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2012年2月 の投稿

「仮面の騎士」橋下徹

カテゴリー:社会

著者  大坂の地方自治を考える会 、 出版   講談社
 独裁者で何が悪いんだと開き直る弁護士がいます。同じ弁護士として悲しい現実です。そして、それを天まで持ち上げるマスコミには呆れてしまいます。小泉劇場と同じです、暴言を叩くのではなく、視聴率が稼げるからとそれをもてはやす営利本位の報道姿勢には怒りすら覚えます。
 この本は橋下大阪府知事(現在は大阪市長)の仮面をひきはがしています。
 書評で他人(ひと)の悪口なんか書きたくないのですが、公人とあれば、しかもマスコミだけでなく、今や多くの政党がすりよっている状況を見れば、この本を紹介せざるをえません。
 破たんする大阪の救世主として輝く橋下知事は、専横で空疎なパフォーマーにすぎなかった。そんな「仮面の騎士」の野望に騙され続けては、大阪、ひいては日本社会は、ますます崩壊の一途をたどるだろう。ヒトラーの例を出すまでもなく、「わかりやすさ」に与えられた独善的独裁者の仕掛けた「罠」に陥るわけにはいかない。
 世間の思惑の裏をかいて、意外な発言によって、さらにより以上の注目と支持を集める。これがマスコミを最大限に利用した橋下流の大衆操作の真骨頂である。
 構想の中身をはっきり示さない。制度設計は、あとから役人がすればより、この手法こそ橋下知事の得意技である。
橋下弁護士は商工ローン「シティズ」の顧問弁護士を8年間していた。かの悪名高いシティズの顧問をしていたなんて・・・。
 年収3億円を投げ打って大阪府知事に転身した。ええっ、弁護士として年収3億円だったのですか・・・。どうやってこんな大金を稼いでいたのでしょうか。まだ30代だったはずなのに・・・。
 大阪府を大阪都にすれば、なぜすべてがうまくいくというのか、その根拠が示されていない。本当にそうですよね。法律を変えて府を都にしたら、地自体の所管をちょっといじれば大阪の経済が一挙に好転するなんて、ありえませんよね。
橋下本人もそのことをよく知って自覚してるだけに、その具体策は何も示さず、ひたすら空疎なスローガンを叫び、反対者を糾弾し続けた。
 橋下知事の周囲には、常に大手メディアの橋下番の記者たちが待ちかまえていた。橋下のようなポピュリストは、衝動的な施策を次々を打ち出し、民意をつかんでおかなければ政治生命を維持することができない。そして、選挙で勝ちさえすれば、すべての権力を掌握したものとして、独裁が許されるとする政治哲学にもとづいて行動する。
 財界は、橋下は危なっかしいけれど、自分たちの政策に近い限り使っておこうとする。橋下知事の下で、自殺者が7人も出た。橋下知事に直言する上司が皆無であることが最大の原因だ。逆らえば飛ばされる。歯向かえば、つぶされる。物言えば唇寒し・・・。
 二面性をもつ橋下知事。その知事に唯々諾々と従っている府庁幹部たち・・・。
 橋下知事は自己愛性人格障害の典型、気に入られた者は死ぬまで働かされる。憎まれれば、とことん放逐される。注目を浴びないところで、ひっそりと生きていくのが一番。府庁内には、うつ状態の自殺予備軍が多数いる。
 橋下知事の意向にそわない府職員の首切りを用意にしようとする条例を提案しようとしている。そして「民意」をたてに首長の思いどおりに教育行政までも牛耳ろうとしている。 こんなひどい男をマスコミが批判もせずにもてはやし、それによって反逆児と錯覚した若者たちが拍手喝采しているというのが現状です。一刻も早く、こんなまやかしから目を覚ましたいものです。
(2011年11月刊。1400円+税)

越境する脳

カテゴリー:人間

著者   ミゲル・ニコレリス 、 出版   早川書房
 脳についての知識がさらに増えました。
右手を失った人が、その右手に痛みを感じることがある。これを幻肢という。
 幻肢とは、身体のある部分を失ったあとでも、その部分がまだあって身体にくっついているという異常な感覚のことである。この痛覚は脳内の構成概念である。手足を切断された人が体験する手の込んだ幻覚は、末梢の神経腫ではなく、患者の脳内に広く分布したニューロンの活動によって生じるものである。
脳は高度な適応性を有する多重様相プロセスによって身体の所有感覚を生成している。この過程では、視覚、触覚、身体位置の感覚フィードバックを直接操作することによって、数秒で私たちの別の新たな身体を自己感覚のありかとして受け入れさせることができる。
 これって、ちょっと分かりにくい説明ですよね・・・。
相互につながったニューロンの大集団と情報をコードする大規模な並行処理のおかげで、私たちの高度に発達した脳は部分の緩和が全体より大きくなる動的システムとなる。これが可能になるのは、個々の要素の特徴の線形和のみからは予測できない、活動の複雑な全体的パターン(創発性)が神経網全体の動的相互作用によって発生するからなのだ。数百万ないし数十億個のニューロンによって形成される分散神経網は、脳波発生などの創発性を示す。脳の創発性によって、さらに知覚、運動制御、夢、自己感覚などきわめて緻密で複雑な脳機能までもが生み出されている。私たちの知識は、ヒトの脳内で動物に相互作用する多数のニューロン回路の創発性から生まれていると思われる。
 脳のはたらきは、ニューロン時空が形成する切れ目のない連続体内にある数十億個のニューロン間の動的な相互作用から生まれるのだ。
 私たちの脳内では、つねに脳自身の視点と入力とが激しく衝突しており、脳は与えられた条件下で、その瞬間に最適な行動パターンを生成する。脳は外界からの刺激をただ待ち受ける受動的な情報解読器ではなく、能動的に外界のモデルを構築するシュミレーターである。シュミレーターの過程で脳は身体の枠をこえて外界を同化し、自己を延長する。
人間の意識が同時並行処理するニューロン集団の大量の相互作用にあるという主張なわけですが、この本を読んで、難しい内容ながらも何となく分かった気がしました。
(2011年9月刊。2400円+税)

日曜日の歴史学

カテゴリー:司法

著者  山本 博文  、 出版  東京堂出版 
 江戸時代について、たくさんの本を書いてきた著者の本を読むたびに目が開かれる思いです。伊能忠敬の目的が日本全国の地図づくりにあったのではなく、もっと大きな、地球の大きさを計算することだったというのを初めて知りました。しかも、歩いて算出した地球の外周(4万キロ近く)は、139キロの誤差しかなかったというのです。恐るべき精度ですね。腰を抜かしそうになりました。
家康も秀吉から豊臣の姓と羽柴の名字を与えられた。後に成立した江戸幕府は家康のこのような屈辱的な歴史を消そうとした。
 家康は秀吉に対して尺取虫のように平身低頭していたのが現実である。
家康が羽柴武蔵大納言と署名していたことがあるなんて、今の私たちからすると信じられませんよね。
嘆願すると住民は「恐れながら」と幕府を立てながら申し出た。しかし、それは武士が威張っていて、百姓が卑屈になっていたというものではなく、あくまで嘆願書の形式にすぎなかった。実際には、支配階級の武士といえども、被支配層の理解と支持なくして、自らの支配が成り立たないことを十分に承知していた。
  有名な桜田門外の辺について、彦根藩は、君主が傷つけられたというだけで、藩主の井伊直弼の首を取られたことを認めなかった。藩の面子があったからだ。そのため、この事件は殺人事件ではなく、幕府高官を集団で傷つけたという障害事件として処理された。ええーっ、ウソでしょ、と叫びたくなりました。ここまでホンネとたてまえを使いわけるのですね。まあ、これって、今でもありますね。
足軽というのは、最下層の武士かと思っていました。ところが、最近の研究では、足軽は百姓の出身者によって占められ、世襲されていない。つまり、足軽は士格ではあっても、武士とは言いがたい身分だった。
 私よりひとまわり若い著者ですが、さすがは東大史料編纂所教授だけあって、いつも史料を駆使した内容で、面白いうえに説得力があります。
(2011年11月刊。1500円+税)

本土決戦の虚像と実像

カテゴリー:日本史

著者  日吉台地下壕保存の会 、 出版   高文研
 第二次世界大戦の末期、当時の日本軍最高指導部は本気で本土決戦を考えていたのですね。信じられませんが、そのことがよく分かる本です。
 館山や九十九里浜にアメリカ軍が上陸することを予測し、多くの特攻基地をふくむ地下壕群が築造されていった。また、長野県松代に大本営を移転すべく地下壕を本格的に築造していった。本土決戦は、決して机上の計画にとどまったものではなく、幻の計画ではなかった。
 当初の本土決戦は、航空攻撃と海岸線の砲台・陣地によってアメリカ軍に上陸以前に大損害を与え、上陸してきたアメリカ軍は内陸部の陣地でくいとめ、アメリカ軍の消耗を待って「決戦兵団」が攻勢に出て、アメリカ軍を一挙に撃滅する作戦であった。
 うへーっっ、なんだか成功しそうで、実はまったくナンセンスな計画ですよねだって、そのころには既に航空機も海岸線の砲台も、そして内陸部の決戦兵団なんて、現実にはどこにもなかったのですよ。
 本土決戦の準備として大本営を移転させること、風船爆弾によってアメリカ本土を攻撃しようという計画がすすめられた。
風船爆弾には、当初、生物兵器をつかう計画だったようです。それによってアメリカの家畜を壊滅させて、社会を大混乱させようというのです。しかし、それをしたときのアメリカ側の反撃が怖くて止めて、爆弾が積まれました。風船爆弾9300発が発射され、アメリカ大陸に1000発は到達した。着弾地が確認されたのが361発で、死者6人という「成果」をあげて終わった。
本土決戦のため、参謀本部は150万人を招集し、一般師団40、混成旅団2つをつくりだす計画だった。
 大本営は、第一線部隊には後退を許さず、玉砕を強要しながらも、最後まで松代大本営工事を督励し、大本営(総司令部)のみは後退し、自己を温存することを図った。玉砕の強要と自己保存である。
 松代大本営は、総延長10キロをこえる3つの地下壕群が今も残っている。つくった労働者は、ほとんどが朝鮮人であった。6~7000人が働いていた。ここには天皇の御座所もつくられた。この工事は鹿島組が請け負い、180人の朝鮮人労働者が働いた。結局、日本の国土が荒廃し、多くの日本人が死んでも天皇制だけは存続させようということだったのですね。いやになってしまいます。
(2011年8月刊。1500円+税)

天子の奴隷

カテゴリー:日本史

著者   ロイ・H・ホワイトクロス 、 出版   秀英書房
 第二次世界大戦中、シンガポールで日本軍の捕虜となり、ビルマのタイメン鉄道建設にに従事させられ、その後、日本へ送られて三池炭坑で働かされたオーストラリア兵の記録です。苛酷な収容所生活のなかでよくぞ生き残ったものだと、つい感嘆してしまいました。
 1942年2月、イギリス軍は改めてきた日本軍に降伏した。
 チャンギ収容所にオーストラリア軍だけで1万5000人が収容された。そこへ、山下奉文将軍が視察にやってきた。
捕虜を乗せた貨物船は、シンガポールに向けて航行中、アメリカ軍艦水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。
 ビルマに連行されて、そこでタイメン鉄道の建設作業に従事された。私はみていませんが、有名な映画になっていますよね。クワイ河マーチも有名です。
 著者は、ここで23歳の誕生日を迎えました。この若さがあったから生きのびることが出来たのです。
 収容所ではコレラが猛威をふるい、次々に死者が出ます。トイレに夜中27回もいったといいます。マラリアも大流行します。隊の死亡率は5割。労働隊320人のうち、200人が病気で寝ていた。毎日のように誰かが脳性マラリアの犠牲になった。
 110キロ・キャンプでは1日に35人の死者を出した。30キロ・病院キャンプでは総員1027人のうち、既に500人以上が死んだ。
 1943年12月。570人のうち295人が働けなかった。1週間後、病人は399人に増えた。著者のところでは43人のうち38人が重体で動けなかった。
 1945年1月、九州になんとか到着した。大牟田の捕虜収容所は九州最大で1500人を収容した。イギリス人、アメリカ人、オランダ人、オーストラリア人がいた。そのうち、オーストラリア人は4棟を占めた。
給料は皆勤すると月に7円が支給された。ただし、これから1日1回のミルク代として2円が差し引かれた。
日本軍は連合軍捕虜への赤十字物資を専断し、倉庫にため込んだ。ときどき、それを勝手に償品として出勤率最高の部隊に贈られた。
 1945年6月、石炭600トンを産出するように勧告され、それから酷使され続けた。
やがて大牟田も空襲されるようになった。空前の規模の空襲は8月9日のこと。
8月15日、突然に戦争が終わり、解放された。大牟田にあった捕虜収容所には、終戦時に、収容者が1737人いた。収容中に138人の捕虜が死亡。オーストラリア人も19人が死亡。その半数は肺炎による。
 大牟田は、大阪や尼ヶ崎と並んで原爆攻撃の2次目標に入っていた。
収容所の初代所長の由利敬は戦犯として第一号に死刑が執行され、二代目所長の福原勲は巣鴨で2番目に紋首刑が執行された。このほか、大牟田収容所関係では2人が死刑となっている。
 著者は1920年の生まれですから、終戦時は25歳でした。2009年に亡くなっていますので、幸いにも89歳まで生きておられたわけです。シドニー大学に学び、またシドニー大学で働いていました。
 大牟田の収容所に入られ、捕虜として三池炭坑で働かされて生きのびた貴重な体験記です。広大な収容所の建物(宿舎棟)がずらりと並ぶ様子は壮観としか言いようがありません。写真をみると海岸沿いにあったようです。
(2010年10月刊。2500円+税)

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