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2011年9月 の投稿

学級崩壊

カテゴリー:社会

著者  吉益  敏文・山崎 隆夫 ほか  、 出版  高文研   
 現代日本社会において子どもたちは昔ほど大切にされていないんだな、そして、教師の奮闘努力がむなしく空回りさせられることも多い現実を知って、改めて愕然としました。
 授業が成り立たないのは中学校ではなく、小学校から。一人ひとりは明るく、優しく、一生懸命で、けなげなのに、クラスとなると、なぜか荒れてしまう。なぜ、子どもたちは荒れるのか?
 とにかく、今の子どもたちは忙しい。月曜から日曜まで、全部予定が入っていて、本当に忙しい。家に帰ってのんびりするとか、今日帰ったら何やろうかなどと、自分でやってみようと思ってやってみるといった経験が圧倒的に少ない。
 たとえば、5年生で荒れている中心にいる子は、中学受験のため毎日塾に行っている。そして、学校ももちろん教師も忙しい。
 学校で授業が6時間、家に帰ってからの時間は限られているのに、ほとんどゲームとテレビで費やされている。ゲームの3時間以上は20人のうち11人もいた。
 子どもは、失敗しながら育っていくものなのに、それが出来ない。子どもはゴチャゴチャになりたい、荒れたいと思っているのではないか。それを出せる唯一の場が学校なのではないか・・・・。
 教師にとって、まずは自分の身を大切にすること。自分が折れてしまうのが一番いけない。子どもにとって、先生が折れたり、辞めてしまうのは、一生の傷になってしまう。そういう傷だけは与えてはいけない。折れそうだったら、その前に逃げる。無理だけはしてはいけない。
 学級がゴチャゴチャしてしまうのは、ある意味で、子どもに選ばれたんだという気がする。子どもも、どこかで自分を取り戻したいという思いを持っていて、それを自分により近い気持ちを持っている人の前で表出している。
 止めてもらいたくて暴れてみたり、本人は自覚がないけれど、あれはヘルプを求めているサインではないか・・・・。
 この時代を「勝利者」として生き抜くための激しい進学競争に子どもたちが巻き込まれている。都市部を中心に多くの子どもが公立中学への受験を選択する。こうした「人生の成功」に対する圧力は、子ども世界の豊かな時間や仲間関係を奪い、子ども期の喪失は一層強まっていく。加えて、労働や他者との共有を大切にする価値が失われ、消費欲望の世界があおられる。
 子どもたちのストレスは激しい苛立ちとなって体内に蓄えられていく。それは、これまでの古い伝統をもつ学校秩序と対立しはじめる。12歳の少年少女にとって、やり場のない怒りの矛先をどこに向けているのか分からない。自分の苛立ちやムカツキの原因が何であるかも分からない。実在感のない浮遊するような感覚・自己喪失感、あるいは私とは何かを問う飢餓感が、そうした状況下で生まれ、現在も続いている。
 子どもたちの納得できない思いや苛立ちが教室の一場面で表出されると、それが他の子どもの抱えていた苛立ちや不全感・不安感と連動し、強化され攻撃性へと転化する。
 教師が反抗してくる子どもを抑えられなければ、学級は正義を失う。子どもたちは、注意したら聞いてくれるという関係性、それは教師の力に支えられながらだが、そのなかで安心して過ごすことが出来る。ところが、教室の中に、その関係性=正義が失われると、子ども同士で注視しなくなるし、相互批判が出来なくなる。
 子どもは、お互いに批判し合っていくという関係性のなかで学びが成立する。相互批判が出来なくなると、荒れの中心にいる子どもは自己中心性から抜け出せない。自分を客観視できないし、もうひとりの自分が育たない。
 相互批判がないと、子どもは自己中心性の固まりのまま、自分勝手な振る舞いを続けていくことになる。そうなると、周りの子どもたちは、どこにも頼るものがないから、自分の身を守るためにカプセルの中に入らざるをえない。おとなしい子どもほど、ますますカプセルの中にこもらざるをえなくなるという構造になっていく。
 崩壊してしまった関係を元に戻すときの一番の決め手は、ほめること、ほめ続けることである。そうなんですね。やっぱり、ほめて育てるのが一番なんですよね。
 日本の将来を背負う子どもたちを取り巻く恐ろしい現実、だけど目をそむけてはいけない事実が語られ、最後にちょっぴり希望の持てる本ではあります。一読をおすすめします。
(2011年6月刊。1400円+税)

オバマの戦争

カテゴリー:アメリカ

著者  ボブ・ウッドワード  、 出版  日本経済新聞出版社  
 アメリカのイラク侵略戦争は、まったく間違った戦争でした。たとえフセイン元大統領が圧制をしいたとしても、軍事力によって力づくで抑えこむなんて最低です。おかげで、あたら有為のアメリカ人青年が何千人もイラクで亡くなりましたし、なにより、その何十倍もの罪なきイラク人が殺されてしまいました。
 そして、アフガニスタンへの進出です。アメリカは、いつまで世界の憲兵役を気でるつもりなんでしょうか。軍事力に頼らず、平和外交こそを強めて欲しいものです。ノーベル平和賞が泣きます。そのオバマ大統領も、この本によると、アメリカを抑えこむのには苦労しているようです。軍人というのは、とかく強がりを言いたがり、また、最新兵器を欲しがります。軍人まかせにしておくところ、ろくなことにならないのは、戦前の日本で立証ずみなのですが・・・・。
 取材するとき、先方がオフレコだということがある。他の情報源から同じ情報を得られないときには使ってはいけないということを意味する。ほとんどの場合、他から情報が得られたから使うことができた。なるほど、オフレコって、そういうものなのですね。別に裏付けを取ればいいのですね。
 連邦ビルのなかに、秘密保全措置をほどこした密室がある。枢要区画格納情報施設と呼ばれる。盗聴を防ぐために設計された部屋で、窓はない。監禁部屋のようで、閉所恐怖症を起こしそうになる。そんな部屋になんか入りたくありませんよね。
 パキスタンは、アフガニスタンにおけるアメリカの同盟国だが、表裏がある。嘘は日常茶飯事だ。パキスタン軍の統合情報局(ISI)には、6重ないし7重の人格がそなわっている。
 北朝鮮の指導者たちは狂信的だ。その政権と交渉しようとすると、ブッシュ政権の轍を踏むことになる。交渉、いい逃れ、危機拡大、再交渉のくり返しになる。北朝鮮は口先ばかりで、嘘をつき、危機を拡大させれば、交渉を決裂させると脅し、また交渉しようとする、そういう仕組みになっている。
 アルカイダ幹部を無人機で殺せば、アルカイダの計画・準備・訓練能力に甚大な打撃を与え、テロ対策上は大勝利とみなされる。しかし、無人機による攻撃は戦術的なものであり、戦況全体を変えることにはならない。たとえ大規模空襲を行っても、戦争には勝てないというのは、第二次大戦やベトナム戦争で得た最大の教訓である。
 アフガニスタンのカルザイ首相は、情報によれば、そううつ病と診断されている。気分がころころ変わる。
 アフガニスタン国民のことをアメリカ軍はほとんど理解していないことが分かった。恐怖を広めて威圧するタリバンのプロパガンダが住民にどれほど影響を与えているか、軍には判断できていなかった。
 42カ国の連合軍の兵士たちは、一般のアフガニスタン人と隔離するように造られている基地で生活している。住民との接触が不足しているため、街で何が起きているのか、把握できていない。現地人の通訳をたくさん確保しなければならないが、数十億ドルと兵士十数万人を投入してもなお、十分に確保できていない。
アルカイダは、タリバンに寄生しているヒルだ。タリバンの力が強まれば、ヒルの力も強まる。
タリバンの組織内は決して一枚岩ではなく、いくつものレベルから組織は成り立っている。筋金入りの主義者は上層レベルで5~10%、これは撃滅する必要がある。次が中級で、15~20%。主義に打ち込んでいる理由はさまざま。説得は可能かもしれないが、なんとも言えない。タリバンの70%は下っ端の兵隊であり、食べるための手段だったり、外国人を国外へ追い出せるという理由から参加している。読み書きもきちんとできない教育程度の低い若者たちだ。
 アフガニスタンにとっては、パキスタンの演じる役割が決定的だ。パキスタンがアフガニスタンのタリバンの指導者たちをかくまい、安全地帯を提供しているあいだは、アフガニスタンでの成功は不可能だ。
 アフガニスタンは、イラクより数百倍も困難だ。民族もさまざまなら、文化も多様で、識字率ははるかに低く、地形が険しい。
 アフガニスタン政府が犯罪組織にひとしいことは、アメリカ政府も分かっている。しかし、アメリカ軍は治安を改善し、主導権を取り戻さなければならない。腐敗とアフガニスタンの警察も、鎖の輪のもろい部分だ。アメリカの存在そのものがアフガニスタンに腐敗を招いている。
開発プロジェクトを扱う民間業者は、すべて保護してもらい、道路をつかわせてもらうためにタリバンに賄賂を使っている。つまり、アメリカと、その連合軍のお金がタリバンの資金源になっている。そのため開発、道路の往来、兵員が増えると、タリバンの実入りも増える。
アフガニスタンの警官の80%が読み書きができない。そして、麻薬中毒もあたりまえ・・・・。イラクとは違って、石油などの国家的権益がほとんどからんでいないアフガニスタンは、ブッシュ政権下の8年間なおざりにされ、アフガニスタン戦争は「忘れかけている戦争に」なっていた。
政府が軍人のいいなりになっていいことは一つもないように思います。
(2011年6月刊。2400円+税)

朽ちていった命

カテゴリー:社会

著者   NHK取材班 、 出版   新潮文庫
 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設JCOで起きた、とんでもない事故によって被爆した労働者のその後の死に至るまでの状況を詳しく明らかにした本です。
 放射能の恐ろしさが実感をもってよくよく伝わってきて、読んでいるだけでゾクゾクし、ついには鳥肌が立ってきました。
 この日、臨界事故が発生し、東海村付近の住民31万人に屋内退避が勧告された。
 村に「裸の原子炉」が突如として出現した。まったくコントロールがきかないうえ、放射能を閉じこめる防御装置もないというもの。19時間40分にわたって中性子線を出し続けようやく消滅した。
 被爆した労働者は溶解塔の代わりにステンレス製のバケツを使っていた。もちろん違反行為である。バケツだと洗浄が簡単で、作業時間が短縮できるというのが理由だった。
 放射能被曝の場合、たった零コンマ何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる。全身のすべての臓器の検査値が刻々と悪化の一途をたどり、ダメージを受けていく。放射能によって染色体がばらばらに破壊されてしまう。染色体はすべての遺伝情報が集められた、いわば生命の設計図であるので、染色体がばらばら破壊されたということは今後新しい細胞は作られないということ。被曝した瞬間、人体は設計図を失ってしまったということ。
 うへーっ、これは恐ろしいことです・・・。
 皮膚の基底層の細胞の染色体の中性子線で破壊されてしまい、細胞分裂ができない。新しい細胞が生み出されることなく、古くなった皮膚がはがれ落ちていく。体を覆い、守っていた表皮が徐々になくなり、激痛が襲う。
 腸の粘膜は血液や皮膚とならんで、放射能の影響をもっとも受けやすい。
 腸の内部に粘膜がなくなると、消化も吸収もまったくできない。だから摂取した水分は下痢となって流れ出てしまう。
 被曝して1ヵ月後、皮膚がほとんどなくなり、大火傷したように、じゅくじゅくして赤黒く変色した。皮膚がはがれたところから出血し、体液が浸み出していた。全身が包帯とガーゼに包まれ、肉親もさわれるところがない。ガーゼを交換するたびに皮膚がむける。そして、まぶたが閉じなくなった。目からも出血した。爪もはがれ落ちた。
 出血を止める働きのある血小板を作ることができなくなっているため、腸の粘膜がはがれると、大出血を起こしてしまう可能性が高い。
 下血や皮膚からの体液と血液の浸み出しを合わせると体から失われる水分は1日10リットルに達した。
 心拍数は120前後。マラソンをしているときと同じくらいの負担が心臓にかかっていた。
 そして、被曝から83日で35歳の労働者は死に至った。遺体は解剖された。全身が大火傷したときのように真っ赤だった。皮膚の表面が全部失われ、血がにじんでいる。胃腸は動いていなかった。粘膜は消化管だけでなく、気管の粘膜までなかった。骨髄にあるはずの造血幹細胞も見あたらない。筋肉の細胞は繊維が失われ、細胞膜だけ残っていた。ところが心臓の筋肉だけは放射能に破壊されていなかった。
 放射能の恐ろしさは、人知の及ぶところではない。
 福島第一原発事故で、メルトダウンした核燃料棒が今どういう状態になっているのかも明らかでないのに、野田首相は産業界の圧力に負けて、国連で原発輸出は継続すると明言してしまいました。放射能の恐ろしさ、怖さを首相官邸にいると忘れてしまうようです。残念です。情けないです。
(2011年9月刊。438円+税)

ヒトラー『わが闘争』がたどった数奇な運命

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   アントワーヌ・ヴィトキーヌ 、 出版   
 ヒトラーの『わが闘争』を読んだことはありません。本の名前を知っているだけです。
この本が1200万部も売れたというのに驚くほかありません。この本は内情を探り、その意味をじっくり考えています。
政治の分野で『わが闘争』ほど発行部数の多い本はこれまでにない。
1933年、ヒトラーが権力の座につくまでに、既に10万部が売れていた。第3帝国において、1200万部という恐るべき発行部数を達成していた。今でも、英語版だけで、毎年2万部の売り上げになる。
 1920年2月、ドイツ労働者党の集会で30歳のヒトラーは弁舌の才で注目を集めた。
 1921年7月、ヒトラーは国家社会主義ドイツ労働者党の党首になった。ヒトラーは、軍の命令で党に潜伏した若き放浪者だったが、古参党員を抑えて大抜擢された。
 1923年11月。ミュンヘン一揆にヒトラーは失敗し、逮捕された。このとき、ナチス側の死者は16人、警官も4人が死んだ。ところが、クーデターは失敗したものの、ヒトラーは一躍、有名人になった。そして、刑務所には収監されたものの、独房は簡素ながらも清潔な部屋であり、食堂を自由に使うことも許された。収監されている間、ヒトラーは仲間たちと豪勢な食事をとり、何不自由なく暮らした。日に2回は面会があり、10人もの面会者があった。そこでヒトラーは『わが闘争』を自らタイプライターを打ち、ときに口述筆記させた。ヘスとの共同執筆ではなく、ヒトラーが語り、ヘスは筆記しただけである。
 1920年代、テレビはまだなく、ラジオはNSDAPにとって手の届かないメディアだった。出版物や新聞こそがプロパンガンダの主要手段だった。
 ヒトラーの書いたものを、近しい者が文章を直し、手を入れ、文体を整え、思想を明確にする作業をすすめた。そして、ついに700頁に及ぶ『わが闘争』が刊行された。
 ヒトラーはインテリでも文学家でもなく、学歴もない。学校の成績は悪く、早々に学業を投げ出している。しかし、ヒトラーは書物を通して膨大な情報を集め、その際に立った記憶力で自分のものにした。
『わが闘争』には欠けている視点がある。経済力だ。当時、ヒトラーは、すでに実業家たちから援助を受けており、彼らを敵にまわすのは避けた。ヒトラーは社会主義色を薄め、クルップやティッセンといった大企業との関係を隠そうとはしなかった。
 『わが闘争』の中で使用頻度が最も高い言葉は「ユダヤ人」である。
 ヒトラーのユダヤ人嫌悪は、実に根深く、絶対的なものだ。ヒトラーはユダヤ人を非人間的な存在と見なし、人間とは異なる、動物に近い別生物のようにとらえている。
 ヒトラーは『シオンの長老の議定書』というまったくのでっちあげの本を真に受けた。この本はロシアの秘密警察がつくりあげたデマだったのに・・・。
 ドイツ国民が抱える挫折感、ヒトラー個人の挫折感などあらゆる挫折感に対して、すべてはユダヤ人のせいなのだという答えを見つけたというのが『わが闘争』であり、だからこそドイツ国民に受け入れられた。
ゲッペルスは、もともとはヒトラーに好意をもたず、ヒトラーと対立する派閥に属していた。しかし、『わが闘争』を読むと、たちまちヒトラーを「天才」とみて、その信奉者となった。
 1932年、ドイツの経済危機が政治危機を呼んだ。この政治危機こそ、ヒトラー、そしてNSDAPを権力の座に導いた最大の要因だった。「恐慌」がドイツを襲い、人々はみな不安を抱えていた。地位を失う不安、共産党に対する不安、新進勢力への不安があった。1932年末、『わが闘争』の売り上げ部数は23万部に達した。
 ヒトラーは首相になっても国費から給料をもらわないと公言し、実際に約束を守った。金融危機のもたらした多大の損失に苦しんでいたドイツの小市民たちは、ナチスの誇大宣伝を通して、ヒトラーのこの禁欲的態度を知り、大いに共感を覚えた。だが、ヒトラーは既に金持ちだったから、首相の給料など必要としなかった。『わが闘争』の印税収入だけで、数十億円もあった。
 『わが闘争』を扱う出版社であるエーア出版は従業員3万5000人という大企業となり、ドイツ国内の出版社の75%を傘下におさめていた。『わが闘争』は、ヒトラーにとって「儲かる商売」であったことは間違いない。
 ヒトラーは続編を企画したが、政権を握ったとき、「手の内」を明らかにしすぎることになるのを恐れて、続編の刊行を中止した。
ドイツ共産党は『わが闘争』に対して、まったくと言っていいほど無関心だった。
 ヒトラーと『わが闘争』の運命は驚くほど似ている。どちらも、初めのうちは信じがたいほど過小評価され、そのことがのちの運命を決めた。
 1933年、この1年だけで、100万人のドイツ人が『わが闘争』を自分の意思で購入した。企業家たちも、ヒトラーのご機嫌をとろうとして、『わが闘争』を購入して社員に配布した。クルップ、コメルツ銀行、そしてドイツ国鉄である。
 ヒトラーは、ドイツ国民が『わが闘争』を注意深く読むことを恐れた。ヒトラーが戦争を望んでいることがばれてしまうから。『わが闘争』は、「白日にさらされた陰謀」だった。あまりにも大量にばらまかれたことで人々はかえって著者の意図を明確にとらえることができなくなった。
 『わが闘争』の子ども向け版そして絵本も登場した。しかし、翻訳版については慎重に対処した。要するに、排外的なことを書いているため、それが外国人にバレるのを防ごうとしたわけです。
ヒトラーは裁判所に訴え出ることをいとわなかった。ヒトラーは、またもや民主主義を悪用し、民主的な思想を撃破した。
 ヒトラーを再評価しようという動きが世界的にあるそうです。とんでもないことだと私は思います。
(2011年5月刊。2800円+税)

赤ちゃんの不思議

カテゴリー:人間

著者   開 一夫 、 出版   岩波出版
 赤ちゃんって、いつ見ても可愛いですよね。我が子も、みな、とっても可愛くて、眼に入れても痛くないというたとえが実感としてよく分かりました。孫のほうは残念ながらまだ経験がありませんが、とても可愛いとみな言ってますね・・・。
 その赤ちゃんが可愛いだけの存在ではなくて、意外な能力とパワーを発揮していると言うのです、ええーっ、どんな・・・?
 赤ちゃん学は、この30年ほどで目覚ましい発展を遂げた。それまで、まったく無力と考えられてきた赤ちゃん像がくつがえされている。今では生後まもない赤ちゃんでも、さまざまな能力を持っていることが明らかになっている。
 生後1時間にもみたない新生児も「顔まね」する。「顔まね」というのは、たとえば大人が赤ちゃんに向かって、舌をベローッと出すと、赤ちゃんも舌を出すということです。こう動かすと視覚的にこうなるというのを、鏡によって理解していなくても顔まねできるというわけで、これは本当に不思議なこと。
 母親が妊娠中にリラックスするために見ていたテレビドラマのテーマソングが胎児にも影響していることが分かった。
 人間の顔が正面を向いて目もこちらを見ている写真と、あらぬ方向を見ている写真とを比べてみせると、明らかに赤ちゃんは、目が正面を向いている刺激のほうにひきつけられる。赤ちゃんは、早いうちから自分なりのやり方で世界をとらえ、様々な情報を非韋に効率的に処理している。赤ちゃんは、何か描かれるのをただじっと待っているキャンバスではなく、もっと能動的でダイナミックな対象としてとらえるべき存在だ。
一般的に、生後12ヵ月までに男の子と女の子とは違う玩具を好むようになる。
 女性は男性と比較してコミュニケーション能力に長けている。相手の表情から感情状態を読みとったり、延々とおしゃべりするのが好きだったり、一般的には対面コミュニケーションや社会的認知能力が優れている。
 赤ちゃんって不思議な存在だ、なんて言ってるうちに、みるみる大きくなっていき、幼児が小児になり、児童、そして少年やがて大人になります。ですから、私たちの未来は赤ちゃんにかかっているわけです。そんな赤ちゃんを、みんなで大切に育てたいものです。
(2011年5月刊。720円+税)

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