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2012年1月 の投稿

昭和天皇伝

カテゴリー:日本史

著者   伊藤 之雄 、 出版   文芸春秋
 私にとって昭和天皇というのは、高校生までは「あっ、そう」としか言わない、よぼよぼの老人。大学生になってからは、日本を戦争に導いた最大の戦犯なのに、マッカーサーにこびへつらって戦犯になるのを免れた、こんなイメージでした。ですから、第二次大戦に至までの戦前、30代から40代という若さだったという感覚がまったくありませんでした。
 天皇の戦争責任について、日本では真正面から議論することがあまりに少ないと思います。戦後すぐには退位すべきではなかったかという意見も有力だったわけですが、今ではなんとなく昭和天皇は平和主義者であって、開戦は自分の意思ではなかったけれど、終戦のときは身を挺して戦争を終わらせたという雰囲気の論調です。だけど、昭和天皇が本当に根っからの平和主義者だったら、やはり日本が太平洋戦争に突入することはなかったと私は考えています。
 この本は、天皇が軍部との関係で絶えず緊張関係にあったことを明らかにしています。軍部は天皇を利用しようとしていたし、天皇は軍部が自分の言いなりにならないことから、妥協しつつ自己の意思をつらぬこうとしたようです。
 即位したばかりの若い昭和天皇は、陸軍将校とつながる平沼騏一郎などの右翼、倉富枢密院議長などの保守派からの不安の目で見られていた。
 張作霖爆殺事件のとき、昭和天皇は田中義一首相に異例の「問責」をしたが、このとき、若い天皇が右翼・保守派・軍部に対して威信を失ってしまい、軍部の統制を確立できない結果をもたらした。
ええっ、昭和天皇は若いから威信がなく、周囲から不安の目で見られていたのですね。つまりは、信用されていなかったということです。
 昭和天皇はフランス語は学んでいたが、英語は生涯自由に話せなかった。でしたら、イギリスを訪問したときは、フランス語で会話していたのでしょうか・・・?
 右翼は、天皇制を支持し、天皇親裁を唱えるが、彼らはあるべき天皇像を持っており、それと異なると、なかなか従おうとはしない。
つまり、右翼にとって、天皇は絶対的存在ではないのですね。自分に都合のよいときには、それを錦のみたてとしますが、気にくわなければ天皇を追放(代替わり)するのもいわないというわけです。
 昭和天皇は、若いころ歴史に非常に興味を持っていた。しかし、元老たちが「歴史は、かえってお悩みの種になる」と危惧し、次に好きな生物学を選ぶようにすすめた。なるほど、生物学は俗世間との結びつきがより少なくて、無難なものでしょうね。
 昭和天皇は、若いころは毎朝、何種類かの新聞に目を通していた。昭和天皇の言動について、宮中内部の有力者のなかに、細かいことに関わりすぎるという、その人格への不満や批判まで出てきた。
 田中義一首相が辞任することになって天皇批判が出てきた。このことは、自らの誠実さに対する国民の人気を信じ、はりきって政治との関わりを求めてきた若き昭和天皇にとって、大きなショックとなった。
満州事変のとき、軍部の独断専行について、昭和天皇は問責をあきらめた。このとき30歳の昭和天皇は、浮き足立ち、弱気になっていた。
5.15事件が起きたとき、31歳の天皇は何かをせずにはおれなかった。クーデターで首相が殺害され、陸軍が政党内閣の拒否を公言するという初めての異常事態に直面したのだった。
 昭和天皇は、一貫して美濃部達吉の天皇機関説を支持していた。しかし、公式に支持表明はしなかった。陸軍が機関説排撃に加わっているため、「公平な調停官」としてのイメージを傷つけないようにしたのだった。
 2.26事件(1936年)のとき、陸軍はクーデター部隊を容認する方向で動いていた。これに対して、昭和天皇は反乱部隊の鎮圧を督促した。ところが、速やかに鎮圧せよという天皇の意思は、10数時間ほども陸軍当局に無視された。昭和天皇は大元師の命に従わない陸軍への憤りと、大きなあせりと、恐怖を感じた。大元師としての自らの命令がさらに一日実行されないことに対し、陸軍への不信を強めていった。そして、3日後にようやく収拾することができた。これによって昭和天皇は、陸軍に対して強い不信感をもつとともに、陸軍統制の困難さを考えたはずだ。
 日米開戦が現実化することについて昭和天皇は大きな不安を抱き、ためらいがあった。もし天皇が開戦論を止めたなら、本当にクーデターが起きたかどうかは分からないが、2.26事件で陸軍が長時間、昭和天皇の命令を無視したことなどの経験から、昭和天皇がそう信じたことはありうる。昭和天皇は、米、英との開戦に最後まで躊躇していた。
昭和天皇は、太平洋戦争のころは40歳代の前半であり、身体にとくに悪いところはなかった。
 昭和天皇は1943年3月末の時点で戦争に勝てないと考えはじめた。ニューギニアで突破された1943年9月には勝利の見込みを失っていた。もっとも、昭和天皇は、完全に日本の敗北を確信していたのではなく、1945年5月に沖縄戦の敗戦が確定するまで、講和へのわずかな望みを抱いていたと思われる。そこで昭和天皇は、アメリカ軍に大打撃を与えて講和に持ち込むしかないと考えていた。
 1944年10月、神風特攻隊のことを知ると、昭和天皇は驚きつつも激励し、「もう一息だよ」と参謀総長を励ました。
 1945年4月からの沖縄戦でも、上陸したアメリカ軍の背後をついて日本軍が逆上陸するように参謀総長にすすめるなど、積極的な戦争指導は沖縄戦の敗北が確定するまで続いた。
 本土決戦を唱える陸軍主流をそれほど考慮することなく、昭和天皇が終戦に向けての行動を開始できたのは、ポツダム宣言が出され、広島への原爆投下とソ連参戦で、戦争終結に反発する陸軍の抵抗が弱まったからである。
 天皇が「聖断」を出しても、万一、軍部が受け入れなかったなら、「聖断」は効力がない。昭和天皇は、天皇制維持の確証があるという姿勢で日本を終戦に持っていこうとした。
 戦後、昭和天皇は沖縄についてアメリカが軍事占領することを希望すると表明した。これは象徴天皇として明らかに逸脱した行動であった。
 昭和天皇の実像を知るための貴重な労作だと思いました。560頁ほどもありましたが、読みやすく、なんとか読み通しました。
(2011年9月刊。2190円+税)

アフガン諜報戦争(下)

カテゴリー:アメリカ

著者  スティーブ・コール 、 出版  白水社
 アメリカがウサマ・ビンラディンを拘束・殺害する計画というのは、昔から、あの9.11より前からあったのですね。CIAの公式計画になっていたのです。それは、遅くとも1996年から始まっています。
 CIAは、1997年にはビンラディンがときおり滞在する住居を知っていた。それはオマル氏が用意したカンダハル市内外の屋敷だった。
 ワシントンは1998年、ビンラディンを捕獲する計画の構想を承認した。ビンラディンを捕まえたら、アフガン南部の洞窟内に3日間拘束する計画だった。カンダハル空港の近くにあるビンラディンの農場を襲撃する計画をCIAは立案した。ところが、実施直前、ぎりぎりのところで、クリントン政権はこの計画を放棄した。
 1998年8月、アフリカのケニア(ナイロビ)とタンザニア(グルエスラサーム)で自爆攻撃があり、アメリカ人を含めて数千人の死傷者を出した。この事件の背後にビンラディンがいる可能性は高いとCIAは分析した。
 CIAの任務はアメリカへの奇襲攻撃を防ぐことだった。そのために何千人もの分析官などが仕事をしていた。
 諜報の泥沼のなかに不気味なパターンが見えた。その一つは、ビンラディンの工作員たちが航空機に関心をもっていることだった。また、ビンラディンがアメリカ本土での攻撃を計画していることが次第に明らかになっていた。CIAが世界規模で活動を強化したにもかかわらず、盗聴からも取り調べからもハンブルクを拠点とする4人のアラブ人が密かにアフガニスタンを出入りしていたことはつかめなかった。
 数年間にわたる努力にもかかわらず、CIAはアルカイダの中核指導部に一人もスパイを獲得できなかった。
 ビンラディンは徹底的で実践的な安全対策をしていた。電話の使い方も用心深かった。身の回りの護衛にはアフガン人を入れず、旧知の信頼できるアラブ人だけを使っていた。絶えず移動ルートを変え、同じ場所に長く滞在せず、行動計画はないリンのアラブ人以外には誰にも明かさなかった。
 CIAの情報源とスパイは主にアフガン人で、ビンラディンの中核指導部にいる護衛と指導グループによって隅に追いやられていた。
 CIA工作員は、ビンラディンの保安上の弱点は、数人の妻たちにあると考えていた。
 ホワイトハウスが国防総省にビンラディンを攻撃し拘束する作戦立案を初めて依頼したのは1998年秋のこと。
 2001年春、CIAのビンラディンに関する脅威報告は、テロ対策センターがめったに見たことがないレベルにまで格上げされた。ビンラディンのチームがアメリカにカナダから爆発物の密輸を試みているという報告を得た。
 8月6日。「ビンラディン、アメリカ攻撃を決意」、これがブッシュ大統領に対する朝の報告の見出しだった。
「我々はもうすぐ攻撃されるだろう」国防総省のテロ対策会議での発言である。
 ハイジャック犯たちの資金は、アラブ首長国連邦に住むアルカイダ関係者から送金されていた。
 CIA最大の凡ミスは、テロ対策センターが2000年の前半にアメリカのビザを所持するアルカイダ支持者2人の存在を知りながら、監視対象者リストに乗せそこなったこと。
 9月9日、アフガニスタンでカメラマンに化けた暗殺者の自爆テロによってCIAと連絡していたマスードは殺された。
 この部厚い本を読むと、アメリカ(CIA)はビンラディンの住所を追い、その動きを一貫して警戒していながら、9.11を防ぐことが出来なかったというわけです。なんだかむなしくなります。テロ防止には武力(軍事力)だけではダメだということを改めて思い知ったような気がします。
(2011年9月刊。3200円+税)

ヤクザと原発

カテゴリー:社会

著者   鈴木 智彦 、 出版   文芸春秋
 この本を読みながら、本当に原子力発電所が安全だというのなら、東京電力は下請まかせなんかにせず、すべての作業を自社の正社員のみでするべきなんじゃないかと思いました。保守・点検そして清掃・片付など一切の作業です。だって、東電が払った日当は最大1日10万円ですよ。今でも、1日に2~3万円のようです。東電の社員の給料がいくら高いといっても、1ヵ月300万円とか40万円の人ばかりではないでしょう。
 ないはずの危険な汚れた仕事を下請に出すから、この本が指摘するような暴力団のしのぎ(稼ぎ)の場になってしまっているわけです。
 本当は危険だから東電の社員にはやらせられないのだというのだったら、なんで同じ日本人、人間なのに下請の社員にそんな仕事をさせるのでしょうか。絶対おかしいと私は思います。
 原発にかかわる仕事は電力会社の社員、それも一定の資格ある社員に限る。国会はこんな法律を制定すべきではないでしょうか。
この本の著者は、ヤクザ専門週刊誌の編集長も務めたこのとある暴力団ウォッチングのジャーナリストです。福島第一原発の事故のあと、そこに潜入して労働したという体験記なので、まさに身体をはっています。
 しかし、そうは言っても「フクシマ50人」だけでなく、実際には、そこに数千人の労働者が今も現に作業しているのです。そのこと自体には本当に頭が下がります。でも、現場にイレズミ男、現役の暴力団組員もまじっていると聞くと、複雑な気分になります。もう、これまでみたいな、いいかげんな仕事はしてほしくないなというのと、暴力団の荒稼ぎの場になってほしくないということです。
どこの原発にもヤクザがいると思って間違いない。原発には、薬食って仕事やっているのが一杯いたよ。時間がたつのが早いし、怖いもんなしになるから、この仕事に向いているんだよ。
 電力会社は一応の注意はするけれど、それは建て前なんだから。なにかあったとき、私たちはきちんと指導していましたって、そう言いたいだけ。実際のところは、みんな下請まかせ。
バブルの時期は、作業員1人について月100万円が支給された。40万円の月給を払っても60万円が仲介した暴力団の懐に落ちる。いいもうけになる。
 暴力団が原発の深くまで根を張っていることは間違いない。
 原発事故直後は、日当が5~20万円が相場だった。なかには50万円という組もあった。
 条件は40歳以上、65歳以下の男性。ただし、住民票が必要。
東電は事故直後、下請に「死んでもいい人間を用意してくれ」と言ったという。
 作業員の多くは放能に関する専門的な知識をもっておらず、毎日のニュースすら知らない情報弱者である。自分がどれほど危険な作業をしているか漠然としか理解していないうえ、新たな情報も得られず、慣れが恐怖心を鈍化させてしまう。
 福島第一原発がたて続けに水素爆発を起こしたとき、多くの作業員はオンタイムで被曝数値のわかるデジタル線量計をもっていなかった。
 フクシマ50の中に暴力団員が数人いるのは、ほぼ事実と考えてよい。
 作業員にとって死に直結する危険は放射能ではなく、熱中症と交通事故だ。
九州の大牟田・荒尾からも作業員が来ていた。
 すべてを包み隠さずに言えば、原発は人間の手に負える代物ではないという結論が出る。そうなると、どこでも原発の再稼働は難しいし、新規原発の建築は中止となる。そのうえ、放射能パニックも起きるから、政府の要請もあって、情報は小出しにせざるを得ない。
 原発の恐ろしさを改めて認識させられる本でした。260頁ほどで、さっと読めますので一読をおすすめします。
(2011年12月刊。1500円+税)

リスの生態学

カテゴリー:生物

著者   田村 典子 、 出版   東京大学出版会
 日本内外のリスを追いかけて、その生態を明らかにした面白い本です。
 リスって、公園で見かけると可愛いものですが、九州では残念なことにあまり見かけませんよね。
リスの祖先は3600万年前に地球上に出現した。
 リス科は、50属260種いる。リスの宝庫は意外なことに熱帯地域である。地上性リスの種は13属100種いて、全体の4割近くを占める。ムササビやモモンガもリス科に属する。
 リス科は、地上性、樹上性、滑空性の3タイプに分けられる。
 リスの門歯には歯根がなく、一生伸び続ける。だから、固い種子を毎日かじり続けて歯が摩耗してしまうことはない。むしろ、かじることによって門歯をとぎ、優れた切削道具として維持できる。
 リスの眼球は、魚眼レンズのように突出し、前方、後方、上方まで幅広い視野をもつ。
 枝から枝へ飛び移る樹上での移動において、瞬時に次に渡る枝までの距離を推定する必要がある。距離感を得るには、両面での立体視が必要である。
 リスは圧倒的に乱婚制である。メスが発情し交尾を受け入れる1日に、複数のオスたちが交尾のチャンスを狙って集まる、いわゆる交尾騒動が繰り広げられるのがリス類の配偶行動の特徴の一つである。
 リーダーオスがメスを独占するといっても、それは交尾の83%。次のオスが辛抱戦略をとるのが10%。さらには、盗み交尾も7%ある。交尾をすませたオスは、たいてい、それ以降の交尾騒動には参加せず、姿を消してしまう。秩序正しい乱婚である。この乱婚性について、その合理性が解明されています。子殺しの行動の可能性のある社会では父親隠蔽の必要性がある。自分が父親である可能性が少しでもあれば、子殺し行動は抑制される。メスは、多くのオスと交尾することによって、父親である可能性を担わせ、自分の子の生命の安全を期している。なーるほど、これってとても合理的なシステムですよね。
 リスの鳴き声にも意味があるようです。
 それにしても、リスの生態調査のために森の中に入っていき、毒ヘビを踏みつけそうになったという体験も紹介されていますが、怖いですよね。よく調査したものです。学者も大変ですね。
(2011年9月刊。3800円+税)
 日曜日にフランス語の口頭試験(準1級)を受けました。問題は2問あって、そのうち1問を選びます。3分前に渡されます。1問目は、3.11のあと海外からの旅行者が減っているが、どうしたらよいかというものでした。むむっ、原発の対応をきちんとやること、その成果を広報すべきだと一瞬考えたのですが、日本語つぃて本当にそれでよいのか不安だったうえに、修復というフランス語が思い浮かばなかったのでやめました。2問目は、政府は国民にすべてを告げるべきかというものでした。日本政府はすべてを国民に伝えていない現実をふまえて、軍事、外交、個人のプライバシーなど死活的に重要なことを除いて伝えるべきだと言いたかったのですが、なにしろ残念なことにフランス語が出てきません。3分間のプレゼンは、実際しどろもどろでした。そのあとフランス人の質問があり、マスコミとの関係で政府がコントロールしているとか、なんとか会話は成立しましたが、客観的には半分程度の成績だったでしょうね。今回は結果は厳しいことを覚悟しました。
 年に一度、最大限の緊張感を強いられる一日でした。

蛍の航跡

カテゴリー:日本史

著者   帚木 蓬生 、 出版   新潮社
 『蠅の帝国』の続編です。
 軍医から見た太平洋戦争の悲惨な戦場の実相が語られています。とりわけ印象的だったのは、ビルマにおけるインパール作戦について、牟田口司令官の無暴きわまりない命令に反抗した師団長が精神異常かどうかという鑑定させられることになった話です。
 食料も弾薬の補給もないまま、攻撃せよ、前進せよというだけの軍司令官の命令に師団長が従わなかった。精神状態が正常なら軍法会議にかけられ、直ちに死刑に処せられる。呼び出された51歳の師団長はありのままを軍医に語った。軍医も嘘は書けない。作戦中も現在も、精神状態はまったく正常であるという鑑定書を作成した。ところが、軍法会議は開かれず、うやむやになってしまった。そのうち、軍医のほうが転進して、それどころではなくなった。
 異常な司令官の下で突撃させられ、無為に死ななければならなかった将兵こそ哀れです。戦争の不条理さを痛感させられました。
 シベリアに抑留された軍医もいます。何もないなかで、日本兵たちがマンドリンのオーケストラをつくって演奏したというのです。そして、収容所から解放されたとき、収容所で亡くなった2000人の死亡患者名簿をこっそり日本に持ち帰ったのでした。見つかれば生命の危険がありました。たいした勇気です。
 軍の慰安所を軍医として管理していた話もあります。日本政府は慰安所の存在を否定したり、軍とは関係ないものとしらばっくれていますが、このように日本軍が慰安所を管理していたことは歴史的な事実です。日本政府はきちんと責任を認めるべきだと思います。
 前著の『蠅の帝国』と本書で30人の軍医の姿を描き終えた著者の感想を紹介します。
 戦争の実相とは、つまるところ、傷つきながら地を這う将兵と逃げまどう住民、そして累々と横たわる屍ではないのだろうか。軍医は、その前で立ちすくみ、医療に死力をふりしぼりながら、ついには将兵や住民と運命を共にしたのだ。
 巻末の資料にたくさんの日本医事新報がのっています。これらの記事をもとに一つ一つ、丹念にまとまったストーリーを組み立てていった著者の力量に改めて敬服します。
 決して面白くはなく、読んで楽しい本でもありませんが、それでも、先人の苦労をしのぶためには読まなければいけない本です。読み終えると、気持ちがずんと重く沈んでしまいますが、ご一読をすすめます。
(2011年12月刊。2000円+税)

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