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2008年5月 の投稿

よみがえれ少年院の少女たち

カテゴリー:司法

著者:中森孜郎、名執雅子、出版社:かもがわ出版
 この本を読むと素直な気持ちになって、すごく感動しました。少年院で、こんな素晴らしい人間教育が何十年にもわたって営々となされていることを知り、その地道な粘り強い努力に対して心から敬意を表したいと思います。人事院総裁章を受けたということですが、このような地道な取り組みは、もっと世の中に知られていいと思いました。知らなかったのは恐らく私だけではないと思いますので、ここで声を大にして紹介したいと思います。
 仙台市にある青葉女子学園では、24年間にわたって表現教育が続いている。朝日新聞の天声人語でも取り上げた(2007年1月6日)。
 女子少年院は、全国に9ヶ所ある。その一つである青葉女子学園では、毎年春になると、創作オペレッタの準備に取りかかる。これは、すべて手作りの音楽劇である。まず、教官が漢字1字のテーマを与える。2006年は「今」だった。これをもとに、20人の少女たちが手分けして脚本や歌をつくる。すごいですね、自分たちでイメージをふくらませていって、すべて手づくりです。
 少年院に収容された少年は、その多くが幼いころから家庭内や親子の間に葛藤があるなかで育ち、学校では学習につまづき、いじめや不登校の問題にさらされ、非行に至る。ようやく見つけた不良仲間との居場所も決して安定できる場所ではなく、人に対する信頼も、自分に対するプラスの評価もないまま、絶望的な気持ちで少年院に強制的に収容されてくる。とくに少女の場合は、性的な被害体験など、女子特有の傷つき方をしていて、心身ともに疲弊して入院してくることも多い。ちなみに、少年院に送られる割合は家庭裁判所の扱う少年保護事件のうち3%程度。
 少年院に来た少女たちに共通する3つの問題点は、第1に嫌なことでも我慢してやりとげることが苦手なこと(自己統制力の未熟さ)、第2にルールを守って生活したり、集団の中で自分の役割を責任もって果たすという姿勢に乏しい(規範意識の欠如)、第3に親や周囲から愛情を受けてきた実感に乏しく、人一倍受け入れてほしい、認めてほしいという気持ちが強い(愛情欲求不満の高さ)。
 このような少女たちが大人へ示す反応・行動は、何を訊いても「分からない」「別に」などの「拒否」、どんなことにもへ理屈や難くせをつけて受け入れない「反発」、受け入れてもらうための作り笑顔や必死の「迎合」、ときには自分に好意的に接してくれる大人を試すための「裏切り」。
 うむむ、なるほど、なーるほど、これってなかなか扱いが難しいですよね。
 問題は、そこで、どうするか、です。青葉女子学園では、創作オペレッタに取り組んでいます。このオペレッタは、題材自体を少女たちが創作するという特徴があります。そして、それに少年院の全員が何らかの形で関わるのです。テーマは、漢字一文字で指導者が設定します。
 翼、道、時、光、樹、河、風、旅、響、星、窓、緑、灯、橋、鏡、手、空、輝、今、声。これが今までのテーマです。うーん、な、なーるほど。
 脚本は、全部、手書き。あえてパソコンはつかわない。これは、自分たちでつくった作品であることを実感させるため。歌も少女たちが作詞・作曲する。これまでに20回で277曲の歌がつくられた。
 ひゃあ、すごい、すごーい、ですね。
 上演時間は40〜50分間。配役も背景(舞台)づくりも、みな少女たちがする。
 このほか、青葉女子学園では身体をほぐす体操、和太鼓、詩の朗読などにも取り組んでいます。「春を呼ぶ太鼓と朗読の会」を毎年3月、家族にも来てもらって開いています。
 青葉女子学園を退院した少女が出院したあと5年内に再び犯罪・非行をして収容された率は4.5%だそうです。すごいことです。大変な苦労が学園の内外にあると思いますが、ぜひ今後とも続けてほしいと思います。
 この本を、少年付添事件を担当する弁護士すべてに読んでほしいと思いました。
(2008年3月刊。2200円+税)

ハンガリー革命1956

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ヴィクター・セベスチェン、出版社:白水社
 日本人の私にとっては「ハンガリー動乱」という言葉のほうがピンときます。この本では、「12日間にわたるハンガリー革命」と呼ばれます。ときは1956年10月末から11月初めにかけてのことです。ハンガリーの首都ブダペストが中心となります。
 ナジ政権の樹立とソ連軍撤退を要求し、ハンガリーの学生、労働者、知識人がデモを行ったことがきっかけで、火炎瓶、ライフル銃と死に物狂いの勇気でソ連軍の戦車を相手に壮絶な戦いをくり広げた。ソ連軍は、一時、撤退し、ハンガリー人は勝利したかのように思った。しかし、ソ連軍は引き返して第二次侵攻を開始した。
 アメリカのアイゼンハワー大統領のスポークスマンたちは「鉄のカーテン」と共産主義から解放すると言っていた。CIAはハンガリー民衆を大いにそそのかした。しかし、本当に助けが求められたとき、ワシントン当局は手を引いた。ハンガリーの人々はアメリカから見捨てられた。
 すべての共産主義衛星国は、ソ連に対して憤りを感じていた。ソ連は、衛星国をすべて植民地と見なし、そのように扱った。それをハンガリーほど強く深く憎んでいた衛星国はなかった。ハンガリーは敵国のように扱われる敗戦国だった。というのも、ハンガリーは、20年間ものあいだファシスト独裁者の支配下にあり、ポーランドかチェコと違って、ソ連に侵攻した国だった。
 ハンガリーは、1920年から1944年までの25年間、摂政ミクローミュ・ホルティ提督の独裁政治下にあって、ドイツにとって重要な枢軸国だった。ホルティ摂政の陸軍はソ連に攻め寄った。
 1944年12月のクリスマス・イブに始まった流血のブダペスト包囲戦は、51日間続いた。ドイツ軍は西部戦線からハンガリーへ10個師団を移動させていて、ヒトラーはいかなる犠牲を払ってでもブダペストを防衛せよと下命した。4万人以上のドイツ軍兵士と7万人以上のロシア軍兵士が戦死した。
 ソ連軍とともに、モスクワっ子として知られたハンガリー生まれの共産主義者集団がやって来た。その数は300人ほど。スターリンに慎重に選ばれた彼らは、ソ連市民となって、ソ連に15〜20年住んでいた。
 スターリンはユダヤ人であるラーコシを使い物になると判断して、ハンガリー共産党の指導者に任命した。ラーコシとその徒党には国家的基盤がなかったため、なおさらソ連に依存した。ラーコシ、側近のゲレー、ファルカシュ国防相、レーヴァイ教育相は、みなユダヤ人だった。
 ハンガリー陸軍は再編成された。標準的武器はソ連製である。しかし、ソ連軍のT34戦車は砲弾を発射することができなかった。重要な部品はソ連の軍事顧問が保管していた。
 ソ連のKGBに似たAVOが発足した。AVOの任務は、共産党に反対する政党を排除すること。AVOは、やがて巨大で思いあがった恐怖の官僚機構となった。5万人近い職員、人口の1割100万人もの情報提供者をかかえた。
 スターリンに批判的な者が摘発された。ライクがスパイとしてでっち上げられ、裁判にかけられた。ライク裁判のあと、大恐怖が3年以上も続いた。人口1000万人という小さな国で、大勢の人が動揺した。1950〜1953年に130万人以上が裁かれ、その半数が投獄された。2350人が即座に処刑された。3つの強制収容所に4万人もの人が収容された。1950年には、85万人の共産党員のうち半数が刑務所と強制収容所に送られ、国外に追放され、3年後に死亡した。
 イムレ・ナジはソ連での15年間と、ハンガリー政府の大臣であったとき、ソ連秘密警察のスパイだったという書類がある。1956年10月にハンガリー革命が始まったとき、ナジは原則として学生の抗議に反対だったし、デモに参加する提案に愕然とした。デモの先頭に立つなど、思いもよらなかった。ナジは革命を望んではいなかった。ナジは民衆の気持ちが理解できなかったし、難局に対処できなかった。
 フルシチョフはナジを復帰させて秩序を回復させようとした。そして、ハンガリーを監視するため、ミコヤンとスースロフを派遣した。同時に、陸軍参謀総長とKGB長官もこっそり派遣した。それほど、クレムリンのボスたちはハンガリー危機を深刻に受けとめていた。
 民衆のデモが始まったとき、ハンガリー軍の兵士のほとんどは、どちらにもつかず、兵舎に戻った。そして、武器と銃弾を市民に手渡した。ライフル銃も渡された。警察本部長は中立ではなく、革命者に転向し、警察の武器保管所を解放した。こうして、市民の抗議は武装蜂起に変わっていった。
 10月24日、ソ連軍は午前2時からブダペスト市内に侵入した。6000人の将兵と戦車700台を市内に送り込んだ。さらに、2万人の歩兵と1100台の戦車、185門の重砲を配備した。159機を有する戦闘機2分隊で地上部隊を支援できる態勢をととのえた。
 ブダペスト市内で市街戦が始まった。ソ連軍のT34戦車は白兵戦には適していなかった。1日間でソ連軍の死者は20人、負傷者は40人に達した。戦車4台と装甲車4台が大破した。秩序回復の兆候はなかった。
 2日目、反乱者は銃殺されていないどころか、元気づいていた。象に立ち向かう一匹のアリだった・・・。ソ連軍は1万4000人の兵士と250台の戦車の援軍を得た。
 このとき、アメリカのアイゼンハワー大統領はハンガリーには介入しないと決意していた。アメリカはソ連にそれを伝えて安心させた。1000万人しかいないハンガリー国民のためにアメリカ市民を戦争のリスクにさらす必要はないと判断したのだ。
 ハンガリー革命の戦士は1500人をこえていた。アメリカは表向き、革命者の戦闘継続を声援していた。だから、彼らがアメリカをあてにしたのは当然のことだった。しかし、ワシントンには、イムレ・ナジに政治的支援と物的援助を与える理由は何もなかった。
 革命が始まった1週間のあいだに1000人のハンガリー人と500人ものソ連軍兵士が命を落とした。
 アメリカは、このころ、英仏両国がイスラエルと共謀して対エジプト攻撃の計画を立てていることを知っていた。エジプトはスエズ運河を国営化した。このエジプト侵攻は、ハンガリー革命の直前になされた。おかげで、世界の注目はブダペストからそれてしまった。
 11月2日、ソ連軍が大雨のなか、ハンガリーに戻ってきた。ハマーショルド国連事務総長はスエズ問題に専念していた。スエズのほうが優先事項だった。
 ソ連軍が送りこんだ高速の新型T54戦車には、ハンガリー革命人士の火炎瓶と軽火器は歯が立たなかった。2日間で、ブダペストは破壊された。
 数ヶ月間のうちに、18万人ものハンガリー人が祖国を去った。アメリカに15万人、イギリスとフランスがそれぞれ3万人を受け入れた。ハンガリー革命のあと、ソ連は恐れられ、嫌われた。世界中が激怒した。ハンガリーにおけるソ連の蛮行はヨーロッパの左翼を粉砕した。フランス共産党は党員の半数を失い、分裂したイタリア共産党はモスクワと手を切った。イギリス共産党は3分の2の党員が脱党した。オランダ共産党は消滅した。
 日本共産党は、辛うじて生き残っています。そして、いま再び元気を取り戻しつつあります。ソ連共産党の誤りは許せないと勇気をもって批判したからです。
 少し前に映画『君の涙、ドナウに流れ』をみたので、その背景を知りたいと思っていたところに出会った本でした。私は、今でも社会主義の思想が間違っていたとは考えていません。それを運用していた独裁者と周辺グループに大きな問題があったと考えています。だって、今の日本を見て、「資本主義、万歳!」だなんて、言えますか・・・。
(2008年2月刊。3800円+税)

いのちを産む

カテゴリー:社会

著者:大野明子、出版社:学習研究社
 いい本です。日本人の生命の誕生そして日本の医療制度のあり方をしみじみ考えさせてくれました。マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』にあったような、アメリカみたいな貧乏人切り捨ての国にならないよう、日本人は一刻も早く目を覚まし、立ち上がるべきだと思います。
 東京・杉並にある明日香(あすか)医院は、医師1人、助産婦数人で運営する産科診療所。もっぱら自然なお産と母乳育児を世話している。明日香医院は8年前の開業以来すでに 1500例の実践がある。明日香医院では、休日・夜間は助産師1人が勤務する。お産のときは、オンコール待機の助産師1人と医師1人の3人で世話する。
 ここの分娩室に分娩台はない。赤ちゃんは、布団の上で、四つんばいや側臥位で生まれる。手術室もない。帝王切開の必要なときには、搬送する。明日香医院は、そもそも帝王切開にならないお産を目ざしている。
 妊婦には、太らないこと、身体をよく動かすことを実行してもらう。1日3時間の散歩が奨励されている。お産のときには助産師が一対一で世話をする。お産後は、完全母子同室同床で、赤ちゃんが泣くたびに母親は乳首をふくませ、助産師は、つききりで世話をする。
 自然な陣痛のためには努力が必要。その要点は、運動と食事が2本柱。運動は散歩。初産婦だと1日3時間、経産婦でも最低1時間はしっかり歩くこと。歩くことは、赤ちゃんにも良い効果をもたらす。からだ全体の血行が良くなり、子宮へも酸素や栄養分に富む血液がたっぷり流れ、お腹の中から元気で、陣痛にともなうストレスなどものともしない丈夫な子どもが育つ。陣痛中の散歩は、自然の陣痛促進剤である。ヨガも試みられている。
 同じように大切なのが食事と体重のコントロール。和食を基本に一日3食をしっかり、しかも食べすぎないようにいただく。
 ヒトの産道は、骨盤の曲線にそって「く」の字に曲がっている。赤ちゃんは、この産道を回りながら降りてくる。だから、産婦が起き上がった姿勢は、重力の助けを借り、赤ちゃんを産み落とす姿勢なのである。逆に、仰向けに寝て産むと、重力に逆らって赤ちゃんを産み上げることになる。分娩台での仰臥位のお産は、生理的に不利な姿勢なのである。
 ここらあたりの解説は、すべて実際の写真がついていますので、男である私にもよく分かります。ありがとうございます。
 写真は、赤ちゃんが母体から生まれ出てくる様子、そして生まれた瞬間までよくとらえています。さすがプロのカメラマンです。
 出生してから2時間ほど、赤ちゃんははっきり覚醒している。これは、産道を通過するときの刺激で交感神経からホルモンがたくさん分泌されているため。そして、その後、赤ちゃんは深い眠りに落ちる。
 赤ちゃんは、家族と対面し、「やっと会えたね」と言わんばかりの表情で親の顔をじっと見つめる。そして、顔をもぞもぞ、口をくちゅくちゅ動かして、おっぱいが欲しいというそぶりをしめし、やがて乳首を探しあて、上手に吸う。
 明日香医院では、お産後3日目には退院する。標準の5日より早いけれど、安産が多いので十分に可能なこと。
 この本は、産科医を取りまく厳しすぎる状況を大いに告発する本でもあります。その点にも心うたれました。
 日本人の出生数は減少の一途をたどっている。2005年には106万人。人工妊娠中絶数も減っていて、29万人。15歳未満の人口は1770万人、人口比13.6%は過去最低となっている。総数で31.6%も減っている。産科当直が多くてきつい、汚い、訴訟が多くて危険という3K医師だから。
 産婦人科勤務医の当直回数は月6.3回、1ヶ月間の夜間呼び出しが20回をこえていて、体力・気力の限界で勤務している。そして、訴訟の数の10倍は紛争がある。さらに、その紛争のうしろに患者と医療者のくいちがいが大きい。
 患者のマナー違反が多いことも著者はきびしく批判しています。なるほど、と思いました。弁護士である私も、一生懸命にやっても、それを当然と思い、感謝されないどころか、いろいろ文句を言われることが少なくないからです。
 すごくいい写真集でもあります。私の知らない世界を知ることができました。ありがとうございます。明日香医院のみなさん、身体に気をつけて、引き続きがんばってください。
 日曜日に梅の実を収穫しました。今年は50個近くもとれました。紅梅・白梅あるうちの白梅のほうです。紅梅のほうには実がついていませんでした(花も少なくなったせいでしょう)。
 梅の隣に植えているスモークツリーが見事です。茜色というのでしょうか。黒っぽい朱なのですが、鮮やかさもあります。もう少しすると、フワフワとした感じになります。まさにスモーク(煙)に包まれてた本です。
 朱色のアマリリスの花が一輪咲いていました。フェンスにクレマチスが濃い赤い花を咲かせてくれました。ほれぼれするような濃い赤色です。
(2008年2月刊。2600円+税)

打ったらはまるパチンコの罠

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者:若宮 健、出版社:社会批評社
 うひゃあ、ちっとも知りませんでした。お隣の韓国では、パチンコ店が1万5000店もあったのに、2006年10月に法律でパチンコ店が禁止されて全廃したというのです。なんで、こんな大切なことを日本のマスコミは紹介しないのでしょうか。呆れるというより、怒りすら覚えます。
 韓国では、コンビニより多い1万5000軒ものパチンコ屋があり、夜通し営業していて、売上総額は日本円にして3兆6500億円に達していた。そして、このパチンコ台はすべて日本の機械であり、玉の替わりに商品券が出る仕組みだった。この点は、ちょっとイメージがわきません。
 韓国は、当局がパチンコ業界と癒着していなかったから、禁止できた。
 ところが、日本では、自民党60人、公明党6人、そして野党の民主党も20人がパチンコ協会のアドバイザーとして名前を連ねている。そして、パチンコ関連業種は警察官僚の重要な天下り先になっている、このこともよく知られている事実です。
 この本の後半は、パチンコ依存症は病気であること、そこから脱出することが口先の言葉に反して、いかに至難なことであるのか、多くの実例をあげて紹介されています。
 パチンコ依存症者の多くは、台に執着している。だから、正確にはパチンコ台依存症だ。リーチとか絵柄がそろって当たるところに、サブリミナル効果のようなものが潜んでいるようだ。液晶画面は恐ろしい。
 さらに、この本には、パチンコ業界誌の編集部に働く人々の多くがパチンコ依存症者だという内部告発が紹介されています。パチンコ誌は、パチンコ広告によってもうかっているのです。パチンコ誌には、いかにも事実かのように確率分析データがのるが、ガセであることが多い。パチンコで勝つのは運だけ。負けない法は、ただひとつ。パチンコをしないこと。
 パチンコ攻略法にひっかかって何百万円もつぎこんだという相談をときどき受けます。インチキ商法に決まっているのですが、先日、内容証明郵便を出したところ、先方に東京の弁護士がついて、だまし取られたお金の8割を返すという示談が成立しました。詐欺商法にも顧問弁護士がついているのかと驚いてしまいました。5月中に返金されることになっているのですが、本当にお金が戻ってくるでしょうか。
 クレサラ多重債務をかかえてしまった人の少なくない人がパチンコ依存症者です。日本でも、中小パチンコ店は倒産していますが、全国大手パチンコ店は一人勝ちですし、オーナーは世界的な超リッチマンです。パチンコ店の全廃なんて、日本では夢のまた夢なんでしょうが・・・。
 実は、この本は、著者からの寄贈本です。前に『失敗から学ぶ』(花伝社)を紹介したので、そのお礼として送られてきました。しかも、この本の中で、『弁護士会の読書』を紹介していただきました。あわせて、心よりお礼を申し上げます。
(2008年5月刊。1500円+税)

米軍再編

カテゴリー:アメリカ

著者:梅林宏道、出版社:岩波ブックレット676
 米軍再編とは、ペンタゴン(アメリカ国防総省)の世界的国防態勢の見直しによる再編のこと。その目的は、機敏で柔軟な世界的展開を可能にするための能力を高めることにある。
 ペンタゴンは、西ヨーロッパと東北アジアにアメリカ軍が過剰に配置されているという現状認識を強調した。
 米軍再編前の2002年、アメリカは海外に19万7000人の軍隊を配備し、70万エーカーの基地をもっていた。海外配備アメリカ軍の95%、海外の基地面積の51%が西ヨーロッパと東北アジアに集中している。つまり、ドイツと日本と韓国の3ヶ国だけで、海外配備アメリカ軍の81%を占めていた。このような現状をペンタゴンは適切でないとした。それは冷戦後の世界情勢を考えたら当然と言える。
 再配置されたアメリカ軍は、同じアメリカ軍であっても、これまでとは一変した存在である。アメリカ軍は、同盟国の承認のもとに、世界のどこにでも跳躍できる部隊として世界各地に配置されることになる。アメリカ軍は、どの地域にいても、いわば「地球軍」なのである。
 ペンタゴンのとっている「蓮の葉戦略」とは、地球上のさまざまな場所に大小さまざまのアメリカ軍基地が配置されるということ。カエルが蓮の葉を跳びながら移動するように、それらの基地を跳躍台として、世界中のどこにでも短期間に兵を送り、そこで持久力のある戦争を行えるようなシステムの構築をめざすのである。
 ペンタゴンは、基地機能に、従来にないメリハリをつけ、大型で費用のかかる「主要作戦基地」の数を減らし、機動性のある基地ネットワークを再構築しようとしている。
 基地(ベース)と名の付くものは主要作戦基地だけで、あとは、場所(サイト)や地点(ロケーション)と呼ばれる。
 グアムは、本格的な海兵隊の基地となる。アメリカ海兵隊は、「蓮の葉戦略」上、沖縄にいるよりも、好位置につくことができる。そして、アメリカは、それを日本人の払う税金で実現しようとしている。
 うむむ、こんなことって、絶対に許せませんよ。怒りが噴き出します。
 アメリカのイージス艦の日本海配備は、あくまでもアメリカ本土の防衛用である。
 そうなんですよ。アメリカは日本人を守るなんて考えたこともないでしょう。黄色いサルなんか原爆でみな死ねばよかった、今でもそう考えているアメリカ軍人は多いのではありませんか。
 イラク国内に、アメリカは4ヶ所の巨大基地を建設中だ。ここは、1万人をこえるアメリカ兵の住む町の様相を呈している。うへーっ、ちっとも知りませんでした。知らないって、恐ろしいことですね。先日、日弁連会館で著者の話を聞いたときに買って読んだ本です。
(2006年5月刊。480円+税)

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