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2011年6月 の投稿

雑兵足軽たちの戦い

カテゴリー:日本史(戦国)

著者    東郷 隆  、 出版   講談社文庫
 絵解き文庫本ですから、気軽に読めて、戦国時代のイメージがよくつかめる本です。戦国時代の合戦において、本当の主役は雑兵足軽だったのでしょうね。武将は、彼らを思うように指図して動かさなければ合戦に勝つことは出来なかったのでした。
 主人が戦場で不利となったとき、ただのんびりと見物している家来などいるわけがない。身軽な武装で騎馬の傍らに付き従い、ときに主人を守って武力を行使する人々が出現するのは当然の成り行きだった。足を軽々と動かして主人に従う人々の出身は、多くが荘園領主である武士の私的従者だった。しかし、なかには衣食を求めて当座のしのぎに有力な者の下へ付く浮浪人や逃亡農民もあり、彼らの身分はあやふやだった。
俗に「家子郎党」(いえのころうとう)と称された武士の集団にふくまれる者は、まず血縁によるつながりの「家子」で、家の頂点に立つ惣領に従う主人の兄弟や庶子(正妻ではない女性とのあいだに出来た子)である。これに、それぞれ従う「郎党(郎従)」が付く。郎党は、主人の家と血縁関係にあったものが代を重ねるうちに身分が下落したもの、さらには領主である主人の家に代々つかえてきた武装農民を指す。
蒙古襲来のとき、危機を辛うじて切り抜けた鎌倉幕府が不快感を覚えたのは、武士たちの腰の引けた戦いぶりだった。彼らには国土の防衛という観念が依然として低く、九州一円でも兵の動員力はそれほど高くなかった。なかには、こういうときこそ自分の所領を守る方が大切だなど言って館に立て籠もってしまう者や、武具の用意が出来ていないとか、親族の死による供養・喪中を口実として合戦場へ出ながら戦闘を拒否する者もいて、指導者たちを辟易させた。うひゃあ、なんという実態でしょうか・・・。
鎌倉幕府は、動員の不足を山賊化した人々を取り締まって、流人として西国に送って補おうとした。中央で捕縛された人々は、まず流人となって九州の守護所に集められ、対モンゴル戦の先鋒となる地頭や御家人のもとへ引き渡された。現地での身分は「因人(めしうど)」(召人)で、戦闘に参加するときは下人・所従の扱いだったが、家柄の良い者は、「客人(まろうど)」としての待遇を得、流刑先で半ば自由の身になる者もいた。こうした人々を「西遷悪党(せいせんあくとう)」という。鎌倉幕府が滅亡したあとも、モンゴルに備えた異国警固令は依然として続いた。足利尊氏も、博多にある石築地の補修を地元の武士に命じた。
16世紀の越前国を支配した朝倉氏は教訓集をつくった。合戦の最中、優勢な敵が現れたと聞いて退く「聞き逃れ」は許す、しかし、敵を見て退く「見逃れ」はいけない。耳で聞いて逃げるのは、臆病とさげすまれても戦術のうちである。しかし、敵の姿をはっきりと見てしまったあとは、健気に斬り死にの覚悟をさせる。昔から、「耳は臆病にて、目はけなげ」というのだ。
まだまだ面白い話と図解が盛りだくさんです。戦国時代の合戦の実相を知り、イメージをつかむうえで必読文献だと思いました。
(2007年3月刊。495円+税)

都知事

カテゴリー:社会

著者    佐々木 信夫  、 出版   中公新書
 普通の知事がやっても東京は繁栄する。石原慎太郎が知事として特に優秀だという話はあまり聞かない。多くの高次中枢機能が集積する東京の立地条件、中央集権という体制が東京繁栄をもたらしている。石原知事が五輪招致で100億円を超えるカネを無駄にしても、銀行税によるカネ集めに失敗しても、東京都は決してつぶれない。都庁官僚に任せておけば、一定の行政水準は保たれる。ヒト、モノ、カネ、情報が集まる大都市東京は、集積が集積を呼ぶメカニズムのなかで栄えている。なーるほど、そういうことなんですね。まあ、首相も同じようなものなんでしょうね。
 現在、47都道府県知事の6割は官僚出身者で占められている。しかも、彼らは、かつてのような次官とか局長という功なり名を逃げた「上がり組」ではない。多くは課長クラスといった中堅官僚からの転身組である。彼らに期待されるのは仕事師としての役割だ。国から自立した政策と自己決定・自己責任による地域経営が求められている。ふむふむ、これは以前とは違いますね。
 都知事は職員17万人、予算12兆円という巨大都庁の経営者である。任期は4年間と安定し、都知事は首相や大臣なみに扱われ、要人警護のSP(2人)も付く。都知事は議会への予算や法案の提出権をもち、議会に対して圧倒的に優位な立場にある。
 都知事は年間2018万円の給与をもらい、1期終了ごとに4700万円の退職金が支給される。ところが、石原慎太郎は週に2、3日しか都庁に出勤していないと言われ、パーティーや宴席にもほとんど出ない。
 都庁職員には、「学歴ではなく学力で」という、脱学歴の伝統がある。誰でも、能力と実績さえあれば管理職になれるのが、都庁の人事政策の特徴と伝統である。
 都庁は、多様な大学の出身者が局長となっている。最近では管理職を志望しない若手職員が増えている。石原慎太郎によるワンマンな管理職の使い方も影響して、論争を好まない組織風土ができあがり、上司の指揮命令に忠実な者のみが出世する人事が管理職志望を下げている。
 一般会計だけでも6兆3千億円というのは、フィンランドやチェコの国家予算規模に相当し、ニューヨークの予算規模とほぼ同じである。
 大統領制の都知事は、実質的に予算編成権と執行権を一手に握っている。しかも、都が国の財源収入の6~7割は固有財源(地方税)である。国の交付税に依存せず、ひもつき補助金も少ない都の場合、ほかの府県知事が1割足らずの裁量しかないのに対して、都知事の財政裁量は3割近い。
 石原慎太郎の政治手法は小泉純一郎に類似している。敵(守旧派)をつくりあげ、敵を倒すものが正義(改革派)であるという論法だ。石原は国の官僚制を目の仇として、「東京が日本を変える」と対決色を強め、独自の政策を展開した。時には思いつき、独善と言われながら有権者の心をつかむのはうまい。
 石原都政は総じて弱肉強食の論理を是とする大都市経営である。福祉・医療の減量化、民営化はその一面だ。老人福祉手当は4分の1近くまで減額。70歳以上の6割が利用していた都営バスの無料パスも全面有料化され、年間7万人も利用者が減った。老人医療費助成も対象者の見直しで4分の1、10万7000人が対象外となった。病院の統廃合で多摩地区には医療不安が広がり、周産期医療の問題や医師不安など、福祉医療分野の不完全さが目立つ。
 総じて福祉、医療、文化、食育など、石原都政の下で生活者に関わりの深い生活都市の面は停滞し、大都市の高層化や経済活性化など経済都市としての基盤整理はすすんだ。
 うへーっ、これってまさに弱者を切り捨て、大企業と大金持ちに奉仕する都政になっているということですよね。そんな政治をしてきた石原慎太郎が先日の選挙では大差で再選されました。信じられませんね。
  (2011年1月刊。780円+税)

スペイン内戦(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者    アントニー・ビーヴァー 、 出版   みすず書房
 1936年から37年にかけて、5ヵ月かけながら、マドリード攻撃にフランコ軍は四度も失敗した。同じころ、共和国政府軍内部でも権力闘争が始まり、共産党が勝利したものの、フランコと同じほどには権力を掌握できなかった。
 スターリンは、自分の外交方針に迷惑がかからないことに関心があった。ソ連大使ローゼンベルクは共和国軍に干渉したが、2月にモスクワに召還されると、スターリンによって銃殺された。
このころ、スターリン主義者の妄想が膨れ上がり、大げさな陰謀理論をデッチ上げた。大スパイ網が発見されたとかいう共産党の連発する嘘のせいで、共和国軍は大混乱に陥ったようです。
ソ連軍事顧問、共産党員の軍指揮官たちも、何も学んでいなかった。旧来の軍事理論のままで戦った。ソ連でトハチェフスキーが処刑されたことにより、その戦術理論を運用する勇気をソ連から派遣された軍事顧問たちは誰も持っていなかった。共和国軍指揮官には無線機がなく、しかも創意も欠けていた。そして、参謀本部は共和国軍に地図も配っていなかった。虚栄心から、指揮官のなかには上官にわざと嘘をつく者さえいた。
 人民軍の兵站部門は大規模な物量を扱った経験がなかったし、指揮官同士の連絡は悪かった。残忍な規律によって支えられたハッタリの自信の裏には、無知が隠されていた。 退去しようとする将兵は機関銃で射撃され、即時処刑された。
 共和国軍の最初の大攻撃は大きな拶折だった。ところが共産党は現実から逃避し、内部に向けて勝利を宣言した。いやあ、これって、日本の帝国軍がミッドウェー大海戦の大敗北を大勝利と言いふらしたのと同じではありませんか・・・。
 国際旅団は1万3千人の兵力のうち4千人あまりの死傷者を出し、5千人が病院に収容された。多くの国際旅団兵は騙されたと思っていた。6ヵ月だけ志望したものの、帰国を認められなかった。そして、国際旅団は、強制収容所を設置し、そこに4千人も収容していた。
 共和国軍が敗北すると、その失敗をトロツキストと第五列のせいにした。これはスターリン主義者の被害妄想でしかなかった。1937年の終わりごろになると、フランコの国民戦線軍の軍事的優勢は明らかだった。
 ソ連は、日中戦争に投入するためにソ連人操縦士を引き揚げた。この操縦士たちがノモンハン戦線で活躍したことは前に紹介したとところです。
 1938年早春のテルエルの戦闘で国民軍の損害は4万、共和国軍はもっとひどく6万に達した。共和国指導者は、宣伝目的にとらわれて勝利をなんとしても宣言しようと先走り、最良の部隊の多くを無駄死に追いやった。生存者の痛ましい状態と志気阻喪と消耗は、数週間のうちにもっと悲惨な敗北を招くことになった。そして、共和国軍の指揮官たちは、責任のなすりつけあいで躍起になった。作戦計画の拙劣、指揮官の無能は無視された。
 1938年の春を通じて、共和国は深刻化する経済危機と銃後の志気の低下に直面していた。ところで、共和国はスペイン内戦中に、フランコ将軍の最大の同盟者であるナチス・ドイツから武器を買いつづけた。プロセイン首相でドイツ空軍司令官のヘルマン・ゲーリング大将が武器を売っていた。この利益はゲーリング個人に帰していて、ゲーリングの広大な趣味の悪い別荘と、その内装がスペイン内戦で得た莫大なもうけでまかなわれていた。なんと、ナチス・ドイツが共和国軍に武器を売却していたなんて・・・、信じられませんね。
 ソ連に対する共和国からの軍事援助の要請は、スターリンによって無視された。そして、フランス政府は、ヒトラーに震えあがっていたから、スペインの共和国軍を援助しようとはしなかった。
 1938年春を通じてフランコを悩ませたのは、戦争捕虜の問題だった。9万人から16万人へ、そして戦争終結時には36万7千人になっていた。処刑すべき「矯正不能者」と再教育できる者を区分することが問題だった。
 1938年夏、エブロ戦線で共和国軍が敗北を重ねているのに、底抜けに楽観的な宣伝報道のせいで、後方地域では過大な期待感が高まっていた。負けを勝ちと偽って宣伝するって本当に罪なことですよね。いくら志気を高めようというつもりであっても、それが嘘であっては、結局、長続きはしないものです。
 1938年後半から、国際旅団の撤退が始まった。彼らは1万人近い死者と8千人ほどの行方不明者を残し、負傷者も3万8千人にのぼった。
 共和国軍が敗れると、およそ50万人が国境を越えてフランスに入り、6万人は国民軍の手に落ちた。フランコは、捕虜収容所を全国につくり、最大で50万人を収容した。少なくとも3万5千人が公式に処刑された。おそらく200万人の死者が出た。そして、孤児となった子どもたちが国民戦線の価値観で教育された。これも恐ろしいことですよね。
 フランコは、戦争でそれほど勝ってはいなかった。共和国軍指揮官が自分たちにはすでに分が悪かったのに、兵を退くことを知らずに部隊の勇気と犠牲的精神を濫費したから戦争に負けたのだ。共和国指導部は、奇襲と攻撃衝力の効果がことごとく失われたにもかかわらず、その貴重な部隊と戦車を撤退させられなかった。それは、大げさに誇張した宣伝が攻撃開始時に発表されていたためにひっこみがつかなかったからだ。事態をもっと悪くしたのは、ソ連顧問とスペイン共産党員のスターリン主義妄想が、すべての失敗をトロツキー派の裏切りと「第五列」のせいにしたことだ。途方もない屁理屈がでっち上げられ、無実の将校や兵士たちが逮捕され、銃殺された。モスクワに送られた報告は正気を逸した妄想の産物だった。共和派の志気が絶望的に阻喪したのは当然だった。
 暗い気分に沈みながら、上下2冊、2段組み500頁ほどの大作を一心に読みふけりました。まさに歴史の暗部に焦点をあてた労作です。
(2011年2月刊。3600円+税)

原発事故、緊急対策マニュアル

カテゴリー:社会

著者   日本科学者会議福岡支部   、 出版  合同出版 
 このようなタイトルの本を紹介しなければならないのは、本当に残念です。いえ、もちろん、出版した人を責めているのではありません。「絶対安全」だったはずの福島第一原発事故が起きて、実は原子力発電とは未完成の技術であり、使用済み核燃料を始末する技術もないまま目先の利潤に目のくらんだ政治家と電力会社が次々に立地させていたこと、つまり原発は放射能をたれ流しするだけの危険なものであったことが明らかになってしまったことが残念だと言いたいのです。ドイツやイタリアのように、日本も、もっと早く原発を全停止すべきでした。
 それはともかく、玄海原発のような老朽化した施設、しかも猛毒のプルサーマルを身近にかかえる私たちとしては、この本を読んでおかざるをえません。本当に残念ながら必読の本になっているのです。
 放射能に汚染したときの緊急措置は・・・・。
 まず、多量の水と石けんで洗う、そして、できるだけ早くヨウ素剤を服用すること。
屋内退避のときには・・・・。窓や戸を閉じて外気を入れない。換気扇を止めて、密閉する。できたらコンクリートの建物に避難する。窓ぎわから離れた中心部の部屋にいる。
原子力発電では、原子炉を停止しても、炉心は絶えず冷やし続けなければならず、冷却が十分でないと原子炉の放射能が外部に放出される重大事故に発展する恐れがある。
原子炉の事故として心配なのは、本体より周辺部の配管の破損・損傷である。
 炉心の冷却がうまくいかないと、炉心の温度は燃料の融点2800度に達して、溶けてひとかたまりになる。これをメルトダウンという。炉心全部が溶けると、200トン以上にもなる。配管破断からメルトダウンに至るまではわずか10分から60分と予想される。ひとかたまりとなった炉心は、表面積が小さくなるので、これを冷却することは絶望的だ。
 福島原発事故で現実に起きたメルトダウンは、今では津波によるものではなく、地震によって配管設備の損傷が起き、そのため冷却水がなくなったことによるものだとされています。つまり、津波対策として堤防のかさ上げをしても万全の効果は期待できないわけです。
 福島原発事故によって放射能に汚染された海水などが外部へ出たのは2%でしかないそうです。まだ98%が内部にあって、それが少しずつ外部へ漏れ出ているというのです。放射能もれが3カ月以上たった今でも現在進行形であり、止まっていないというのは、まさに恐るべき事態です。
 にもかかわらず政府は早々と全国の原発の安全が確認されたと宣言し、操業再開を認めようとしています。恐るべき無責任さです。
 読みたくない本です。でも、読まざるをえない本です。矛盾を感じながらも強く一読をおすすめします。知らぬが仏とよく言いますが、知らないうちに死んだり病気になっては困りますよね。わずか80頁たらずの軽くて重い冊子なのです。
(2011年5月刊。571円+税)

紛争屋の外交論

カテゴリー:社会

著者    伊勢崎 賢治  、 出版   NHK出版新書
 日本は、まだまだ平和だ。しかし、平和は、壊れはじめるときには、なかなか気がつかない。そして、気がついたときには、もう手遅れのことが多い。
尖閣列島のようなことが起きると、メディアがまず熱狂する。中国の脅威を煽る。何にでも一言いわざるをえないコメンテーターが芸能ニュースのノリで吠える。加えて、評論家、軍事専門家、国際政治学者、大学の先生たちが好戦アジテーターと化す。こういうときに、国の民主主義が、民衆の人気とりだけに奔走する衆愚主義に陥ると、増悪の熱狂が戦争という政治決定にたやすく転じてしまう可能性がある。熱狂をあおる人々に対して、尖閣なんてちんけな問題だと言い放ちたい。著者は、このように断言しています。
 そんな領土紛争は昔からどこの国も抱えてきました。それを戦争にまで持っていってしまったら、世界中が戦争だらけになってしまいます。そうならないようにするのが外交であり、政治です。
 戦争がなくならないのは、戦争はもうかるから。戦争が起こると稼げるのは、まず、軍需産業だ。しかし、それだけではない。戦争を伝えるメディアも、破壊された国土を復興する建設業者も、ひいては人道援助NGOにまでお金が入ってくる。このように、戦争は現実の利益をもたらす。しかし、平和はもうからない。貧困だけが戦争の原因ではない。
貧困対策は、紛争を予防できない。むしろ、貧困を拡大してしまう大きな可能性すらある。
 民衆の熱狂は恐ろしい。民衆を熱狂させる煽動行為があると、民衆に襲いかかる。それは、大量破壊兵器以上の殺傷能力がある。このことがルワンダのケースで立証された。
 日本のメディアの特性は、政治的な裏の世界が支配するのではなく、ただ、民衆の怒りや不満を先取りすることにある。どうなんでしょうか。月1億円を自由につかえる内閣官房機密費などによってマスコミのトップが政府に「買収」されてきたというのは日本における歴史的事実なのではないでしょうか。だから、裏の支配者が支配したとまでは言えなくても、強い影響力を行使してきたこと自体は間違いないことだと私は考えています。
 アメリカは、「民主主義と人権の守護者」を標榜しながら、人を殺し続けている、恐らく世界最大の国家の一つである。イラク、アフガン戦でのアメリカの戦死者は、既に6000人をこえている。友人や家族、親戚のなかに、たいてい戦死者が見つかるほど、戦争はアメリカにとって日常的な存在になっている。
 日米同盟についていうと、実は、アメリカのほうが日本以上に日米同盟に依存している。日米同盟が解消されたら、アメリカは世界の覇権国から滑り落ちてしまう。アメリカにとって、日米同盟は不可欠なものである。
 世界各地の危険な紛争地域に出かけていき、身体をはって紛争減らしに尽力してきた実績のある人の発言ですから、重みがまるで違います。とても考えさせられる、コンパクトな良書です。ぜひ、ご一読ください。
(2011年3月刊。780円+税)

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