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2011年6月 の投稿

日本の原発、どこで間違えたのか

カテゴリー:社会

著者   内橋  克人    、 出版   朝日新聞出版
 原発一極傾斜体制を推し進めてきた原動力の一つには、あくなき利益追求の経済構造が存在している。原発建設は、重電から造船、エレクトロニクス、鉄鋼、土木建設、セメント・・・・、ありとあらゆる産業にとって、大きなビジネスチャンスだった。
 1980年代後半、日本は国の内外ともに不況は深刻だった。電力9社の発電設備の余剰率(ピーク時電力に対する)は、31%をこえていた。つまり、設備の3分の1近くが既に余剰だった。既に償却ずみの、したがって安いコストで発電できる水力や火力の設備をスクラップしてまで原発建設は進んだ。「安全」を捨て、「危険」を選んだのは、選ばせたのは誰か・・・・。そうなんですよね。目先の利益に走った集団のため日本民族の危機が迫っているわけです。
 電気事業連合会は、その本部を経団連会館のなかに置く。その地から、「安全だから安全だ」「世界の流れだ」と発信し続けた。そのとおりですね。日本経団連会長は福島原発事故が起きて日本中が放射能被害に心配している今でも、やっぱり原発は必要だなんて無責任な発言を続けています。許せません。ながく金もうけのことしか考えないと、そこまで人間が堕落してしまうのでしょうね。もちろん、お金もうけは大切ですけど、何事も生命と健康あってのことなんですよね。そこを忘れては困ります。少なくとも経済界トップとしての自覚がなさすぎですよ。
 本書は、実は今から30年も前に発刊されたものを復刊したものです。それだけに原発をつくるときに、原発の危険性を指摘していた人々がいたこと、それを電力会社や自民党がお金と権力をつかって圧殺してしまったことが生々しく再現されています。
 福島第一原発の地元である大熊町は、町税収入のなかの83%が原発関係の収入だった。まるで、原発丸がかえの町だったのですね・・・・。そして、原発は安全だと強調していた福島県は、実はひそかにヨード剤を27万錠も買って常備していた。ええーっ、そうなんですか。ところで、このヨード剤って今回の震災で活用されたのでしょうか?
 自民党は、日本に原発を100基設置する方針を打ち立て、強力に推進した。そうなんですよね。今、自民党は震災対策で民主党政権を非難していますが、元はといえば自分が強引に推進してきた原発政策が破綻したわけですから、国民に対してまずは自己批判すべきではないでしょうか。他人を批判する前にやるべきは自民党の自己批判ですよね。 
原発技術は、つまるところ溶接技術である。複雑にいりこんだ形状の原子炉格納容器、おびただしい数にのぼる曲がりくねった大小のパイプ、それらは完璧な溶接技術なしには成立しない。
日立製作所やIHIは「世界一」の確信をもっていた。それが、原発の稼動後まもなく、もろくも崩れ去った。まだ実証炉の域を出ていない原発の技術を、すでに実用段階と思い込み、安易に原発に対処したのだ。
その日本側の認識の甘さは大いに責められるべきです。そして、政府、自民党とともにマスコミの責任も重大ですよね。原発の「安全神話」はマスコミの協力なしには普及しなかったわけですから・・・・。
 読んでいると、背筋に寒さを覚える本でした。
 
 
(2011年5月刊。1500円+税)

餓死現場で生きる

カテゴリー:アジア

著者    石井  光太  、 出版   ちくま新書
 15年間にわたって世界各地の貧困国に赴いてルポルタージュを書いてきた著者が、世界の子どもたちの現状を改めてレポートした本です。著者は、まだ30歳代も前半なのですが、とても冷静な筆致で、世界のすさまじい現実を淡々と描いています。
 著者の本は、これまでも『絶対貧困』(光文社)など、いくつも紹介してきましたが、この新書はこれまでの本の総まとめのような内容になっています。
日本の低体重児の割合は周辺国に比べて高い。北朝鮮7%、モンゴル6%、韓国4%に対して、日本は8%。この30年間で、日本の低体重児の出生率は2倍となった。その原因は、日本女性がやせすぎだということ。
途上国における子どもの死因は多い順に、肺炎、下痢、マラリアとなっている。いずれも感染症だ。
幼い子どもを犠牲にしても父親がまっ先に栄養をとるのは、自分本位とか差別というより、そうしなければ一家が成り立たないという現実があるため。
ストリートチルドレンは、満足に食事をとれない。すると、髪や肌の色がどんどん明るくなってくる。だから、人は白っ子と呼ぶ。しかし、これは栄養不足による病状をあざ笑う差別用語なのだ。
親が自分の娘を初めから承知して売春を強いるのは、親自身も売春しているときか、親が違法な薬物中毒になっていて善悪が認識できないときが大半である。
貧しい家庭では、息子より娘に教育を受けさせる。海外へ出稼ぎに行くには、それなりの英語力をはじめとした教養が必要になってくる。男性は肉体労働なので、それほどの教養は必要としない。
初等教育を受けられなかった子どもは社会に適応できなくなる。公用語が分からず、意思疎通ができない。社会性を身につけていれば、困窮していてもコミュニティー内での助け合い、労働力が可能となって生きてゆける。貧困層の人々は、必要な基本的教養が不足しているか、苦しい状況を少しでも良くなるようと迷信に頼って生活する。
親が子どもの身を守るため、幼いうちに結婚させるところがある。日常に大きな危険が潜んでいる状況では、できるだけ早目に結婚させたほうがいいのだ。
日本のエイズ感染者は2万人以下。日本では感染は予防できる。ところが、貧困国で、困窮した生活を送っている人々は免疫力が弱まっている。アフリカでは、淋病やクラミジアは尿道に炎症を起こすため、そこがエイズウイルスの侵入経路になっていて、HIV感染率が上がる。アフリカの売春婦は20代半ばまでに、そのうちの何%かは発病して命を落としているのが当たり前となっている。
淡々と、恐ろしい現実が次々に紹介されています。頁をめくる手が鈍ってしまう、とても重たい手軽な新書版です。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2011年4月刊。860円+税)

北条氏と鎌倉幕府

カテゴリー:日本史(鎌倉)

著者    細川  重男  、 出版   講談社選書メチエ
 執権北条氏は、なぜ自ら将軍とならなかったのか。その謎を解き明かした興味深い本です。鎌倉時代の武士の荒々しい実像を初めて知った思いがしました。鎌倉時代の武士たちは、自分たちを「勇士」と称していたが、要するに野蛮人だった。京都の王朝貴族は東国武士を蔑んで「東夷」(あずまえびす。東に住む野蛮人)と呼んだが、そのとおりだった。
 紛争解決方法として相手を殺すことを即座に選ぶ武士たちが作った鎌倉幕府は、まさに蛮族の政権であり、王朝のような知識の蓄積はほとんどなかった。鎌倉武士たちは支配機構を手探りで作っていった。鎌倉幕府の歴史は、東夷たちの悪戦苦闘の歴史であり、すなわちムダな流血の連続だった。
 伊豆時代の北条氏は系譜が正確に伝わるような家ではなかった。北条氏自身ですら、自家の先祖の系譜がよく分からなかったのではないか。
 平安、鎌倉期の武士団は意外に人数が少ない。父子2人に家臣1人とか兄弟2人だけといった、武家団というより、武家親子、武家兄弟とでも言いたくなる豆粒のような武家団も少なくなかった。
 頼朝期には、門葉(もんよう)、家子(いえのこ)、侍(さむらい)の区分があった。門葉は、頼朝の血族を指す。侍とは、頼朝と血縁のない家臣、つまり一般の武士国における郎従である。家子は、一般の御家人たる侍よりも上位に位置づけられている、頼朝によって選抜された側近、親衛隊である。
 鎌倉将軍は、室町将軍の奉公衆や徳川将軍の旗本のような直轄の軍事力を事実上保有しなかった。鎌倉将軍の軍事力とは、各御家人の有する軍事力の集合体であった。
頼朝という重石を失った鎌倉幕府は、激烈な内部抗争の時代を迎える。それは和田合戦まで14年に及び、源平合戦の戦友たちが殺し合った。
暗殺された実朝のイメージは、和歌をたしなむ、おとなしくて、かわいそうな将軍という、なよなよしたイメージがつきまとっていますが、その実相は、けっこう短気で怖いというものだったようです。
北条氏にとって、政子の生んだ実朝は自らの最大の権力基盤だった。だから、実朝暗殺の黒幕が義時らの北条氏であったとは考えにくい。
名執権として高名な北条時頼は、もともと庶子であったため、実は執権としても、北条氏家督としても正統性を欠く存在だった。
文永5年(1268年)初頭以来の蒙古の重圧を背景として、対蒙古戦争を必至とした鎌倉幕府は、臨戦体制の構築を目ざし、時宗への権力集中を急いでいた。
室町・江戸の両幕府と鎌倉幕府の最大の相違点は、将軍が一つの家の世襲とならなかったことにある。
鎌倉将軍は、源氏将軍三代(頼朝、頼家、実朝)、摂家将軍二代(頼経、頼嗣)、親王将軍四代に分けられる。
時宗には国際認識の欠如と野蛮なまでの武力偏重がある。時宗は中国の国書を無視したばかりか、使者を二度斬首し、ひたすら戦闘体制の構築に邁進した。時宗には外交交渉という発想がなく、国際常識をまったく欠いていた。鎌倉幕府には、天皇家や王朝を滅ぼすということは、できもしなかったし、その以前に発想もされなかった。
時宗は、自分が皇統に口出しできる存在であると考えており、実際に皇位の行方を決めた。時宗は皇位をも意のままにする日本国最高実力者であり、帝王にすら憐れみを寄せる超越者だった。
北条氏得宗の鎌倉幕府支配の正統性は、得宗が義時以来の鎌倉将軍の「御後見」たることにあるのであり、このような得宗の政治的・思想的立場からすれば、得宗自身が将軍になるなどという発想が出てこようはずもなく、得宗は将軍になりたくもなければ、なる必要もなかった。
鎌倉将軍は頼朝の後継者であるという観念を具現化した者こそ、七代将軍の源惟康だった。源頼朝の後継者である鎌倉将軍の「御後見」として、北条義時の後継者である得宗は、八幡神の命より鎌倉幕府と天下を統治する。
時宗による「御後見」の実態は、鎌倉幕府の全権力を一身に集中させた独裁者だった。
将軍を擁しつつ将軍権力を自身が行使するという時宗の地位は「将軍権力代行者」と定義できる。君臨すれども統治せざる神聖化した将軍の下で得宗が将軍権力を代行するという政治体制は、鎌倉幕府の歴史と伝統に基づく正統性と権威をもっていた。将軍が存在しながら、北条氏が権力を握っているというわかりにくい政治体制は、煎じ詰めれば頼朝没後の内部抗争に始まる混乱と迷走のあげ句に、なし崩しにできあがったものなのである。
いやあ、実に面白い歴史本でした。こんなことがあるから速読・多読・濫読はやめられないのです。
(2011年4月刊。1500円+税)

スペイン内戦(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者    アントニー・ビーヴァー  、 出版   みすず書房
 第二次大戦直前に起きたスペイン内戦の実情を詳しくたどった大変な労作です。上下2巻の分厚い本を読み通すのに苦労しました。なんといっても、重すぎる内容なのです。
『誰がために鐘は鳴る』など、いくつもの文学作品に登場するスペイン内戦ですが、その内容はあまりにもおぞましいものがあり、人間の理性がもっと働いていれば・・・、と思わせるところが多々ありすぎました。ともかく、たくさんの人が無情に殺されていく記述に出会うたびに、それが頁をめくるたびに出てくるので辟易させられますが、前途ある有為な人々がかくもたやすく抹殺されてしまうのか、涙と怒りが噴出してくるのを抑えることができませんでした。
スペイン内戦は、左翼と右翼の衝突としてさかんに描写されるが、それは割り切りすぎで、誤解を招く。他に二つの対立軸がある。中央集権国家対地方の独立、権威主義対国家の自由である。
共和国政府側の陣営は対立と相互不信のるつぼであり、中央集権主義者と権威主義者、とくに共産主義者と地方主義者と反国家自由主義者とが反目しあっていた。
無政府主義者が早くからスペイン労働者階級の最大多数を獲得したのには、いくつかの理由があった。それは、腐敗した政治制度と偽善的な教会に対する強力な道徳的選択肢を提供していた。
マルクス主義者が他と比べて成功しなかった理由の一つは、中央集権国家を強調しすぎたせいである。スペインでは、工業の大部分はカタルーニャに集中していながら、そこは無政府主義の牙城となっていた。1919年末までに、社会党系UGTの組合員は16万人、無政府労働組合主義系CNTの組合員は70万人までに増えた。
1933年11月、共和国新憲法はスペイン女性に参政権を認めた。
1936年。左翼の革命蜂起と軍・治安警備隊による左翼への残酷な弾圧のせいで、両者に妥協の余地はまったくなかった。どちらの側にも感情の傷が深すぎた。双方とも、終末的な言辞を弄し、どちらの追従者にも政治的結果ではなく、暴力的結果を期待させた。
コミンテルンの幹部たちは、中産階級をひきつけることにほとんど無関心だった。人民戦線は権力の手段にすぎなかった。
1921年に結党したときのスペイン共産党はたった数十人しかいなかったが、その影響は相当なものがあった。そして1936年半ばには、3万の党員が10万に増えていた。
1936年の選挙で、人民戦線は15万票の差で勝利した。1936年初夏、ヨーロッパ情勢は緊張していた。ヒトラーはベルサイユ条約を破ってラインラント地方に軍隊を再配備した。
スペイン軍は、1936年に10万人から成っていた。そのうち4万人がモロッコに駐屯する手強くて有能な部隊だった。本土にいる残りの部分は無能だった。
右翼側が蜂起を準備している証拠がたくさんあるのに、共和国派指導者は恐ろしい真実を信じようとはしなかった。反乱将軍の行動に対して共和国政府はためらい、逡巡して行動せず、それが命とりとなった。共和国の首相は労働組合を武装させる決心がつかなかった。
スペイン軍の将校には自由主義的な思想の持ち主はまずいなかった。それは、植民地に勤務していると、自分たちの信じる国家価値なるものを誇大視しがちだったからだろう。彼らは政治家を軽蔑し、アカを憎悪した。
内戦に入ったとき、地面に潜って戦うなど、スペイン人の戦争哲学から言えば、もってのほかだった。勇猛果敢こそが勝利に導くという確信を持っていた。
国民戦線軍(右翼)の最大の軍事的強みは、実戦経験を積んだモロッコ駐屯軍4万の兵士だった。それに加えて、訓練が乏しく装備も貧弱だが、本土部隊5万の兵士がいた。さらに17人の将軍と1万人の将校が蜂起に参加した。総数で13万人の将兵に達した。
これに対して、共和国は、5万人の兵士、22人の将軍、7000人の将校、などで総勢9万人だった。
フランコ将軍は、内戦が終わったとき、こう言った。
私には敵は一人もいない。私は一人残らず殺した。
国民戦線軍による殺害と処刑は、あわせて20万人にのぼる。
1931年から32年の共和制の最大の成果は教育と非識字退治の面で実現された。共和国の成立する前22年間に、学校はわずか2000校しか建てられなかったのに対し、共和国になってから1700校が建てられた。その結果、非識字率は50%だったのが劇的に減少した。
フランコは、実は非常に月並みの人物だった。労働者民兵は市街戦にあっては、集団でいることの勇気に押されて、向こう見ずな勇敢さを発揮した。しかし、障害物のない開けた場所では、砲撃と爆撃にはかなわないのが普通だった。というのも塹壕掘りを拒否したからだ。スペイン人にとって、地面を掘るなんて沽券にかかわることだった。
民兵制度最大の短所は自己規律の欠如だった。無規律は、それまで外部からの強制と統制にしばられていた工場労働者のような集団でとくに顕著だった。逆に農民や職人のように自営だった人々は、自己規律を失わなかった。
ほとんどの将校は、共産党と協力するほうを選んだ。その理由は、民兵組織に恐れをなしたからだ。一般に政府に忠実な将校は年配者で、本国軍に勤務していた官僚的な人々だった。若い、積極的な将校はフランコ側の反乱軍についた。
共和国軍指揮官には、第一次大戦の時代遅れの理論しか持ち合わせがなかった。コミンテルンは、スペイン内戦中に、国際旅団を組織した。国際旅団の志願兵の動機の無私無欲は疑いようがない。イギリス志願兵の80%が、職を辞めたか失業中の肉体労働者だった。その多くは、戦争とは何を意味するのかほとんど分かっていなかった。その指揮者であるアンドレ・マルティは陰謀強迫観念にとりつかれていた。スターリンによって始まったモスクワの見世物粛清裁判に影響されて、ファシスト=トロツキス=スパイがそこらじゅうにいると信じこみ、このスパイを根絶やしにする義務があると思い込んだ。その結果、マルティは国際旅団兵士の1割にあたる500人もスパイとして射殺した、このことを内戦のあとで認めた。
スペイン内戦に従軍したソ連要員の正確な人数は判明していないが、800人を超えたことはなかった。ソ連軍顧問の多くが、実は指揮経験の乏しい下級将校でしかなかった。
スペイン内戦が始まって1ヵ月ほどしてスターリンによる大粛清裁判が始まった。
スターリンの犯罪的行為と判断の誤りがスペインにも多大の被害をもたらしたことを改めて認識しました。スペイン内戦の恐るべき実情が語られている本です。
(2011年2月刊。3800円+税)

進化の運命

カテゴリー:人間

著者    サイモン・コンウェイ=モリス 、 出版   講談社
 この広大な宇宙のなかで地球上に存在する人間は進化の必然だったのか。必然だったとすれば、この広い銀河のどこかに別のよく似た存在がいてもおかしくはない。では、どこにいるのか・・・。どこにもいないとしたら、人間は宇宙における偶然の産物にすぎないというのか。そしたら、それは意味も目的もないということになるのか・・・。
 こんな問題意識のもとで、宇宙において人間が実在する意味を問い詰めようというものです。
モリブデンは生命にとって欠くことのできない元素である。さまざまな酵素で大切な働きをしている。しかし、地球においてこの元素がどれくらい手に入るかというと、とてつもなく乏しく、その産出量は実際にもわずかでしかない。
 意外なことに、生命の基本ブロックの少なくとも何種類かは、太陽系形成のはるか以前に合成されている。合成された環境は星間空間である。生命がすめそうなところではない。そこでの有機合成プロセスは、極低温・高真空で、放射線にさらされた中で進行する。有機物だけでなく、水(氷)やその他の揮発性物質が豊富に含まれている窒素質隕石や彗星などの地球外物質のかたまりがなかったなら、地球上に生命は現れなかっただろう。地球外物質がなければ、何十億年もの進化を経て、意識をもつ種が少なくとも一つ現れ、生命の起源について考え始めることはなかっただろう。
 揮発性物質とともに生命の前駆物質が天から何度も初期地球の表面に降ってこなかったら、地球上には海も大気もなかっただろう。
 生命は実験室の中でつくることは出来ないし、出来そうなきざしもない。生命の誕生は、百京回に1回のまぐれ当たりだった。生命の出現は、ほとんど奇跡だった。
 月面が今のような姿になったのは、太陽系の歴史初期を襲った激しい衝突事故による。大衝突によって、月面は何度もぼろぼろの瓦礫の山にされ、表面が粉々にされ、クレーターがつくられた。
地球は質量が月の百倍もあって重力も大きいから、さらに激烈な衝突に見舞われた日が設定されている。厳しい衝突期の終わりごろ、いずれも海洋を蒸発させ、おそらく地球を無事に産みだした。
過去10億年で居住可能領域は大幅に縮小した。しかも、これから10億年たつと、居住可能領域は地球から外れてしまう。
銀河の中心は、星が非常に高密度に集積しているので、安全ではない。どうしても爆発は避けられないし、もちろんブラックホールも待ち構えているだろう。
計算によると、もし人間が複眼をつかって今と同じ視覚を確保しようとしたら、その幅は少なくとも1メートル、望むらくは12メートル以上が必要になる。
 人間が色を見分けることができるのは、樹上性だった人間の祖先が適切な色の果実や葉をどうしても見分ける必要があったからだと一般に考えられている。
 ハダカデバネズミにはあきらかに視力がないので、通常なら視覚に用いられる脳の領域が、体性感覚皮質に取って代えられている。ハダカデバネズミは、おそらく歯をつかってものを「見て」いる。
ボーア戦争の少し前のころ、南アフリカにジャックというヒヒがいた。事故によって両膝から下を失くした男性の下で、ジャックは鉄道の仕事を手伝っていた。さまざまな信号を一つ残らず理解し、どのレバーを引けばよいか覚えていた。間違えたことは一度もなかった。このほかにもポンプで水を汲んで運んだり、庭いじりをしたり、ドアに鍵をかけたりしていた。これは、知性は人間だけにあるのではないとうことを実証する事実だ。
 イルカの鳴き声は複雑で多様である。水が不透明であることから、顔の表情を利用することはかなり限られる。そこで、音を出す音響方式が優先されたのだろう。イルカは、かなり離れた場所との間でも交信することができる。イルカにとって、半球睡眠は群れの仲間とはぐれないためらしい。
 なぜ、進化は繁殖期の終わった女性の存在を「許して」いるのか?
 アフリカゾウではメスのなかでも一番の長老が概して一番賢く、よそから来たゾウのことをもっともよく覚えていて、必要な社会の知識を自分の「家族」に伝えていくことができる。
 このような母系社会の一族でもっとも大きい最年長のメスを殺すのは愚かなことだ。なぜなら、蓄積された知識が群から奪われ、繁栄が妨げられてしまうからだ。
 いろいろ難しいこともたくさん書かれていますので、もちろん全部は理解できませんでしたが、この広大な宇宙に果たして人間と同じような知性をもつ生命体がいるのかいないのか、改めて考えさせてくれた本でした。
(2010年7月刊。2800円+税)
アジサイが咲き、ホタルが飛びかう季節となりました。我が家から歩いて5分あまりのところに毎年ホタルが出る小川があります。ふわふわと漂うように音もなく軽やかに明滅するホタルの光は、いつ見ても夢幻の境地を誘います。なくしたくない自然です。すぐ近くまでバイパス道路が迫っているのが心配です。
軒からヘビが落ちてきました。屋根裏のスズメの巣を狙ったのでしょう。数日後、急にスズメたちがやかましく鳴き騒いでいました。
自然が身近な生活はヘビとの共存も強いられることになります。こればかりは勘弁してよと言いたいのですが・・・。

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