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2011年5月 の投稿

長崎奉行のお献立

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 江後 迪子     、 出版   吉川弘文館   
 
 江戸時代の長崎を中心とした食生活が紹介されている面白い本です。
 徳川幕府は長崎を直轄地とし、遠国(おんごく)奉行の一つとして長崎奉行は幕末まで常置された。長崎奉行の役割は、唐およびオランダとの貿易の管理、そしてキリスト教の浸透を監視するほか、市政や訴訟を担当した。長崎奉行は、はじめ一人制だったが、二人制、三人制そして元禄12年(1699年)からは四人制となった。この四人のうち二人は江戸詰だった。任期は決まっていないが、4年つとめた人が多い。
 長崎奉行は、役目から中国やオランダからの輸入品の中から希望の品を一定の額内で先買いすることが許されていて、それを京都や大阪で高く売って利益をあげることが出来たので、羨望の的だった。役料以外の副収入が他の遠国奉行に比べて多かったということである。内外の商人や近隣の諸藩からの贈物もあって、副収入のほうが多かった。
 丸ぼうろやかすていらが登場します。今も、長崎名物のしっぽく料理は中国渡来の食作法です。日本の様式は畳の上に、一の膳、二の膳、三の膳というように御膳で銘々に出されるもの。テーブルにたくさんの料理が並ぶのは、まったく新しいスタイルだった。江戸時代初期に長崎に来ていた唐人たちの多くは、祖国の混乱を避けて日本に永住帰化し、その子孫たちも日本社会に溶け込んでいった。この唐人たちは、キリスト教徒でなかったために、自由に町中に宿泊していたので、その風習は広く、深く、浸透していった。その後、密貿易が横行したため、元禄2年(1689年)に唐人屋敷が設けられて隔離された。そのとき5000人近くの唐人がいて、出島のオランダ商館ほどの厳しい管理はされていなかった。
 江戸末期までオランダ、中国から砂糖が輸入されていたので、長崎には砂糖が豊富にあった。国産の砂糖は八代将軍吉宗のころからで、砂糖は長崎街道に広まった。将軍家への献上物として、佐賀藩と福岡藩は氷砂糖を送った。
牛肉食は、蘭学者をはじめとする知識欲旺盛な人々によって広まっていった。豚肉が長崎土産として家臣に配られたという記録がある。豚や鶏は、オランダ商館や唐館で日常的に使われる食材だった。
てんぷらは一般的に普及しなかった。その理由は、明かりのための燈油としての油の需要のほうが大切だった。
かすてらは、天皇に出されるほど珍しい高級な菓子だった。かすてらが全国に広まったのは朝鮮通信使の餐応の影響が大きい。坂本龍馬もかすてらを長崎で食べていた。
 日本人が卵を食べるようになったのは、南蛮菓子かすてらやぼうろの影響が大きいとされている。寛永3年(1626年)、玉子ふわふわという料理が後水尾天皇に供された。
佐賀藩の殿様が参勤交代で出発するときの餞別に玉子80個が贈られたという記録がある。
江戸の食生活の実際を追究した貴重な本です。
(2011年2月刊。3000円+税)

韓国の徴兵制

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者   康 熙奉   、 出版   双葉新書
私は日本に徴兵制がなくて良かったと心の底から思っています。それは何より憲法9条があるおかげです。青春まっただなかの貴重な2年間をあたら絶対服従、上命下服、暴力の横行する、合理的思考の通用しない組織の一員として毎日、人殺しの技術を叩きこまれ、殺人マシーンをつくり変えるなんて、とんでもない人生のロスではないでしょうか。
韓国の若者も除隊後、次のようにしんみりと語っています。
私たちは軍隊に行って、一日中、人をどう殺すかということを教えられる。どこをやれば致命傷になるか、そんなことをずっと学び続ける。これは、とても怖いことだ。自分も一発で殺されるおそれがあるわけだ。
次は別の若者の話です。
もう二度と行きたくない。軍隊で学ぶことは何一つなかった。だから、もう一度行けと言われたら、絶対に逃亡する。地の果てまでも逃げて、逃げて、逃げまくってやる。
さらに別の若者の感想です。
軍隊生活は思い出したくないほど厳しかった。とにかく上官からの体罰が厳しく、血を吐くほど殴られた。軍隊のなかで一生懸命に生きていこうとしているのに、なんで人間以下の扱いを受けなければならないのか。悩み、死にたいと思った。軍隊は自分には耐えがたい場所でとても我慢できないと絶望していた。
ところが、やがて部下をもてるようになると少し気持ちが変わってきた。殴られるだけでなく、自分が殴れる相手ができたら、平気で部下を殴るようになった。部下を殴ることに徐々に快感を覚えていった。軍隊では人を殴ることが平然と許される。人を殴る快感を一度覚えてしまうと、やみつきになる。
人生で一番大切な時期に2年間も軍隊で理不尽な経験をさせられるのは、その個人にとってのマイナスだけではなく、国家的なマイナスだ。つくづくそう思う。
まったく同感です。多感な創造力あふれる青年時代に理不尽な暴力で鋳型にはめ込むなんて、およそ人類の英知を奪う暴挙としか言いようがありません。
韓国でも徴兵制の期間が次第に短くなっているようです。アメリカではベトナム戦争当時は徴兵制でしたが、金持ちと権力者(有力者)の子弟は兵隊にとられることなく、万一とられても前線に送られることはほとんどありませんでした。今の韓国でも、かつてのアメリカのような脱け道があるようです。軍隊が必要悪として、その存在を認めたとしても、やっぱり志願制ではないと士気もあがらないのではないでしょうか。
(2011年2月刊。800円+税)

弁護士を生きるパートⅡ

カテゴリー:司法

著者    北海道弁護士会連合会 、 出版   民事法研究会
お待たせしました。弁護士を生きるパートⅠは福岡県弁護士会の編集によるものですが、今度のパートⅡは北海道の弁護士たちが登場します。南と北が出そろいましたので、次は中部か近畿あたりがいいですね。
北海道だけあって、南の九州ではとても考えられない弁護士像も紹介されています。
まず、トップバッターは、半農半弁で暮らす女性弁護士です。大阪から移り住み、馬を飼って乗馬を楽しんでいる弁護士がいることは知っていましたが、新聞記者をやめて農業で生きる決意した夫とともに北海道に移り住み、1年の半分だけ弁護士として活動している女性の弁護士がいるなんて、驚きました。しかも、さすが北海道の冬は厳しくて農作業が出来ないため、弁護士業務は11月から雪の溶ける4月までの半年間のみ、5月から10月までは弁護士業務をほとんどお休みしているというのです。依頼者にも、そのことをあらかじめ了解してもらって受任しているそうです。だから、法律事務所の看板も依頼者にしかわからないほど小さい。なーるほど、ですね。ただし、「のんびりした半農半弁生活」とはまったくかけ離れていて、気軽に進める気にはなれないとのこと。まあ、それでも、広い北海道の大地の一角で有機栽培に挑戦し、ファームレストランを維持するとは、たいしたものです。
二番手に登場してくる佐々木秀典弁護士は私が駆け出しの弁護士のころに東京で青法協の議長として活躍していました。故郷の旭川に戻って自民党代議士だった父親の後を継いで社会党の代議士になり、国会でも活躍しました。金大中氏が韓国のKCIAに東京から拉致されて殺害されようとしたとき、人身保護法による救済を東京地裁に申立したとのこと。最高裁は同法22条による自主処理権限で韓国大使館に金大中氏の存否を照会する処置をとった。このことは、アメリカの圧力とあわせて金大中氏の生命を救ったのです。のちに大統領になった金大中氏からとても感謝されたというのも当然ですね。
三番手の中村元弥弁護士は元裁判官。『こんな日弁連にだれがした?』という本を意識して、「左翼系」ではない元「世間知らずの判事補」として司法の現状を批判的に解説しているのも面白いところです。私自身は、そもそも「左翼系」とかというレッテルを貼って弁護士会を面白おかしく書こうとする『こんな・・・』の視点自体が根本的な弱点をもっていると考えています。
以下、いろんな分野における弁護士の活動が紹介されているのですが、福岡とは違って本人の書きおろしのため、学術的かもしれませんが、読みものとしての面白さに欠けるという難点があります。やはり、福岡のように本人に若手弁護士の前で語らせ、その面白さをキープしつつ、編集者のコンセプトをふまえて本人が手を入れていくという作業にしたら、もっと読みやすい本になったのではないかと思いました。
(2011年3月刊。2200円+税)

先生、キジがヤギに縄張りを宣言しています!

カテゴリー:生物

著者    小林 朋道 、 出版   築地書館
『先生!』シリーズも第五弾となったのですね。これって、すごいことですよ。もちろん、私は、全部よみましたし、このコーナーで全部を紹介しています。
鳥取環境大学という、あまり聞きなれない名前(失礼します)の大学で生物学(具体的には、動物と人間の行動学)を教える教授が、その授業の周辺で起きるさまざまな出来事を自慢話と蘊蓄たっぷりに語る抱腹絶倒のシリーズ本なのです。とりわけ写真が豊富にあるのが、私のような素人にとって理解を助けます。
スズメバチの巣が空になったところを今度はスズメが巣として利用する。それを観察している教授と学生たちを、スズメもじっと観察している。そんな写真もあります。さぞかし、このスズメも、この連中は何をしているのか不思議に思っていることでしょうね・・・。
フェレット(イタチによく似ています)の子どもは白い。なぜ白いのか?白以外の色であるためには、そのために特別な色素を細胞内で合成しなければならない。それにはコストがかかる。カモフラージュの必要のない卵は、たいてい白である。カモフラージュする必要がなければ、わざわざ白以外の色の素を合成したりはしない。なーるほど、そういうことなんですか・・・。
クザガメも登場します。カメの甲羅は、カメの身体の内部の肋骨が拡張したものである。そして、カメの成長にともなって甲羅全体が大きくなっても、六角パネルの数は変わらない。つまり六角パネルは、互いにモザイクのようにキッチリ並んだままで、一つひとつの六角パネルは、形を変えることなく、大きくなっている。ふむふむ、なるほど、ですね。
そして、カメの雌雄を判別する方法は・・・?
それには頭と両手両足を甲羅のなかへ強く押し込むこと。雄だと、尾が出ているところからペニスが出てくる。雌だともちろん出てこない。うーむ、それにしても、よく見ているものです。
クサガメとイシガメの違いは何か・・・?
ヒメネズミは森のなかで何をしているのか・・・?
小さな無人島で一人生きるシカは、どうやって生き延びているのか・・・?
この島には、大食漢であり、ミミズを主食物にするモグラがいないため、ミミズが繁栄し、それが複数のタヌキの生存を可能にしている。
わが家のすぐ近くの空き地にもタヌキの親子が棲みついていました。最近は、とんと姿を見かけませんが、どこかに立ち去ったのでしょうか、それとも、たまたま私が遭遇しないだけなのでしょうか・・・。
そしてこの本のタイトルにもなっている話です。キジの縄張りになっている草原にヤギがのんびりと草を食べているのがキジには気にいりません。なんとか脅して立ち去ろうとさせたいのですが、ヤギは知らんぷりしています。そこで、キジは一体どうするか・・・?!
飛びかかって、蹴瓜で攻撃したいのはやまやまなれど、それがうまくいくという保障は何もない。そこで、やむなく、キジはヤギを柵の上からにらみつけるだけにした・・・。なーるほど、鳥(キジ)と動物(ここではヤギ)にも、こんな葛藤があるのですね。
私よりはひとまわり下の「わかい」教授ですが、毎回とても面白く読ませてもらっています。先生、引き続きがんばって下さい。応援しています。
(2011年4月刊。1600円+税)

ニッポンの書評

カテゴリー:社会

著者   豊崎  由美  、 出版   光文社新書
私が書評を書き始めたのは2001年のことですから、もう10年以上になります。初めのころは毎日ではありませんでした。そのうち1年365日、書評をアップするようになりました。単行本を最高で年に700冊以上、このところ年に500冊ほどは読みますので、題材には不自由しません。面白くなかったら書評は書きませんし、著者の悪口を書くつもりはまったくありません。だいたい読んだ本の7割について書評を書いていることになります。
この本によると、書評ブロガーのなかには著者をけなすのを生き甲斐にしている人もいるようですが、私はそんなことはしたくありません。悪口なんて書くのは時間がもったいないとしか思えません。読んだ本で、感動を覚えた箇所や、なるほどそういうことだったのかと認識させられた部分などを紹介したくて、こうやって書評を書いています。私自身はパソコンの入力作業はまったくしません。すべて手書きです。秘書に入力してもらって、それに赤ペンを入れるのが私の楽しみなのです。
読んだ本のこれというところには、いつもポケットの中に入れている赤エンピツでアンダーライン(傍線)を引きます。書評を書くときには、赤い傍線の部分を抜き出しながら文章を整えてきます。ですから粗筋を追うのは二の次となります。
著者は三色ボールペン(主として赤と黒)を使い、付箋を貼っていくということです。まあ私とだいたい同じやり方です。
書評家の果たしうる役目は、これは素晴らしいと思える作品を一人でも多くの読者に分かりやすい言葉で紹介すること。
小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っぱるのが編集者(出版社)、書評家は後から大八車を押す役割を担っている。
書評にとって、まず優先されるべきは読者にとっての読書の快楽である。書評は、まずなにより取り上げた本の魅力を伝える文章であるべき。読者が、「この本を読んでみたい」と思わせる内容であってほしい。
書評と批評は異なるもの。書評は、対象となっている本を読む前に読まれるものであり、批評は読んだあとに読まれるもの。
書評においては、読者から本を読む愉しみをほんのわずかでも奪うことがあってはならない。プロの書く書評には、背景がある。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本の出版が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づける。それが書評と感想文の差だ。
書評をかくとき、一番気をつかうのは書き出しの部分だ。書評だって読みもの、文芸の一ジャンルだ。読んで面白くないものになってはならない。
この書評を一体どれだけの人が読んでくれているのか分かりませんが、私の力が及ぶ範囲で、これからも無理なく続けていくつもりです。どうぞ応援してやってください。
(2011年4月刊。740円+税)

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