著者 大野 裕之、 出版 講談社
チャップリンを支え、全面的に信頼されていた秘書は、なんと日本人だったのです。そして、チャップリンは来日したとき、5.15事件で犬養首相とともに暗殺されようとしたのを危機一髪で免れました。そのとき高野秘書が苦労していたのでした。
日本人の多くがこよなく愛しているチャップリンと、日本人秘書・高野(こうの)虎市との、うるわしき関係が明らかにされ、感動を呼びます。そして、スパイの濡れ衣を晴らした後の晩年の高野元秘書の悲惨な生きざまも語られています。
天才チャップリンのすぐそばにいて、大変だったことでしょうが、高野秘書はきわめてもっとも充実した人生を過ごしたと言えると思います。
広島生まれの高野虎市は、名家出身ではあったが、身内を頼りにして15歳のとき単身アメリカに渡った。そして、苦労して働きながらも、アメリカの学校に通い、英語を身に付けた。いったん日本に戻って結婚し、アメリカに戻って妻とともに生活した。高野の夢は、飛行機のパイロットになること。今でいえば、宇宙飛行士になる夢に匹敵するものでしょうね。
ところが、夢破れて、当時は珍しい自動車の運転手になったのです。そのとき、チャップリンに出会い、その運転手になりました。チャップリンは既に週給1万ドルという最高の大スターでした。チャップリン27歳、高野31歳の出会いです。やがて、高野の妻も、チャップリン家の料理係として雇われます。
高野の長男は、チャップリンからスペンサーというチャップリンのミドルネームをもらって名づけられた。そして、高野はチャップリンの兄が住んでいた建物を与えられて、住むことになった。それほど信頼されていたのですね。
高野は、チャップリンのプライベートな部分に関する秘書だった。チャップリンは高野に全幅の信頼を置き、自分の代わりに小切手に「チャップリン」とサインする権限も与えていた。運転手から秘書に昇格したわけである。
チャップリンが『黄金狂時代』を作ったころ、高野はチャップリンの右腕として絶大な権力をもっていた。チャップリンに近づきたい映画監督や俳優たちは、みな高野に近づいた。
1926年ころ、チャップリン家の使用人はみな日本人だった。多いときには17人もいた。
チャップリンは、勤勉な日本人を大いに気に入った。
チャップリンは、使用人に対して本当に優しく、公平に、友人として接した。
チャップリンはユダヤ人ではない。しかし、ナチス・ドイツはチャップリンをユダヤ人の軽業師だと紹介した。チャップリンは「残念なことにユダヤ人であるという幸運に恵まれていない」と言っていた。「愛国心と言うのは、かつて世界に存在した最大の狂気だ」というチャップリンの言葉を、イギリスのマスコミは徹底的に叩いた。
チャップリンが東京駅に着いたとき、一目でも見ようと日本人が3万人も駅に押し寄せた。いやはや、日本人の熱狂ぶりはすごいものです。
チャップリンの秘書だった日本人男性を通じて、チャップリンの偉大な人柄も知ることのできる本でした。いい本です。一読の価値があります。
(2009年12月刊。1900円+税)
朝、ウグイスが大きな声で元気よく鳴いていました。ずいぶんと上手くなりました。春告げ鳥です。
近くの電線に鴉が止まって、ゴミ袋を狙っています。
ハクモクレンがシャンデリアのような白い花をたくさん見事に咲かせています。
チューリップの咲くのももうすぐです。
庭のジャーマンアイリスを整理して、球根を久留米や福岡の地人におすそ分けしました。6月が楽しみです。
チャップリンの影
アメリカ

