のうち9400人、講堂やゼミナールや研究室にただ通って、自分の勉強や試験に追われているだけである。進取の気性に富む学生は600人ほどで、そのうち400人は超国家主義(ナチス)であり、残りの200人は共産主義、社会民主主義、民主主義に分かれている。
 SSの上層部は、ドイツ民族が消えようとしている。さらには抹殺されようとしていると考えていた。ロシアのボリシェヴィズムの強迫観念にもとづくパニック的な恐れがそこにあった。
 ユダヤ人といえば、混乱をひき起こし、残虐行為をおこない、放火犯であり、共産主義体制の主要な支持者であるといった三段論法的表現によって、ユダヤ人がドイツの侵略に対する潜在的レジスタンスの尖兵であるという考え方が増幅するにつれ、15歳から60歳までのユダヤ人男性が組織的に銃殺されていった。
 ところが、ユダヤ人を銃殺する処刑隊員の神経も病んでいくのでした。当然ですよね。飲酒したくらいで気が晴れるはずはありません。
 ガス・トラックにしても、死体を運び出さなければならないという重大な問題があった。それで、トラックを使うのを止めた。死刑執行人立ちの心に傷を負わせてしまうのである。
ナチスのユダヤ人大量虐殺の中心にドイツの知識人青年がいたことの意味は重いと改めて思いました。
(2012年1月刊。3200円+税)

教育改革

カテゴリー:社会

著者   藤田 英典 、 出版   岩波新書
 1997年に初版が出ていますので、少し古くなっていますが、読んでみると内容的には古さをまったく感じさせません。
 教育の適切性を高度で先端的な知識技術に対応することに矮小化するのは誤りである。早い段階から専門分化したり、先端的な知識技能の教育を重視すると、それは「能力の浪費」を招きかねない。
 公立中高一貫校は、少数の公立エリート校をつくるだけになるか、学校序列・学校間格差を中学段階にまで拡大し、受験競争の低年齢化を招き、教育機会の階層差を拡大し、さらには、生徒にも学校にも、今以上に難しい課題を押しつけることになりかねない。弊害の方がメリットよりはるかに大きいと考えられる。
 たとえば、一度形成されたネガティブな評価や関係がずっと続く可能性がある。それは「十二歳・選抜」の問題を引き起こし、小学校の教育にまで受験競争の圧力をもち込み、もう一方で、現在、高校で見られるような序列や格差を中学校段階にまで拡大することになりかねない。
 日本の学校は、教師が一体となって生徒指導・生活指導にあたることを基本としてきた。もちろん、それがどの学校でもうまく機能してきたということではないが、教師集団の連携・協力と、個々の教師が生徒の生活全般にかかわることが、学校経営の基本、教師の仕事の基本とされてきた。
 こうした伝統に批判があるのも事実だが、それが日本の学校の主要な特質の一つであることも事実である。そして、その基盤には、すべての教師が同じ資格で同じ機能を担って教育にたずさわっているという事実があった。
 ところが、今日の学校では教員は見事にタテに系列化させられ、フラットな教師集団はなくなってしまいました。まったく残念としか言いようがありません。
週5日制、そして公立中高一貫校の導入前に発刊された本です。いずれも非常に問題があると著者は指摘しています。多くの国民がそれを安易に受け入れてしまったのが残念でなりません。
(2007年4月刊。780円+税)

原発のコスト

カテゴリー:社会

著者   大島 堅一 、 出版   岩波新書
 財界はいま総力をあげて原発再開を目ざしています。民主党政権はそれに抗することなく原発再開に動いています。そして、マスコミも大手新聞やテレビは原発の危険性など忘れたかのように、「電力不足」の不安を煽っています。でも福島第一原発のメルトダウンしか核燃料の処理はまだまったく手がついていないし、依然として大量の放射能が大気中そして海へ放出されているのですよ。そんなときに原発再稼働なんてとんでもないことじゃありませんか。
 これまで、原発は安くて安全だといわれてきました。この本は原発は決して安くはないこと、むしろほかのエネルギーに比べて、とてつもなく高いものだということをいろんな角度から論証しています。
 福島第一原発事故は、技術的な安全対策がとられていなかったことが原因と言われることがある。だが、それは原因構造の表面でしかない。なぜ安全対策が取られていなかったのか。それは、エネルギー政策形成にあたって、原発の真のコストが隠蔽され、利益集団の都合の良い判断のみが反映されてきたからである。このような仕組みがなくならない限り、また新たな問題が発生するであろう。
 福島第一原発事故の教訓を活かすためには、国民が強い政治的意思を形成しなければならない。
 脱原発は、政治的スローガンでもイデオロギーでもなく、現実に実行可能な政策である、脱原発に進むことは、保守や革新などの政治的立場、思想信条、社会的立場の別を超え、多くの国民が一致できる政策である。
 日本の原子力開発は、原子力複合体によって、反対派や慎重派を徹底的に排除して進められてきた。その最終的な帰結が福島第一原発事故である。原子力政策を推進してきた体制が完全に解体されなければ、原子力複合体は復活してくるだろう。
 原発事故は、最悪のケースで100兆円を超える規模の被害をもたらす可能性すらある。
 脱原発による便益は年平均2兆6400億円となる。脱原発の便益はコストを上回る。
 この本では、ローソンの新浪剛史社長が脱原発に反対を表明していると書かれています。なんということでしょう。がっかりどころではありません。コンビニと原発がどう結びついているのか分かりませんが、これだけみんなで心配しているのに、まさかローソンの「電力不足」のないようにするため原発が必要だというんじゃないでしょうね。すっかり見損なってしまいました。
(2011年12月刊。760円+税)

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