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2011年5月 の投稿

原発と日本の未来

カテゴリー:社会

著者   吉岡 斉、 出版  岩波ブックレット
3.11の直前に発刊されたブックレットです。3.11のあとに出た二刷版には、次のような簡単ではありますが、恐るべき内容のコメントがついています。
この原発震災の処理には、原子炉の解体・撤去だけでなく、広大な汚染地帯の除染もふくめ、数十年の歳月と数十兆円の費用がかかるとみられる。これは原子力発電コストを2倍に押し上げる。そのうえ、数十万人の被曝要員が必要となるかもしれない。原発はクリーンだという言説はブラックジョークと化した。復旧のための人的・金銭的負担は子孫にも及ぶ。
うむむ、これって、まさしく「想定外」の見通しですよね。原発を推進してきた政府と自民党にはきちんと責任をとらせる必要があります。いえ、もちろん、東電をはじめとする電力会社の杜撰さを免責するつもりはありません。
原子力発電技術は、原子核分裂連鎖反応によって生ずる熱エネルギーで高温・高圧の水蒸気をつくり、それを蒸気タービンに吹きつけて回転させ、タービンと直結する発電機も動かす技術である。
原子力発電は大量の放射性物質を生み出す。それが事故や自然災害によって大量放出される危険は無視できない。
まさに、この危険から今回、現実化したわけです。そのうえ、破壊工作や武力攻撃などによって大量の放射能物質が飛散する危険もある。
アメリカがオサマ・ビン・ラディンを暗殺したことによって、一気にテロが拡大する危険が現実化しています。「フクシマの危機」を逆に利用しようとして世界各地の原発がテロの対象となったとき、この地球は大変な事態に突入します。報復の連鎖は地球の破滅を抱くだけなのです。
原子力発電は、他の発電手段とは質的に異なる巨大な破壊力を生み出す危険性をもっており、それは文明社会の許容限度を超えている。
ところが、日本政府は、原子力発電事業を長年にわたって偏愛し続け、過保護状態に置いてきた。それも、ただの過保護ではなく、巨大な破壊力を抱えるという重大な弱点をかかえる事業に対する過保護なのである。
原子力発電は、1980年代末から、20年以上にわたる停電状態を続けている。今や、事実上の新増設停止に近い状態となっていて、構造不況産業と化した。
1960年代から80年代までに建設された原子炉の老化が進行し、2010年代から廃炉ラッシュが始まっている。いま、アメリカに104基、フランスに58基、日本54基、ロシア27基、ドイツ17基となっている。建設中でみると、中国20基、ロシア10基、インド6基、韓国6基、日本3基である。ヨーロッパで建設中の原子炉はわずか2基のみ。フィンランドとフランスの各1基である。建設中のところは、いずれも順調に進んでおらず、建設費は当初予算の2倍にまで膨れあがっている。
日本の原子力政策の特徴は、官庁、電力業界、政治家、地方自治体有力者の四者による談合にもとづく政策決定の仕組みである。そこには、市場原理や競争原理が働く余地はない。
福島第一原子力発電所の深刻な状態が依然として続いているわけですが、それは原発が人類の容易にコントロールできる存在ではないことを如実に示しています。一刻も早く脱原発に踏み出すべきだと思います。
わずか60頁ほどの薄い冊子ですが、手軽に読めてわかりやすい解説でした。
(2010年10月刊。1800円+税)

毛沢東、最後の革命(下)

カテゴリー:中国

著者   ロディック・マクファーカー、 出版  青灯社
 
 1967年ころ、中国では解放軍が革命委員会の主役になっていた。省レベルの革命委員会の主任29人のうち、6人が上将、5人が中将、9人が少将で、残る9人は軍の政治委員を兼務していた。革命委員会の多くで、解放軍将校が主任を占めていた。1950年代初め以来、中国の軍隊が、文民政治にこれほど重要な役割を果たしたことはなかった。
 1967年10月、党中央は、授業を直ちに再開するよう命じた。しかし、優秀な教師が圧倒的に不足していた。学校の規律は、文革前にはあり得ないレベルにまで落ちていた。
 毛沢東にとって、修正主義の党リーダーを一掃して、自分が人々と直接に話すことが出来れば、人々は必ずや自分についてくるだろうという幻想の終わりがきた。
紅衛兵の栄光の日々は、1968年7月が過ぎると、まもなく終わり、紅衛兵のリーダーまで真のプロレタリアとして革命するために農村や工場に下放された。7年のあいだに、1200万人の都市青年(都市人口の1割)が地方へ送られた。12年間に下放された知識青年は合計1647万人にのぼる。
 中央当局が毛沢東への個人崇拝をやめさせる本格的な試みを始めたのは1969年春だった。このときまで毛沢東崇拝を続かせた重要な要素は恐怖と威嚇だった。文革中の党規約に毛沢東思想が復活したことは、前大会でそれが削除されたことを毛沢東が快く思っておらず、その決定を支持したものを恨んでいたことを暗示している。
 林彪の個人的な野心はどうあれ、客観的にみれば、林彪が党主席になったら軍が党を事実上支配することになろう。これは、毛沢東が常々のぞんできたことは逆だった。第9回党大会で公式に後継者に昇格したものの、林彪には、その地位について懸念する理由があった。毛沢東は、すでに国家主席を経験して、この役職にともなう公式典礼が大嫌いだったし、権力に装飾などないと考えていた。毛沢東は、林彪をあやして、かりそめの安心に誘い込むために、林彪に向かって2年以内に権力を委譲すると言った。
 毛沢東は林彪事件を利用して、党内における解放軍の優位を根絶する動きを始動させた。いやはや、権力闘争とはかくも複雑怪奇なものなんですね・・・。
 林彪の死と告発は、全中国に大変なショックをもたらした。全知全能の毛沢東であるはずなのに、林彪がほかの誰よりも悪人であることをなぜ察知できなかったのか。
 林彪事件は、毛沢東にとっても深刻なショックだった。林彪事件後、だらだらと続いた文革犠牲者の復権作業を主導したのは明らかに毛沢東であって、周恩来は実行したにすぎない。もし周恩来が党と軍の内部にもつ絶大な権威と影響力を使って同志を結集し、文革の早い時期にこれを食い止める努力をしていたなら、中国はもう少し良くなっていたのではないかという当然の疑問がある。
 私の大学生時代、ベトナム戦争に反対するのと同じようなレベルで中国の文化大革命を礼賛するのかどうかという試金石がありました。毛沢東と文化大革命の真相に迫った上下2巻の力作です。
(2010年12月刊。3800円+税)
 子どもの日、大月晴れの下、久しぶりに近くの小山に登りました。頂上(1388メートル)までちょうど1時間です。初めの30分間は、森林浴のようなものです。曲がりくねっただらだら坂をウグイスの鳴き音とともにのぼっていきます。ちょっと小休止してして急勾配の坂をのぼります。
 いつもより山にのぼっている人は少ないなと思っていると、頂上近くの見晴らしのいい場所にはチビッ子軍団がいました。元気な子どもたちが歓声をあげながら広々とした野原を楽しそうに駆けめぐっているのを見ると、こちらまでうれしくなります。
 はるか眼下に海が見え、大きな遊園地も遠くに望めます。海面は太陽の光を浴びてキラキラまばゆいばかりに輝いています。おにぎり弁当をゆっくり味わいながら食べます。梅干しがたっぷり入ったおにぎりです。山では、なんといっても梅干しが一番です。気宇壮大な気分に浸って、もう少し体を休めます。
 帰りの山の麓にはミカン山があり、ビワ畑があります。ブドウ畑はまだまだのようです。
 ミカンの白くて小さい花が咲いています。摘花しているようです。
 ビワの木におじさん、おばさんが袋かけをしています。
 3時間あまりの「山歩き」をして、翌々日、大腿部に痛みを感じました。

錯覚の科学

カテゴリー:人間

著者    クリストファー・チャブリス 、 出版   文芸春秋
自動車運転中の携帯電話を使うのは危険だ。それは手動式であろうがハンズフリーであろうが変わらない。要は、車の操作能力への影響ではなく、注意力や意識に対する影響である。一方で何かを聞きとり、もう一方で何かを考えると、脳のなかで注意力を必要とする仕事の数が増えるほど、それぞれの作業の質は落ちる。ケータイをつかうと、注意力や視覚的な認知力が大幅に損なわれる。これに対して助手席にいる人と話すのは、ケータイで話すよりも問題が少ない。助手席の人と話しても運転能力への影響はゼロに近い。なぜなら、隣の人との会話は話が聞きやすく、分かりやすい。ケータイほど、会話に注意を奪われずにすむ。第二に、助手席の人も前方を向いているので、何かあると気がついて知らせてくれる。ケータイで話している相手には、そんなことはできない。第三に、ケータイで話していると、たとえ運転の難しい場所にさしかかっても、ケータイで会話を続けたいという強い社会的欲求の下にある。なーるほどですね・・・。
カーナビの指示だけを見て運転し、走ってくる列車の目の前で線路を横断させようとした人がいる。ドライバーは、カーナビを見るのに忙しくて、目の前にある標識を見落としがちになる。うひょう、これって怖すぎですよね。
聞いた物語を何回となく話していると、それを暗記してしまいやがて、自分の体験談と思い込むことがある。そうなんですよね。私も、それはいくつもあります。大学生のときの苛烈な経験のいくつかは、実際に自分が体験したことなのか、それとも後に学習したことによるのか、今ではさっぱり判別できないものがいくつもあります。
ヒラリー・クリントンはオバマと闘った2008年の大統領選挙において、1996年3月にボスニアの空港に着陸したときに自分は狙撃兵の銃火を浴びたと語った。しかし、実際には、歓迎式典に参加してボスニアの子どもにキスをしていたのであり、銃撃されたという事実はまったくなかった。ところが、ヒラリー・クリントンは間違いを証明されても、自分のミスをすぐには認めなかった。そのため、選挙に勝つためには、どんなことも言う人間だと思われ、結局、選挙戦でオバマに敗れた。うむむ、思い込みというのは恐ろしいですよね。
能力の不足は、自信過剰としてあらわれることがある。うむむ、これはすごい指摘です。私の身近にも、そんな人がいます。他人のことはあまりとやかく言えませんが、客観的に無知な人ほど自信過剰になりやすいものです。お互い謙虚さを大切にしたいですね。
裁判の証人が確信を持って証言しているときでも、それが客観的な真実に反することは少なくない。自信の強さは証言内容の正しさと結びつくが、完全に結びつくというわけでもない。
人が誰かの視線を感じることなど、実際にはありえない。この本では、そのように断言しています。しかし本当でしょうか・・・。心霊現象などまったく信じない私ですが、五感の次の第六感はその存在を信じています。だって、現実に何かを感じることが多々あるのですから・・・。今の科学では証明できていない、何かがあると私は考えています。
脳トレなんて無意味だという指摘をふくめて、かなり刺激的な話が満載の本です。一読してみる価値はありますよ。
(2011年4月刊。1571円+税)

すべての生命に出会えてよかった

カテゴリー:生物

著者  桃井 和馬   、 出版  日本キリスト教団出版局 
 
 世界中の、140ヶ国に出かけて取材を続ける写真家による貴重な写真レポートです。
地球には、ひとつだって無駄な存在はない。すべての生命、すべての出会い、すべてはすべて連なっている。だから、無意味に死んではいけない。だから、人が人を殺してもいけない。
生きとし生けるものの躍動感がよく伝わってくる写真が続きます。そして、世界の人々の表情豊かなスナップ写真があります。白一色の凍れる世界で吹雪に耐える白鳥たちは、次に来る春をひたすら耐えて待っているようです。ぐっすり眠りこけているアシカの寝顔は、夢見るしあわせな時間をよくぞ表象しています。そして、ライオンの赤ちゃんが大人のメスライオンの群れのなかで気持ちよさそうに寝入っています。
 ツバルの少女のきらきらと光輝く瞳がとくに印象的です。未来は青年のもの。いや、未来は子どもたちのものなんです。青年、そして子どもたちの豊かな未来をきちんと保障するのは、大人とりわけ年寄り(私も当然その一員です)の責任です。子どもは、いつくしみと愛情に溢れている。ホント、そうでなければいません。
 この写真集は、フォトジャーナリストとして、世界各地で紛争を追い求めてきた著者によるものです。
 自然という、複雑で大きなメカニズムの一部として生かされている人間、そうであるなら、同じ宗教や民族の中で争うことも、宗教や民族で殺しあうのもあまりに空しい。
 自然と、生き物と、子どもたちと、そして壮年や老人の生き生きとした姿がよくも撮られています。奥の深い写真集でした。
(2010年10月刊。1800円+税)

武士の町、大坂

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  藪田 貫、    出版  中公新書
 
 オーストリアのお城で大坂図屏風が最近(2006年)になって発見されたというのも不思議な話です。この本でも、どうしてオーストリアまで渡ったのか不明だとされています。不思議な話ではありますが、なにはともあれ、1600年の関ヶ原合戦の前の大坂城の様子が描かれていますから大きな価値があります。
 大坂には、町人が35万人から40万人いて、武士は800人、人口の2%しかいなかった。
 下宿(したやど)とは、公事・訴訟のために、町人や村人が町奉行所などに出向くときの待機所のこと。公事・訴訟は、近世における民事・刑事双方の裁判訴訟をさす。公事(くじ)のうち、金銭の貸借にかかわるものは金(かね)公事として、それを専門に扱う「御金日」が設けられていた。
 文政13年(1830年)の10ヶ月の訴訟総数は7222口、うち「糾し」が358件(5%)、公事総数4592口、うち「糾し」が202件(4%)だった。
 大量の訴訟事件を2名の町奉行と、わずかの吟味与力の手で処理するのは不可能だった。そこで、訴訟は遅延し、内済(ないさい。和解)がまん延した。奉行は定期か不定期を問わず与力や同心への褒美を欠かさない。優れた与力や同心がいるかどうかは、町奉行の実務に直結し、ひいては功績に結びつく。
 久須美祐明は、73歳にして町奉行になった。わずか300俵の大坂町奉行も珍しければ、70歳をこえた奉行も空前絶後。もって生まれた身体強健・先祖以来の質実剛健の美質、それに加えて天保改革の追い風が73歳の久須美を大坂西町奉行にした。そして、この久須美は、75歳にして一子をもうけた。
 いやはや、すごい老人ですね。そして、この老人は、三度三度の食事を刻明に記録していたのです。当時の日本の日常的な食生活がよく分かる貴重な記録となっています。
 与力だった大塩平八郎についても、かなり詳しく紹介されています。大塩平八郎は、かなりの能吏であったようです。だからこそ、不正を許さず、庶民を助けようと義をもって決起したのでしょうね。
 商人の町・大坂とは違った角度から江戸時代の大坂を知ることができました。
 ちなみに今の、大阪はかつて大坂と書いていました。ですから誤記ではありません。
(2010年10月刊。780円+税)

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