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2008年1月 の投稿

平成の自治体再編と住民自治

カテゴリー:社会

著者:宮下和裕、出版社:自治体研究社
 私と同世代(正確には1学年だけ年長)で、長く自治体問題を専門にしてきた著者による本です。地方自治はもっと大切にする必要があると思うのですが、年頭から日本経団連の御手洗会長は道州制を九州から始めようと提唱しています。とんでもない男です。財界の思うままに地方の生活をこれ以上、荒らしてほしくはありません。
 07年7月の参院選の分析について共感するところが大でしたので、思わず著者にエールを送ったことでした。というのも、日頃は、民主党なんて所詮は自民党と同根、同じ穴のムジナの類じゃないか、アメリカの共和党と民主党と同じで、名前が違うだけの保守政党内の政権バランスの変動に過ぎない。そんなさめた意見があります。それは共産党や社民党など、根っからの護憲政党が引き続き惨敗したことから来る敗北感にも支えられています。でも、本当にそうなのか。もっと、大局的に政局を眺めてほしい。著者は、そのように訴えています。
 民主党が大きく議席を伸ばすことによって実現した与野党逆転によって、憲法「改正」のための憲法審査会の設置は大きく遅れ、いつ発足するのか、今では見通しもありません。憲法「改正」を目ざす政府広報予算も10分の1以下にバッサリ削減されてしまいました。私は、大いなる拍手を送ります。パチパチパチ。
 8月6日の広島での被爆62年式典で、広島の秋葉忠利市長は、「世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、アメリカの時代遅れで誤った政策には、はっきり『ノー』と言うべきです」と、明確な平和宣言をしています。すごいですね。よくぞ言ってくれました。
 小泉元首相が成功したようなマスコミによる世論操作は、なるほど、それなりに成功している。しかし、安倍前首相は、それに失敗して、その意に反して早々に退陣を余儀なくされました。福田首相は前者の失敗を繰り返さないように心がけていますが、それでもC型肝炎被害者に対する当初のお粗末な対応にみられるように、マスコミ操作をうまくこなしているとは決して言えません。
 著者は次のように強調しています。どうせ、たいしたことはできない。お手並みを拝見しよう。そんな傍観者的な立場に立つことなく、いま国民によって有利な条件をいかに活用するのか、そのようにぜひ考えたいものだ。
 私も、まったく同感です。自民党も公明党も世論操作能力に自信をなくしつつあるのです。今こそ、世の中を良い方向へ変えていく絶好のチャンスなのです。そのように考えたいと、私は痛切に思います。
 自治体再編がすすみ、小さな市町村の合併がすすんでいます。おかげで、聞いたこともないような市がたくさん誕生しました。果たして、大きいことはいいことなのでしょうか。私は決してそうだとは思いません。やはり、地方自治体は住民に身近な存在であってほしいと思います。
 地方自治のあり方に少しでも関心のある方には、ぜひ読んでほしい本です。
(2007年12月刊。2000円+税)

ロッキード秘録

カテゴリー:司法

著者:坂上 遼、出版社:講談社
 吉永祐介と47人の特捜検事たち、というサブ・タイトルがついています。そうです。田中角栄が首相在位当時の5億円ものワイロをアメリカのロッキード社からもらって逮捕され、有罪となった、あのロッキード事件について、検察官たちの動きを刻明に再現した本です。
 ここに登場する検事のうち3人は、私が司法修習生のときに指導を受けました。横浜修習のときの指導担当だったのが松田昇、吉川壽純の両検事です。もちろん、いずれも悪い人柄ではありませんでしたが、それほど冴えているという印象はありませんでした。どちらかと言うと、田舎の人の好いおじさんタイプの検察官だという印象を受けていました(松田検事)。村田恒検事は前期・後期のクラスで検察教官でした。いかにも熱血検事で、村田検事にあこがれ、私のクラスでは大勢の修習生が検事志望になりました。でも、理論的な深みはなく、ただひたすら一直線に突きすすむという印象を受けました。まあ、どちらにしても、若くて生意気盛りの私の印象ですから、たいした根拠があるわけではありません。私の不遜な印象にもかかわらず、みなさん、その後、ロッキード事件で大手柄を立てて、大出世していったのは周知のとおりです。
 事件は1972年(昭和47年)8月のこと。ロッキード社のトライスター(Lー1011)を全日空(ANA)に購入させようと、丸紅の社長は田中角栄の目白台の自宅に訪ね、お礼に5億円を払うと申し込み、田中角栄はこれを承知した。田中角栄の働きかけで、全日空はトライスター機を購入することになった。半年たっても5億円の支払いがなかったので、1973年6月ころ田中角栄の榎本秘書が催促した。そこで、ロッキード社は丸紅を通じて5億円を4回に分けて渡した。イギリス大使館近くの路上で1億円、公衆電話ボックスそばで1億5千万円、ホテルオークラ駐車場で1億2500万円、丸紅社長室宅で1億2500万円、いずれも現金が段ボール箱に入れられており、車のトランクに積み込まれた。
 いったい、この5億円は何に使われたのか?1974年の七夕参議院選挙につかわれた。議員28人に対して1人2000万円が田中角栄から手渡された。1973年11月から74年6月にかけてのことである。さらに、田中番をはじめとするマスコミ関係者に対してもお金が渡っている。
 田中角栄は5億円をフトコロに入れたのではなく、自民党のためにつかった。そして一部はマスコミ抱きこみ工作資金になったというのです。
 この本には、検察庁内部の合意形成過程と指揮権発動の状況が刻明に再現されています。なるほど、そういうことだったのかと思い知らされます。
 そして、検察庁と警察庁とのサヤあても紹介されます。検察庁は警察をまるで信用していません。警察を捜査にかませたら、秘密の保持なんてまるでできないのです。警視総監経験者が何人も自民党議員になっていますし、警察の体質がズブズブなのです。
 いま神奈川県警の現職警備課長がインチキ宗教の霊感商法の主宰者側だったということが発覚して大問題になっています。警察庁の警備局にも出向していたというノン・キャリアのエリートの不祥事です。恐らく共産党対策では成績をあげていたのでしょうが、まことにお粗末な警察です。内部チェック・システムがまるでなっていないのでしょう。
 警察の捜査能力には、技量、もっているアメリカからの資料、捜査意欲、守秘の点で問題がある。このように検察庁の側は考えていました。
 警察のことを検察の幹部が考える必要はないし、警察の顔を立てすぎる。
 ところが、検察庁のトップは警察との協調を重視し、第一線の検察官は保秘できない警察との共同捜査を嫌がったという場面が何回も登場します。
 30年以上前に起きた事件ではありますが、検察庁の果たすべき役割を考えるうえでも思い起こすに足りる事件だと思います。
(2007年8月刊。1700円+税)

アレクサンドル?世暗殺(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:エドワード・ラジンスキー、出版社:NHK出版
 1881年3月1日、ロシアのアレクサンドル?世が暗殺された。
 専制、正教、国民性というこの3要素は、ロシアでは不滅の原理であった。スターリンも、ロシア国民には神と皇帝が必要であると言い、自らを皇帝とし神とすることで、スターリンはマルクス・レーニン主義を新しい宗教と化した。ロシアの急進革命家たちが建設したボルシェヴィキの帝国は、彼らが憎んだニコライ1世の帝国に驚くほど似ていた。
 ロシアの上流社会はフランス語で会話し、宮廷の最有力メンバーは全員ドイツ系からなり、皇帝たち自身も90%以上、ドイツの血が混じっていた。
 ドイツの諸公国は、久しくロシアの皇帝たちが妻を選ぶためのハーレムと化していた。昨日まで田舎の公女だった者たちが、貧弱な両親の宮殿を出て、野蛮な絢爛さでヨーロッパ人を驚かすロシアの宮殿に入っていった。花嫁候補のリストにあがっていたのはドイツの公女たちだった。
 有名なフランス人作家キュスティーヌ侯爵はロシアを訪問して次のように書いた。
 「これまで私は、真実は人間にとって空気や太陽のように不可欠だと思っていた。だが、ロシア旅行はそうした確信を揺るがせた。ここでは嘘をつくことが王座を守ることであり、真実を語ることは根幹を揺すぶることなのである」
 こう書いたキュスティーヌの本は当然のことながらロシアで発禁となった。しかし、ロシアでは禁止ほど効果的な宣伝はない。キュスティーヌの書はロシアの全教養階級に読まれた。皇太子アレクサンドルも読んだ。
 何もかも検閲によって圧殺された沈黙の国に、国外発信の暴露的な言説が響きはじめた。国外に自由ロシア出版所をつくり、非合法に国内にもちこまれたロシアの教養階級はひそかにこれを読んでいた。誰が情報を流していたのか。実は官僚たち自身だった。官僚の誰かが同僚を蹴落としたいと思ったとき、皇帝に密告しても効果はないが、国外に送れば直ちに皇帝の反応が得られた。皇帝が一番それをよく読んでいたからだ。
 ロシアの軍隊は世界一偉大な軍隊とされたが、それを構成しているのは、一切の権利を剥奪された農奴階層の兵士たちであり、残酷きわまる体罰が横行していた。
 ニコライ皇帝がヨーロッパ随一とみなしていたロシア軍はまたたく間に敗北した。なぜなら、ロシア軍はナポレオン1世時代の装備でナポレオン3世の兵士たちと戦わされていたからだ。
 ニコライ皇帝が死んだとき、国庫は空っぽ、軍は孤立無援、軍備は時代遅れ、ロシア海軍には蒸気船もない。ヨーロッパでは、どこでも体刑は廃止されていたが、ロシアではいまも容赦ない鞭打ち刑が存在した。どこもかしこも不足と腐敗ばかり。農奴制が残存し、当事者不在のまま裁判が進行し、賄賂がすべてを決していた。
 ロシアの皇帝は、何よりもまず厳しい存在でなくてはならなかった。
 ロシアの皇帝って、残忍でなければ周囲から皇帝にふさわしいとは認められなかったそうです。そして、スターリンはそれに見習ったというのです。ちっとも知りませんでした。
 ロシアの歴代皇帝はみな、農奴制廃止に経済的効果があることを理解しながら、結果としての政治的不利益を恐れていた。専制体制に立脚した帝国には調和が必要であった。
 農奴制の存在のおかげで、国家は農民のための裁判所や多数の警察官をもつ必要がなかった。地主が農民の裁判官かつ警察官として、彼らを監督していた。
 ロシアでは、すべてが隠されているが、秘密はひとつもない。
 1861年3月5日、アレクサンドル?世は奴隷制を廃止した。これはアメリカ合衆国の奴隷解放よりも早かった。おまけに内戦も伴わなかった。ただし、どちらも、その解放者は暗殺された。
 1864年、アレクサンドルは法の前で全国民が平等だと宣言した。にわかに出現した弁護士の中から、高名な雄弁家たちが排出し、国中にその演説が引用されるようになった。
 1860年代にインテリゲンツィアという言葉が誕生した。この言葉はアレクサンドル皇帝による一連の大改革の産物なのである。
 1866年4月4日、アレクサンドル2世は夏の庭園を出ようとしてピストルで撃たれた。しかし、皇帝は無事だった。ところが、ロシア皇帝の不可侵性はこれによって決定的なダメージを受けた。それまでもロシア皇帝は殺されてきた。ただ、それは宮廷の中で、秘密裡になされ、国民向けの公式発表では卒中などによる病死とされていた。ところが、民衆の目の前で銃で撃たれた。神聖なる皇帝の不可侵性というオーラが破壊されてしまった。
 ロシア皇帝と、それをとりまくロシアの宮廷のおどろおどろしい内情がよく伝わってくる本です。
(2007年9月刊。2300円+税)

女たちの単独飛行

カテゴリー:アメリカ

著者:C・M・アンダーソン、出版社:新曜社
 女性が一人で生きていくことの意味、そしてどう生きていくのかを語った本です。でも、同じようなことが男性の一人暮らしについても言えることは多いと思いました。
 シングル女性が自分は間違いなく幸せだという確信をもっても、メディアは、そんな幸せなんて一時的なもので、年月がたつとたちまち消えてしまうと喧伝する。
 しかし、中年は終わりの始まりではなく、大きな可能性を秘めた時期が到来し、自分のときとなったことを実感する。自分が常に求めてきたことを探り出し、若いときにはなかった熱意とたしかな目的をもって、それを追い求めるという甘美な課題に支配される時期である。内なる満足感とリスクを冒して自分を伸ばすという新たな意欲とが微妙にまじりあっている。自由、冒険、自己満足、気楽さ、そして喜びと発見の瞬間を味わう可能性が広がっている。
 既婚か未婚かにかかわらず、中年期は、人生を新しい視点で眺める機会を与えてくれる。女性は自分の苦闘を個人的なものと見なしがちだが、中年になると自分個人の歴史がアメリカ社会の政治的・社会的な歴史という背景のなかで起こったという事実を実感できるようになる。
 うむむ、なるほどなるほど、そうなんですね。でも、一人で生活すると日常生活のなかに不便があることも確かですよね。
 シングル女性は、仕事のうえで密接な関係にある相手とのロマンチックで性的な誘惑や落とし穴に陥りやすい脆さがある。自分のキャリアを危うくせずに上手に断わるのが、とても難しい。シングル女性だと、嫉妬に狂う夫の出現を匂わせて、近づいてくる相手をやんわり断ることができない。拒否されたと思った男性は、とかく職場をその女性にとって居心地の悪い場所にしてしまう。シングル女性は、どのように振る舞ったとしても、職場のゴシップのタネにされかねない。
 シングル女性は、生計のためには仕事が頼りなので、昇進への努力を促される可能性があり、したがって「ガラスの天井」とか「レンガの壁」にぶつかる経験を人並み以上に味わいがちだ。
 シングル女性が、自営か雇われの身であるかにかかわらず。成功を達成したときのマイナス面は、職業と私生活とのバランスを維持するのが難しいこと。
 シングル女性が充実した生活を送るのに、男性は不用だ。
 中年の女性が男性を探そうとしないのは、デートは時間のムダで、退屈であり、恥さらしにさえなると思っているから。男性にとって魅力があるのは、若い女性のぴちぴちした肉体だけでなく、従順さでもある。
 シングル女性は単独飛行を気に入っているが、ひとり住まいにともなう日々の雑用では苦労している。
 シングル女性は、たいてい金銭的な問題をかかえたことがあるか、現在かかえているか、将来かかえるのではないかと恐れている。孤独と貧困の脅威は不安感をうみ、十分なお金があるかどうかという実際問題をはるかにこえた脆弱感をうみ出す。
 アメリカのシングル女性90人にインタビューしたものをまとめた本です。大いに勉強になりました。
(2004年10月刊。2500円+税)

夢に迷う脳

カテゴリー:人間

著者:J・アラン・ホブソン、出版社:朝日出版社
 私は毎晩のように夢を見ています。でも、朝になって活動しはじめると、いつもすっかり忘れてしまいます。
 ネコの睡眠パターンは、人間ととても似ている。ネコの睡眠周期は人間と同じように規則的。ただし、周期は90分ではなく、30分でめぐっている。ネコは非常に寝つきが良く、そのうえよく眠る。
 レム睡眠のあいだに視覚野がアセチルコリン信号を処理することによって、幻覚が生じる。睡眠中も、脳内の機能は多くのことを処理し、高いレベルを維持している。
 夢のあいだ、人間は実際には目の前にないものを見たり、真実でないものを真実だと考えたりしてしまう。完全に見当識が失われると、その錯乱状態の中で、人間は脈絡のない物語を創り上げる。そして、結局、恐らく都合のよいことに、寝ているときの錯乱についてさえ、忘れてしまう。
 コリン系の破天荒な活動が、脳回路を夜通し働かせてしまう。要するに、夢とは、夜間に行われる脳の試運転で生じるもの。夢とは、思い出されることのない一連の記憶なのである。
 毎晩レム睡眠に入り、脳の調整機能をもつ化学物質が変化すると、はるか昔の記憶を思い出す傾向が高まる。
 レム睡眠のときこそ、脳内の運動プログラムは、もっとも活性化している。レム睡眠には、走る、運転する、飛ぶ、泳ぐなどといった行動の錯乱がともなう。日中、私たちを動かしている中枢プログラムがレム睡眠のあいだにぱったり休んでしまうということはない。それどころか、中枢プログラムには、ひときわ力が加わる。中枢プログラムが使わないうちに劣化してしまうことを防ぎ、覚醒時にプログラムを作動させるための予行演習をしているのだ。
 未熟児で生まれてくる赤ん坊ほど、レム睡眠ですごす時間が長い。このとき、脳の神経回路は配線され、テストされる。原始的な運動は、行為の基礎単位であり、脳と中枢神経系の配線作業と修理を担っている。
 情動の測定で、男女間に著しい違いはまったくない。おそらく、男も女も、深い部分においては、さして感情に違いはないのだろう。
 うつ病の人はうまく眠ることができず、しばしば疲労感を訴える。常に眠りたいのだが、眠っても気力が回復しない。覚醒時に脳の回転を高め、睡眠時にはアセチルコリンを激しく放出させるアミン作動系の効力が、うつ病では低下する。うつ病の患者は、脳と身体の化学能力の衰退を直ちに体験している。うつ病は、エネルギー疾患である。脳内の無数の情報の部分的な自覚こそが意識であり、心とは脳内の情報すべてである。
 レム睡眠はうつ状態を悪化させ、逆にレム睡眠を奪うと、うつ状態が改善される。
 抗うつ剤の薬剤のすべてが、アミン系の脳細胞を強化する好適な効能を備えている。抗うつ剤の多くは、アミン系を促進するだけでなく、抗アセチルコリン性をあわせもっている。
 睡眠は究極の治療薬である。十分に睡眠をとることで、時間のバランスを意識的に変えている。健康の実践としては、睡眠がもっとも基本的だ。
 心脳は自己治癒能力をもっている。心身の状態を変えることで治癒能力を操ることができる。元気でいる確率を高める最善の方法は、健康と結びついた行動を選択すること。つまり、あなたにとって最良の医師はあなた自身なのである。
 私は大学を卒業して以来、徹夜をしたことがありません。高校生のとき、一度だけしてみて、翌日まったく頭が働かなかったので、バカげていると思ってそれ以来しませんでした。大学生のときは、合宿で好きな彼女との会話に夢中になって徹夜してしまいましたが、もちろん幸福一杯でしたので、翌日はなんとかなりました。弁護士になってからは、夜中1時すぎまで起きていたことは全然ありません。頭がまったく働かなくなるからです。
 明けましておめでとうございます。今年も書評を書き続けます。どうぞご愛読ください。今年こそ平和でおだやかな世界と日本であることを願っています。
(2007年7月刊。2300円+税)

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