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2010年8月 の投稿

日米密約・裁かれない米兵犯罪

カテゴリー:司法

 著者 布施 祐仁、 岩波書店 出版 
 
 この本を読むと、今の日本が本当に主権を有する独立国家と言えるのか、改めて疑問に思えてなりません。かつて大いに叫ばれていたアメリカ帝国主義からの独立というスローガンを思い出してしまいました。だって、アメリカ兵が日本人を勝手に傷つけても、日本の警察は手出しできず、アメリカ当局によってさっさと日本国外へ逃亡できるというのですからね。とんでもないことです。
 2004年8月に普天間基地のある宜野湾市で発生したアメリカ軍ヘリコプターの墜落事故のときにも、日本の警察は現場への立ち入り自体が禁止され、捜査を行うことも出来ませんでした。もちろん、この事故についての責任追及なんて、何も出来ませんでした。そして、日本政府はアメリカ政府に抗議ひとつしなかったのです。なんと情のない話でしょうか。読んで改めて腹が立ってなりませんでした。
 アメリカ兵が日本人の命を奪い、女性を強姦し、人権を踏みにじる事件を起こしても、いったん犯人が基地へ逃げ込んでしまうと、日本の警察は逮捕することができない。これは、アメリカ軍側にある、被疑者の身柄は起訴されるまでアメリカ軍の当局が拘束するという、日米地位協定が根拠となっている。
 アメリカ兵が車で日本人をはねても、それが「公務中」であれば、日本の警察がたとえ現行犯逮捕していても、アメリカ軍に犯人を引き渡さなければならないし、日本側は裁判にかけることも出来ない。「公務中」の犯罪については、アメリカ軍側に裁判権があると日本地位協定に定められているから。
 日本政府は密約の存在を完全否定する。しかし、1953年10月28日、密約が結ばれている。そして、在日米軍の国際法主席法務官は、日本が密約を忠実に実行してきたことを評価している。
 アメリカ兵の犯罪のうち、強姦、傷害致死、強盗詐欺、横領はすべて不起訴とされ、住居侵入、窃盗の大半も大半が不起訴となっていた。刑法犯のうちの起訴率は、わずか13.4%にすぎない(2007年)。日本政府の説明によると、日本がアメリカ兵の犯罪の多くを不起訴としているのは、裁判権の「放棄」ではなく、あくまでも自主的な「不行使」だというわけである。本来なら、捜査の結果、「公務中」とはっきりするまで、必要であれば犯人の身柄を日本側で確保するのが筋である。しかし、現実には、公務の執行中になされたか否か疑問であるときまで、身柄がアメリカ軍に引き渡されている。
そして、何より肝心なことは、日本政府はこの密約の存在を完全否定し、情報公開していないが、アメリカのほうは、とっくに公開ずみだということである。いやはや、なんということでしょうか・・・・。そこまで、日本はアメリカのしもべとして「忠実」なんですか・・・。あいた口がふさがりません。泣けてきます。
法務省刑事局は内部通達において、憲法で「国権の最高機関」と規定されている国会が立法した刑事特別法よりも、日米両当局間の内部的な運用準則にすぎない「合意事項」を優先するように命じている。
こんなひどい「密約」、それと一体のものである日本地位協定は当然に見直されるべきものです。そして、それは、本当に今なお日米安保条約が必要なのかを考えさせますし、軍事同盟ではかえって世界と日本の平和は守られないということに帰着するのだろうと思います。とてもタイムリーな本として一読をおすすめします。
 
(2010年4月刊。1500円+税)
 ボーヌを午後2時に観光タクシーで出発します。今日は、コート・ド・ニュイのコースです。まずはアロース・コルトン、次いで、ニュイ・サン・ジョルジュです。ブドウ畑はまだみずみずしい緑葉に覆われています。背丈は50センチほど、延々と緑のブドウ畑が広がっています。多少の起伏があるくらいで、なだらかな平地なので、はるか彼方まで見通すことができます。いよいよヴォーヌ・ロマネ村に入ります。その中心部に、かの有名なロマネ・コンティのブドウ畑があるのです。看板もなく、本当に狭い一区画ですので、案内されなければ見落としてしまうでしょう。小休止して写真をとります。ガイド女性が車のトランクから冷えた白ワインを取り出し、いっぱい飲んで喉をしめらせます。年間数千本しか作らないので、希少価値のある超高級ワインです(もちろん、飲んだことはありません)。
 クロ・ド・ヴィージョを過ぎて、ジヴリー・シャンベルタンに着きました。ここでカーブに入り、出てきて赤ワインを試飲します。飲み比べると、さすがに高いワインは舌触りも良く、味が豊かです。すっかりいい気持ちになりました。

人材の複雑方程式

カテゴリー:社会

 著者 守島 基博、日経プレミアシリーズ  出版 
 
 日本の企業における人材育成のあり方について問いかけている本です。
いま、企業のなかで職場が衰退し、そのなかで職場が果たしてきた基本機能が弱体化しはじめているのではないか。これまで、日本企業、とりわけ製造業の強みは、すりあわせの機能にあった。そして、このすりあわせを可能にしてきたのは職場集団の存在であった。それがしっかりしてきたからこそ、このすりあわせ能が培われ、維持されてきた。
職場は、少なくともこれまでは、メンバーがお互いに見える距離で働いていたために、そのなかにライバルを見つけるのは容易だった。職場は、協働の場であると同時に、競争の場でもあった。また、育成の場であると同時に評価・選別の場でもあった。能力のある人材は、職場のなかで評価され、チャレンジのある仕事を与えられてテストされ、勝敗が決まって、選別されていった。こうした丁寧な評価を可能にしたのも職場であった。
こうした職場の機能が、今、ゆらいでいる。しかし、職場こそ、日本企業のきわめて重要な財産なのである。職場の働きが、日本企業の強みをつくってきた。
ところが、今では、組織全体や職場が、これまでのような同質性の高い人たちの集まりではなく、もっと多様な意識と価値観や生き方を背負ってきた人たちの集まりになってしまった。多様性の高い集団のもたらす帰結のひとつは、深層での考え方や意識の違いによる不満の多様化である。
日本の組織は、過去20年間、人のつながりとしての側面を失ってきた。逆に、仕事をする場所であるという本来の機能が強くなった。いま、組織は、多様化と脱コミュニティ化が同時にすすむ場面となっている。
コンプライアンス、つまり法令遵守、そして、内部統制が重視されている。そのなかでは、従業員を信頼しない経営者が増えている。企業が、コンプライアンスの名の下に、働く人を信用しない施策を導入したとき、従業員は経営者の長期的意図を信頼せず、その仕組みのなかで期待されたとおりの短期利益志向型の行動をとる可能性が高い。つまり、従業員はルールに従うこと自体を目的をし、自律的に考えることをやめてしまう。
リーダーシップは、本来のリーダーになりたいという意欲に依存する部分が大きい。能力や資質がどんなに備わっていても、リーダーになりたくない人は、リーダーには向かない。
職場が変容し、共同体としての人と人のつながりがなくなることで、メンバー間のコミュニケーションが少なくなった。
現在、日本の企業がとりいれている成果主義には、導入プロセスに問題があるだけでなく、もっと構造的な欠陥があり、そのために多くの企業で成果主義は働く人から反発されている。人材育成、それも選抜された人材だけに限定されない人材育成が重要なのである。働く人の「夢」を維持するためにこそ人材育成は重要なのである。
多くの人にとって、自分の能力を高めて成果を出し、それが評価されることがやる気につながる。人材育成は、単に能力を高めるための施策としてだけではなく、働く人の「夢」の源泉となる経営機能なのである。
変化する日本の職場の現実をふまえて、人材育成のあり方を考えた貴重な指摘だと思いました。
 
(2010年5月刊。850円+税)
  ボーヌからワイン街道を行く観光タクシーに乗りました。前日、観光案内所で予約しておいたのです、幸いにも私たちだけで、他に客はいません。運転手兼ガイドの女性が、ブドウ畑についていろいろ解説してくれます。英語は分かりませんので、フランス語でお願いしました。よく晴れた青空の下、緑滴る広大なブドウ畑のなか、車を走らせます。本当に気持ちのいいものです。ポマール、ヴォルネー、ムルソー、シャッサーニュ・モンラッシェというワインの銘柄としても有名な村々を通っていきます。バカンス中なのか、ほとんど人の気配はありません。たまにブドウ畑でトラクターのよな機械が動いているのを見かけるくらいです。サントネー村でカーブ(ワインを寝かせている地下の穴蔵)に入り、出てきたところで、赤と白のワイン3種類ずつを試飲させてもらいます。違いが分かるというのではありませんが、飲み比べると、たしかに値段の高いほうが、舌あたりも良くて美味しく感じられます。
 コート・ド・ボーヌのワイン街道をたっぷり堪能できました。

アテネ民主政

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 澤田 典子、 講談社選書メチエ 出版 
 
 紀元前に栄えたアテネの民主政の実情を知ることのできる本です。今にも生きる教訓があります。
紀元前318年、アテネのアゴラ(広場)の一角にある牢獄で83歳のフォキオンは従容として毒杯を仰いだ。フォキオンは実に45回も将軍(ストラテゴス)をつとめ、志操の高潔なリーダーとして名を馳せた重鎮であった。フォキオンこそ、アテネ民主政の最後の政治家だった。フォキオンの辞世の言葉は、何も予期せぬことではない。数多くの名高いアテネ人がこのような最期を遂げたのだから・・・・。
 なるほど、アテネ民主政180年の歴史のなかで活躍した政治家のうち、非業の死を遂げた者は数えきれない。
完成したアテネ民主政においては、成年男子市民の全員が平等に参政権に与り、ポリスの重要な決定は市民の多数決によって決められた。民主政のなかで、重要な役割を果たした機関は、民会、評議会(500人評議会)、そして民衆法廷である。
民会は、アテネ市民の総会であり、文字どおりアテネの最高議決機関だった。成年男子市民の誰もが出席して発言する権利をもち、平等な重さの一票を投じることができた。まさに直接民主政をもっとも直裁に具現する場だった。
数千から数万の市民が集まる民会での審議と決定を円滑にするため、民会の審議事項をあらかじめ先議したのが、30歳以上の市民から抽選で選ばれた500人の評議員によって構成される評議会である。
 そして、アテネの司法権の中枢に一般市民からなる民衆法廷がある。抽選で選出された30歳以上の市民6000人が任期1年の審議員として登録され、そのなかから裁判の性格や規模に応じて201人や501人といった所定数の審議員が選ばれて、個々の法廷を構成した。
さらに、国政の運営に直接携わる数多くの役人も全市民から抽選で選出されていた。ほとんどすべての役職が抽選で選ばれていた。その任期は1年で、重任や再任は原則として認められず、ひとつの役職は、複数(通常10人)から成る同僚団によって運営されていた。
 数多くの市民が直接政治に携わること、特定の個人に権力が長く集中するのを極力避けること、このような直接民主政の理念がアテネでは実践されていた。公的な職務に就く者は、就任の前に厳しい資格審査を受け、任期中には、毎月の主要民会ごとに選挙採決で信任を問われた。任期中に怠慢や不正があれば、罷免されるだけでなく、裁判にかけられることもあった。さらに厳しいのが任期終了時の執務審査であり、この審査手続のときに告発されることも多く、その結果、有罪となれば、罰金や市民権喪失だけでなく、ときには死刑という過酷な処罰も待っていた。
政治家に対しては、市民の誰もが、いつでも政治家を民主制の転覆・売国・収賄などの疑いで裁きの庭に引き出すことができた。有罪になると、ほとんど死刑とされた。ストラテゴス(将軍)は、当然、戦場での戦死というリスクも高い。しかし、戦場より怖いのが裁判だった。弾劾裁判130件のうち、3割近い34件がストラテゴスに対するものであった。
 アテネの政治家にとって、政界を勇退して悠々自適の老後を過ごすなど、望むべくもなかった。常に生命の危険と隣り合わせの真剣勝負だった。アテネの政治家たちは、老いを知らない名誉心に突き動かされ、不滅の名誉を求め、ありとあらゆる危険を冒すこともいとわず、命がけでたたかっていた。 
ところが、民主政アテネにおいて、政治家としての活動は給与をともなう「職業」ではなかった。貴族たちは、給与ともなわない政治家としての活動に専念していたのである。
 ところで、アテネには陶片追放という奇妙なシステムがありましたね。
アテネ市民は、追放しようという人物を陶片に刻んで投票する。追放されるのは得票総数が6000票をこえた者。ところが、追放された者は、10年のあいだアテネの国外に追放されるが、家族や親族は処罰されず、市民権も財産も奪われず、10年後には帰国して、それ以前と同じように暮らすことが認められた。そして、追放されるのは、1年に1人のみ。 この陶片追放の目的は、貴族同士の激しい抗争を平和的に解決するための手段であった。
 アテネの直接民主政の基本的理念は、アマチュアリズムである。成年男子市民が3万人から4万人という小社会であればこそ実現できた。
ギリシャには残念ながら行ったことはありませんが、2000年前の直接民主制からくみとるべき教訓を考えてみました。
 
(2010年4月刊。1700円+税)

アリの生態と分類

カテゴリー:生物

 著者 山根 正気、原田 豊ほか 、南方新社 出版 
 
 南九州のアリの自然史というサブタイトルがついたアリの写真図鑑です。
我が家の庭にもアリはもちろんいますが、厄介なのは台所にまで出没する小さなアリたちです。白アリとは違うので家屋倒壊の原因にはならないでしょうが、それでもやはり、小さなアリたちが食べ物のあるところをウロチョロしているのを見るのは目障りです。つい、「アリ殺し」を仕掛けてしまいました。
 日本ではアリは非常に良く研究されている昆虫一の群だ。南九州には124種のアリがいる。うへーっ、そんなに種類がいるのー・・・・と叫んでしまいましたが、なるほど写真を見ると、少しずつ色も形も異なっています。どうして、こんなに多様化したのか、不思議でなりません。
この本はヒアリは要注意だと警告しています。アメリカでは、ヒアリによって毎年5~6000億円もの被害が出ているとのことです。ヒアリ毒によって、毎年100人も亡くなっているというのですから、なるほど警戒しなければいけませんね。
アリは、カリバチと総称されているハチから進化し、スズメバチ類と近い親戚関係にある。
 初めてアリが出現したのは6億2500年前のこと。恐竜時代である。ハチの仲間なので、完全変態する。これに対してシロアリは、ゴキブリの仲間から進化した。したがって、ゴキブリと同じく、不完全変態する。
世界には1万1000種のアリがいる。
 アリの寿命は不明だが、実験室のコロニーで20年以上飼育した実例がある。
コロニーに複数の女王がいるコロニーのほうが一般的である。
 アリとアリが出会うと、触覚で相手をなでまわす。アリの体の表面は、所属するコロニーに特有のにおいで被われており、触覚でなでまわすことで、相手が自分と同じコロニーの仲間であるかどうかを嗅ぎ分けている。違うコロニーのアリを発見したアリは警戒フェロモンを散布するので、コロニー全体が興奮状態になる。
 逆に、社会寄生性の種の新女王や奴隷狩り部隊は、鎮静効果のあるフェロモンをうまくつかって相手コロニーの防衛力を低下させる。
 実は、多くのアリが昼夜を問わず活動している。ええーっ、アリって夜行性のものもいるのですか。ちっとも知りませんでした。
 この本には、たくさんのアリが大きく拡大したアリの身体写真とともに細かく紹介されています。すごいものです。アリ愛好家ならではの写真集です。
 我が家の庭にいるアリたちの姿を、今度じっくり観察してみようと思いました。
(2010年5月刊。4500円+税)
 ディジョンから休校に乗って30分、ボーヌに向かいました。ボーヌは20年ぶりです。駅から、まっすぐ旧市街を目ざして歩いていきます。ボーヌは小さな町です。古い城砦跡がそのまま残っています。旧市街に入ると石畳の狭い道になります。やがてにぎやかな通りに出ました。ちょうどお昼時でしたので、補導に張り出したテラス席で食事中の人々をたくさん見かけます。神の館(オテル・デュー)の近くに目ざすホテル(ル・セップ)がありました。20年前の記憶では町の中心部から外れたさびしい通り、というイメージだったのですが、実際には観光名所であるオテル・デューやノートルダム教会のすぐ近くで、はずれというより中心部にあります。
 ヴィジオトランという市内観光バスに乗って、ボーヌ見物をしました。本当に狭い路地を3両連結でよく走れるものだと感心します。日本語による解説もついて便利です。
 ホテル・デュは施療院とも呼ばれ、15世紀、百年戦争のあと、貧民救済のために作られた病院です。ブルゴーニュ建築の特徴という赤や黄色の幾何学模様が目を引く屋根をかまえています。
 このボーヌに、ゆったり3泊しました。

古代アンデス、神殿から始まる文明

カテゴリー:アメリカ

 著者 大貫 良夫・加藤 春建 、朝日新聞出版 
 
  古代アンデス文明の発掘調査を日本の学術調査団が50年も続けているというのです。すごいものですね。そして、地道な発掘調査のなかで金製品の副葬品を発見するなどの成果をあげています。ただ、その発掘・発見した遺跡・遺品の維持・保存には大変な苦労があるようです。現地の人々の生活との調和を図るというのは、口で言うほど易しいことではないのでしょうね・・・・。
 この本で驚いたのは、権力者が確立してから神殿がつくられたのではないという説が提唱されていることです。ちょっと逆ではないのかしらん、と思ったことでした。
 カラー写真つきで紹介されていますので、雄大な規模の遺跡であることがよく分かりす。
アンデス古代文明といっても、本当に古いのです。前2500年から前1600年前のコトシュ遺跡、前1000年から前500年のワカロマ遺跡、前800年前から前550年のクントゥル・ワシ遺跡、前1200年から前700年のパコパンパ遺跡などが紹介されています。
ちなみに、有名なナスカの地上絵は紀元前後から6世紀にかけてのものですから、かなり時代は下ります。
日本の学術調査団は、土器よりむしろ神殿に注目した。土器以上に社会発展においては神殿の役割が重要であると考えた。神殿の建設や更新、そこで執り行われる祭祀を通じて社会が動き、農耕などの生業面を逆に刺激していったと確信した。
 太陽の神殿ワカ・デル・ソルは、長さ342メートル、幅159メートル、高さ40メートル。この建造に1億4300万個の日干しレンガが用いられた。レンガに印がついている。それは、製造した村をあらわすもので、支配地域にレンガが納入を強要した証拠と考えられる。  古代アンデス文明の豊かさを知ることは、人類はかつて野蛮でしかなかったという俗説を打ち破ることにつながります。知的世界をぐーんと広げる本でした。 
(2010年2月刊。1400円+税)

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