著者 松岡 正剛、 出版 ちくまプリマー新書
鳩山首相が著者に案内されて本屋に行ったというニュースを読みました。私をはるかに上回る多読・多作の人物です。
読書は二度するほうがいい。
私は書評をかくために、たいていざっとですが、読んだ本を振り返ります。といっても、赤エンピツで傍線を引いたところだけなんですが……。
読書も出会いである。
私は、新聞の書評、そして、本屋に出かけて背表紙をみて、面白そうだなと思って手にとります。本は買って読むものです。読んだ本で引用されている本も買うことが多いです。
読書は鳥瞰(ちょうかん)力と微視力が交互に試される。
なーるほど、そういうようにも言えるんですね。
読書の頂点は全集読書である。
私は全集は買いません。なんだか義務づけされるようで、いやなのです。あくまで自由に好きな本を読んでいたいんです。
読書の楽しみとは、未知のパンドラの箱が開くことにある。無知から未知へ、これが読書の醍醐味だ。読書には、つねに未知の箱を開ける楽しみがある。
この点は、私もまったく同感です。
本は、理解できているかどうか分からなくても、どんどん読むもの。
読むという行為は、かなり重大な認知行為である。しかも複合認知。
読んだ本が「当たり」とは限らないし、かなり「はずれ」もある。しかし、何か得をするためだけに読もうと思ったって、それはダメだ。
たしかに「あたった」という本に出会ったときの観劇は大きいですよ。必ず誰かに紹介したくなります。
読みながらマーキングする。このマーキングが読書行為のカギを握っている。
そうなんです。ですから、私はポケットに赤エンピツを欠かしたことがありません。私の読んだ本には赤エンピツで傍線が引かれていますので、古本屋は引き取ってくれないでしょうね。そのうえ、私のサインと読了年月日まで書き込んであります。本こそ、私の財産だからです。こうやって、他人の書いたものを自分の本にしてしまうのです。楽しい作業です。お金儲けとは違った喜びが、そこにはあります。
書くのも読むのも、コミュニケーションのひとつだと考える。
まったくそのとおりです。ですから、私は読んだら書いて、発信しています。
電車のなかで揺れながら本を読むと、けっこう集中できる。喫茶店でも本は読める。
ほんとうにそうです。私は基本的に車中読書派です。不思議なことに眼が悪くなりません。好きなことをやっているからだと考えています。車中読書時間を確保するためには、布団のなかできちんと睡眠時間を確保しておく必要があります。車中睡眠派では、本は読めません。人生、何を大切にするか、選択を迫られます。私は断然、読書の楽しみをとります。
2009年に読んだ本は、583冊でした。
(2009年5月刊。800円+税)
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