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2009年7月 の投稿

「稼げる」弁護士になる方法

カテゴリー:司法

著者 鳥飼 重和、 出版 すばる舎リンゲージ
 タイトルからは、なんだかエゲツない稼ぎ方のノウハウでも書かれているのかと勘ぐってしまいますが、実際に読んでみると、きわめてまともなことが淡々と書かれています。
 これで、オビにあるように「今の年収を10倍にするのは容易」と言われると、私には、その気がありませんが、ええっ、そ、そうなの…と、腰が引けてしまいます。
 著者は、独立して3年目で年収が1億円の大台に乗り、6年目で年収から経費を差し引いた所得も1億円を超えたそうです。東京で、これだけのことを実現したというのは、やはり、すごいことだと田舎の弁護士として思います。日経新聞の弁護士ランキングに4年連続で登場し、今や所属弁護士が27人もいる東京の法律事務所の所長というのですから、たいしたものです。
 そんな著者は、なんと私と同世代、つまり団塊の世代でした。なんだか、私と雲泥の差がありそうです。ところが、そんな著者なのに弁護士になるのに時間がかかり、落ちこぼれだったといいます。司法試験に通算18連敗。合格したのは39歳のとき。これまた、すごい記録です。
 新しい分野を開拓していけば、仕事はたくさんある。現状を振りと考えるか、チャンスと考えるか、その違いは大きい。
 人の悩みを解決して、なおかつ自分も元気になれる。こんなにすばらしい仕事はなかなかない。いくらお金になる仕事であっても、社会の役にたち、しかも社会から評価されなければ意味がない。弁護士は、やりがいのある仕事だ。
 知恵と信用。この2つが弁護士の最大経営資源である。
 よい仕事をして、社会に貢献できれば、お金があとからついてくる、はじめからお金を追い求めるのは、本末転倒だ。
 タイトルにある「稼げる」ことは、あくまでも結果であって、理想や目的ではない。弁護士の仕事の理想は、社会の役に立つこと、困っているひとを助けること、つまり、社会正義の実現にある。この理想を追求していくと、自然にお金が付いてきて、稼げる弁護士になる。
 弁護士のつとめは依頼者と一緒に悩むことではなく、その悩みを解決すること。そのため常に冷静な目で問題に取り組む必要がある。
 1週間に1度、頭をリセットする時間を持つ方が良い。頭の中を真っ白にすると、新たな活力がみなぎってくる。遊ぶときは、仕事を忘れて、頭の中を真っ白にする。すると、ストレスが発散して、元気な自分が戻ってくる。
 なかなかいいことが書いてあります。これで年収が10倍になるとは思えませんが、前向きになるのは間違いないと、私も思います。その意味で、若手弁護士だけでなく、弁護士以外の人が読んでも面白く役に立つ本です。
 
(2009年4月刊。1500円+税)

ビジネスで失敗する人の10の法則

カテゴリー:社会

著者 ドナルド・R・キーオ、 出版 日本経済新聞出版社
 コカ・コーラの元社長によるビジネス本です。さすがに鋭い指摘がなされていました。
 会社というのは人間が考えた概念にすぎない。会社が何かに失敗するということは、実際にはない。失敗するのは個人だ。なーるほど、ですね。
 失敗したいなら、柔軟性を否定すべきだ。しかし、柔軟性それ自体に価値があるわけではない。柔軟性と適応力は、企業の指導者に不可欠な資質であり、管理能力や業務の能力、技術力といった個々の能力を超えるものである。
 いまは情報の時代だと言われている。しかし、これは正しくない。情報の時代ではない。データの時代なのだ。データは無限に入ってくる。なるほど、そう、そうなんですよね。
データ中毒になって、未処理のまま洪水のように流れ込んでくるデータに忙殺され、考える時間が取れなくなっている。受信箱ショックと呼ばれる状態になっている。つまり、入ってくるデータが多すぎて、処理しきれなくなっている。
 凡人にとっては、情報通信技術のために、ムダな時間を省いて、今やっていることに集中し、じっくりと考えるどころか、時間が圧縮されて、ストレスがたまるようになっている。
 データはいくら集めても、多すぎるということはありえない。これは間違いなのだ。
 うーん、そうなんですよね。でも、データに振り回されないようにするというのは、実のところ、かなり難しいんです。
 成功をおさめている人はみな、自分の仕事に愛情をもっていて、きわめて熱心に取り組んでいる。どんな職業であっても、みな自分の仕事に心から熱意を燃やしている。少し度が過ぎるのではないかと思えるほど、夢中になっている。
 ふむふむ、これもぴったりくる指摘ですね。なるほど、なるほど、と思います。
 リスクをとるのをやめ、柔軟性をなくし、部下を遠ざけ、自分は無謬だと考え、反則すれすれのところで戦い、考えるのに時間を使わず、外部の専門家を全面的に信頼し、官僚組織を愛し、一貫性のないメッセージを送り、将来を恐れていれば、必ず失敗する。
 そうなんですね。よーく分かりました。
(2009年5月刊。1600円+税)

寡黙なる巨人

カテゴリー:社会

著者 多田 富雄、 出版 集英社
 2001年5月2日、67歳の著者は、突然、脳梗塞に倒れた。右側の重度の片麻痺、舌や喉の麻痺による摂食障害が残った。眠っている間に、麻痺のために舌が喉に落ち込んでしまうので、常に電動ベッドの背を45度に上げていなくてはいけない。しかも、水が一滴も飲めない。むせてしまう。唾を飲み込むこともできない。嘔吐反応まで消失していた。
 舌がまったく動かないから、話すこともできない。
 鏡を見ると、歪んだ表情の老人の顔が映っている。右半分は死人のように無表情で、左半分は歪んで下品に引きつれている。顔はだらしなく涎をたらし、苦しげにあえいでいる。とても自分の顔とは思われない。
 リハビリで受ける発声の訓練は、身体にこたえる。発声は全身の運動なのである。ところが、身体が、声を出す筋肉運動の仕方を忘れてしまっていた。うひゃあ、そういうことなんですか……。
 受けてみて、リハビリは科学であることを理解した。実際の経験によって作り出され、その積み重ねの上に理論を構築した、貴重な医学である。
 そして、歩くというのは、人間であることの条件なのである。歩くという何気ない作業が、実は複雑な手続きで行われていることを初めて知った。
 立ち上がるだけでも、脚のたくさんの筋肉のみならず、重心をとり、平衡感覚を全身の筋に覚えさせる大変な学習を要する。随意運動を指令するのは大脳だが、脳梗塞は、その指令を出す大脳皮質の運動野が障害されることが多い。
 小泉改革は、障害者にとって必要不可欠のリハビリを無情にも最長180日に2006年から制限しはじめた。改革の名を借りた医療の制限である。
 著者は、小泉改革を厳しく糾弾しています。まったく同感です。自民党の弱い者いじめの典型が、このリハビリ一律制限です。とんでもない悪法です。いま、消費税を5%から12%に上げようという動きがありますが、その口実にまたもや福祉予算の充実がつかわれています。とんでもないごまかしです。
 この本で救いなのは、著者が重度の障害を持ちながらもリハビリに励んで、本を出版するまでに回復できたということです。並々ならぬ決意と努力のたまものと思います。引き続き健康に留意され、体験をふまえて現行医療制度の改善のための告発を続けてください。 
(2009年2月刊。1600円+税

手のひらのメモ

カテゴリー:司法

著者 夏樹 静子、 出版 文芸春秋
 この人の本は、いつ読んでも自然に無理なくすっと頭に入ってきます。うまいですね、筋の運びに不自然さがありません。日常のごくあたりまえの生活感覚にもとづいていますので、安心して筋を追うことができます。
 裁判員裁判に補充員として呼び出された主婦の「体験」が本になっています。もちろん、裁判員裁判は制度としては始まりましたが、実際の裁判は8月から9月にかけてスタートすることになります。
 福岡でも、9月から始まると聞いています。私も、ぜひ法廷で裁判員に向かって弁論してみたいと考えています。若い弁護士に負けないよう頑張るつもりです。でも、ちょっぴり心配ですので、若手と一緒にやるつもりです……。
 事件の罪名は保護責任者遺棄致死罪です。夫を亡くしたキャリアウーマンの女性が、ぜんそくの持病をもつ長男(6歳)を自宅において出かけて仕事をしていたところ、長男がぜんそく発作のために死亡していた。女性は仕事先からすぐに帰って医師に診てもらうべきであったのに放置していた、という事案です。
 弁護人は無罪を主張しています。当初、3日間の予定で始まったのに、予期せぬ目撃者が現れ、新しい証人として採用されたため、1日延びて4日間になります。そこで、延長出来ないという人の代わりに主人公が裁判員になるのです。
 法廷での証言のあと、評議が始まります。それは、毎日の裁判の終了時、休み時間にちょくちょくあり、そして、証人調べの終了後にまとまって議論します。
 主人公は、検察官と弁護人のそれぞれの主張を聞いて心が揺れ動きます。自分の体験を踏まえて考えようとするのですが、なかなか難しいのです。
 たとえば、弁護人は次のように主張しました。
「検事調書のなかで、被告人が『ご想像にお任せします』と答えていることを、検事はあたかも被告人が愛人との情交を認めた証拠のように述べた。しかし、検事の取り調べは、被疑者から望み通りの答えを引き出すまで、繰り返し執拗に問い続けるもの。被告人はついに根負けして、想像に任せると答えてしまった。ところが、検事の調書の中では、自分から答えたような形になってしまっている。このように、検事の調書とは、被疑者が自分で書くものではなく、検事が書いて読み聞かせるものであるということを、ぜひ覚えておいていただきたい」
 これは、本当にそのとおりなのですが、実際にはなかなか普通の市民に分かってもらえないところです。やっていない者がウソの自白なんてするはずがない。本当はやったから自白したのだろうという決めつけがなされます。
 裁判官は、評議にあたって次のように切り出しました。
「これからの評議では、まず検事の論告を検討の対象に据える。それに対して、弁護人の弁論をぶつけてみる。論告が証拠で裏付けられていれば、揺らぐことはないはずだ。論告が弁論によってぐらつくかどうか、意見を出し合って、一つ一つ論告を検証していきたい。
 論告が弁論によってもぐらつかなければ、被告は有罪。犯罪の重要な部分でぐらつけば無罪となる」
 ふむふむ、なるほど、そのとおりです。
「評議では乗り降り自由。一度、自分の意見を出しても、他の人の意見を聞いて、そちらのほうが正しいと判断したら、そちらに乗り換えてかまわない。いったん口に出した意見は変えられないということはない。自由に思ったことを言い合いたい。裁判官もあとで遠慮なく議論に参加していきたい」
 実際には、この本のようにうまく議論がかみあって進行するのか、心配なところもありますが、そこは、それこそ民主主義にとって大切な寛容の精神で臨みたいものです。
 なお、この本は福岡県弁護士会の船木誠一郎弁護士も監修しています。船木弁護士は、私の尊敬する刑事弁護の第一人者です。
 
(2009年5月刊。1524円+税)

懐旧九十年

カテゴリー:社会

著者 庭山 慶一朗、 出版 毎日新聞社
 驚嘆しました。よくぞここまで覚えているものです。1917年生まれですから、92歳です。昨年91歳のときに出版されています。それなりに裏付け調査もされたのでしょうが、基本は記憶力の良さではないかと推察しました。
 著者は、住専問題が騒がれたとき、悪の権化のようにマスコミから叩かれました。私も名前だけは知っていました。そのバッシングに耐え、道義的責任から私財1億2000万円を拠出しています。そのあたりになると、著者の筆は弁明に走るどころではありません。怒りに震えて糾弾しています。その激しさには耳を傾けるべきところがあると思わされます。
 著者の父親は、大阪画壇で活躍した日本画家の庭山耕園という人です。申し訳ありませんが、私の知らない人です。花鳥画では有名な人のようです。私も知る竹内梄鳳という画家と並んでいたというのですから、すごい人なんですね。庭山画塾(椿花社)を主宰していたとのことです。
 著者自身は広島で原爆被害にあって命拾いしていますが、3人の弟を戦死させています。ですから、毎年、3月15日に靖国神社に参拝しているそうですが、戦犯を拝んでいるわけではありません。著者は、自分が徴兵されて戦死するのは困る。徴兵を遁れるのにはどうしたらよいかと考えていたと言います。すごいですね。
 著者の小・中・高の生活ぶりが克明に語られています。よくぞここまで覚えているものだと感嘆しました。
 高校生のとき、満州事変が起きて日本軍が破竹の勢いで進軍していたころ、著者は今は勝っているが、万一敗れて敵が日本に上陸してきたら、島国だし、どうしたらよいか心配していたとのこと。うへーっ、そ、そんな心配をしていた高校生がいたのですか。軍国少年ばかりではなかったのですね。
 かといって、著者はマルクス主義には初めから近づいていません。むしろ、反共です。末弘厳太郎に著者は私淑していたようです。末弘厳太郎は、セツルメントにも関わっていましたし、社会に目を見開いていましたので、反共の著者が学生として心が惹かれたというのには、やや意外な感があります。
 著者が東大法学部を卒業した時の成績は、優17、良3、可1というものでした。すごいです。私など、優はわずか1コだけという低飛行の成績でした。
 大蔵省に入り、主税局に配属されますが、昭和19年5月、召集令状がきて、呉の海兵団に入営します。ところが、裏から手が回って、やがて召集解除になるのです。しかし、再び広島に赴任します。そこで原爆にあったのでした。
 妻とともに庭に出て引っ越しのための荷造りを汗だくでやっていた。一服して、ふと頭をあげて上空を眺めると、真っ青に晴れた青空に銀色に光る球体が数個浮かんでいるのが見えた。爆発寸前のリトル・ボーイ(原爆)を目撃したというわけです。それでも90歳まで元気に長生きできたのですから、よほど運のいい人なんですね。
 広島の原爆記念日に「過ちは繰り返しません」というのは、主語がないから意味不明。すべからく消去すべきだと著者は指摘しています。同感です。
池田勇人その他の著名人との交友が次々に紹介されています。
 公共事業という「美名」をつかって国土を破壊することは許されない。行政指導に深入りして銀行と癒着している銀行局のやり方を常に厳しく批判していた。叙勲制度を批判していたから、断った。人間の格付けは受けたくないからである。なるほど、なるほどです。
 大蔵省を26年間つとめて辞めたとき、まだ50歳だった。そこで、日本住宅金融株式会社の社長になった。三和銀行のお誘いに乗った。これは世間でいう大蔵省の「天下り」ではない。そして、20年のあいだ社長を務めた。そこでは、保証人を取らない住宅ローンを始めて、大当たりした。
株主総会では、「いかがわしい慣習」を徹底的に排除した。日本のほとんどの会社がいかがわしい慣習に従っているのは、自らいかがわしいことをしているからである。
 著者は、「私を人身御供にした当時の橋本龍太郎首相以下の政府関係者、中坊公平弁護士以下の集団、学者、評論家、マスコミを許さない」としています。「住専」問題は、むしろ政府とりわけ大蔵省の財政金融政策の失敗によるものだということです。
 ここらあたりになると、著者の怒りが先に立って、全体像が見えにくいという恨みはありますが、それだけに考え直して見るべきものがあることはよく伝わってきます。
 この本は、著者の長男の庭山正一郎弁護士より贈られてきたものです。庭山弁護士は日弁連憲法委員会でご一緒させていただいていますが、その高い識見・能力にいつも敬服しています。500頁もの厚さの本ですが、感心、感嘆、感服しながら最後まで読みすすめました。
(2009年2月刊。1600円+税)

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