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2009年8月 の投稿

デンマークの高齢者が世界一幸せなわけ

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 澤渡夏代ブラント、 出版 大月書店
 日本の団塊世代は700万人。デンマークの総人口はそれより少なくて545万人。デンマークの面積は九州と同じくらい。
 デンマークは、65歳から公的年金を受け取れるが、その前の60~64歳を対象とした準給与制度があるため、早目に退職する人が少なくない。毎年、15万人もの人が65歳を待たずに60~62歳で退職している。
 デンマークでは同じ屋根の下に複数の世代が同居することはまずない。お互いに独立して生活するのが自然だという考えが定着している。
 デンマークには、退職金という制度はない。老後は、それまでの生活レベルを維持できるだけの年金が支払われる。医療費もタダ。
 デンマークの女性の就労率は72%と高い。女性も1983年に納税する義務と権利を得て、経済的自立意識がさらに強まった。
 小学校から大学まで、すべての教育費は公費でまかなわれている。18歳以上で教育を受けている者には、返済義務のない学生援助金という生活費が支給される。デンマークの若者は、自立できる条件がどの国よりも整備されている。
 デンマークの若者は、向学心と適応力さえあれば、親の収入に関係なく、教育を受けることができる。
 デンマークでは、医療は公的医療が支えてくれるので、国民は病気になったときのことを心配して貯蓄しておく必要がない。介護も、ヘルパーや訪問看護が無料で支えてくれる。
 収入源が国民年金だけの高齢者は、自治体に対して暖房費の援助、メガネ、補聴器、薬品への援助ないし無料支給を申し込むことができる。
 デンマークでは、大型老人ホームは禁止されている。1988年の高齢者住宅法は、施設主義を排除した。1人1室、賃貸契約で完全な個人の住居に住む。室内にはトイレ・シャワーが完備されており、共同リビングのドアを開ければ、ケアスタッフがいる。入居のための待機期間は、平均して2か月。デンマークの元首相が、86歳になってプライエム(介護付き住宅)に入ったことが、デンマークの新聞で報道された。それほど、定着している。
 デンマークでは、生活が豊かならばいい仕事につながり、経済もよくなる。日本は、経済が良くなれば人々の生活も豊かになる。
 どちらを選ぶべきでしょうか。政権交代で民主党が政権をとっても、やっぱり経済優先でしょうね。だって民主党も日本経団連にすり寄るばかりで、まともに文句の一つも言えない体質ですから。小選挙区制になった弊害は、日本でも深刻です。やはり、考え方の多様性は国会にも反映すべきです。比例代表制、せめて昔のような中選挙区制にすべきだと私は考えています。
 昨日(10日)午前中にパリから帰ってきました。スイス(サンモリッツ)とイタリア(コモ)で夏休みをとったのです。スイスの森や山は大変よく整備されていて、遊歩道を大勢の人が家族連れで歩いていました。サンモリッツは高地にあり、大きな湖に面した静かな町でとても涼しく気持ちよく過ごすことができました。
 
(2009年3月刊。1700円+税)

御者

カテゴリー:アメリカ

著者 ホルヘ・ブカイ、マルコス・アギニス、 出版 新曜社
 面白い対話集です。アルゼンチンの作家二人が、各地で開いた討論会を編集しています。聴衆参加の対談ライブです。変わった形式ですが、日本ではこんな本はちょっと思いつきません。
 英知とユーモアあふれる対話集とオビに書かれていますが、まさしくそのとおりです。人生とは、いったい何であるのか、さまざまな角度から例証があげられていますが、その大半が爆笑ものです。といっても、笑ってすませるものではありません。腹を抱えて笑いながらも、よくよく考えさせる内容ばかりです。その例証をあげたいところですが、ぜひこの本を読んでみてください。
 ヒトは人間として生まれるのではない。さまざまなプロセスを経て人間になっていくものだ。
 メキシコでは、女性は男性が変わってくれると信じて結婚し、男性は女性が決して変わらないと信じて結婚するといわれている。その、どちらも間違いだ。
 離婚した親を持つ子どもは傷つく。しかし、離婚しないけれど家族という枠の中で不自然な演技をして暮らす両親の下で育った子どもは、神経をすり減らし、不安な気持ちにさせられ、ひどく悪影響を受ける。強い恐怖心、不安、罪悪感、自分に対する怒り、自己信頼の低さ、決断に際する自信の欠如などが生まれる。
 成功者を目ざす人は、フラストレーションに陥らないよう、難易度の低い目標からはじめ、成功体験を積み重ねていくべきだ。
 ヒトを人間にしたのは言語である。言語はたった一つの目的のために出現した。それは他者とのコミュニケーションである。そして、人は何のためにコミュニケーションをとり合うのか。その唯一の理由は愛である。幸せは、人が自分の望んでいる一つひとつのものごとに対して、最善を尽くしていると実感しているときに現れる。人生において何かを試みるとき、極端に常識はずれではない夢を持ち、欲深さからではなく、野心からでもなく、自分の資質の発揮を妨げず、他人と分かち合う可能性を出し惜しみせず、夢を達成しようと、できる限りのことをするような状況に直面している、そんなときに幸せは現れるものである。
 幸せとは歌ではなく、むしろ自分は歌がうたえるという事実を認識することにある。
 探究者の幸せは、道を歩き続けること、日々の暮らしの中で何かを見出そうと試みること、活気溢れる人生を歩き、人生に触れ、そして悩むべきときには悩むことだ。
 油のシミを油で消そう、インクの染みをインクで消そうと考える者は誰もいない。しかし、血の汚れだけは、さらに多くの血によって消し去ろうとする。
 人間は、人間にとっての狼である。人間と比較したら、狼など可愛いもの。なぜなら、狼は敵に傷を負わせたら、そこで戦いを止める。それに引き換え、人間は敵に傷を負わせたとき、相手を殺し、さらし者にするまで戦いを続け、その後、相手の過去さえも中傷する。人間の残酷さは狼を優にしのいでいる。うむむ、なるほど、そうなんですよね。実に鋭い指摘です。
男性も女性も、同じように暴力的であり、また情愛に満ちている。すでに女性の大統領や首相、国務長官も出ている。かといって、それによって世界が目立ってよくなったというわけではない。
 麻薬の依存症に陥ってしまう人には、愛情が不足している。だから、何かに依存することによって、悲しい心の隙間を埋めようとしているのだ。
 大変示唆に富む本でした。『マラーノの武勲』(作品社)の著者のおすすめによって読みましたが、実に示唆に富む良い本に出会うことができました。ありがとうございます。この書評を書き続けている楽しみの一つです。
(2009年6月刊。2800円+税)

家族

カテゴリー:司法

著者 小杉健治、出版社 双葉社
 5月にTBS「月曜ゴールデン」で放映された裁判員裁判をめぐる法廷ミステリー番組のもとになった本です。市民向けの法律講座でこのテレビドラマを上映しました。なかなかよく出来ていて、思わずもらい涙が浮かんだところで打ち切られて解説が始まりました。だから、その結末はどうなったのか気にしていたところ、この原作本に出会ったのでした。
 認知症になった母親が殺され、第一発見者の長男が犯人と疑われて、マスコミ攻勢にさらされます。ところが、真犯人が別にいることが判明し、マスコミは手のひらを返したように昨日まで犯人扱いをしていた長男を悲劇のヒーローに仕立てあげるのです。
 たしかに、マスコミの過熱報道は困ったものですよね。
 裁判員となった市民への悪影響を少しでも少なくするため、弁護人のほうも、従来のようにマスコミ取材拒否一辺倒ではうまくないという議論が大勢を占めつつあります。悩ましいところですが、被告人の利益を第一義に考えると、たしかにマスコミからの取材拒否だけでいいとは思われません。
 この事件を担当する弁護士は裁判員裁判に懐疑的であり、また裁判前整理手続にも疑問をもっていた。裁判官、検察官、弁護人の三者で法廷の争点となるべきことが決められてしまうからだ。ちなみに、この裁判前整理手続には希望したら被告人も参加できます。ですから、「事前に被告人抜きで」と書いてあるところ(60頁)は、不正確な表現です。
 裁判員として選ばれた市民の反応がよく描けています。ヒマをもて余しているような人たちだけで6人の裁判員が占められてしまったら困ります。やはり、多様な市民の生きた感覚を刑事裁判にも反映させようというわけですから、忙しくてたまらないという人にもぜひ登場してもらう必要があります。そのとき、単に忙しいからといって審理があまりに簡単化させられたらうまくありません。
 この本が類書になくて違っているのは、素人の裁判員が証人調べのときなどに積極的に質問をくり出していたことです。
 女性の裁判員が法廷で質問をはじめたところ、裁判官があとで叱ります。
 裁判員の一人が叫びます。「我々を選んだのは、そっちですよ。はじめから法律知識は必要ないと言われているのに、ちょっと質問するとケチをつけられる。あくまで一般の感覚で裁判にのぞんでいるのに・・・」
 裁判員が思うように質問させてもらえないようなら帰ると怒り出すのです。あれあれ、大変なことになったものです。
 なるほど、たしかに、裁判員が、ある意味でトンチンカンな質問をすることは大いにありえます。それを必要ないからと裁判官が制止して切って捨てたりしたら、裁判員裁判はまったくのお飾りとなってしまうでしょうね。難しいところですが。考えるべき点であることは間違いありません。
 なかなかよく出来たドラマだと感心しました。
(2009年5月刊。1600円+税)

縄文の豊かさと限界

カテゴリー:日本史(古代史)

著者 今村啓爾、出版 山川出版社
 青森市の郊外にある三内丸山(さんないまるやま)遺跡を久しぶりに訪れました。佐賀県にある吉野ヶ里遺跡も行くたびに整備がすすんでいて驚かされますが、ここでもエントランスに大きな建物がたっていて、超近代的装いで迎えてくれました。
 三内丸山遺跡は、縄文時代の前期から中期にかけての遺跡である。500以上の住居址、多くの貯蔵穴、2列に並列する墓壙群、直径2メートルもある巨木による掘立柱の建造物が発掘され、一部は見事に復元されている。
 ここでは、人が居住を開始した縄文前期の中頃に森林が焼き払われた形跡がある。次いで、人間が植林したクリ林となって、クリを主とする食料資源が人々の生活を支えた。
 縄文時代の食用植物で今も続いているのは、クリとヤマイモである。
 縄文時代は南北に長い日本列島で1万年以上も続いた。
 縄文時代には、主として鹿と猪を捕獲するため、陥し穴が広く用いられた。動物は燻製にされ、また、塩漬けにもされていた。
 三内丸山遺跡は、直径1メートルのクリの巨木を3本×2列の配置で6本埋め立てたもので、中央広場に繰り返し立てられた。柱根部のみ残っている。物見台なのか、記念物的な列柱が、屋根があったか意見は分かれている。
 三内丸山遺跡に行ったのは、7月12日(日)のことでした。よく晴れていましたが、まだ梅雨は明けていないこともあって、それほど暑くもなく、ヨシキリと思われる小鳥が盛んに鳴いていました。
 復元された巨大な六本柱の構造物は近くによると、ますます圧倒されてしまいます。この構造物に屋根があったのかという議論には決着がついていないそうですが、私はやはり何らかの屋根はあったと思います。
 それにしても見上げると、いかにも高い、巨大な構造物です。昔の人の力を軽視することは許されません。建造に要した膨大な労働力を考えると、やはり何かの宗教的な意味が込められたものであろう。著者はこのように言っています。
 青森市内から空港へ行く途中にありますので、一度ぜひ立ち寄ってみてください。
(2008年9月刊。800円+税)

紫式部日記

カテゴリー:日本史(平安)

著者 山本 淳子、 出版 角川ソフィア文庫
 紫式部が初めて職場に出たとき、誰も声をかけてくれず、仲良くしてくださいと歌を贈ってもはぐらかされる始末。結局、欠勤し、こじれて5か月も引きこもってしまった。
 そこで紫式部は、「ぼけ演技」作戦をとった。どんなことでも、「さあ、知りません」「わたくし、何も存じませんの」という顔をして話をかわしてしまう。
 これで、同僚の紫式部を見る目が変わった。それまで、紫式部って高慢ちきで怖い才女だと思いこんでいたのだと告白し、仲良くなれることができた。
 それから、紫式部は、「おいらか」を自分の本性にしようと決意した。おいらかとは、角を立てない、人当たりの穏やかさのこと。その努力が報われて、やがて主人の彰子(しょうし)にも心を開いてもらえるようになった。
 ふむふむ、これってなんだか、今日の職場における出来事のようですよね。
 上達部(かんだちめ)とは、朝廷につかえてまつりごとにかかわる議事に参加する貴族たち(公卿)のこと。一条天皇の時代には20~30人いた。貴族とは、朝廷から5位以上の位を授けられた高級官僚を言う。100~200人はいた。
道長の孫が誕生したときのお祝いの場で、貴族たちが双六(すごろく)に打ち興じた。その商品は、紙だった。当時、紙は大変な貴重品だった。平安時代、内裏に盗賊が入ることは、数年に一度の頻度であったことが記録上で確認できる。むむむ、宮中の警備って意外にも手薄だったのですね。
 紫式部日記にも、宮中に強盗が入り、2人の女房が身ぐるみ剥がれた事件の発生が書かれている。紫式部は清少納言を、「得意顔でとんでもない人だった」(したり顔にいみじう侍りける人)と非難している。紫式部が彰子に勤め出したのは、清少納言の使えていた定子が亡くなり、宮中を去ってから5年か6年あとのこと。したがって、2人が顔を合わせたはずがない。それでも、紫式部の仕える彰子の前時代、定子(ていし)文化を代表する女房であったから、批判せざるをえなかった。
 彰子の女房である紫式部にとって、『枕草子』は、目の前に立ちふさがる大きな壁だった。紫式部にとって、清少納言と『枕草子』は、度を失わせるほど手ごわい存在だったのである。
 この本は、紫式部は藤原道長の愛人だったという説を打ち消しています。もちろん、真相は分かりませんが、道長からかなり目を掛けられていたことは日記からも裏付けられています。
 水鳥を水の上とやよそに見む われも浮きたる世をすぐしつつ かれもさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど 身はいとくるしかんなりと思ひよそへらる
 言葉は難しくても、昔も今も日本人の気持ちってあまり変わらないものだと改めて思い知らされたことでした。
 
(2009年4月刊。667円+税)

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