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2008年9月 の投稿

日無坂

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:安住洋子、出版社:新潮社
 いやあ、うまいですね。すごいですよ。ただただ感心しながら電車のなかで夢中になって読みふけりました。いつのまに終着駅に着いたのかと思うほど、あっという間でした。
 父と息子がお互いに理解するのはとても難しいことだというのが、この小説の大きなテーマです。それを女性作家が見事に描き出しています。
 父のようになりたくはなかった。いや、なれなかった。薬種問屋の主人におさまった父と、浅草寺裏の賭場を仕切る息子。
 親と子の、すれ違い。謎解きが感涙に変わる江戸市井小説の名品。親と子のわがかまりと情を描き尽くす市井小説の名品。
 あの日の父の背中が目に焼きついて離れなかった。
 跡継ぎになることを期待されながら父利兵衛に近づけず、反発し、離れていった。あの日から10年、長男の伊佐次は、すっかり変わり果てた父とすれ違う。父は万能薬という触れ込みの妙薬をめぐって、大店の暖簾を守ろうとしていたのか、それとも・・・。
 以上はオビにある、うたい文句です。この本の内容を的確に簡潔にまとめています。山本一力の江戸世話物の世界とは一味違います。時代小説界の次代を担う新鋭の傑作長編というキャッチフレーズに異論はありません。次作が楽しみです。タイトルは、ひなしざか、と読みます。
(2008年6月刊。1400円+税)

ヤクザマネー

カテゴリー:社会

著者:NHK取材班、出版社:講談社
 読むうちに気が滅入ってくる本です。いやあ、今の日本って、こんなにもヤクザの支配する国だったのか、知らぬが仏とは言いながら、驚くべきヤクザ王国・日本の実情の一端が暴かれています。目をそむけるわけにはいかない現実です。
 私の身近なところでもヤクザの抗争で死者が何人も出ていながら、1年以上たってもまだ終息の見通しが立っていません。その本質は公共事業の利権をどちらが支配するかにあると私は見ています。大型公共工事は、その総工事費の3%を暴力団と政治家が分けあうというのが定説です。そのぶんどり合戦で死者が出るまでの抗争になっているのではないか、ということです。
 暴力団がディーリングルームをもち、デイトレードで1日3億円を運用している部屋にNHKのカメラが入ったのです。その顛末が本になっています。
 暴力団は、その資金源を大きく変化させている。今や、証券市場やITベンチャー企業への投資や融資などを新たな資金源とし、いわば合法的な手段によって、闇の資金を膨張させている。同時に、犯罪とは関係のない資金に見せかけるマネーロンダリングも行っている。証券市場に進出しているのは、一部の資金力ある暴力団だけではない。殺人罪で服役したことのあるヤクザや、繁華街の「みかじめ料」で食いつないできた組員まで株取引に手を出している。
 そして、暴力団の資金獲得に手を貸す新たな集団が存在する。共生者という。その正体は、元証券マン、元銀行員そして公認会計士、金融ブローカーなどだ。共生者は、暴力団とは関係ない、シロがグレーになって活動する。この共生者の暗躍によって、暴力団の資金がますます不透明化している。
 暴力団が資金を出し、運用はプロのトレーダーにまかせる、というものです。証券市場は、国が用意した賭博場だ。暴力団はインサイダー情報をもってそこに入っていく。まさにイカサマ賭博だ。しかし、それが堂々と通用している・・・。
 ヤクザマネー膨張の背景にあるのは、新興市場を推進した、国の規制緩和政策である。上場基準が大幅に緩和されたことによって、新しくベンチャーの上場企業が次々に誕生し、それらの値動きの激しい株を狙って、ヤクザマネーが市場に流入した。
 新興市場で上場したものの、資金が枯渇したベンチャー企業が頼ったのも、やはりヤクザマネーだった。市場原理を最優先する国の規制緩和政策が闇の資金の膨張を許している。
 日本社会に蔓延している「欲」にまみれた拝金主義が暴力団の存在を許している。
 いやあ、そう言われると、なんとも言えませんよね。政府・自民党の規制緩和が暴力団を肥え太らせているわけですが、それを野放しにしてもいいという拝金主義のはびこりが基盤となっているというのです。
 暴力団の金貸しは、スピードがある。遅くとも3日以内。常時、億単位の現金が事務所の金庫に用意されている。5億円なら、一晩で用意できる。月30%という暴利。そのうえ、感謝の気持ちとして何%かの上乗せも要求される。
 暴力団、芸能人、そして政治家。日本のアンダーグランドの世界にうごめいている。
 警察は山口組を壊滅させようとした。しかし、それから40年たって、山口組は滅びたどころか、年々、拡大の一途をたどり、今や8万人をこえる暴力団総数の半分を占めている。45都道府県に及び、ほぼ全国制覇した。
 今、日本の暴力団はマフィア化している。昔は、オレはヤクザだと公言していたが、今は表だっては派手に動かない。警察も手がかりがつかめなくなっている。
 いやあ、ホントに嫌ですよね。暴力団がはびこる世の中って。今の企業のなかでは、銀行とゼネコンが一番ヤクザマネーと密接だと思ってきましたが、証券会社とベンチャー企業は、その上を行くようですね。
 警察はもう一度、暴力団壊滅作戦に本格的に取り組んでほしいと思います。
(2008年6月刊。1500円+税)

超巨大旅客機エアバス380

カテゴリー:社会

著者:杉浦一機、出版社:平凡社新書
 空港に行くたびに自分の乗る飛行機に乗りこもうとする乗客の多さに驚きます。こんなにたくさんの乗客を乗せて、こんなに大きい飛行機がよくも空を飛べるものだと呆れてしまうほどです。
 そんな不信から、私のよく知る弁護士に飛行機に乗らない主義を貫徹している人がいます。でも、そうは言っても、東京に行くのに新幹線とか夜行寝台列車というわけにはいきません。坂本九ちゃんが乗っていた日航ジャンボ機の墜落事故の原因は真相が解明されたとは今も私は信じていませんが、とりあえずJALやANAを信頼して乗っています。でも、格安飛行機にだけは絶対に乗りたくありません。整備を本当に手抜きしていないのか不安でならないからです。
 昨今はエコノミークラスの運賃は安売りが激しく、利益幅が薄い。エコノミー客15〜16人を運んで、ようやくビジネス客1人の利益に相当する。そのため、国際線の標準的な収益構造は、エコノミー客で採算をとり、上位クラス客で利益を出す形になっている。したがって、ファーストやビジネスクラス客の集客に懸命になっている。
 JALもANAも、収容人数は多いものの燃料消費も多いジャンボ機(3クラス標準で416席)を長距離線からはずし、経済性のよい双発機のB777(3クラス標準で365席)に切り替えている。その結果、定員は1便あたり50人前後も減るが、燃料消費が少なく効率が良いため、利益は2倍にもなる。もちろん、減らされるのはエコノミー席で、利益重視からエコノミー客が切り捨てられつつある。
 ビジネスクラスに若い日本人女性が乗っているのをよく見かけます。よほど裕福な家庭なんでしょうね。若いうちはエコノミー席で苦労した方がいいと思うんですが・・・。
 地上では通常の機体も高空では膨張し、膨張と就職を繰り返すことによって金属は早く疲労し、クラック(亀裂)の原因となる。
 複合材が重量の3割に使用されているエアバス380は、最大旅客数853人で自重は274トン。収容客数は5.92倍に増加しているのに、自重は4.57倍にとどまっている。
 チタンは、重さがアルミの1.76倍、鉄の6割ながら、強度はアルミの6倍、鉄の2倍ある。毎年、世界で生産されるチタン9万トンの3分の2は航空機産業で消費される。ジャンボ機のエンジンには、4基合計で4.5トンものチタン(合金をふくむ)が使われている。ちなみに、日本は世界のチタンの3分の1を生産している。
 800人以上もの乗客と大量の貨物を載せ、560トンもの重量で離陸する巨大な機体を、わずか2人のパイロットで操縦するのは驚きだ。これには操縦装置の自動化、電子化技術が大いに貢献している。
 1927年のリンドバーグの初の大西洋横断飛行のときには、33時間29分のあいだ片時も操縦桿から手を離せなかった。いやあ、まさに超人的なことですよね。
 人間が生活するのに快適な湿度は40〜50%だが、現在の機内はなるべく乾燥させている。湿気によって配管に結露したり、機体や部品が錆びることを防ぐためだ。そのため、現在の機内はサハラ砂漠よりも乾燥した6〜8%の湿度になっている。乗客の身体からは、1時間に80cc(11.5時間で1リットル)もの水分が奪われる。
 A380では、湿度を12〜15%に高めることになっている。水分不足がもたらすエコノミー症候群の予防には効果がありそうだ。
 ちなみに、現行の機種でも、3〜4分ごとに新鮮な空気に入れ替わっている。
 A380をJALが採用する目はなく、可能性があるのはANAのみ。JALはボーイングから逃れられないようです。
 飛行機によく乗る私からすれば、いろんなサービスがありましたが、何よりのサービスは絶対安全です。どんなことがあっても落っこちないこと、それだけです。これをくれぐれも飛行機会社にはお願いします。安かろう悪かろう、整備は手抜きというのでは困るのです。その面の規制緩和はぜひやめて下さい。
(2008年3月刊。760円+税)

あなたも作家になれる

カテゴリー:社会

著者:高橋一清、出版社:KKベストセラーズ
 タイトルに強く魅かれて即購入し、いの一番で最優先課題図書として、2回の昼食時に読みふけりました。だって、つい身近な先輩弁護士から、「あんたは、まったく文才がないねえ」と決めつけられてしまったのですよ。なんと失礼な、今にみていろ、ボクだって・・・。すごく反発したものでした。その怒りをバネに、これからもがんばってせっせと書いていきます。
 著者は長年、芥川賞と直木賞の選考委員会の受賞を知らせる仕事をしていました。正確には、財団法人日本文学振興会の理事・事務局長でした。1996年7月から2001年1月までのことです。
 土日に必死で書く「土日作家」ほど、生活のための正業にはちゃんと向かいあっているものだ。小説創作のために、正業の方は金曜まで何が何でも片付けでおかなければならない。副業で小説を書いているような人こそ、本業もたいへん充実していて、また、小説でも成功している例も多かった。
 だいたい1週間くらいで区切りをつけて繰り返すのが健康にかなっているようで、それが長続きさせるコツでもあった。
 松本清張は、1日に3時間、絶対に電話にでない時間をつくっていた。その間、読書をしていた。旺盛な執筆をしている作家ほど、読書をしていた。
 小学校・中学校の教師が作家になるのはごく少ない。高校の先生からやっと多くなっていく。「日常の授業でつかっている言葉と小説の言葉にあいだに、あまりにも差があるので、小説を書くのが辛い、難しい」と言う。
 新聞記事のように情感をこめた表現をしない仕事をずっとしていると、自分の情感をさらすような文芸作品には、なかなか入っていきづらくなる。
 小説では、「おおむね天気は良好だった」の「おおむね」を自分なりにどのように描写するのかが勝負となってくる。「おおむね」では非常に通りいっぺんの表現でしかない。
 具体的な言葉のもちあわせは作家の読書量と正比例する。私は、「ひよめき」という言葉を知りませんでした。赤ん坊の頭のてっぺんにある、息を吐き吸いするたびに、ひよひよと柔らかく揺れるあたりを指した言葉だそうです。いやあ、世の中、知らない言葉って、ホント多いんですよね。
 書いてもどうせ分からないから、と読者をなめ、作家まで貧弱になってしまってはいけない。うーん、そうなんですよね。
 もてる男の作品はつまらない。ただそこにいるだけでもてる男に、どうして面白い小説が書けようか。ふむふむ、なるほど、そうだったのか。私の書いたものがつまらないのは、もてる男だからなのか、とつい一人納得したことでした(ハハハ、しゅん)。
 作家にとって、世の中無駄なものは何ひとつない。小説は35歳からの仕事だ。
 エンタテイメント小説は、私の知らないことが書いてあると読者を喜ばせるのが仕事だ。芥川賞や純文学は、今日を生きている者の愛と苦悩を書き、まるで私のことが書いてあるみたいと読者を共感させ喜ばせてほしいジャンルだ。
 小説は感性に訴えて、読者を喜ばせ泣かせるものだ。
 多くの作家がペンネームを用いているのは、親がつけた名前とは違う名前を名乗ることによって、自分ではない何ものかになり、存分に筆をふるうためなのだ。いやあ、これは本当にそうなんです。私もこのブログをペンネームで書いていますが、実名では書きにくいことも気軽に書けるからです。また、現実の私を知る人でも、一瞬、抵抗なく読めるだろうという気配りでもあります。
 いろんな賞を選考する側の内情が紹介されています。たくさんの原稿をひたすら読み続けるのも大変だろうなと、つい同情してしまいました。どんな本でも出だしが大切だし、決して出し惜しみしてはいけないというのも肝に銘じました。
 明日死ぬかもしれないのに、これを書いたら自分は終わりだ。私のすべてだ。書き終わったら死んでもいい。明日がなくてもいい。それくらいの気持ちで取り組んでほしい。そのときに発生したものは、そのときに書いておかないと、次も出てこない。全部つかい切って器がカラになる。すると、また新しいものが器にたまる。そんなものだ。
 いえ、私も実際、いま書いているものについてはそんな思いに何度もかられました。これを書き終わってしまったら、自分はあと何もすることがないんじゃないかなって、・・・。でも、今は、そうは思っていません。書いたものを手直しして、もう一度、書き直し、今度は文庫本として世の中に送り出すことを夢見ています。もう少しストーリーを完全にしたいと思うのです。そんな夢をもっています。
 小説は書きこみ過ぎるより、少ないほうがいい。小説の読者は、想像する喜びを楽しんでいるのだ。
 一生懸命に生きていると、いろいろなことが見えてくる。要は、あなた自身がいかに日々を見つめているかだ。つまり、毎日を一生懸命に生きているかなのだ。
 自分のなかのもう一人の自分に気づいたとき、書ける材料が小説に生まれ変わる。
 もう一人の自分とは、かくありたい、こういう自分であってみたいという、今の自分をどこかで否定するような他者だ。今の自分はいつわりではないか、どこか違っているんじゃないか、そう感じてしまうところがあるのが作家だろう。
 できれば見ないほうがよかったもの、鈍感にやり過ごせばよかったもの、感じないほうがよかったもの、そういうものが日常の中には無数にある。それから逃げないことが、まず書きはじめるための条件だ。作家が小説や随想を書けるのは、絶えず関心をもって周囲の景色や出来事を見ているからだ。そういう心がけで暮らしていると、毎日が濃密で充実したものとなる。文章を書くことを覚えると、そういう生活ができる。
 うむむ、ますます私もモノカキから作家に昇格したいと思いました。
 自分が、私こそが全知全能の神だと信じて書くこと。世界でいちばん上手な小説書きは自分だ。このうぬぼれを支えにして書きすすめ、最後まで書き切ること。
 そうなんです。あんたはまるで文才がないなんて、とんでもない誹謗中傷です。そんなことを言う人間を気にすることなく、あとで見返してやればいいのです。
 いやはや、作家になるのがいかに大変な仕事なのか、つくづく分かりました。それでも私はモノカキ転じて作家になるのを目ざします。だって夢のない人生って、つまらないでしょ。
(2008年6月刊。1429円+税)

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