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2009年1月 の投稿

責任に時効なし

カテゴリー:社会

著者:嶋田 賢三郎、 発行:アートデイズ
 著者は私より少し年長ですが、同じ団塊世代です。有名なカネボウの常務として財務経理を担当していました。そして、カネボウの再建に尽力しながら、粉飾決算の疑いで逮捕されます。その貴重な体験をもとにした小説ですので、ともかく迫真的です。どこまで事実なのかよく分かりませんが、大企業で恐るべき粉飾決算がまかり通っていること、公認会計士がそれを知りながらチェック(阻止)できていない実態がよく分かります。
大銀行のバンカーは、あからさまなものの言い方は極力さける。いわんや頭取クラスであれば、よほどのことがない限り露骨に直接的な言及はしない。化粧品の営業から叩き上げてきたトウボウの社長にはそれを理解するセンスが欠けていた。むむむ、なるほど……。
 企業粉飾によくつかわれる手法がいくつかある。
 キャッチボールは、トウボウが翌期返品を前提に商品を商社に引き取ってもらう、もっともプリミティブなやり方。
 三角取引とは、トウボウから商社Aに商品を売り、商社Aから商社Bに転売してもらい、翌期以降、トウボウは商社Bから仕入れ形態で買い取る。
 宇宙遊泳とは、トウボウから売られた商品を引き取った商社Aがいろいろな商社に転売していくため、まるで宇宙を遊泳しているように見えるので付けられた栄えあるネーミング。
 これらのとき、商社間で転売されるときには、そのたびに商社マージンが必ず乗せられる。だから、同じ在庫で何回もそれを繰り返すと、簿価が法外にアップする。その結果、異常な在庫簿価を形成してしまう。うひゃあ、すごいですね、ケタ違いの違法行為ですよね。
 労使運命共同体というトップの経営思想が、すべからくトウボウを鵺(ヌエ)のような不可解な企業体質にしてしまった。労働組合は、やはり資本からの自立が必要なのですね。
 トウボウは不良資産の解消のため、「逆さ合併」という手法を長年使ってきた。逆さ合併とは、規模の小さい会社を存続会社として、規模の大きい会社を消滅会社として、小が大をのみこむ合併をさす。赤字会社を存続会社とし、黒字会社を消滅会社として、赤が黒を飲み込む合併をさすこともある。
 黒字会社が赤字会社を吸収合併することは、商法によって原則として禁じられている。ここで赤字会社とは、債務超過または不良資産をかかえた実質債務超過の会社を指している。つまり、財産的な裏付けのない「負の会社」を被合併会社として吸収合併することはできない。だけど、逆に、赤が黒を合併することは禁じられていない。合併法人である赤字会社の繰越欠損金と被合併法人である黒字会社の利益とが相殺されて、合併後の会社は税金逃れ、つまり課税回避のメリットを享受できる。ただし、税務当局から、そんな認定を受けないように知恵を働かす。うむむ、いろんな手法があるものなんですね。
 日本の監査法人は立ち遅れている。企業のトップにあまりにも弱すぎる。監査法人は、組織的な業務運営という看板を掲げながら、有力会計士を中心に実質的にはタテ割運営がなされる傾向が強い。それが「なれあい監査」という悪の温床につながっている。
 もっとも不埒なのは、粉飾決算で利益を出したことにして、多額の役員退職慰労金を手
にして安寧をむさぼっている輩だ。その責任に時効なんかない。
 なかなか読みごたえのある経済企業小説でした。経理や会計用語について解説も入っていますので、理解を助けます。といっても、私はよく理解できないところが多くありました。といっても、大企業の経理って、まるで伏魔殿のようなものなのだということだけはよく分かりました。
(2008年12月刊。1800円+税)

ハリウッドの密告者

カテゴリー:アメリカ

著者:ヴィクター・S・ナヴァスキー、 発行:論創社
 670頁もある大部の本です。マッカーシー旋風の吹き荒れる1950年代のハリウッドが舞台です。1950年代アメリカの異端審問の実情について、著者は多くの人に取材して多面的な角度から掘り下げています。
 ときは1951年3月。アメリカ下院の非米活動委員会(HUAC)は、俳優ラリー・パークスを喚問した。同じ日、連邦裁判所はソ連のための原爆スパイとしてローゼンバーグ夫妻に有罪を宣告した。夫妻は後に死刑に処せられた。
 アメリカ議会は既に1947年に公聴会を始めており、有名な脚本家ドルトン・トランボなど10人が証言を拒否したために議会侮辱罪に問われ、最高1年の懲役刑に服していた。世にいうハリウッド・テンである。
 1951年から53年にかけてHUACに喚問された証人90人のうち30人が名前を提供した。別の数字は証人110人のうち58人が名前を提供したという。決断を迫られた者の3分の1が名前を提供した。あまりにも有名な映画監督エリア・カザンもそのひとりだ。
 資料提供者(インフォーマント)と、情報提供者(インフォーマー)は違う。インフォーマーは他人について不利な情報を提供するもので、蔑みの言葉として使われることが多い。インフォーマー(情報提供者)とは、同志を当局に売り渡す者である。
 FBIのフーバー長官は、1947年5月、アメリカ共産党員が7万4000人いるとした。
1950年には、党員5万4000人、しかし、その背後に48万6000人の同調者(シンパ)がいて、その一人ひとりが潜在的スパイだとした。実際には、アメリカ共産党は1950年代までに悲惨な状態になっていた。赤いドラゴン(竜)でもなく、張り子の虎ですらなかった。実のところ、第二次大戦中の最盛期に7万5000人いた党員は1950年に3万1608人、1957年には、FBIから潜入したスパイをふくめて1万人にまで減っていた。
 たとえば、ロサンゼルス警察の警官が党員となって党員リストを管理しており、それはすべて警察に渡されていた。彼が入党したときのロサンゼルスの党員は100人で、1939年9月に離党したときには2,880人となっていた。つまり、警察は誰が党員であるか、よく掌握していた。そのうえで、公開の場で同志の名前を告白させる儀式を延々と展開していったわけである。ううむ、そうなんですね。いわゆる見せしめにして、国民に恐怖心を与えて、共産党を特別な存在として国民から切り離そうとしたわけです。「あいつは、アカ(レッズ)だ」と叫べば、問題はすべて解決したかのように国民を錯覚させたのでした。
 国家は、アカ狩りに威信を与えたことで何十万人もの現役共産党員、元共産党員、共産党同調者、そして不運なリベラルたちの人生を悲惨なものにした。それだけではなく、アメリカ文化を弱体化させ、そのことによってアメリカという国家自体の弱体化を招いた。このように著者は総括しています。なるほど、そういうことなんですね。「アカ狩り」は単に個人の思想信条の自由が踏みにじられたというだけでなく、国の文化そして国そのものを弱めてしまったというわけです。
 アメリカの大学では、反体制運動には係わらないという忠誠宣誓を強制するところが多くなり、大いなる知的損失をもたらした。不安、落ち込み、疲労、恐怖感、不服従、飲酒、頭痛、消化不良、内臓障害、同僚との関係悪化、疑心暗鬼、不信感、自尊心の喪失など……。
 1970年、ドルトン・トランボは受賞したときのスピーチで、次のように述べた。
 被害者しかいなかった。最終的には、私たちはみな被害者だった。例外なしにほとんどの人は言いたくないことを言わされ、やりたくないことをやらされ、お互いに求めてもいないのに傷つけあった。右であれ、左であれ、中道であれ、誰一人として罪の意識なしには長い悪夢から立ち上がれるものはいない。むひょう、そうなんですね。厳しい指摘です。
 後に大統領となったロナルド・レーガンは、映画俳優ギルドの会長をしていたが、1947年4月という早い時期からギルド内の共産党員と疑わしき者の名前をひそかにFBIに渡していた。情報提供者として、レーガンはT-10という暗証番号を与えられていた。
 うへーっ、やっぱりレーガンって、最低の男ですよね。単なるマッチョな好戦派というだけでなく、恥ずべきたれこみ屋だったというのですね。
 1999年にエリア・カザンが映画アカデミー名誉賞を受賞したとき、多くの人々がカザンを情報提供者として非難した。うーん、ここは私にとって難しいところです。しかし、アメリカの良心にとって、ことは単なる過去のこととすまされる問題ではないという指摘ももっともです。実に重たい問題提起がなされており、手に取ると、名実ともにずっしり重たい本でした。
(2008年9月刊。933円+税)

ちひろの花ことば

カテゴリー:社会

著者:いわさきちひろ絵本美術館、 発行:講談社文庫
 小さな文庫本ですが、ちひろの絵がカラー図版でたっぷり楽しめ、心が温まります。あなたも、どうぞカバンに忍ばせて、ちょっと疲れたな、そう思ったときに頁を開いてみてください。きっと気が休まりますよ。
 上條恒彦の歌があります。とてもいい歌です。その歌詞は、なんと、ちひろが自分の結婚式を描いたものだったのです。
 その日、焼け残った神田のブリキ屋さんの2階の私の部屋は、花でいっぱいでした。私は千円の大金をぜんぶ花にしてしまったのです。
 あとは、ぶどう酒一本と、きれいなワイングラス2つ。
 これが四面楚歌のなかでの、二人だけの結婚式でした。
 すごーい、すごいですね。いやあ、すごいです。私の結婚式は、当時はやりの会費制でしてもらいました。夏の終わり、クーラーのきかない労働会館のホールです。ビデオ(今は保存のためCDに変換しています)を見ると、参加者は暑さのために、汗をふきふきしています。今になって申し訳ないと思いますが、当時はこの冷房のない部屋が公共施設にはあったのです。
 ちひろの花の絵は、ありのままの花を描くというより、大胆な構図のものが大半です。それも、ちひろが本当に花が好きで、よく見ていたからこそ描けたのでしょう。
 ちひろは、「春の花には、しきりに蝶が来たり、蜂が来たりする。花のほのかな香りの中にいると、にぶい蜂の羽音が聞こえてくる」と書いた。草むらにしゃがみこみ、花を見つめ、草花の息吹に耳を澄まし、同じ目の高さで花と語り合っていたちひろの姿が想像できる。
 ふむ、ふむ、なるほど、ですね。なんとなく分かりますね、これって……。
 ちひろの描いた子どもたちは、泣きわめくことも、おなかを抱えて笑い転げることも、怒りを撒き散らすことも、ほとんどしない。いつも、どちらかといえば、静かな表情を見せている。ただ、子どもたちと同じ画面に描かれたさまざまな草や花が子どもの心や個性を語っている。言葉には尽くせない思いを花が語っているのかもしれない。
 うーん、これって、ホント、とても的確な表現ではないかと思います。ホントホント、そうですよね。しっとり心に訴えかけてくる子どもの顔ばかりです。
 ちひろは童画について次のように語りました。
「さざなみのような画風の流行に左右されず、何年も読み続けられる絵本を、せつに描きたいと思う。もっとも個性的であることが、もっとも本当のものであると言われるように、私は、すべて自分で考えたような絵本をつくりたい。この童画の世界から、挿絵という言葉を亡くしてしまいたい。童画は、決してただの文の説明であってはならない。その絵は、文で表現されたのとまったく違った面からの、独立した、ひとつの大切な芸術だと思う」
 ふむふむ、まさしくその通りでしょうね。
 ちひろの絵の最大の特色は、豊潤無類の色感の中にある。
 いやあ、本当にそのとおりです。さすが、美術評論家(河北倫明)はいいことを言いますね。まったく同感です。
 年賀状に私を年の暮れにお茶の水駅で見かけたと書き添えていた友人がいました。せっかくですので、一声かけてくれたらよかったのですが……。かなり前のことですが、日比谷公園内を歩いていると、目の前を高校時代の同級生が通っていくのを見つけました。つい声をかけそびれてしまい、あとでハガキを出してそのことを告げてやりました。思わぬところでのすれ違いって、世の中にはあるのですよね。
(2006年9月刊。667円+税)

空爆と「復興」

カテゴリー:アラブ

著者:中村 哲、 発行:石国社
 9.11あとのアフガニスタンにおける、著者を現地代表とするペシャワール会の困難な活動が紹介されています。伊藤さんが殺害される前の活動状況ですが、今でもその意義は高く評価できるものです。同じ福岡県人として中村医師の活動に心より敬意を表したいと思いますし、わが郷土の誇りです。
 2001年1月、大干魃によって死に瀕しているアフガニスタンを国際社会は見捨て、援助どころか国連制裁を実行した。
 アフガニスタンの権力の基盤は、各地域のジルガ(長老会=伝統的自治組織)にある。階層的に、より大きなジルガがつくられ、大事な決定はそこで行われる。タリバン政権といっても、日本で言われているような「ひと握りの圧制者」対「民衆」という図式は成り立たない。タリバンを受け入れるかどうかも、ジルガが決めたものであり、人々の平和を求める声が政権を支えていた。暴力に対して暴力で報復するのではなく、少なくとも人が餓死するような状態を解消しなければ、テロは根絶できない。
 タリバン政権は、いってみれば非常に古風な農村社会を代表する「田舎政権」そのものなのである。アフガン社会を律するのは、地縁と血縁である。そして、強固な伝統社会を底辺から支えている、もっとも強力なパワーは女性である。ともすれば妥協しがちなアフガン男性の尻を、「あんた、それでも男か」と叩いているのが、アフガンの女性なのだ。これが、どこの村でも見られる光景である。抑圧されているようで、実はアフガン社会をコントロールしているのは女性なのである。
アフガニスタンにおける対日感情、日本に対する信頼というのは、絶大なものがあった。それが、日本の自衛隊が軍事行為、報復に参加することによって損なわれる可能性がある。自衛隊派遣は有害無益である。著者たちが十数年かけて営々と築いてきた日本に対する信頼感が現実をふまえないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去る危険が現実のものになろうとしている。
日本の国際貢献は、軍事力によらず、アフガン社会の再建に平和的に寄与することにあるべきです。
 ペシャワール会の目標は、平和な自給自足の農村を回復すること、それだけである。教育の破綻しかけた(日本のことでしょう)が外国に教育支援するなど冗談にもほどがある。現地のことわざに「アフガニスタンでは、カネがなくても食っていける」といい、「アフガン人に半人前はいない」という。精神はカネでは買えない。独立不羈の気風がアフガニスタンの屋台骨だ。
 目先の利にさとく、強いものには媚び、衆をたのんで弱い者には居丈高になるのは見苦しいこと。自分の身は針でつつかれても飛びあがるが、他人の身は槍で突き刺しても平気。かつての日本でも、こういう人間は嫌われた。
 あるアメリカ士官が、「タリバン兵は、昼はフツーの農民の顔をしており、夜になると凶暴な攻撃者に変わる」と言ったが、そのとおりである。
 アメリカ軍がいる限り、カルザイ政権は国家統一ができない。しかし、アメリカ軍が去ったら、即座に国家は崩壊する。そんな矛盾の中でカルザイ政権は延命している。
 ペシャワール会のような地道な活動こそ日本政府は支えるべきであって、自衛隊を派遣するなんて愚の骨頂だとつくづく思います。中村医師の安全を心より願っています。
(2004年7月刊。1800円+税)

幸せな子

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:トーマス・バーゲンソール、 発行:朝日新聞出版
 現職は国際司法裁判所の判事である著者は、ユダヤ人として、あのアウシュヴィッツに10歳の時に収容され、奇跡的にも助かり、父親は収容所内で死亡するものの、母親も収容所を生きのび、戦後、再会することができました。まさに奇跡の積み重ねがありました。こんなこともあるんだなと、つい思ってしまいましたが、本人は、強い生存本能のもとに、死ぬとは思わずに頑張ったようです。
子どもの生存本能は強く、環境が変わっても、そこで生きるために適応することができる。子どもは本能的に自分が死ぬことはないと、そして、自分には生きる権利があると信じている。
 自分が生き残ったのは、まったくの幸運だったと思っている。生き残るか生き残らないかは、自分にはどうしようもない運のゲームであり、だから、その結果の責任は自分にあるわけではないと考えるようになった。ドイツ語もポーランド語もなまりなく上手に話せたこと。そして、ユダヤ人に見えなかったことも、生き延びるためには好都合だった。
ドイツ語が話せたおかげで何度も助かっただけでなく、ドイツ人っぽい顔つきのおかげで助かった。もしかして、私を見て、ナチの将校たちは自分の子どものことを思い出したのかもしれない。収容所の司令官は、私が働けると言ったとき、私を生かしておこうと決めたのかもしれない。ポーランド語を話せることでも何度も大いに役に立った。間違いなく、これらのことが組み合わさって、生き残るうえで役に立った。そして、それらは、ほとんどが偶然のことだった。
 著者の子どものころの顔写真があります。いかにも利発そうで、愛らしく、可愛さあふれる男の子です。こんな可愛らしい男の子が目の前にいたら、いくらナチスだって、人間としてとても殺す気にはならなかったでしょう。
そして、当時40歳ほどの著者の父親の毅然とした態度が妻と子を生きのびさせたのです。たいした父親です。そして母親もすごいものです。単なる免許証をいかにも重要な証明書であるかのように言い通したり、ハッタリを堂々とかませてナチスをやりこめたのです。
収容所では子どもが一番危ない。それを出し抜く方法を著者の父親は考え出した。毎朝の点呼のとき、できるだけうしろの方に著者を立たせる。バラックの入り口の近くに。点呼が終わって死の選択が行われそうな気配が見られたら、著者はバラックにこっそり入って、そこに隠れた。な、なーるほど、ですね。すごい勇気です。
 アウシュヴィッツでは、一度も鳥を見なかった。人間を焼く火葬場の煙と悪臭のせいで鳥がこなかったのだろう。
 収容所の中に子ども用バラックがあった。あるドイツ政治犯が考え、ナチスを説得したのだ。子どもは収容所で役に立つ仕事ができるのに殺すのはばかげていると。そして、子どもたちの主な仕事はゴミの回収だった。
 戦後、母親から著者に手紙が届いたときの様子を語ったくだりが泣かせます。
間違いなく母の字だと分かった。お母さんが生きている。ぼくは何度も何度も自分にそう言った。それは人生で一番幸せな瞬間だった。ぼくは泣き出し、同時に笑い出した。孤児院に来て以来、一生懸命つちかってきた自制心や強がりをみんな脱ぎ捨てて、ぼくにはお母さんがいて、だから、ぼくはまた子どもに戻ることができるのだ。
そうなんですよね。生きのびるために精一杯、背伸びをして大人を装っていたのをやめていいなんて、すばらしいことではありませんか。
 戦後まもなく、ドイツ人が楽しそうに話しながら歩いているのを見て、著者はバルコニーに機関銃をすえて、ドイツ人がぼくの家族にしたのと同じことをしたいと考えた。でも、そんな無差別な復讐をしたところで、父も祖父母も戻ってこないと気がつくのには、それから長い時間がかかった。そして、憎しみや暴力の悪循環を絶たねばならないと気がつくまでには、さらに長い時間が必要だった。憎しみや暴力は、罪のない人々の苦しみを増やすだけなんだ・・・。
 生きのびるって、本当にすばらしいことなんだと実感させてくれるいい本でした。
(2008年10月刊。1800円+税)

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