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2008年4月 の投稿

インド

カテゴリー:アジア

著者:堀本武功、出版社:岩波書店
 富豪の数でもインドの躍進はすさまじい。2007年度版の世界長者番付は世界の富豪(10億ドルつまり1200億円以上の資産家)946人をランク付けしているが、インド人はそのうち36人を占め、アジア1位の座を獲得した。日本は、これまでアジア一位を占めてきたが、今回は24人でしかない。日本人トップの孫正義は129位で、インド人のトップは5位。
 海外に印僑は2000万人いる。その1割はアメリカにいる。インド系アメリカ人は 230万人いて、アジア系では、最大の人口増加率にある。
 冷戦期に大学教育を受け、印米関係が最悪だった時期に青春時代を過ごした40歳以上のインド人のインテリには、社会主義への親近感とともに、反米的傾向が顕著だ。
 インド経済の成長にともなって、自動車などの耐久消費財を購入する余裕をもつ中間層が急速に増加している。アメリカの総人口に匹敵する3億人の中間層がいるとアメリカのブッシュ大統領は言ったが、それほどでなくても、2億人には近い。それにしても多いですよね。中間層だけで日本の総人口より多いのですからね。
 インドのITサービス産業は70万人を直接雇用し、250万人に間接的な雇用を提供している。
 インドのITサービス輸出額の7割はアメリカ向けである。
 インドの農村に貧困者が2億人近くもいる。問題は、現在も3億人は読み書きができないということ。うむむ、これって、大問題ですよね。
 しかし、人口増加がインドの強みである。インドでは、24歳以下の人口が全体の半分(54%)を占めている。圧倒的に多い若年層は、豊富な労働力であり、今後とも、インドの長期的な成長を支えていくだろう。
  インドの選挙では、替玉投票、投票済み投票箱の強奪、差し替えなどの不正が日常茶飯事である。候補者殺害事件も起きる。議員の質も低下している。国会議員の4分の1(136人)が犯罪歴をもつ。しかし、そうは言っても、インドは世界最多の有権者をもつ。有権者が6.7億人もいて、世界最大の民主主義国でもある。
 テレビは120チャンネルもある。
 今、世界的に注目されているインドについての基礎的な知識を得られる本です。しかし、それにしても、インドのミタル製鉄がヨーロッパの製鉄会社を吸収合併してしまい、日本の新日鉄まで併合のターゲットになっているというのですから、恐るべき変化です。
(2007年9月刊。1000円+税)

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます

カテゴリー:生物

著者:小林朋道、出版社:築地書館
 鳥取環境大学は5年前につくられた。学生数1200人。人と社会と自然の共生をめざす人材の育成が目標だ。そんな大学で学生を教えている著者による、大学周辺の環境と身近な動物たちとの楽しい格闘記です。豊かな自然に囲まれて、人間が自然の体系と調和しながら生きていくことの大切さを実感させてくれる素敵な大学だと思いました。
 タイトルは、大学の廊下をオヒキコウモリという珍しいコウモリが飛んでいるのを学生が発見したことによります。その事件で目覚めた著者は、近くの洞穴でキクガシラコウモリにも出会うことができました。
 自然界で、ある出来事が起こると、その出来事に関連した事象に対する脳の反応性が増大する。
 近くの森でヘビに出会い、ヘビの写真もとっています。子ヘビでした。その口の中に白い穴が見える。何か? 肺に通じる気管の入り口である。人間もふくめて他の動物では、ノドの奥に開いている気管入口が、ヘビでは口の中ほどに位置している。なぜか? それは、大きな獲物をゆっくり飲みこむとき、気管が塞がれて窒息することを避けるためだ。うむむ、なーるほど、そういうことだったのですか。それにしても奇妙な穴です。
 タヌキは、地面の餌を探しながら、いつも下ばかり向いて歩くので、前方の対象物に気づかないことが多い。そのときも、著者のすぐ近くに来るまで気がつかなかった。すぐ前で気がつき、著者と目が合うと、驚いて逃げていった。
 著者は小さな無人島に雌ジカが一人ぼっちで暮らしているのを発見します。愛着がわくと個別の名前をつけたくなる。それは、外部世界、とくに社会的な関係をしっかりと把握するための、人間万人に備わった脳の戦略だ。
 岡山県の山中でニホンザルの生態を調べていたとき、夕暮れどき山奥に帰っていくニホンザルを追いかけていた著者は、ホーッと出来るだけニホンザルの声に似せて鳴いてみた。すると、群れの前方を行く数匹のサルが声に答えて、ホーッと鳴いた。半信半疑でもう一回、鳴いてみた。同じように、また、鳴き返してくれた。サルも交信できるのですね。
 ドバトは、他の個体と一緒に群れをつくる特性を備えている。そこで、一人になるのは不安を感じる。著者に飼われていたドバトは、著者が見えないと不安そうにきょろきょろあたりを見まわし、見つけると急いで歩いてやってくる。ふむふむ、そうなんですか。
 ヤギは、社会的な順位を強く認識する動物である。なじみのない人に対しては、競争的、威圧的にふるまう。ところが、小さいころから親のように優しく厳しく接してきた著者に対しては、従順だった。ヤギの社会では、移動の際には、順位の高い個体から前を歩く。
 うひょう、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
 この本を読むと、動物を飼うことの大変さと素晴らしさを実感させてくれます。
 庭先のフェンスにからみついているクレマチスが花を咲かせてくれました。赤紫色の花です。ほかにも真紅の花や純白の花などが、これから咲いてくれるはずです。アスパラガスがやっと食べられそうなほどの太さになりました。早速、春の味をいただきました。このところ毎日タケノコを美味しくいただいています。きのう、誰かがコラムに子どものころ毎日毎日タケノコを食べていて、竹になってしまいそうと悲鳴をあげていたと書いていました。味噌煮のタケノコは鶏肉なんかとよく合いますよね。春らしい味です。
(2007年3月刊。1600円+税)

イラク戦争のアメリカ

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョージ・パッカー、出版社:みすず書房
 ネオ・コンはアメリカの戦争推進論者です。その一人ウォルフォウィッツは学生だったので、徴兵猶予でベトナム戦争に従軍していない。ディック・チェイニーは学生であることを理由として5回も徴兵猶予を受けている。60年代には兵役よりも他にしたいことがあったと本人は弁明している。ジョン・ボルトンはブッシュ大統領と同じで、州兵になった。東南アジアの水田で死にたくなかったというホンネを語っている。
 官僚組織の重鎮はチェイニーとラムズフェルドだったが、9.11以降の政策における精神的指導者はウォルフォウィッツだった。才気あふれる俗世派のユダヤだ。
 ブッシュ大統領とウォルフォウィッツは同じ世界観をもっていた。悪の存在を信じ、アメリカは救世主としてそれに立ち向かわなければならないと考えていた。
 イラク問題はブッシュ大統領にとって、エディプス・コンプレックスから脱却して男を上げるチャンスだった。父親よりもうまく宿敵に対処できることを証明する、またとない機会だった。
 ネオコンの第一世代は、かつて左派そのものだった。トロツキストもふくまれていた。イラク戦争の大物タカ派の中に左派出身者が混じっているのは、そのためだ。
 左派とか右派という視点は無意味になった。存在するのは、介入主義者と非介入主義者、革命論者と現実主義者という違いだけだった。共和党主流派の守旧的な現実主義者は、気づくと反帝国主義の左派や極右の孤立主義者と同じ陣営にいた。一方で、かつて人道的戦争を支持していたリベラルたちが、ブッシュ政権のタカ派を不本意ながら支持していた。
 2002年夏の終わりから秋にかけて、過剰に攻撃的な表現を用いて、イラクを先制攻撃する必要性をアメリカ国民に納得させるための派手なキャンペーンが始まった。イラクは無法国家で、5年もたてばアメリカに脅威を与えかねないと言われていたのが、突然、一刻の猶予もならないということになった。明確な証拠があるかどうかは問題ではなかった。理由を考える前に、戦争することを決めてしまったため、ブッシュ政権はあとに引けなくなっていた。
 彼らは、これは解放の戦争であり、復興はすぐに終了するので、比較的簡単でやりやすい戦争だと考えていた。ウォルフォウィッツは小規模な兵力、戦後復興への最小限の関与という条件を認めた。復興費用はそれほどかからないし、イラクの石油収入でまかなうことができると国民に説明した。ホワイトハウスが推算した復興費用は桁外れに低かった。4月に行政管理予算局は戦後復興費用を25億ドルと見積もった。戦争費用は2000億ドルに達すると予想した。ブッシュ政権は、戦争費用の試算を意図的に公表しなかった。
 フランクス将軍の革新的な戦略に動員された兵力は、国を制圧するには十分だったが、治安を維持するには不十分だった。それでも組織的に対応していれば、最悪の略奪を阻止したり、警告を発して暴力行為を予防したりできたかもしれない。ところが、略奪の現場にいたアメリカ兵は、介入するように命令されていなかったので、それを傍観していた。
 バクダッド市民による施設の破壊は、爆撃や銃撃による被害を上回った。アメリカ兵は黙ってみていただけでなく、略奪者をたきつけて協力した。アメリカ兵に警備されていた石油省だけは略奪を免れた。
 戒厳令はしかれず、夜間外出禁止令もすぐには発令されなかった。しかし、アメリカ軍は、早くから権力を確立していた。すべての元凶は略奪だった。そのときに、無秩序であることが明らかとなった。最初の数週間におきた略奪の経済的損失は、120億ドルと概算された。それは、戦後1年間のイラクの予想収入に等しかった。しかし、物質的な損害よりも、壊滅的な打撃を受けたのは、数値化できない損害だった。イラク人の経験した最初の自由は、混乱と暴力だった。新たな得体の知れない恐怖が解き放たれた。
 CPA(連合暫定施政当局)は、地理上はバクダッドの中心に位置しながら、完全に孤立していた。人権担当のイギリス人職員は、5週間のうち、グリーンゾーンを出たのは3回だけ。グリーンゾーンで働いていた職員は、まるで家の外に放火犯が集まっていることも知らずに、新築家屋の内装の仕上げに余念のない作業員のようだった。
 イラクに行ってみると、バクダッド国際空港と市の中央部を結ぶ道路をパトロールする十分な兵力がなかったので、イラクに到着するや否や命の安全は保証されなかった。
 アメリカ人にとって一番難しいのは、尊厳と敬意をもってイラク人に接すること。なぜなら、信用できるイラク人に会ったことがないから。ここでの最大の戦いは、イラク人に親切にするべく自分と戦うこと。
 アメリカのイラクへの侵略戦争が誤りであり、失敗していることは明らかです。少なくとも日本はアメリカのためにお金をつぎこんではいけないし、自衛隊は一刻も早く撤退させるべきです。ところで、先日の名古屋高裁判決は久々に感動しました。日本国憲法に定める平和的生存権は具体的な権利だというのは、まったくそのとおりです。にもかかわらず、「傍論だ」とか、「そんなの関係ねえ」という政府高官の発言は許せません。行政が司法を尊重しなければ三権分立なんてありません。軽々しく見過ごすことのできない暴言です。
(2008年1月刊。4200円+税)

南京大虐殺と日本の現在

カテゴリー:中国

著者:本多勝一、出版社:金曜日
 南京大虐殺は、中国語では南京大屠殺と表記される。
 日本軍が南京城内に突入した1937年12月13日からの大小の虐殺は、長江(揚子江)の岸辺での2万人を含めて、被害者の合計がどれほどになるのか正確な数はつかみにくい。しかし、難民区(安全区)からの大量連行・集団銃殺が翌1938年(昭和13年)1月まであったこと、杭州湾と上海から南京への進撃途上でも南京まで切れ目なく続いた虐殺から推察すると、膨大なものにならざるをえない。このような虐殺の実態は、戦前の日本そして戦後になってからも伝えられることはなかった。それが南京大虐殺否定論を受け入れる素地をなしている。
 日本軍が南京で大虐殺して既に70年が過ぎました。今も、堂々と大虐殺を否定して開き直る日本人が多いというのが悲しい日本の現実です。だからこそ、石原慎太郎が400億円もの大金をさらに無駄づかいをするのを許してしまうのですね。ひどいものです。
 虐殺なんてなかったという「まぼろし派」の人々は、便衣兵の処刑を戦闘行為の延長線上にある行為だとして虐殺の範囲から外してしまう。便衣兵というのは、本来、一般市民の服を着て、ゲリラ的な戦闘行為に従事する者をいう。ところが、南京では、厳密な意味での便衣兵は存在しなかった。そこにいたのは、崩壊した中国防衛軍が軍服を脱ぎ捨てて一般市民の衣服を身にまとって難民区の中に逃げこんでいた中国軍将兵だった。それを日本軍は狩り出して集団処刑していった。仮に便衣兵が存在したとしても、その処刑には、当時の国際法の理解でも軍事裁判の手続が必要だった。ところが、南京では、そういう手続は一切省略して、青壮年の男子の兵隊とおぼしき者はかたっぱしから連行し、集団処刑していった。
 ひゃあ、すごい、ひどいものです。法律なんてまったくあったものではありません。
 南京攻略戦に参加した日本軍は、早期凱旋の夢が破れて、やぶれかぶれになっていた。そのうえ、中国軍の激しい抵抗にあって戦友をたくさん失い、敵愾心に燃えていた。さらに軍紀風紀が十分でなかった。憲兵隊も少なかった。
 日本軍の戦闘詳報とか陣中日誌とか、日本軍自身の公的な記録の中に捕虜殺害の事実が、たとえば捕虜何十名を処分するとか処刑するといったことが公然と書かれている。捕虜を殺害すること自体に違法性の認識がない。
 まぼろし派は、南京大虐殺を30万人虐殺を必須条件とする固有名詞と勝手に決めつけ、30万人虐殺が証明されなければ大虐殺はなかったと主張する。これは、勝手に10人以上の人を殺さなければ強盗殺人でないと規定し、9人まで殺しても問題ないというのと同じ論理である。なーるほど、そうですよね。
 現在の日本では、まぼろし派による本が書店で圧倒している。1990年代はじめまでは、文藝春秋、サンケイ、新潮社といった札つきの右翼・保守出版社だけだったのが、今や、小学館、草思社、幻冬舎、PHPなどからも出版されている。出版メディアにおいては、南京大虐殺否定の巨大メガホンが繰り返し嘘をたれ流している。
 うひゃー、これってひどいですよね。売れたらいいっていうことでしょうか。同じ日本人として、まったく許せません。
 南京大虐殺による中国人の被害者が正確に30万人だったかどうか、なんてことはまったく問題外のことでしょう。日本軍が国際法をまったく無視して、大量の中国人を虐殺し続けた事実があるわけですから、日本人として大いに反省すべきは当然です。
 当時の日本軍の中枢にいた軍人のうち何人もが、そのことを認めているのです。それって、どう考えても重い事実ですよ。歴史に学ばない日本人は、愚行をくり返すものです。
(2007年12月刊。3000円+税)

冤罪司法の砦、ある医師の挑戦

カテゴリー:司法

著者:石田文之祐、出版社:現代人文社
 贈収賄事件で有罪となった医師が司法制度を激しく弾劾した本です。
 日本の裁判は、とても裁判といえるものではない。少なくとも、欧米諸国がとっくの昔に到達した近代司法に遠く及ばない。これが著者の結論です。
 事件は、国立大学の医局を主宰する教授に対して著者の営む民間病院への医師派遣を要請し、その見返りに月10万円を医局に寄付したことが教授個人への贈収賄とされたというものです。教授は公務員であり、お金が動いたことには争いがありません。
 民間病院の理事長である著者は、あくまでも医局への寄付だったという認識(主張)です。最高裁は、法令上は根拠のない、医局に属する医師を派遣する行為は職務密接関連行為と認定して贈賄性ありとし、有罪にしました。これは、ロッキード事件で首相の行為を職務密接関連行為と認定したのと同じ論法です。
 これについて、医局医師の派遣行為にまで拡大することは、処罰範囲をいたずらに拡大するもので、罪刑法定主義に反する。土屋公献元日弁連会長はこのように批判しています。
 司法の世界は、まさに惨状であり、信じられない怠惰・蒙昧・不正義の世界だ。
 被告人が法廷でしゃべったことを裁判官は信用できない、虚偽だという。しかし、取調中の供述調書には、被告人の署名があるとはいえ、それはあくまでも検察官の作文であり、文責は検察官にある。もちろん、供述調書作成の共同作業者としての責任が被告人にもある。しかし、妥協や迎合も当然考えられてよい。しかも、長い勾留という異常な抑圧状態のもとで、まったく虚偽だと意識しつつも、署名捺印せざるをえないときもある。つまり、供述調書には、被疑者の供述がそのまま記述されてはいない。ところが、裁判官は、取調中の検察官作成の供述調書は信用できても、法廷での被告人本人の発言は信用できないという。なぜか?
 勾留42日間の中でとられた検察官調書を全面的に評価し、5年間、1人の被告人が誠実に、できる限り正確に、と心がけて公判で話したことを信用できないという裁判官とは、一体どんな人種だろう。彼らも日本人なのか?
 外国に比べてはるかに長い勾留は、日本の司法が人質司法と呼ばれる所以の一つだ。これは、適性手続に対する検察と裁判所の無知と無理解、法令無視か歪曲の結果であり、専門職としての責任感と使命感の欠如、すなわち堕落が原因だ。
 判決文を読めば分かるとおり、被告人が公判廷で述べることに裁判官は聞く耳をもたない。もっぱら供述調書に依存する。法令を守る頭脳と精神がない。
 著者は、取り調べを受けているとき、検察官に対して黙秘権はあるのかと質した。それに対する検察官の答えは、黙秘権はあるが、捜査に協力しないということになって、取り調べが長引くだけだ。というものだった。
 このような黙秘権を否定する検察官の発言を弁護人は無視した。裁判官も重大な憲法違反だと認識しなかった。この点、法曹三者は、みな一蓮托生のなれないだ。日本の司法は生きていない。
 検察と裁判所は、市民の厄介者でしかない。有罪と冤罪とのふり分けができないのであれば、厄介者以外の何者だというのか。市民の名誉を汚し、ウソを並べ立てて正義を台なしにし、市民の人生を破壊し、場合によっては汚名を着せて生命さえ奪っている。彼らを早く撲滅しなければならない。彼らこそ、人の世の悪の極みである。
 ここまで言われると、35年間、司法の世界で生きてきた私は身の縮む思いがします。なるほど、大いに反省すべきなのですが・・・。
 1日15分だけ認められる接見のとき、弁護人は、できるだけ本当のことをしゃべってくださいと言うのみだった。被疑者はできるだけ真実を言いたいが、検察官の思いこみと期待は、逆である。供述調書の作成作業は、まさに検察官と被疑者との闘いでもある。
 裁判官の有罪主義は、眼に見えないもっとも難儀な心の問題である。検察官に不利益な決定をすることは、一般的にいって、裁判官にかなりの勇気を必要とする。
 日本は、検察にとって、天国とも楽園とも言われる所以である。
 うむむ、法曹三者に対する厳しい指弾のオンパレードです。これで裁判員裁判になったら、どうなるのだろうかと、ちょっと論点はずれますが、つい心配になりました。
(2007年12月刊。1600円+税)

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