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2009年3月 の投稿

医者を殺すな

カテゴリー:社会

著者 塚田 真紀子、 出版 日本評論社
 この本を読むと、医師の仕事のすさまじさがよく伝わってきます。高校生のころ、医師になることを少しは真面目に考えた私ですが、医師にならず弁護士になって本当に良かったと思ったことでした。だって、何日間も徹夜続きなんて厭じゃないですか。そんなことしたら病気になるにきまってます。医者になってわずか2か月余り、20代の半ばで死ぬなんて、信じられないハードスケジュールです。
 毎日15時間以上も働き、法定労働時間を月に200時間はオーバーしていた。その対価として得たのは、月6万円の奨学金と「日夜直手当」のみ。うへーっ、ひどいものです。
 医師も聖職者というより、その前に労働者ですよね。自明のことだと私は思います。ある勤務医は、毎晩、午前0時までに帰るのが目標だったと語る。土日も出勤した。うひょひょ、これでは身体がもちませんね。
 一審判決は、1億3500万円の賠償を大学病院に命じました。そして、そのあとで、労働基準監督署は労災認定したのです。発症1か月前に100時間をこえ残業したときは、業務と発症の関連性は強いと認定する新しい基準が適用されたのでした。でも、これって順番が逆ですよね。労働者を守るのが労基署の使命でしょ。
 研修医はものすごいストレスにさらされる。これまで学生として責任なく自分のペースで生活してきた人が、いきなり医師として大きなストレスにさらされる。そして、研修医の労働時間はあまりに長く、睡眠・食事・家事など、人間としての生活を営むに必要な時間が足りない。自分の能力以上の役割を期待されるなど、医師としての責任が重い。さまざまな患者と家族を相手にしなければならないし、医療スタッフの中では研修医が一番弱い立場にある。だから、うつになる研修医が多い。
勤務医が過重労働をせざるをえない理由は4つある。第1に、医師の仕事量や労働密度が増えたこと。第2に、深夜の受診数が増えたこと。第3に、勤務医の年齢構成の変化。第4に、長時間働くのは当たり前という医師の意識。
 あまりにも大変なため、たとえば20代の外科医が激減しているそうです。それは本当に困ったことです。医師も大切にしないといけませんよね。なんだか、悪循環に陥っているなと感じました。
(2009年2月刊。1800円+税)

グローバル恐慌

カテゴリー:社会

著者 浜 矩子、 出版 岩波新書
 サブプライム問題という言い方は適切でない。正しくは、サブプライム・ローン証券化問題なのである。ことの本質は、サブプライム融資そのものにはない。本質的な問題は、サブプライム融資に内在するリスクが、証券化という手法によって世界中にばらまかれていったことにある。このばらまき行為がなかったら、サブプライム問題は、アメリカに固有の地域限定問題にとどまっていたはずである。
 そして、このようなサブプライム証券に多くの投資家が手を出したのは、世界中がカネあまりに陥っていたからだ。その原因の大きなひとつに、日本の長年にわたるゼロ金利政策がある。日本は、世界で最大の債権国である。純貯蓄の規模が世界で一番大きい。日本国内で金利を稼げないジャパン・マネーが、世界中に出稼ぎに行く。世界的カネあまりのルーツが日本のゼロ金利政策にあったとすれば、サブプライム証券化商品問題と日本との間には、切っても切れない関係があるといえる。
 今日の日本は、一種、基軸通貨国的な機能を担っている。今日の円は、いわば隠れ基軸通貨である。
 1971年8月のニクソン・ショックは、基軸通貨国アメリカの脱退位宣言にほかならなかった。ドルの金交換性というタガをかなぐりすてたアメリカは、以降、どんどんインフレ経済化の道を進んでいく。これはアメリカ経済の高金利かをもたらし、金利自由化への突破口を開いた。
 1971年は8月は、金融自由化に向けてパンドラの箱の蓋が開いた時だった。2008年9月は、グローバル恐慌に向けて地獄の扉が開いたときだった。
 グローバル恐慌は、カネの世界の暴走がもたらしたものであるからこそ、モノの世界、そして家計と消費という意味でのヒトの世界へのインパクトが大きい。
 カネの世界だけのマネーゲームが自己増殖を続ける状態では、モノの世界がどうなろうと、カネの世界的暴走は続く。そして、ついに暴走が転倒につながったとき、その衝撃がモノの世界に対して一気に減縮圧力をかけてくるという展開になる。
 人間の営みである経済活動の中でも、金融はもっとも人間的な信用の絆で形作られている。そうであるはずだった金融の世界から、人間が消えた。ここに問題の本質があるのではないか……。
 大変歯切れの良い指摘で、大いに勉強になりました。それにしてもいつまで続くのでしょうか、この大不況、人間使い捨てという嫌な時代風潮は……。
 桜の花が満開です。梅の花も早かったのですが、今年は桜もずいぶんと早い気がします。昔は入学式のときに桜が満開だったように思いますが、今では卒業式のときに満開の桜が卒業生を見守っています。
 我が家のチューリップが300本近く咲いています。6~7割は咲いている感じです。今度の日曜日が最盛期となりそうです。これも例年より1週間以上は早い気がします。だって、まだ3月ですからね。どうなってるんでしょう。
 それにして昔ながらの赤や黄のチューリップの花を見るとしばし童心に帰ることができ、心がなごみます。
(2009年1月刊。700円+税)

国際宇宙ステーションとはなにか

カテゴリー:宇宙

著者 若田 光一、 出版 講談社ブルーブックス
 国際宇宙ステーションに初めての日本人宇宙飛行士として搭乗した著者の体験をまじえた解説書です。宇宙ステーションというので、地球からはるか彼方にあるのかと思っていましたが、なんていうことはありません。地球のすぐ近くをぐるぐる回っているのですね。
 近すぎて丸い地球の全貌もみることはできないそうです。なーんだ、と思わずつぶやいてしまいましたが、それでも、この本を読むと、宇宙飛行士って大変な仕事なんだなと思いました。なにしろ、狭い狭いスペースで、下手をすると何か月も生活するのですからね。
 トイレも大変です。そして、運動不足解消のために身体を動かしても、好きにシャワーを浴びるなんてことはできません。水は宇宙ではとても貴重品なのです。
 国際宇宙ステーション(ISS)は、1998年11月に建設が始まり、2000年10月末から宇宙飛行士が2~3人ずつ交代で数ヶ月ずつ暮らしている。
 ISSは、地球の周りを90分で一周し、日の出と日の入りが45分ごとに訪れる。
 ISSの中では、毎日、レントゲン写真を数回取られるほどの放射線を被曝する。
 ロシアは、ソ連時代から抜本的なコンセプトの変更はせず、職人芸的な地道な細かい改良を加えていくことで、信頼性の高い確立された宇宙往還システムを作り上げた。
 ロシアの宇宙船ソユーズは3人乗りである。その利点は、システムがシンプルで、信頼性が高く、6か月以上もISSに係留することが可能なため、緊急帰還にも対応できることにある。これに対して、アメリカのスペースシャトルは7人乗りだし、20人の貨物も運べる。
ソユーズ宇宙船は、1回1回が使い捨て。スペースシャトルは再利用される部分が多い。ところが、使い捨ての方がロスが大きいかというと、必ずしもそうとは言えない。事業として長く続くためには、製品を新しく作り替えながら量産していくという形が望ましいのと同じである。
 ソユーズは、宇宙飛行士の立場から言うと、運用性に関して、非常に洗練されている。自働が多く、何より、安全第一となっている。それもあって、ロシア語の習得は宇宙飛行士には必須となっている。宇宙飛行士の基礎訓練1500時間のうち、英語とロシア語に200時間ずつ割いている。4分の1が語学訓練である。語学は、宇宙飛行士にとってそれほど重要視されている。
 宇宙にいると、地上の骨粗しょう症の10倍の速さで骨量が血中に溶け出す。宇宙では毎日、2時間の運動をしていても、2割は筋肉が衰えてしまう。
 ISSのなかの酸素は、水を電気分解して作りだす。水素の方は機外に出してしまう。
 ISSに必要な水の大半は、地上からプログレス補給船で運んでいる。年間6800キログラムになる。運搬費に換算すると、コップ1杯の水が30~40万円になる。うへーっ、こりゃあ高い水ですね。
 そこで、尿を蒸留して水に変え、空気中の湿度を除湿した水や使用済みの水と一緒にろ過・浄化処理して飲料水として再使用するシステムがすすめられている。うむむ、気にしなければいいのですかね……。昔はやった健康法に、朝一番の自分の尿をコップ一杯飲むというのがありました。さすがに私にはできませんでした。
 ISSのトイレはロシア製。アメリカは1900万ドル出して、ロシア製トイレシステムを購入した。コストや信頼性を運用実績に照らして検討した結果のこと。
 宇宙飛行士は、アメリカ100人、ロシア40人、日本8人、ヨーロッパ10人、カナダ6人となっている。
 宇宙飛行士は、こわがりのほうが良い。怖さを知らない人は逆に危険だ。
 宇宙飛行の訓練は、その多くが不具合対策である。
 操縦・航法・交信という作業の優先度を常に意識し、全体像を把握しながら先を読み、的確に運用作業をこなす。これがすべての基本だ。
 宇宙飛行士って、大変な仕事だとつくづく思いました。
 庭にシャガの白い花が咲いています。緑にフリルのついた、すがすがしさを感じさせる純白の花です。日比谷公園にもたくさん見かけます。どんどんはびこっていく生命力旺盛な花です。
 ハナズオウの花も咲いています。赤味の濃いピンクの米粒が枝にびっしりまとわりついたような可愛らしい花です。チューリップは200本になりました。4割ほどが咲いています。
(2009年2月刊。940円+税)

中世世界とは何か

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 佐藤 彰一、 出版 岩波書店
 ヨーロッパ中世のころ、土地は皇帝から下賜された。法的に完全な所有権の名義で領有できたが、領主が皇帝の不興を買うような不始末をしたときには、その土地が皇帝のもとに回収された。その意味で、皇帝への忠誠とねんごろな奉仕を条件として与えられた目的贈与であった。授与者への忠誠を条件とする譲渡という法的性質が、主君への忠誠を条件とする封建制度の封にも継承されたのである。
 封建制は、このように、もともと別個に発展してきた2つの制度である主従制と恩貸地制とが結合したことにより生まれた。
 カール・マルテルは、732年のトゥール・ポワティエの戦いで、イスラーム騎馬兵の脅威に震撼し、本格的な徴兵制への転換を図った。
 ヨーロッパでそれまで飼育されてきたのは、イスラーム騎馬兵が乗りこなしている馬と比べて、馬体も小さく、重量も軽い、見劣りする馬種だった。そこで、カール・マルテルはアラブ馬を入手し、それを基礎とした高速移動の騎馬隊の整備に乗り出した。
 鐙(あぶみ)の使用による大きな槍のしっかりした固定化、これが騎兵の威力を格段に高めた。重装騎兵の誕生である。
 軍隊の高速かつ機動的な展開に必要な騎馬兵を大量につくり出す目的で、カール・マルテルとその息子たちは、教会や修道院の土地を没収して家臣たちに配分した。騎馬兵制は、歩兵制に比べて、装備と訓練に多額の費用がかかるために、兵に十分な経済的基盤を与える必要があった。
 生まれ育った家や故郷を離れ、地位を求めて遍歴する二男、三男層の騎士の中には、僥倖を得て、上層の貴族の末娘を妻に迎える者もあった。新たな門地を立てるのに成功した騎士の血統の高貴さは、往々にして母方の血統からもたらされた。男系血族優位の趨勢の中でも、一門の栄光の源泉として女系の寄与もまた看過しえないものがあった。
 このようにしてヨーロッパの歴史において、初めて身分としての貴族が誕生した。
 事実上の貴族から法的身分としての貴族に脱皮するには、騎士理念の普及・長子の単独相続制という、それまでのヨーロッパにおいて原理として確立していなかった新しい要素が必要だった。
 国王の権威によって、一片の書状(貴族叙任状)により貴族の列に加わることができたということは、それまでのヨーロッパにはなかった、まったく新しい貴族像の出現を意味した。1500年までの200年間に、年平均10通の貴族叙任状が発給され、合計で2000通を数えた。
中世フランスの身分貴族にとって、イングランドとの百年戦争(1337~1453年)は一大惨禍であった。1300年に存在していた貴族家門の大部分が、1500年には断絶していた。1424年にシャルル7世が敗北を喫したヴェルサイユの戦いで、シャルル王の騎士貴族の大半が戦死した。そして捕虜となった家族の身代金調達は、多くの門閥を疲弊させ、没落させた。このあと貴族となったのは、中世貴族との系譲関係をもたない新参者たちの家系であった。
 中世イングランドでは、フランスと同じ意味での貴族身分は成立しなかった。
 フランスのような貴族叙任状が発給されることはなかった。荘園領主、国王役人、地方政治の主要メンバーである騎士などが圧倒的多数の平民に君臨していた。
 イングランドでは、中世の貴族を規定するための唯一有効な定義は、その者が貴族のような服装をして、貴族のように振舞って、物笑いにならないことである。そして、イングランド王権は、議会という枠組みのなかで貴族を位置づけた。
 十分に理解できないところも多々ありましたが、貴族の発生についてのフランスとイギリスの違いは、面白いと思ったことでした。ヨーロッパでは、今でも事実上、貴族身分というのが生きているそうですから驚きます。
 春らんまんの候となりました。朝、雨戸を開けると、色とりどりのチューリップが目に入ります。パステルカラーというのでしょうか、鮮やかなピンク色のチューリップがひと固まり咲いて、春だよ、うれしいなと声をかけあっています。見ていると、心が軽く浮き浮きしてきます。
 朝、咲いている本数を数え、午後からまた数えると、倍近くも増えています。20日の午前中に数えたら、80本ほどでした。
(2008年11月刊。2800円+税)

秋月記

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 葉室 麟、 出版 角川書店
 うむむ、これは面白い。よく出来ている時代小説です。思わず、ぐいぐいと話にひきこまれてしまいました。このような傑作に出会うと、周囲の騒音が全部シャットアウトされ、作中の人物になりきり、雰囲気に浸り切ることができます。まさに至福のひとときです。
 ときは江戸時代も終わりころ(1845年)、ところは筑前秋月藩です。秋月藩は、福岡藩の支藩でありながら、幕府から朱印状を交付された独立の藩でもあった。秋月藩の藩主黒田長元(ながもと)のとき、御用人、郡(こおり)奉行、町奉行などを務めた間(はざま)余楽斎が失脚し、島流しの刑にあった。この本は、その余楽斎がまだ吉田小四郎という子ども時代のころから始まります。
 小四郎たちは、秋月藩家老の宮崎織部が諸悪の根源であるとして一味徒党を組んで追い落としにかかります。秋月藩は大坂商人から5千貫にも及ぶ借銀をかかえているのに、家老の織部たちは芸者をあげて遊興にふけっている。許せない、というわけです。秋月藩で新しく石橋をつくるのにも、洪水対策でもあるのに、藩財政窮乏の折から無用だという声もあるなかで、強行されるのでした。
 小四郎たちは、家老織部の非を本藩である福岡藩に訴え出て、ついに家老織部は失脚し、島流しになるのです。そして、秋月藩の要職を小四郎たちが占めていくわけですが、そう簡単に藩財政が好転するはずもなく、また、不幸なことに自然災害にも見舞われます。
 やがて、小四郎たちは、家老織部が実は福岡藩の陰謀の犠牲になったのではないか、自分たちも手のひらの上で踊らされているだけではないのか、と思うようになりました。
 手に汗にぎる剣劇もあり、ドンデン返しの政争ありで、登場人物たちの悩みも実によく描けているため一気に読みすすめました。
 ちなみに秋月藩の生んだ葛湯は、私が今も大変愛用しているもので、全国にいる友人に贈答品として送ると大変喜ばれています。それはともかくとして一読をおすすめします。
(2009年1月刊。1700円+税)

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