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2007年12月 の投稿

兵士・ピースフル

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:マイケル・モーパーゴ、出版社:評論社
 1914年に始まり、1918年まで続いた第一次世界大戦のなかで実際に起きたことをもとにした叙情あふれる反戦小説です。
 小説の前半は、まるで童話の世界へ誘われたかのように、ゆったりと時間が流れ、子どもの目から見た村の生活が描かれていきます。いえ、決してバラ色の生活ではありません。森の中で木を切り倒しているうちに父親は大木の下敷きになって死んでしまいます。すると、住んでいる家から追い出されそうになり、食べるものにも困って、子どもたちは雇主の私有地に入って魚などを盗みとるようなこともせざるをえなくなります。
 生まれつき発達の遅れた兄がいます。でも、彼を中心に家庭は平和に楽しくまわっているのです。彼をバカにするような人間とは対決し、決して交際なんかしません。
 そんな心の狭い人間とは、私だってつきあいたくありません。
 ささやかな幸せに満ちた生活をうち破ることになったのは戦争です。ドイツ軍が攻めてくるというのです。
 男たちは、敵に背を向けて逃げ出すのかという問いを投げかけられます。恋人を得て妊娠させたばかりで、戦場なんかへ行きたくもない兄が、ついに戦場へ駆り出されてしまいます。そして軍隊で待ちかまえていたのは、情容赦もない鬼軍曹です。ことごとく対立し、徹底的にしごかれます。
 ドイツ軍と対峙する苛酷な戦場で、その鬼軍曹は無謀な突撃を命じます。いま身をさらして突撃しても無為のうちに死ぬだけだ。もう少し待ってからにしようと言うと、上官への抗命罪にかけられました。戦場では戦線逃亡と同じく死刑です。とうとう、本当は勇敢で、リーダーシップのある兄は、死刑に処せられます。なんと不合理なことでしょう。戦争の非情さ、不合理さが、大人になる前の少年兵士の目から惻々と語られます。
 第一次大戦のとき、290人以上のイギリス兵士が脱走ないし臆病行為により銃殺刑に処せられた。そのうち2人は見張りのとき居眠りしていたことが理由だった。
 この本は、「これ以上、砲弾の音に耐えられない」と銃を置いて歩み去ったところを憲兵に捕まり、臆病行為の罪で銃殺刑になった若いイギリス兵の実話をもとにして書かれています。銃殺するのは、その兵士の所属する部隊の兵士たちです。遺体を埋めることまでやらされます。
 『西部戦線、異常なし』の部隊となった「マルヌ会戦」以来、数百万人の戦死者が出たという戦場での出来事です。
 戦争とは、日常の一切のものを圧しつぶしてしまう非情かつ不合理なものであることが、じんわり切なく伝わってくる本でした。戦争はある日突然はじまるのではなく、小さなことの積み重ねの行き着く先です。だから、福田首相が財界の後押しを受けて今すすめている、福祉を切り捨てて軍需産業をうるおすなんてことを許してはいけないのです。
 福岡の小さな映画館で『サルバドールの朝』というスペイン映画を見ました。フランコ独裁政権下でのスペインでアナーキスト・グループの一員として、銀行強盗を働いていた。ある日、警察の待ち伏せにあい、もみあっていたときに警察官を殺してしまいました。警官殺しは文句なしに死刑。必死の嘆願助命活動もむなしく死刑が執行されてしまいます。それに至るまでの息づまるシーンが展開します。いよいよ執行される寸前、同じ部屋で一緒にいた姉たちは、弟に、「じゃあ、あとで、喫茶店で会おうね」と声をかけて立ち去ります。すぐに弟が処刑されることを知っての言葉です。うむむ、泣けてきます。
(2007年8月刊。1500円+税)

慟哭のハイチ

カテゴリー:アメリカ

著者:佐藤文則、出版社:凱風社
 1988年から今年(2007年)まで、ハイチを訪れ続けている日本人カメラマンによるハイチ・レポートです。
 ハイチ共和国はカリブ海のイスパニョラ島の西側3分の1で、東側はドミニカ共和国。日本の四国の1.5倍の面積です。国土の4分の3が山地だが、森林は5%でしかない。それほど環境破壊がすすんでいる。人口は870万人で、人口の95%が黒人で、残る5%は混血と白人。カトリック教徒が80%で、プロテスタントが16%。しかし、同時にブードゥー教徒が8〜9割いる。日常語はクレオール語でフランス語も通じる。
 熱帯性の気候で、平均寿命は52歳。識字率は53%、失業率は60%。1人あたりの国民所得は450アメリカ・ドル。
 民主化への希望の星として現れたアリスティドは、1991年に軍のクーデターによって失脚する。しかし、10年後に2期目の大統領に就任した。ところが、2004年2月、反政府武力勢力の反乱によって再び失脚し、ハイチの混乱は2007年も続いている。
 ハイチは、世界初の黒人共和国として歴史に名を残す。音楽、絵画など、文化的にも豊かな才能にあふれている。キューバは対岸にある。
 ハイチ軍は、いわばギャングの連合体である。高級将校たち個々の利益を背景に、微妙なバランスで成り立っている組織だ。弱みを見せたら、すぐに抹殺される弱肉強食の世界である。
 コロンブスが1492年にイスパニョラ島に着いたとき、50万から100万のタイノ・アラワク族が住んでいた。
 これほど善良で、しかも従順な人間は全世界のどこにも見あたらない。
 スペイン王に対して、コロンブスは、このように報告しています。
 1681年に2000人だった黒人奴隷は砂糖の輸出量が増加するにつれて増え、  100年後には50万人に達した。苛酷な労働と待遇のために死亡率は高く、20年ごとに奴隷の総数が入れ替わった。
 アメリカは1915年7月に海兵隊300人を派遣してハイチを19年にわたって支配した。
 1957年、デュヴァリエが大統領に当選した。デュヴァリエ政権を支えたのは私的軍隊であるトントンマクートである。秘密警察であり、スパイであり、言論、人権弾圧機関でもある。不穏な動きがあると徹底的に弾圧した。犠牲者は3万〜6万人と言われる。
 アリスティド派の武装民兵をシメールと呼ぶ。軍隊のように統制されているかのように思うと間違いで、その実態は武装した若者の寄せ集め集団。スラム街をナワバリとするギャング団や戦闘的な政治グループに属する若者たちのこと。教育の機会もなく、職もなく、将来への期待をもてない若者たちが、拳銃をふりまわし、ギャングに憧れるのだ。
 アリスティドが最初に失脚した1991年9月のアメリカ大統領はジョージ・ブッシュ、再び失脚した2004年2月は息子のジョージ・W・ブッシュだ。
 アメリカ政府は、反米色の濃いアリスティドを「信用できない人物」として、反アリスティド政策をとってきた。キューバやベネズエラに対するアメリカの政策と同じですね。
 絶え間ない政権抗争、国際社会の極端なまでの圧力と無関心、そして、その背後にはいつもアメリカの影が漂う。すべてが無力。これがハイチの政治風土である。すべてゼロからの出発を余儀なくされる。いま、ハイチには9000人の国連平和維持部隊が駐留している。日本に居住するハイチ人は十数人、ハイチに居住する日本人は12人。
 早く安定した、平和な国になってほしいと思いました。それにしても、こんな危ない国に長く滞在し、日本へ貴重なレポートを送り続けている著者の勇気を称賛します。
(2007年7月刊。2700円+税)

文章のみがき方

カテゴリー:人間

著者:辰濃和男、出版社:岩波新書
 さすが朝日新聞の「天声人語」を13年間も書いていた人による文章の書き方の教えです。私も身につけたいと思うところが多々ありました。
 毎日、書く。私も、こうやって書評を毎日、書いています。事務所で書くことは一切ありません。いつも自宅の今の大きなテーブルに向かって書きます。やはりテーブルは広々としたものがいいのです。参考文献も置けますし、なにより気宇広大です。せせこましい、みみっちい気分では書くのもスケールが小さくなります。いえ、身辺雑記を書くにしても、気分は宇宙的でありたいわけです。
 書き抜くこと。私の書評を読んでいただいている方は先刻ご承知のとおり、ほとんどが書き抜きです。だから、もとの本を読んだ気分になれると好評なのです。私は、すべて手で書き写しています。コピーを貼りつけるようなことはしていません(準備書面の方は、いつもあれこれコピーして貼りつけていますが・・・)。
 書き抜くと、次のようなメリットがあるそうです。なるほど、と思います。
 書き抜くことで、自分の文章の劣った点、たとえば紋切型を使いすぎることに気がつく。うむむ、これはなるほど、と思いました。私もついつい、ありきたりの紋切型になってしまうので、いつも自戒しています。
 乱読は楽しい。あの加藤周一がこういったそうです。著者は無条件に賛成と言っています。もちろん、私も同じです。乱読すると、黄金の本にぶちあたることができます。いくつかの本を厳選して精読するのもいいと思いますが、乱読は決してやめられません。
 辞書なしに文章を書こうとするのは、車がないのに運転しようというのと同じ。私も、辞書はよく引いています。同じ言葉を2度つかわないように類語を調べるのもモノ書きの義務のひとつなのです。
 いい文章を書くために必要なことは、まず書くこと。
 作文の秘訣を一言でいうと、自分にしか書けないことを、誰にでも分かる文章で書くこと。これは井上ひさしの言葉です。
 なーるほど、そういうことなのでしょうね。私も、私の青春時代に体験した1968年の東大闘争とセツルメント活動をぜひとも世間の皆さんに知ってもらいたくて、本を書き続けています。
 漢字が多すぎると、ページ全体が黒っぽくなって読みにくい。
 ですから、私が編集者になったときには、極力、漢字を減らして黒っぽくない紙面をめざします。
 流れのいい文章は、?平明そして明晰であること、?こころよいリズムがあること、?いきいきとしていること、?主題がはっきりしていること、である。
 文章修業は落語が役に立つ。二葉亭四迷が言文一体を書きはじめたときの先生役は落語だった。夏目漱石にも太宰治の作品にも落語の影響がある。そうなんですか、知りませんでした。山田洋次監督にも落語の影響がありますよね。
 動詞をもっと使いたい。うひゃあ、動詞ですか・・・。どうして、でしょう、なんて下手なダジャレはやめておきます。
 最後にリンカーンの言葉が誤って紹介されているという指摘に驚きました。リンカーンの演説は
 「人民を、人民が、人民のため」と訳する方が正しい。つまり、「人民の」ではなく、「人民を」と訳したほうが正しいというのです。
 人民が人民を統治するというのが主権在民の思想であるというのです。そう言われたら、そうですよね。
(2007年7月刊。780円+税)

となりに脱走兵がいた時代

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:関谷 滋、出版社:思想の科学社
 ベトナム戦争があっていた時代の日本です。始まりは1967年10月。えっ、私が東京で寮生活を始めた年のことではありませんか。もちろん、私もベトナム戦争反対の集会やデモに何度となく参加しました。夜遅い銀座で、大勢の人々と一緒に手をつないでフランス・デモをしたときの感激は今も覚えています。銀座の大通りを、デモ隊が完全に埋め尽くしていました。警察官も手を出すことができないほどの人数でした。もちろん、機動隊はいましたが、国会周辺と霞ヶ関あたりまでで、銀座にまでは手がまわらなかったのです。
 ベトナム戦争に反対する市民の会(ベ平連)は、その一部にアメリカ軍の脱走兵の日本国外逃亡を助ける活動をしていました。私は後になって、新聞報道で知りました。これには、東大生なども関わっていたようです。有名な知識人が何人も隠れ家を提供しています。あれから40年たって、その全貌が少しずつ明らかにされています。この2段組みで  600頁をこす大部な本は、大変貴重な歴史的記録です。
 ベトナム脱走米兵は、私と同じ世代です。「イントレピッドの4人」として有名なアメリカ脱走兵は、1947年と1948年生まれです。50万人以上のアメリカの青年がベトナムへ送られて5万8000人ものアメリカ兵ベトナムで死亡しました。もちろん、アメリカ軍によって殺されたベトナム人はケタが2つほど違います。
 ベトナム反戦のアメリカ脱走兵を助けたベ平連の幹部としてマスコミに登場したのは、小田実、開高健、鶴見俊輔、日高六郎です。いずれも有名な知識人です。
 アメリカ海軍の航空母艦「イントレピッド」から脱走してきたアメリカ兵4人は横浜港からソ連船バイカル号に乗って、日本を脱出した。そして、ソ連を出て、スウェーデンに亡命することができた。
 脱走兵は、決して品行方正な英雄ではなかった。いろいろ手を焼かせた脱走兵が何人もいた。だから、世話をした人たちはなかなか大変だったようです。
 日本人アメリカ兵も脱走したきた。日本人もベトナムで戦死している。1967年4月20日、LSTの乗組員(50歳)が銃撃されて死亡した。
 脱走米兵の逃亡を支援する組織を解明するため、アメリカ軍はスパイを潜入させます。いかにも怪しい脱走兵なのですが、疑いはじめたらキリがないので、彼を信じて逃亡の手助けをしていきます。その息詰まる様子が再現されています。釧路からソ連へ船で渡るコースだったのですが、スパイがたれこみ、脱走米兵は結局、逮捕されてしまいました。ジャテックは、そこから、苦闘の道を歩むことになります。
 当時30歳前後のサラリーマンから毎月500円のカンパを集めるのは、かなり大変なことだった。今なら1万円にでも相当する金額でしょうか・・・。
 ジャテックに関わっていた小田実は、この本の座談会で次のように発言しています。
 「全共闘運動を勲章にするだけで、何もしない連中がそこらへんに一杯いるじゃない。現在、どうしているか、現在にどうつながるか、それが問題だ」
 なるほど、そのとおりです。私は全共闘と関わりがないどころか、その反対でがんばっていましたが、今の9条をめぐる政治情勢をどう考え、どのようにしたらよいのか、小さな声であっても、上げていきたいと考え、少しずつ、やっています。
(1998年5月刊。5700円+税)

マチベンのリーガルアイ

カテゴリー:司法

著者:河田英正、出版社:文藝春秋
 私と同じ団塊世代の弁護士です。岡山で弁護士会長をつとめ、法科大学(ロースクール)で教え、消費者問題に取り組み、オウム真理教と果敢にたたかいました。還暦を機に、そのブログを本にしたものです。毎日のエネルギッシュで地道な活動に触れ、頭の下がる思いです。
 刑事事件で、裁判官に対して「寛大な処分をお願いする」と言ってしまったことを後悔します。いつもは言わない言葉だというのです。ええーっ、私は、よく使いますが・・・。
 判決は裁判官にお願いして出してもらうものではない。法の見地から適正妥当な判決がなされるべきものであり、弁護人はその判決はどうあるべきか、被告人側からみた意見を主張すべきなのである。「裁判長さま」とか「判決をたまわりたい」など、卑屈な言い方はやめよう。これには私もまったく同感です。
 「上申書」という書面もおかしいですよね。「お上」に恐る恐るモノ申すということでしょう。冗談に「お上(かみ)」と言うのは許せますが、本気で言ってはいけません。国民が主権者であり、主人公なのです。裁判官も公務員の一人として、公僕にすぎません。
 天衣無縫とは天女の羽衣のように純粋に自然な流れのこと。私は知りませんでした。
 あちこちの裁判所を駆けめぐるため、昼食はコンビニでおむすびを買って運転しながらほおばることもある。もう少し時間があるときは、回転寿司やセルフのうどん店に立ち寄る。えっ、セルフのうどん店って、何のことですか?いずれも待ち時間ゼロで、すぐ食べられるからです。私は、最近ダイエットにはげんでいますので、昼食を抜いたこともあります。お茶で我慢しました。昼はおかずだけにしています。パンもパスタもやめています。
 クレサラ事件、つまり、たくさんの借金をかかえた人の相談に乗るのは疲れる。このように書かれています。実際そのとおりです。この本を読むと、弁護士の仕事って気苦労が多く、疲れてしまうものだということがよく分かります。著者は夜7時から示談交渉したり、土曜も日曜も相談に乗ったりして、気の休まる暇がないようです。私は夜に人と会うのはしていませんし、土・日は完全に事務所を閉めて休み、示談交渉もお断りしています。
 2歳ほどの子どもを連れてやって来た借金の相談。終わったとき、その子どもは「どうもすみません」とはっきり言って頭を下げた。親のいつもの仕草をまねたのだ。このくだりを読んで、悲しい思いをしました。子どもが、いつのまにかサラ金の取り立てに対して親の言う言葉と態度を覚えてしまったのです。
 坂本弁護士一家がオウム真理教(現アーレフ)に殺される3日前、著者の前に上祐史浩と青山弁護士がやって来た。著者が「オウムはカルトである」とコメントしたことの撤回を求めてのこと。1989年11月1日、上祐は著者に対して「おれは優秀だ。優秀なおれが洗脳なんかされるはずがない」と言い切ったとのこと。なんと傲慢なモノ言いでしょう。オウム真理教は坂本弁護士一家を殺害しておいて、ずっと否認していたのですから、許せません。
 いかにも誠実な著者の人柄がにじみ出ている本でした。読み終わって爽やかな気分に浸ることができました。ただ、表紙の絵がちょっと厳しすぎる表情なのには違和感があります。私の知る著者はもっと柔和な印象なのですが・・・。
(2007年12月刊。1429円+税)

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