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2009年7月 の投稿

「流れる臓器」血液の科学

カテゴリー:人間

著者 中竹 俊彦、 出版 講談社ブルーバック新書
 血液は体外に置くと15分間以内に自然に凝固する。出血を最小限に食い止める防御能力である。
 赤血球には細胞内に核や顆粒がなく、自然に変形することができる。
 血小板は、いち早く損なわれた場所を見つけ出し、多数の血小板が集まってケガの表面を覆って、出血を防ぐ。血液が自然に固まる現象(凝固)と、出血が止まる現象(止血)とは、似ているけれど異なるもの。止血は、血小板の働きによる。凝固とは、血漿に含まれる多くの凝固因子がいくつもの反応段階を滝のように下って進むメカニズムである。
 ヒトの血液量(重さ)は、体重の7.7%。私のように体重が65キロある人間では、5キロもの血液が体内を循環していることになります。重さからすると、最大級の臓器であり、まさに「流れる臓器」といえる。
 心臓は握りこぶしほどの大きさであり、一回の振動で80グラム(ミリットル)の血液を送り出す。コーヒーカップ半分ほどの量である。しかし、これを1分間に72回も繰り返しているから、1時間で5.5リットル、1日にすると8千リットル、つまり8トンにもなる。こんな動きを平均80年間も休みなく続けられるポンプを人間は今も作ることが出来ない。人間の身体中の血液は1分間ですべて入れ替わっている。
 首の長いキリンは、最高血圧は200~300ミリもある。キリンの首の付け根にワンダーネットという血管の塊があり、一時的にそこに血液をためて血圧が高まるのを防いでいる。
 人間は汗をかくことが唯一の積極的な体温冷却法である。そのため、水分が不足した状態が続くと十分に放熱できず、ついには熱射病となって意識を失い、倒れてしまう。
 血液中の脂肪分は、タンパク質のカプセルに入った状態(リポタンパク)で循環しているので、脂肪分のために血液がベタベタになることはない。サラサラとかドロドロとか言う言葉は、広告宣伝のための無理な表現にすぎない。
 健康な血流も、液体として見ると、もともと自力では血管内を流れることのできないほど、ドロリとしている。むしろ、サラサラ流れたら、そっちのほうがよほど不健康な状態である。
 血液型の自己申告は、医療現場ではまったくあてにしていない。
 血液型性格判断は、全くのウソであり、それに科学的な根拠のないことはすでに十二分に明らかになっている。A型とかAB型とかで一喜一憂する必要などないと、つくづく思います。まあ、スナックなどで場を持たせるための話題にはなるのでしょうが。
 コレステロールは、なくてはならない大切な栄養素である。いくつかのホルモンの原料になるし、細胞膜の重要な成分でもある。そして、コレステロール値が低すぎると、うつ病になりやすく、むしろ脳卒中やガンのリスクが増えて死亡率が高くなる傾向にある。実は、先日の人間ドッグでコレステロール値が高いという指摘を受けました。あまり心配ないことのようで、安心しました。
 
(2009年2月刊。820円+税)

手塚先生、締め切り過ぎてます!

カテゴリー:社会

著者 福元 一義、 出版 集英社新書
 手塚治虫は、日本の生んだ偉大な天才の一人です。私も心から尊敬しています。その早過ぎな死を残念に思うばかりです。
 この本は、手塚治虫の担当編集者となり、次いで、なんと同業者(漫画家)、さらに再び手塚治虫のチーフアシスタントを務めたという著者のエッセイを本にしたものです。あの偉大な手塚治虫を身近な存在として感じることができる人です。すごいな、すごい、と、この本を読みながら、何度もうんうんうなずいたことでした。
 まずは、担当編集者時代の苦労話。作家の見張り役兼原稿運び担当。常に編集者がそばにいて監視していないと、手塚治虫は締め切りが競合する他社の原稿を描き出します。油断も隙もあったものじゃない。
 仕事部屋の隣に編集者の部屋をとり、1頁あがるごとに見張りの担当者が交代するという緊迫した状況の中、手塚治虫は2日間の徹夜敢行で8本もの連載原稿を描きあげた。
 手塚治虫のアシスタントは、手が空いた時間に、資料をもとにいろいろな手術シーンの患部を鉛筆で下描きし、ストックしておく。手塚治虫がその中から使えそうな絵を選んで手を加え、作品中に使う。これで、『ブラック・ジャック』の手術シーンで一から資料を調べたり、写真を引き写したりする時間を大幅に短縮することができた。いやあ、そういう手法もつかったのですか。すごいですね。
 手塚治虫には、アシスタントから、その時代の流行や女性の感覚を吸収しようという目的もあったようで、新作が始まるときや新しいキャラクターが出てくるときには、女性アシスタントたちに衣装をデザインをさせてつかうことがあった。
 手塚治虫は道具にこだわっていた。ペン軸は木製で、ペン受けは特注だった。
手塚治虫にとって、漫画の絵は文章の字と同じである。走る、飛ぶ、立つ、座る、泣く、笑う、怒るなど、すべての情報はパターン化されていて、文字と同じように、形でインプットされていた。
 手塚治虫は、死の床で「仕事をさせてくれ」と起き上ろうとした。
 いやはや、すごいものです。あれだけ生命の尊厳を信条としていた手塚治虫なのに、医者の不養生を地で行くような結果となってしまった。悔しいやら、情けないやらの複雑な感情とともに、腹立たしささえ覚えた。これは著者の感慨です。
 手塚治虫は、胃がんにより60歳で亡くなりました。今から20年前の1989年2月9日のことでした。大学のころと違って、あまりマンガを読まない私ですが、手塚治虫だけはかなり読んだものです。本当に惜しい人を早くなくしてしまいました。でも、並みの人の倍どころか10倍以上の仕事はしたのではないでしょうか。
 
(2009年4月刊。700円+税)

メイキング・オブ・ピクサー

カテゴリー:アメリカ

著者 ディヴィッド・A・プライス、 出版 早川書房
 「トイ・ストーリー」、「バグズ・ライフ」、「モンスターズ・インク」、「ファインディング・ニモ」、「Mr.インクレディブル」、「カーズ」、「レミーのおいしいレストラン」、どれも見たいとは思いましたが、見ることのできなかったアニメ映画です。
 この本は、アニメ映画をコンピューターをつかって映像を作り上げていった苦労話が紹介されています。なるほど、そんな苦労があったのか、と理解できました。
 テクスチャ・マッピングをつかって3D物体をコンクリートの画像で包装紙のように包むと、コンクリートのように見せることは出来ても、表面にコンクリートの凹凸の奥行き感はない。物体の表面に3Dテクスチャを張り付けることで、この限界を克服しようとした。そうすると、ざらつき、浮き出し、隆起など、必要な質感を与えることができるはずだった。
 1ピクセルあたりのメモリが多ければ多いほど、画像の各点で選択できる色や階調の数が増える。たった256色では、現実感が出せるはずもない。
 コンピューターで描かれた直線や縁は、ギザギザに見えることが多い。滑らかなはずの線に階段現象が生じる。縁にそって、アリがはっているようにも見える。しかし、1600万色のパレットなら、線を見せたいように見せることができる。
 パーティクル・システムは、数千の粒子を使って、雲を表現する技術で、これを使って火事や煙、水、ホコリといった現象のリアルなアニメーションを作成することが初めて可能となった。
 「ファインディング・ニモ」をつくるとき、技術チームが水中の世界を見事に再現したので、コンピュータ・アニメのテストは現実と見分けがつかないほど。困ったことに、写真のような海の中では、しゃべる魚は浮いてしまった。そこで、ツールを調整して、ハイパー・リアリティに戻した。写真実ではないが、現実感のある、定型化したリアリズムを指す。なるほど、現実を単純に再現するだけでもいけないというわけです。そりゃそうですよね、現実の海中で、魚がしゃべるわけないのですから……。
 写真のようにリアルな描写(写真的リアリズム)よりはるかに意義深かったのは、感情的にリアルな描写(感情的リアリズム)だった。うむむ、なるほど、受け手の感情にしっくりくることが最優先なのですね。
 一番難しかったのは、映画品質の映像を、コンピューターからどうやって映画フィルムに移すか、という問題であった。デジタル映像に、どれだけの解像度があれば観客を満足させられるかさえ、誰にもわからなかった。
 しかしながら、映画は技術の才能だけではダメ。やはり、価値ある映画をつくるためには、映画のストーリー作りを心得たメンバーを加える必要があった。映画では、ストーリーが何より大切。
 映画の完成にあたっては、試写会のときの観客の反応によって結末を変えたりするのですね。初めて知りました。出来上がったものを先行上映するだけだと思っていました。
 
(2009年3月刊。2000円+税)

筆に限りなし

カテゴリー:社会

著者 加藤 仁、 出版 講談社
 城山三郎伝です。まあ、よく調べてあることだと、ついつい感心しました。
 城山三郎が本を執筆していた書斎が資料館が名古屋にあるそうです(双葉館)。子どもの学習机ほどの小さい執筆机と、その周囲に取材メモや手紙類が散らかっています。城山の蔵書は、段ボール箱にして300個分あったそうです。本は1万2000冊。本や雑誌は、地元の文学ボランティアによって今なお分類・整理がすすめられていて、取材ノートやメモ・手紙なども仕分け作業がすすんでいます。毎日、1人か2人は作業しているのですが、まだまだ完成まで相当の時間がかかりそうだということです。
そして、城山三郎が1冊の本を書き上げるまで、大変入念な取材をしていることがよく分かる本でした。
 城山は家族に対して、チラシ1枚だって棄てないように厳命していた。だから、もう、ゴミ屋敷みたいだったと娘は語る。
 城山は戦前は完全な皇国少年であった。しかし、軍隊に入って、その現実をいやというほど知らされた。そして、戦後になって、戦時中の自分自身の精神生活がすべて否定されたことによる虚脱感に浸った。裏切られた皇国少年は、生きる拠りどころを失い、精神の傷痕と思索の混迷に喘ぎ、自分を失いかけた。
 城山は、戦後、今の一橋大学(当時は東京商科大学)に入った。
 城山は専業作家になる前、愛知学芸大学で経済論を教えていた。
 そして、『総会屋錦城』で世に出た。これは、異端の経済小説である。
 城山作品すべてに共通するのは、必ず自分の足で歩いて丹念に調べ執筆していること。調べるという学者の職能を大いに発揮して、インプットが多いほどアウトプットも多いと素朴に信じ、行動した。フットワークありきの小説執筆を皮肉って、城山のことを足軽作家と呼んだ文芸評論家がいた。
 城山は、資料収集から取材・執筆まで、スタッフを使うことなく、なにもかも一人でやってのけるのを原則とした。そのために投じる労力は計り知れず、流行作家のようには原稿の量産がきかない。城山三郎には才能があった。その才能とは、ケタはずれの努力をすることである。
 私が城山三郎の本として読んで記憶に残っているのは、『毎日が日曜日』『素直な戦士たち』などです。企業の内幕ものとして、高杉良の先輩作家というイメージがあります。
 
(2009年3月刊。1800円+税)

追録・蘇った「いつつぼし」記念パーティー

カテゴリー:社会

著者 内田 雅敏・鈴木 茂臣、 出版 れんが書房新社
 愛知県蒲郡市出身の内田雅敏弁護士による『いつつぼし』(昭和28年12月に発行された、当時、蒲郡南部小学校2年生の作文集)の発掘遺文ともいうべき文庫本です。
 ここまでやるか、と感嘆・感動・感銘を受ける追録集でした。私は知りませんでしたが、内田弁護士は、『法曹界の新宿鮫』とも呼ばれているそうです。そういえばそうかな、とつい思わずうなずいてしまったことでした。
 著者は、『乗っ取り弁護士』『敗戦の年に生まれて』など、いくつもの著書を出し、集会で飛びぬけて大きな声を出して周囲を驚かす快男児でもあります。といっても、私よりはいくらか年長です。私とは日弁連憲法委員会の同じメンバーとして、月に一回ほど顔を合わせる仲間です。
 ぶらんこ(2花 松井 延子)
 冬になるとぶらんこは、だれものらなくて、さびしそうにかぜにゆら、ゆらゆれています。かぜとなにか話しているよう、かぜも、ぶらんこもさびしそうだ。
 お正月(2花 井上 稔)
 お正月、まちどおしいな。マラソンで早くとんでこい。いいにおいするげたはいて、母ちゃんといなかのじいちゃんのとこへ、おきゃくにいくんだ。
 うーん、どちらもいい詩ですね。子どもの素直な心がそのままにじみ出ていますよね。
 昨年6月に開かれた同窓会のときには、当時の5人の担任のうち、女性3人が全員出席されたとのことです。残念なことに、男2人の先生は亡くなっていました。残念ですね。
 戦後の厳しい世の中を生き抜いてきた内田弁護士たちが、戦争だけは起こしてはならないという、担任だった鈴木久子先生の思いをしっかり受けとめていることもよく分かる本でした。内田弁護士の、今後ますますの健闘を期待します。
 
先日、仏検(1級)のみじめな結果をご報告しましたが、少し補足します。合格点は84点でしたから、その半分しか取れなかった。逆に言うと、2倍の努力をしないと合格できないということです。そして、合格率は10.8%でした。
(2009年6月刊。500円+税)

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