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2012年2月 の投稿

福島原発の闇

カテゴリー:社会

著者   堀江 邦夫・水木しげる 、 出版   朝日新聞出版
 いま、福島第一原発のあと、内部では毎日3000人もの人々が強い放射線を浴びながら、懸命の復旧工事をしているわけですが、この本はその工事の様子をマンガで描いたものと言ってもよいと思います。ところが、実は、この本は1979年秋に発刊された『アサヒグラフ
』に掲載されたものがベースになっているのです。ですから、今から30年以上も前の福島第一原発の状況が描かれています。
自ら原発労働者になって原発作業の危険性を次々に告発していった著者は、アサヒグラフに誘われて、水木しげると一緒に福島原発に再び取材に出かけます。文章も迫力がありますが、なんといっても、さすがは水木しげるです。原発内の様子が刻明に再現されています。
いまや無残な姿をさらす原発建屋が健全な姿を見せていますが、そこで働く労働者にとって、そこは地獄です。
 防護服の着用を義務づけられるものの、それは放射線被曝から身体を防護してくれるわけではない。職場で、突然、汚染水が吹き出す事故が起きる。労働者は放射能まみれの水を見て悲鳴をあげて逃げまどう。
 炉心の近くの高線量エリア内の仕事。この日作業目標はたったバルブ1台の据え付け。普通なら2人がかりで30分もあれば十分な作業、それを6人もの労働者が疲労の極限まで追い込まれながら、3時間かけてもまだ終わらせることができない。あせったボーシン(現場監督)は、ついに全面マスクをはずしてしまった。ところが、横にいる放射線管理者は、そのボーシンに注意もしない。
1日あたり1ミリシーベルトが許容線量とされていた。日本人が一年間に浴びる自然放射線量は平均1ミリシーベルトというので、労働者は原発内で1年分を1日で浴びていることになる。
 原発内の作業実態をイメージできる良書だと思いました。わずか90頁あまりの薄い、イラストたっぷりの本ですが、タイムリーな出版です。
(2011年9月刊。1000円+税)

不思議な宮さま

カテゴリー:日本史

著者   浅見 雅男 、 出版   文芸春秋
 戦後初の首相となった東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)王の評伝です。その実像にかなり迫っていると思いました。
 稔彦王の生母は寺尾宇多子という女性である。
 正妃のほかに側室をもつのが当たり前だった皇室では、子どもはすべて正妃の子とされ、生母はあくまでも腹を貸しただけという建前がとられた。生母は自分の腹を痛めた実子に対して臣下の礼をとられなければいけなかったし、生母への思いを公然とあらわすのは慎まねばならなかった。ところが、稔彦王の父である朝彦親王には正妃がいなかった。それにもかかわらず、生母は名乗ることができなかった。
 朝彦親王は四男だったが、宮家を継ぐ王子以外は出家するという江戸時代以前の皇室のならわしにしたがって、8歳で京都の本能寺にあずけられ、14歳のときに奈良の一乗院の院主となった。朝彦親王は孝明天皇の命で還俗(げんぞく)した。ところが、朝彦親王は孝明天皇の期待を裏切って、公式合体派の首領として、京都朝廷で威勢を振るった。そして、明治元年、朝彦親王は岩倉らによって、徳川慶喜と結託して幕府の再興を図ったとの理由で広島に幽閉されてしまった。
 稔彦王は、生後すぐに母親から離され、京都郊外の農家に里親に出された。
 このころ、皇族や公家の幼児が里子に出されるのは珍しいことではなかった。子どものころ稔彦は、皇太子である嘉仁親王を尊重していなかった。それどころか、天皇という存在への敬意も欠如していた。
 皇族の生徒の取り扱いは軍当局にとって難題だった。もともと体力の劣っている皇族を厳しく鍛えると、病気になることがある。特別扱いするのは無理はなかった。ところが、特別扱いされる皇族生徒のほうでは、それがストレスになった。
皇族はトルストイの本を読むのも禁じられていた。
 ええーっ、そうなんですか・・・。信じられません。
 明治天皇には14人の子どもがいた。男子は4人で、成長したのは後の大正天皇ただ1人。10人の女子のうち、成長したのは4人のみだった。
稔彦王は、拘束の多い皇族という身分が嫌で嫌でたまらなかった。稔彦王は、何度も何度も皇族の身分を離れたいと言いはって、周囲から顰蹙を買い、また関係者に迷惑をかけた。
 若い皇族の海外留学は天皇政権が誕生してまもないころから盛んにおこなわれた。
 皇族たちは、続々と海を渡った。どの皇族も、10代半ばから20代半ばの若さだった。ほとんど全員が現地の軍学校で学んだ。明治前半の皇族留学は、軍事修行が主たる目的だった。
 稔彦王がパリに留学したとき、年に20万円が与えられた。これは現在なら10数億円にもなる巨額である。パリの陸軍大学を卒業したあと、稔彦王は政治法律学校に入った。ここでは、フランス語版の「資本論」を読んだという。稔彦王は、画家のクロード・モネと親しくつきあった。そして、稔彦王は、なかなか日本に帰国しようとせず、周囲をやきもきさせた。
 陸軍では、皇族は皇族であるがゆえに経験や能力は度外視され、超スピードで段階が上がっていく。したがって、階級が高いからといって、有能な部下が何でもやってくれる部隊の長ならともかく、責任が重く、判断能力が要求される省部の幹部になるのは無理だった。
 王政復古以来、皇族が戦場におもむくことは珍しくはなかった。しかし、いずれの場合、皇族軍人たちは、その身が危険にさらされないように周囲から周到な注意をはらわれ、その結果、戦死した皇族は一人も出ていない。
 軍司令官としての稔彦王は、賢明にも「お飾り」に甘んじていた。
 内大臣の木戸は稔彦王について、取り巻きがよくないと許した。木戸は神兵隊、天理教、小原龍海、清浦末雄など好ましからざる連中が取り巻きにいることを熟知していた。
 終戦のとき、稔彦王をよく知る人たちは、稔彦王を信頼せず、もろ手をあげて首相就任を歓迎することはなかった。しかし、陸軍の暴発を抑えること、国民に敗戦を納得させ、人心の動揺を防ぐことが目的だった。
皇族の一員として生まれて、その特権を利用しながらも、不自由な皇族から離脱しようとした人物であること、そして、一貫した信念をもたず、取り巻きにいいように利用されてきた人物であることがよく分かる興味深い評伝です。
 今では、こんな人物が皇族としていたことは誰もがすっかり忘れていますよね。
(2011年10月刊。2200円+税)

地の底のヤマ

カテゴリー:日本史

著者   西村 健 、 出版   講談社
 私の生まれ育った町のあちこちが登場してくる小説です。
 私が小学6年生のころ、かの有名な三池大争議がありました。わが家のすぐ近くにある幼稚園の園舎は警官隊の宿舎になっていました。全国から2万人もの警察官が集結し、狭い大牟田の町は警察官にあふれました。いえ、それ以上に多かったのが全国から駆け付けた争議を応援する労働組合員だったでしょう。
 市内には大規模な炭住、そこには炭鉱長屋がずらりと立ち並んでいました。映画『フラガール』で常盤炭鉱に働く炭鉱長屋がCDで再現されていましたが、あの光景が一ヶ所だけでなく市内各所にあったのでした。
 市内は連日、デモ行進があっていました。いつも延々と長蛇の列です。上空には会社の雇ったヘリコプターが飛びかい、組合批判のビラを地上にまき散らしていました。私たち子どもは走って拾い集めていたものです。私が中学3年生のとき、三川鉱大爆発事故が発生しました。校舎が揺れ、3階にある教室の窓から黒い煙があがるのが遠くに見えました。大量の二酸化炭素中毒の患者(単にガス患と呼ばれました)が発生しました。
 三池争議では暴力団も「活躍」しました。三井鉱山が暴力団を飼っていたのです。坑内労働には組夫と呼ばれる下請会社の従業員も入っていましたが、その手配師として暴力団がはびこっていました。三池争議のなかで第二組合が出来て強行就労しようとして、第一組合がピケを張っている現場にドスや鉄パイプを持って殴り込んだのです。労働者の一人(久保清氏)が刺殺されてしまいました。
 暴力団は今も大牟田に健在です。この本の最大の弱点は大型公共事業を暴力団と政治家が喰い物にしてきたことを見逃していることです。
 それはともかくとして、第1部の昭和49年(1974年)、第2部の昭和56年(1981年)、第3部の平成1年(1989年)、そして現在という構成のなかで、大牟田市内の各所で発生した事件を要領よく、パズルのようにはめ込みながらストーリーが展開していくのは見事です。なかには私の知らないエピソードもあり、教えられるところがありました。
 著者は1965年生まれですから、自分の体験していないところが大半でしょう。よくぞ調べあげたものです。でも、この町には、まだまだたくさんの暗部があります。三池集治監時代のエピソード(たとえば、脱獄囚が判事になっていた)、市会議員が暴力団員に刺殺され、その共犯が市議会を長く牛耳ってきたこと、現職市長が収賄で逮捕されたこと、公共事業と暴力団の関係などなどです。引き続き、これらの話も調べていただいて続編を期待したいと思います。
 最後に、大変勉強になる本でしたと改めて感謝します。
(2011年12月刊。2500円+税)
 火曜日に東京に行って日比谷公園のなかを歩いて、雪があちこちに残っているのに驚きました。しかも、鶴の噴水のところには氷のつららがキラキラ光っているのです。東京は寒かったですね。
 夜、品川正治氏の講演を久しぶりに聞きました。88歳になられるそうですが、いつものようにレジュメなしで、しかも制限時間をきっちり守って話されるのに感嘆しました。
 支配層はもうごまかしがきかないと思い至っている。マスコミもずっとごまかしをしてきたけれど行き詰っている。そんな元気の出る話でした。私もがんばらなくては、と思いました。

盲ろう者として生きて

カテゴリー:人間

著者  福島 智 、 出版  明石書店
心が洗われ、すがすがしい読後感に包まれた本でした。
すごいですね。目が見えず、耳が聞こえないのに、500頁もの本を書いて出版するのです。負けてはいられないという気分にもなりました。いえ、別に競争しようというのではありません。私は私の道で引き続きがんばってみようと思ったということです。
著者が書いたという童話がいくつか紹介されています。これまた圧倒されました。11歳のころに書いたとは思えないファンタジックなお話です。その想像力と筆力には、ただただ感嘆させられました。
キミには有力な武器が二つある。一つはしゃべれること。もう一つは点字ができること。この二つを生かすかが今後の課題だ。キミは、できるだけしゃべるようにつとめないといけない。この恩師のアドバイスを忠実に守って今日の著者があるといいます。
人はみな、宇宙に広がる無数の星々のように、孤独に耐えつつ、輝いている。各人は多くの場合、遠く離れてバラバラに配置されている。そして、その孤独に耐えながら、それでもなお、あるいはそれだから離れまいとして重力で引き合う。あるときは二つの恒星が互いに重力で引き合いながら、共通の重心の周囲を回る「連星」のような関係性を保つ。
またある場合は、太陽系における太陽とその光を受けながら公転する惑星群のような、「恒星系」に似た関係性を形づくる。
相互に光を放ち、反射しあう輝きは「コミュニケーション」を連想させる。重力は、退社との結びつきを求める「憧れ」だろうか。そして、星々が形づくる多くの星座や大宇宙に広がる無数の銀河系や星団は、人と人の関係性が織りなす「文脈」の多様さと豊かさを象徴しているのかもしれない。これって、すごくピンと来るたとえですよね。
人はみな、それぞれの「宇宙」に生きている。それは部分的には重なりあっていたとしても、完全に一致することはない。時には、まったく交わらないこともある。このように、ばらばらに配置された存在であるからこそ、その孤独が深いからこそ、人は他者との結びつきに憧れるのではない。智(著者)の盲ろう者としての生の本質は、この根元的な孤独と、それと同じくらい強い他者へのあこがれの共存なのではないだろうか。
人は誰でも自分一人だけで生きているように見えて(思っていても)、実は無数の人々と支え合って生きています。いえ、それがなければ一日たりとも生きていけません。私たちは、日々は、このことにまったく無自覚に過ごしていますが・・・。
著者が高等部一年生のとき、担任の石川先生は次のように忠告したそうです。
おまえも、そろそろ怪物になってきている。知識はあっても、考えようとしない。物事の本質、本当に価値のあるもの、美しいもの、意味のあるものを見分けようとしなければ怪物になる。人間の皮をかぶった怪物だ。世に評判の人ほど怪物は多い。
うむむ、これはグサリときますね。鋭い指摘です。こんなことを言ってくれる教師って、ありがたいですね。私もつい胸に手をあててしまいました。
盲ろうになって失ったものは数知れずあると思うけど、逆に得たものも少なからずある。たとえば、人の心を肌で感じられること。外見的な特徴や、しゃべり方などに左右されることがないので、純粋に相手の言いたいことが伝わってくる。 指点字で話すときに使う人間の手は意外にその人の性質をあらわしている。
著者が18歳のとき、ある夏の夜、父が言った。
「無理して大学なんか行かんでもええ。好きなことしてのんびり暮らせばええやないか。これまで、おまえはもう十分に苦労した」
「そんなの嫌や。ぼくにも生きがいが欲しいんや。ぼくは豚とは違うんや」
「分かった。そこまで言うんなら、おまえの思うとおりにとことんやれ、応援したる。まあ、ビールでも飲め」
すごい父と子の会話ですね。このやりとりを聞くと、父親もとても偉かったと思います。
(2011年7月刊。2800円+税)

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