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2009年12月 の投稿

朝鮮戦争(上)

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 デイヴィッド・ハルバースタム、 出版 文芸春秋
 かつては朝鮮動乱とも呼ばれていましたが、今では朝鮮戦争という呼び方が日本では定着しています。
 1950年6月25日、北朝鮮軍の精鋭およそ7個師団が、南朝鮮との軍事境界線である38度線を突破した。兵士の多くは中国の国共内戦で共産軍側についてたたかった者たちで、3週間で朝鮮半島南半分を征圧する目論見だった。
 たしかに、当初、金日成の号令一下、怒涛のように朝鮮半島を一気に征圧してしまう勢いでしたが、やがて釜山の手前で立ち止まり、ついにはマッカーサーによる仁川上陸作戦で形勢が大逆転してしまいました。
 朝鮮戦争については、かつてアメリカ軍が挑発して、北朝鮮がやむなく反撃して侵攻したのだと言われたことがありましたが、今では金日成がスターリンと毛沢東の了解を取り付けて、無謀にも武力による全土統一を企て南部へ侵攻したことが明らかとなっています。
 この本は、アメリカが朝鮮半島をいかに軽視し、手抜きしていたか、アメリカの内部資料によって余すところなく明らかにしている点に大きな意義があります。北朝鮮軍が攻めてきた当時のアメリカ軍の哀れな状態を知って、朝鮮に送られてきた多くの将兵が憤った。定員も訓練も足りない部隊。欠陥だらけの旧式装備。驚くばかりに低水準の指揮官層。
 戦車への依存度の高いアメリカ軍にとって、朝鮮半島は最悪の地勢だった。
 山岳地帯は、装甲車両の優位性を損ない、逆に敵には洞窟その他の隠れ家を提供した。朝鮮戦争によるアメリカ軍の死者は、3万3千人。負傷者10万5千人。韓国軍の死者41万5千人。負傷者42万9千人。これに対して、中国・北朝鮮の死者は公表されていないが、150万人と推計されている。
 マッカーサーは、韓国に関心がなかった。朝鮮はアメリカ人の心をひきつけず、関心さえ引かなかった。初代アメリカ軍司令官のホッジ将軍は、韓国も韓国人も好きではなく、「日本人と同じ穴のむじな」と書いている。アメリカ軍の韓国駐留はおざなりそのものだった。
 金日成はカリスマである必要はなかった。スターリンにとって衛星国にカリスマ的人物は不要だった。ユーゴのチトー、中国の毛沢東のような人物では、かえって危険だと考えていた。
 なーるほど、そういうことだったんですね。それで、まだ若くて、ソ連軍に入って行動していた金日成が選ばれたというわけなんですか……。
 金日成が登場してきたとき、集会での初めての演説において、スターリンとソ連へのお追従を言って、朝鮮の人々をがっかりさせたが、それは理由のあることだった。
 金日成が6月25日に南へ侵攻したのを知ったとき、アメリカ当局の反応が面白いのです。
 アチソンは、韓国への侵攻は見せかけで、次に来るのはソ連の支援を受けた中国軍による台湾の蒋介石攻撃、あるいは、同じように危険なのは、蒋による挑発の後の共産側の反撃だと考えた。トルーマン大統領は、そうではなく、次の矛先はイランと予想した。マッカーサーも同じ意見だった。
 なるほど、これではアメリカの反撃が後手に回ったのも当然ですよね。
 上巻だけで500頁にのぼる本です。アメリカ内部の動きとあわせて、最前線での戦闘の様子が活写されています。さすがとしか言いようがありません。
 
(2009年10月刊。1900円+税)

武装親衛隊とジェノサイド

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 芝 健介、 出版 有志舎
 パウル・カレルという有名な戦記作家がいます。『バルバロッサ作戦』などの著者です。このカレルが、元ナチ党員で、親衛隊(SS)の中佐だったということを初めて知り(認識し)ました。
 このカレルは独ソ戦を戦い抜いたドイツ国防軍は、戦争犯罪を犯しておらず、軍兵士とまったく変わらなかった武装親衛隊(SS)兵士も同様にユダヤ人大虐殺などの犯罪にコミットしていないという伝説をまき散らした。
 この本は、その伝説がまさしくウソであることを克明に明らかにしています。
 独ソ戦開始後、ソ連にいたユダヤ人に対してジェノサイドを初めて展開したのは、フューゲライン(ヒトラーの妻となったエーゲ・ブラウンの妹の夫となった。終戦直前にヒトラーを裏切った罪によって銃殺された)麾下の武装親衛隊騎兵旅団だった。文字どおりユダヤ人専門の射殺部隊だった行動部隊の構成員のなかでもっとも多かったのは、武装親衛隊兵士だった。絶滅収容所への強制移送作業の中心を担ったのも、収容所での殺戮に直接関与したのも、圧倒的に武装親衛隊だった。
 ツィクロンB(毒ガス)によるアウシュヴィッツ収容所でのユダヤ人などのガス殺作戦も、武装親衛隊が決定的に関わっていた。武装親衛隊は、ユダヤ人ジェノサイド実行部隊の中核をなしていた。これらの事実は打ち消し難い。
 アメリカは、初めナチスドイツ軍の戦争犯罪追及に熱心ではなかった。しかし、1949年、ナチスドイツ軍の最後の大反攻中、ベルギーのマルメディで捕らえたアメリカ兵71人を射殺した事件を知って、ナチスドイツ軍のイメージを大転換し、ニュルンベルグ裁判へと進めて行った。そうなんですか……。そういえば、ユダヤ人を絶滅収容所でナチスが大量虐殺しているのを知りながら、アメリカは何の手もうちませんでした。
 親衛隊に入るためには、身長170センチ以上、30歳まで、身体適格を証明する医療証明が必要であった。
 自らの軟弱さが暴露されるのを恐れ、昇進のチャンスがなくなることを恐れるために、命令を実行し続けるSS隊員は多かった。除名、追放という代価を払ってまで、忠誠義務・服従義務を疑ってみるだけの自発性を持ち合わせた隊員はほとんどいなかった。
 1941年6月22日、ナチスドイツ軍は宣戦布告なしにソ連へ攻め込んだ。ドイツ軍の捕虜となったソ連軍兵士350万人の6割が死亡したが、これは異常に高い、高すぎる。
 アスファルト兵士という言葉があるそうです。ヒトラーを前にパレードしかやらない。血を流す経験もせず、ただ綺麗な舗装道路を行進するだけの存在。ドイツ国防軍が武装親衛隊を揶揄した言葉のようです。でも、事実はそんなものではなかったのです。ユダヤ人大虐殺の実行犯の集団だったのです。ただ、その点はドイツ国防軍も責任を免れないわけです。
 国民大衆に情報が行きとどかないときには、大変な惨禍が生じるものですよね。
 
(2009年6月刊。2400円+税)

歴史家の仕事

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 中塚 明、 出版 高文研
 日本の近代でもっとも大きいウソの一つに、天皇は平和主義者だったというのがある。
 昭和天皇は戦後、こう語った。
近衛文麿に話して、蒋介石と妥協させる考えだった。これは、満州は田舎なので事件が起こってもたいしたことはないが、天津や北京で事件が起こると、必ず英米の干渉がひどくなり、衝突の恐れがあると思ったからだ。
 このように、昭和天皇が恐れたのはイギリスやアメリカの干渉であって、満州が田舎なら、朝鮮は我が家の裏庭くらいにしか考えず、中国や朝鮮を侵略することには何のためらいもなかったことが、その言動から明らかなのである。
 私も、この指摘にまったく同感です。昭和天皇が根っからの平和主義者だとしたら、太平洋戦争が起きたはずはありません。
 日清戦争の直前、日本軍が朝鮮王宮に攻め入って朝鮮王妃(閔妃)を虐殺した。このとき、日本軍は外部への通報を恐れて、まず王宮の電線を切断した。
 ところが、対外発表では雷雨によって電信線が不通になったなどと嘘をついたのです。そして著者は、日新戦争のとき、日本の軍艦が中国側の目をごまかすために、外国の軍艦旗を掲げて行動したことも、軍部のマル秘戦史に書かれていたことも掘り起こしました。日本の軍艦が、アメリカやイギリスの軍艦旗を掲げて中国領海内に入り、港の状況を偵察していたのです。
 日清戦争の講和会議がなぜ下関で開かれたのかについても解明されています。
 下関の春帆楼に行くと、関門海峡が良く見える。日本軍を乗せた輸送船が続々と戦地に向かう状況を、日本は中国側の全権大使であった李鴻章に見せつけたかったのである。
 盧溝橋事件についても、当時、そこら一帯は日本軍が抑えていた。中国軍に残されていた唯一の出入口は、盧溝橋であり、ここを失うと北平(北京)を中国側は失い、北平を失ったら、華北全体が危うくなると中国側は認識していた。
 その中国軍の目の前で、その抗議を無視して連日、日本軍は夜間演習をしていたのであるから、計画的な挑発であることは間違いなかった。
 これも、現地に行って立ってみないと分からないことである。なるほどですね。
 歴史学は、過去の事実を科学的に分析することによって、現在がどういう時代なのかを、私たちに教えてくれる。絶望したり、あるいは理由もなく楽天的になったりする誤りを正してくれる。すなわち、歴史学とは、私たちの歴史的な生き方の理論なのである。
 歴史の好きな私にとって、大変勉強になりました。
 
(2007年7月刊。2000円+税)

トイレの話をしよう

カテゴリー:社会

著者 ローズ・ジョージ、 出版 NHK出版
 イギリスの若い女性による、トイレに関するまじめな本です。とても勉強になりました。ともかく、毎日お世話になるトイレですが、世界を見渡すと、家にトイレがない家庭のほうが圧倒的に多いのですね。日本のホームレスがなんとかやっていけるのは、日本では公衆トイレがかなりいきわたっているからだとも言われています。世界の都市の大多数が公衆トイレをもっていません。
 これを読んで、20年以上も前にニューヨークに行った時のことを思い出しました。弁護士のツアーで、市内を見学してまわったのですが、現地のツアーコンダクター(若い日本人男性でした)に、手を挙げて「トイレに行きたいんですが……」と言うと、すごい剣幕で怒られてしまいました。「アメリカに来て、トイレがどこにでもあるなんて思わないでください」。うへーっ、そ、そうなんだ……と慌てました。でも、仕方ないですよね、行きたくなったのだから……。ガイド氏は、なんとか近くのビルにトイレを見つけて案内してくれました。そのときトイレに行きたかったのは私だけではなかったようで、何人もの人がトイレにいって利用していました。
 日本なら、トイレはビルのあちこちにあるわけですが、アメリカでは、ビルの中にあるトイレであってもトイレに入るドアには安全上の理由からカギがかかっていることが多いのですよね。日本のように気軽に利用することはできません。
 中国だったか、ヨーロッパだったか、おそらくその両方だったと思いますが、デパートのなかに入ってトイレに行こうとして、なかなか見つからずに焦ったこともありました。日本だったら、トイレはほとんど各階にあり、絵入りの表示・案内があって、すぐに場所がわかります。ところが、デパートのなかのどこにあるのか、さっぱりわかりません。ともかく、日本と違って絶対数が足りないのです。
 トイレから人間の尊厳を回復しようというスローガンが紹介されています。まことにもっともな訴えです。その意味では、日本は世界の最先端を行っているのでしょうね。我が家にもあり、毎日愛用しているウォシュレットです。終わったあと、温水でお尻を洗ってくれる爽快感は何とも言えません。
 日本は、世界でもっとも進歩した驚くようなトイレを製造している。TOTOの総売上高は42億ドル。従業員2万人、国内に7つの工場を持ち、日本のトイレ市場の3分の2を独占している。INAXは市場シェア30%にすぎない。
 ノズルの発射角度がINAXは70度、TOTOは43度。この27度の違いは……。
 ところが、日本の革命が世界には驚くほど広がっていない。なぜか?
地球上の26億人は満足な衛生設備をもたずに暮らしている。下痢が原因で15秒に1人が死亡している。下痢の90%は糞便で汚染された食べ物や飲み物によって引き起こされている。1グラムの便は1000万個のウィルス、100万個のバクテリア、1000の寄生虫、そして100の寄生虫の卵を含有している。
 トイレは人間の寿命を延ばす唯一最大の可能性である。衛生設備の向上は、人類の平均寿命を20年も延ばした。
 人は一生のうち3年間をトイレで過ごす。
 人間は平均で1年間に35キロの便と500リットルの尿を排出する。水洗トイレの水が加わると、総量は1万5000リットルにもなる。
 下水道を詰まらせるのは、レストランから出る油だ。
 インドには40万から120万人のトイレ清掃にあたる人々がいる。ダリットと呼ばれる人々は名前まで差別される。ふつうの名前をつけようものなら、それだけで身のほど知らずとして虐待される。ところが、一方ではダリット出身の裁判官や上院議員もいる。といっても、やはりカースト制は健在で、ダリッドはダリッドとして扱われる。マハトマ・ガンジーはそれを非としてたたかった。自らトイレを掃除する姿を公開したほどだ。
 宇宙飛行士の宇宙船内の糞尿始末記まで紹介されています。トイレの問題は依然として今日の世界における最優先課題の一つだということがよく分かる本です。
 
(2009年9月刊。1800円+税)

中国・文化大革命の大宣伝(上)

カテゴリー:中国

著者 草森 紳一、 出版 芸術新聞社
 すごい本です。上巻だけで600頁近くあります。たまがりました、と書こうとしたらこれは方言でした。辞書を引くと、たまげる(魂消る)とあります。いずれにしても、よくぞこれだけの資料を集めて描いたものだと思います。
私にとって、中国で起きた文化大革命は高校生のころにはじまり、大学生そして弁護士になってしばらくまで続きましたから、大いに関心があり、それなりに関連する本を読んできました。ところが、この本は資料の集め方が半端じゃありません。恐れ入るばかりです。蔵書7万冊だということです。私も蔵書は1万冊くらいにはなるのかなあと思っていますが、数えたことはありませんので、よく分かりません。ただ、私個人のブログに『私の本棚』シリーズで写真付きで蔵書の紹介を始めています。すでに30号以上になるのですが、1回10冊ほどですし、まだまだほんの序の口程度でしかありません。ついでのときに、私のブログものぞいてみてください。
 毛沢東は自己宣伝に天才的才能を発揮した。
 ヒットラーは、オープンカーで全国の都市の中を疾走してみせた。「見たか」「見た」の効果は、「疾走」がポイントである。顔を群集に見せるためにゆっくりではダメなのだ。見えたか見えなかったか分からぬ、この危うさがヒットラー神話を作りだすのに大いに貢献した。同じように天安門上の毛沢東は、豆粒のように見えるところに大きな効果がある。天安門広場を埋める百万の群集に対して、見えたと言えば見え、見えないと言えば見えない。人間の視力では無理である。この無理が「接見効果」なのである。クローズアップはテレビにまかせればいい。テレビの中で動く毛沢東効果よりも、テレビに映る豆粒のような百万の紅衛兵に若者はしびれ、同化する。
 ふむふむ、これって、なんとなく分かりますよね。
 当時、中国の青少年は、子どものときからその頭の中に「毛沢東崇拝」の心がしみこむように絶え間ない洗脳を受けている。途中で権力を把握した劉少奇のグループも、その方針を変えなかった。統治の便法として、毛沢東を崇拝させておいたほうが良いからである。
実際には、紅衛兵の独走も多かった。彼らを操ろうとする江青らの文革小組も、指示どころか彼らの行動の後を追っかけるかたちにしばしば陥り、困惑していたのも事実である。つまり、指示による行動と独断による行動とが、見極めにくかった。独走したとき、宣伝に逆利用もできるが、逆宣伝にもなりうる。逆利用できなければ、後手に回るだけである。
 破壊という自分たちの仕事をしている紅衛兵たちは、とても幸せそうだった。
 造反という文字は従来の伝統的な漢語にはなかった。白話運動がおこってからの中国でつくられた新しい言葉である。有理も同じで、慣用の熟語ではない。このような、分かりにくい耳慣れない言葉は、かえって利用価値が高い。大衆は暴力に弱いからだ。革命とは造反のことである。造反は毛沢東思想の塊である。
 下放は都会青年にとって地獄であり、食糧を配分しなければならない農民にとっては歓迎すべからざる客でしかなかった。そして、下放青年たちは豊作踊りを余儀なくされた。この豊作踊りとは、自給自足が原則の知識青年たちが飢えをしのぐため、生産隊の食糧を盗むこと。いやはや、餓死寸前にまで都市青年は追いやられたのですね……。
 毛沢東の死の直後、その遺体を前にして江青と秘書兼愛人だった王海容が取っ組み合いのケンカをしたことが紹介されています。恐らく本当のことでしょうが、ひどいものです。
 中国の文化大革命の真実は、もっと日本人も知ってもいいように私は思います。
 
(2009年5月刊。3500円+税)

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