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2009年3月 の投稿

アメリカ人が見た裁判員制度

カテゴリー:司法

著者 コリン・P・A・ジョーンズ、 出版 平凡社新書
 陪審制度と裁判員制度を一緒にするのは、陪審制度に対していささか「失礼」なことだ。陪審制度は、個人を公権力から守る最後の砦である。これに対して、裁判員制度は裁判官と国民が一緒になって悪い人のお仕置きをどうするか決めるための制度でしかない。
 ううむ、なるほど、そういう見方もあるのですか……。この本は日本の大学で教えているアメリカ人弁護士の書いた本です。
 日本の法律は、まず、お役所のためにある。アメリカ的考えによると、法律とは市民による市民のためのルールである。このルールにのっとって行動している限り、公権力の介入は受けないし、公権力が介入してきても、そのためのルールに従わなければならない。
 ところが、日本の法律は、まずは国民を公権力に屈服させるためにある。ふむふむ、なかなかに鋭い指摘です。
裁判官は事実を科学的に検証して究明するようなトレーニングは受けていない。重大なことは専門家に任せようという考えには、民主主義の終焉が内在している。
 陪審は、評決にあたって理由を示す必要はなく、評決の内容について責任を取らされることもない。この原則は、陪審にすごいパワーを与えている。それは、法律を無視するパワーだ。うーん、ズバリ、こう言われると、考えさせられます。
 裁判員制度についてのPRパンフレットには、裁判員があたかも裁判の「主役」であるかのように書かれている。しかし、実のところ与えられている権限や決定プロセスにおける影響力の度合からすると、裁判員は裁判官に服従する「脇役」になることしか期待されていない。
 裁判員裁判ははたして誰のためのものなのか? その答えは、裁判官のための制度である、ということになる。いま出来上がった裁判員裁判は、裁判官にとってかなり有利なものである。
 なぜなら、裁判員制度は、裁判に対する批判をなくすためにあるから。司法制度に対する批判回避が裁判員制度の一つの目論見である。裁判員制度は、司法が国民の威を最大限に借りながら、最小限の影響力しか国民に付与しない制度である。今までにあった司法制度への批判を排除しながら、今までどおりの裁判の「正しい」結果、つまり警察が逮捕して取り調べ、検察が確信を持って起訴した被告人が何らかの罰を受ける結果、を実現するための制度である。
 しかし、このように言ったからと言って、著者が裁判員制度に反対しているのではありません。むしろ、逆に、うまく機能してほしい、日本における国民の司法参加がシンボリックなものに終わらなければよいと考えているのです。
 法曹の中で、裁判員制度の行方について一番の決め手になるのは弁護士だろう。
 日本では、いったんお役所を敵に回せば、アメリカより怖い。それも、お役所が「悪い」からではなく、99%善意と良識のある人たちが「正しいこと」をやっているつもりだからこそ怖いのだ。
 うむむ、この本には日本の弁護士として耳の痛いことが満載です。でも、いよいよ5月から始まる裁判員制度について、単に「ぶっつぶせ」などと叫んでいるだけでなく、被告人との十分なコミュニケーションをとって、裁判員裁判の法廷で市民を強く惹きつける弁論をやりきらなければならない時代が到来したのです。すごく胸のワクワクしてくる時代に、いま、私たちは生きています。そう考えると、この世の中にも楽しいことがたくさんあることに気づかされます。
あさ、雨戸を開けると、ウグイスのさわやかな鳴き声がすぐ近くに聞こえます。軽やかな澄んだ声に春を感じます。黄水仙が庭のあちこちに鮮やかな黄色の花を咲かして眼が現れる思いです。
 隣家のハクモクレンが今を盛りにたくさんの純白の花を咲かせていて、あれ、これってどこかで似た光景を見たぞ、と思いました。そうです。ベルサイユ宮殿の鏡の間のシャンデリアをちょうどさかさまにしたような、あでやかさです。花にはいろんなものを連想させ、思い出させてくれる楽しみもあります。
(2008年11月刊。720円+税)

人を殺すとはどういうことか

カテゴリー:司法

著者 美達 大和、 出版 新潮社 
 大変重たいテーマを真正面から考えようとしている本です。いろいろ考えさせられました。
 著者は、2件の殺人を犯し(2人の男性を殺害した)、無期懲役刑に処せられ、長期LB級刑務所に収容されています。むしろ本人は死刑を望んでいたので、刑務所から出たいという希望は持っていないといいます。暴力団にも入った人間ではありますが、幼いころから大変賢くて、父親から将来を大いに嘱望されていたようです。この本に書かれている文章も理路整然としており、いかにも知的で、すごいなあという感想をもちました。
 長期刑務所というのは、残刑期が8年以上ある者が服役する刑務所のこと。罪が重く犯罪傾向がすすんでいるものはB級刑務所に収容されるが、そのなかでも長期の期間となるものを収容するものはLB級と呼ばれる。Lはロングのこと。LB級の刑務所は全国に5か所しかない。
 著者は、昭和34年生まれ。在日1世の父と日本人の母の間の一人っ子として、大事に育てられました。金融業を営んでいた父親は裕福であり、自宅には高級外車があり、小学校送迎用のキャデラックまで専属運転手がついていたそうです。そして、小学校時代からずっと成績優秀だったのです。ところが、高校を中退してから、営業関係の仕事をするようになり、21歳のときに金融業を始めました。
32歳で逮捕されるまで、著者は月に単行本を100~200冊、週刊誌を20誌、月刊誌を60~80誌も読んでいたそうです。いやあ、これには、さすがの私もまいりましたね。私も多読乱読ではちょっとひけをとらないと自負しているのですが、単行本は最高時で年に700冊、今は500冊程度ですし、週刊誌はゼロ、月刊誌となると10冊以下だと思います。やはり、上には上がいるものです。
 著者は、自分には男らしさが欠けていたことに法廷で初めて思い至ったのでした。
男らしさというのは、広い心で相手を思いやることや相手の立場や事情、権利を尊重し守るという寛大な精神と温かさが不可欠だった。
 受刑者が集まる場では、反省や悔いについて語るのは、自分をよく見せようとしているやつだ、おかしなやつだ、変人だ、というような空気がある。
 ううむ、なるほど、これではいかんな、いけないぞ、これって……、と思いました。そんな価値観を逆転してもらわないといけませんよね。
 人の生命を奪うということは、生命だけでなく、過去の記憶や未来の希望もすべて破壊しつくすということである。獄という字は、獣や犬がものを言うと書くが、実際に刑務所内に生活してみると、まさにそのとおりであった。正常な感覚を持っている人間は本当に少ない。
 前非を悔い、真っ当に生きようと模索している収容者は、ほんのわずかしかいない。残る大半は、自分の愚行にも人生にも一切の責任を見出すことなく、自分の生まれてきた幸運や運命に対して目を閉ざしたままである。終生、犯罪者として愧(は)じることもなく、社会に寄生していくことを受け入れている。
 受刑者には、もっと悔いたり反省したりしている人がいるだろうと思っていたが、実際に刑務所に入ってみると、そんな考えはまったく吹き飛ばされてしまった。
 受刑者は感情を失ったように無感動だったり、共感性がなかったりする人が大半である。大半の殺人犯は、ふだんはおとなしいが、倫理観については見事なほど欠落している。初めからない人、服役するうちに消えた人、悪い仲間に流され失った人、怒りの情動でそのときのみ喪失した人とさまざまだが、元来ないか、それに等しい状態である。
 LB級刑務所は、教育をまったく受け入れる余地のない受刑者がほとんどで、懲罰という意義も弱くなり、悪党ランドになっている。
 ここでは犯罪行為について雑多な情報が交換され、受刑者はいながらにして犯罪力の強化に努められる。正常な人がここでは異常とみなされ、良い子ぶりやがってと批判されるような大変なところである。
 うひゃあ、これはすごいですね。これが本当の実情だとしたら、刑務所の矯正教育なんて、まったく絵空事でしかありません。これって、昔から変わらないのでしょうか……。
 刑務所のなかの状況を改めて考えさせられる真面目な本でした。
 先日、仏検(準一級)に久しぶりに合格したことを報告しました。同じ封筒に口頭試問の結果(点数)が入っているのを見つけました。合格基準22点のところ、得点25点でした。やれやれ、です。いま『カルメン』を毎朝聴いています。カルメンとホセの恋物語をフランス語で聴いて、書いています。頭の中が若返ります。
(2009年2月刊。1400円+税)

原の辻遺跡

カテゴリー:日本史(古代史)

著者 宮崎 貴夫、 出版 同成社
 壱岐島へ行ったら、ぜひ原の辻遺跡にも行ってみてください。一見の価値はあります。吉野ヶ里遺跡ほどのすごさはありませんが、古代日本が朝鮮半島そして中国と密接なつながりを持っていたことを実感させてくれる遺跡です。今では、立派な博物館もすぐ近くに併設されていて、解説によってさらに理解できます。
 原の辻遺跡は、「一支国(いきこく)」の中心となる王都であることが今では確定している。「一支国」は、3世紀の中国の正史「三国志」魏書東夷伝倭人の条。いわゆる『魏志倭人伝』に登場している国の一つである。「官を卑狗(ひこ)と言い、副を卑奴母離(ひなもり)という」「3千ばかりの家」があるとされている。他の国が「戸」という世帯数で表されているのに、一支国と不弥国のみ「家」というあいまいな表現になっている。これは、島民の航海のための長期にわたる海外出張や、大陸や本土からやってくる交易のための渡航者が多いため、人数が確定しにくく、魏の使者から人口を問われて、あいまいに答えたことによると考えられている。
 うへーっ、そんな違いがありうるのですか……。
 遺跡から、ココヤシ製笛、青銅製ヤリガンナ、権(はかり。チキリのこと)が出土した。環濠に棄てられた人骨は、男と女、子どもも含んでおり、北部弥生人や西北九州弥生人タイプも認められた。そして、人骨には関節がついた状態や刃物の痕跡も認められた。
 4世紀の壱岐をめぐる情勢は、高句麗が313年に楽浪郡を、314年に帯方郡を滅ぼし、315年に玄蒐城を攻破している。原の辻遺跡は、中国との対外交渉の場所である楽浪郡・帯方郡との足がかりを失ったことが決定的な打撃となった。また、日本列島のほうでは、中国の魏と西晋を後ろ盾とした「邪馬台国連合体制」から「ヤマト政権」への再編がすすんでいた。そのなかで原の辻遺跡の存立基盤が失われていた。
原の辻遺跡には、船着場跡がある。これは、日本最古であり、東アジアにおけるもっとも古い船着場跡でもある。原の辻遺跡には、楽浪系土器、三翼鏃(やじり)、五鎌銭(前漢)などの中国系文物も出土している。韓人、倭人のほか、楽浪漢人も訪れ、交易をしていたことが分かる。
 王奔の「新」14年に作られた「貨泉」も出土している。
 原の辻遺跡は、まだ10%が発掘されたにすぎないそうです。だったら、これからの発掘調査の進展が楽しみですね。
 現場は、だだっぴろい平野地帯です。人家もあまりありませんので、これからも続々すごい遺物が出てくるのではないでしょうか。大いに期待しています。
 土曜美に大分に行ってきました。夜、フグをしっかり賞味しました。いやあ、美味しかったです。フグ肝がこんなに素晴らしい味だとは思いませんでした。いえフグ肝を初めて食べたのではありません。とにかく形は大きいし、その柔らかさといい、とろけるほどの舌触りで、なんとも言えない絶品です。私の前にいた大分の弁護士は、だけどこれを食べ過ぎると痛風になってしまうんだよね、と言いつつ食していました。
 フグ刺しも身が厚くて、ネギを巻いて堪能しました。あっ、フグの唐揚げも絶妙な味でしたよ。それに、あのヒレ酒が出てきたのですが、これがまたなんとも言えぬほどのまろやかな味わいで、ついついおかわりを所望したくなるほどでした。ごちそうさま。
(2008年11月刊。1800円+税)

若者の労働と生活世界

カテゴリー:社会

著者 本田 由紀、 出版 大月書店
 非典型雇用ないし失業や無業の状態にある若者は3人に1人に達している。非典型雇用の規模は、他の先進諸国と比較しても相当に大きい。
 しかも、典型雇用と非典型雇用のあいだの賃金格差が他の先進諸国と比べても著しく、また『典型雇用への参入』が新規学卒時に限定されがちであることから、いったん非典型雇用・失業・無業の状態に陥った若者は、ほぼ永続的に困窮状態に置かれる確率が高くなっている。
 なぜ若者が自らフリーターや無業の状態を選び取っていくのか?
 その答えの一つは、若者たちが生きる文化に見出すことが出来る。中学時代の友人関係をベースにした場所・時間・金銭の共有を重視する文化的態度(地元つながり文化)の存在こそが、現在の状態を積極的に選び取る背景となっている。
 コンビニ店の売り上げは、1992年をピークとして、対前年比マイナス傾向にある。セブン・イレブンの加盟店の平均日収は1992年の68万2000円をピークとして、2005年の
62万7000円というように低下傾向にある。
 高齢者介護の現場にあっては、気がきくことが良い介護とは限らない。利用者の考えることに気づき、先回りして次々と用事を済ませてしまう。これは、利用者の「主体性」を奪うことでもある。そうではなく、介助者はあくまで利用者の「手足」でさえあればよい。
 うーん、これは難しいことですね……。
 現在の生徒には、自己肯定感が欠如している。生徒一人ひとりが自分を価値ある者にする。世の中に役立つ、自分はこれでいいんだという自信、その自己肯定感が発達させられていないことがあまりにも多い。自己肯定感を通じて社会に飛び込んでいける存在として、生徒を育てることが現在の学校に求められているものだ。
 大学入試と違って、就職採用という選抜システムは騙し合いである。うひょーっ、そ、そうなんでしょうか……。
 過食症が増加している。10年間で5倍にも増加した。過食症は女子中学生の300人に1人、女子高校生の50人に1人、女子大学生の50人に1人と推定される。一般の人が無理したところで食べきれないほどの量を食べる。過度な減量の反動としての過食である。
 身体に食べ物が入っていない状態が基本になっている。過食症者は過食をしていないときには、食事をほとんどとっていない。
 多くの過食症者は、過去にダイエットに成功している。意思の力で食欲を抑えることのできた経験があるからこそ、その後、過食症者は過食を身体的な問題ではなく、精神力や意思の弱さの現われとして受け止める。
 だから、その克服にあたっては「頑張らないこと」の重要性が指摘されている。接触層会社は、自分をコントロールしようとしすぎることで、摂食障害という状況に陥っている。
 摂食障害者は、ダイエットを継続する過程で、痩せている自分には価値があるが、痩せていない自分には価値がないと感じるようになっていく。それとともに、過食や嘔吐を繰り返すなかで、自分はだめだという気持ちを募らせていく。摂食障害の状況が自己否定を生み、自己否定が強くなるからこそ、なおさらに痩せることに固執するという悪循環がある。
 過食を治すために行うものに、食事を抜かず、規則正しく一定量を食べるという食事訓練がある。拒食症や過食症の人にとって、吐かずに普通に食べること、食事の量を増やしていくことは、非常に難しいことである。
 貧困を、経済的貧困、つまりお金がなく貧乏なこと、と素朴に考えている限り、「意欲の貧困」は貧困概念の中に自らの位置を持たず、常に自己責任論の餌食になるほかない。したがって、貧困とは「意欲の貧困」を含むものだと貧困論を構成する必要がある。非根を経済的生活困窮状態(所得や貯蓄)の問題に還元すべきではない。
 「意欲の貧困」とは、自分の限界まで意欲を振り絞ったとしても、それが多くの人たちが思い描く「当然ここまでは出せるはず」という領域にまで到達できない、という事態である。
 「意欲の貧困」は、もはや自己責任論の彼岸にある。そして、自己責任論は、つきつめれば死の容認へと至る。しかし、それは、「社会」という存在の自己否定である。
 現代日本における若者たちの置かれている状況について、現実をふまえて理論的にも深めることのできた本でした。
(2008年6月刊。2400円+税)

現代アメリカ選挙の集票過程

カテゴリー:アメリカ

著者 渡辺 将人、 出版 日本評論社
 危機的状況にあるアメリカの建て直しを期待されて登場したオバマ大統領ですが、いろいろと難航して大変なようです。それにしても、日本がいつまでもアメリカ頼みというのは情けない話ですよね。もう少し対等な立場で交渉できるようになりたいものです。首都にアメリカの広大な基地があったり、何千億円もアメリカ軍人のために「贈与」したあげく、日本人女性がアメリカ兵から暴行され続けて、ろくに裁判にかけることも出来ないなんて、まさに屈辱的な状況が続いています。クリントン国務長官が日本にやってきて、アメリカ軍基地をグアムに移転するとき、日本は6000億円を負担することが正式に決まりました。大変な税金の無駄遣いです。例の中川前大臣の国辱もののふるまいの陰に埋もれてしまいました……。早く転換したいものです。
 この本は、アメリカの大統領選挙の実情をつぶさに紹介していて、大変勉強になりました。
 アウトリーチとは、外側の対象に向けて手を差し伸べていくという意味。選挙アウトリーチは、選挙戦の特定の局面に限定されるものではない。現職候補の日常の政治活動から始まり、キャンペーンでは「空中戦」と呼ばれるメディア戦略と、「地上戦」と呼ばれるフィールドでの動員戦略の双方にまたがって、支持層分析から票の取り込みをめぐって包括的に責任を負う活動である。
 アメリカの投票率は、先進諸国に比べて決して高くない。50%程度でしかない。
 アメリカ特有の作業として、有権者登録の促進と手助けがキャンペーンの過程で大切な作業となる。実際に投票所で投票してもらうための努力に選挙当日まで最善を尽くす。投票直前の電話説得(フォーンバンク)や、戸別訪問(キャンバシング)、当日の投票所までの車の送り迎え(ライド)、投票所までの沿道の案内と宣伝(ビジビリティ)、投票所の担当(ポール・ウォッチング)などに陣営はボランティアを投入する。
 このような投票率を上げるための選挙直前の動員作業を、総称してGOTV活動と呼ぶ。
 共和党は、基本的に黒人票を全面的にあきらめることと引き換えに、反黒人感情を持つ白人票の取り込みに成功した。かつて民主党の地盤だった南部は、共和党の地盤へと変貌をとげた。1932年から1986年のあいだに、深南部の民主党支持は、90%から
26%に転落した。
 オバマは、生い立ちからして典型的なアメリカの黒人社会には縁が薄かったにもかかわらず、あえて「黒人」になろうとしたことに特徴がある。
 オバマは、東海岸のアッパー・ミドル階級としての生活に甘んじることなく、あえてシカゴ南部のゲットーの苦悩や、黒人コミュニティの公民権運動の記憶を共有しようと努め、ウッズのように「脱人種」として無色透明でいることを選んだ黒人成功者とはやや違う道を選んだ。
 アメリカの総人口は1990年代に13%の上昇を記録し、依然として上昇傾向にある。2006年に2億9900万人とされている。その内訳は、白人69.1%、黒人12.1%、アジア人3.6%、ヒスパニック起源12.5%などとなっている。アメリカの国勢調査には、「人種」のほか「祖先」という欄まである。エスニック・バックグラウンドとは、みずから規定するものということ。「祖先」のなかではドイツ系としたものが一番多く、15.2%。
ユダヤ系は集団単位で民主党を支持しており、その民主党支持率は現在に至るまで高い割合を保っている。ユダヤ系は、アイルランド系やイタリア系のように経済的成功に比例して共和党に鞍替えするという傾向はまったくない。ユダヤ系の大多数は民主党支持のままリベラルな政策を好み続ける。ユダヤ系の少なくない人が、20世紀初頭の左翼政党の結党の駆動力となった。共和党に親しみを持つユダヤ系は若い層であり、高齢者層の民主党支持は9割を下回ることがない。
 プロテスタントに比べると、カトリックでは有権者人口では全体の4分の1を占めるに過ぎないが、共和党、民主党の双方に激戦州で拮抗した際に、勝敗を左右する重要な選挙民集団であると考えられている。カトリックは、共和党と民主党の両方に支持が分散しており、選挙や候補者、争点によって支持の方向性が揺れる。特定の党や候補者を半永久的に支持するということはしない。その裏返しとして、アウトリーチ次第で、いかようにも候補者への評価が逆転する可能性のある融通性の高い投票集団である。
 2004年の大統領選挙の結果、白人の年収3万ドル以下の層であっても、週に1度は宗教的な行事に参加する層は、共和党に圧倒的に多く投票した。
 年収15万ドルを超えている高所得の白人でも、宗教には一切関与しないと回答した人は圧倒的に民主党である。このように、教会によく通う低所得の人のほうが、同じように教会によく通う高所得の人よりも民主党寄りである。教会にまったく通わないというグループのなかでも、高所得者層のあいだでは共和党が支持を集めた。
 この集団・グループはこのような傾向をもっているから、こんな方法でやってみよう。そのように、きめ細かく分析対象をあげて、それぞれに最善と思われるアプローチで攻めていくのがアメリカの選挙運動です。それにしても、日本の戸別訪問禁止規定は、そろそろ廃止してもいいのではないでしょうか……。だって、戸別訪問が買収、供応の温床だというのですよ。それって、まったく根拠がないことではありませんか。
(2008年7月刊。3600円+税)

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