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2007年8月 の投稿

清冽の炎(第3巻)

カテゴリー:社会

著者:神水理一郎、出版社:花伝社
 この第3巻は、1968年11月と12月に東大闘争で何が起きたのかを取りあげています。当時、全国の学園闘争の天王山として東大闘争が取りあげられていたこと自体は歴史的な事実として間違いありません。では、いったいなぜ東大闘争が全国の天王山だったのか、改めて問われると、それにこたえるのは難しいところです。全国いたるところで学園闘争が起きていたのに、なぜ東大だけが突出して目立ったのか、ということです。日大闘争はもっと学生の規模が大きいし、早稲田も中央も法政でも、血で血を洗うような深刻な学園闘争が長期にわたって続いていました。いえ、上智大学も慶応大学だって学生は立ちあがっていましたよね。いえいえ、関西もあります。京都大学でも立命館でも同志社でも、学生は起ちあがりました。そんなことを言うなら、北は北海道から南は九州・沖縄まで、揺れ動かない大学が当時あったでしょうか。いったい、その目的は何だったのでしょうか。学生は何を目ざしていたのか、その要求は勝ちとれたのか、そもそも社会変革の手段に過ぎなかったのでしょうか。否、否。社会に対する異議申立にすぎなかったのでしょうか・・・。考えれば考えるほど、分からなくなる問題です。
 しかし、40年前に起きていた歴史的事実を歪曲するのはやめてほしいと思います。『安田講堂1968〜1969』という本があります(中公新書。2005年11月刊)。著者は安田講堂に籠城して懲役2年の実刑を受けた元全共闘メンバーです。今は、サルの研究員で、『アイアイの謎』などの本を出していて、私も何冊か読み、ここでも紹介したことがあります。この『安田講堂』は全共闘の立場からの本ですが、事実を歪めています。たとえば、次の点です。
 1968年11月12日。全共闘は東大本郷の総合図書館をバリケード封鎖しようとして失敗しました。このとき、全共闘のバリケード封鎖を阻止したのは、この本では「宮崎学らが指揮する『あかつき部隊』500人」であるかのように書かれています。とんでもありません。
 この本の138頁には当時の写真も紹介されていますが、その説明として、「左、日本共産党系“あかつき部隊”。右、全共闘。持っている棒の大きさと密集度の違いを見られたい。日本共産党系部隊には統制があった」とあります。この写真にうつっているのは、私もその場にいたので確信をもって言えるのですが、駒場の学生です。密集度の違いというのは、写真のとおり確かにあります。しかし、それは駒場の学生がそれだけ大勢いたということ、そして、全共闘のゲバ棒が怖くてみんなで押しくらまんじゅう状態に固まっていただけのことなのです。この写真には、後方に、もっともっと大群衆がいて、衝突を見守っていることも分かります。全共闘は最前線の何人かの学生こそゲバ棒をふるって駒場の「民青」(実は民青だけでなく、中間派も大勢いた)にぶつかっていますが、あまりの集団(数の違い)にひるんで、それ以上、突っこむことはできませんでした。見物していた大群衆の大半は、全共闘の無法な暴力を止めさせる側に立って、このあと動いたのです。
 この本では、「樫の木刀」をもった“あかつき部隊”が指揮者の笛のもとで全共闘をたちまち撃退したかのようにかかれています。しかし、そんなものではないことは、「清冽の炎」第3巻の11月12日のところで書かれているとおりです。
 宮崎学の『突破者』を読んで、私も知らなかったことをいろいろ教えられました。しかし、「全都よりすぐりの暴力部隊」である「あかつき部隊」500人が図書館で全共闘を撃退したという記述は歴史的事実を歪曲するものとしか言いようがありません。
 『アイアイの謎』などを読んで客観的事実を熱意をもって伝えようとする著者に好感を抱いていただけに残念でなりません。著者は、あまりに『突破者』に毒され、目が曇らされてしまっていると思います。
 「清冽の炎」第3巻に書かれていることがすべて正しいとは思われませんが、この『安田講堂』は中公新書という由緒あるものの一冊で、影響力も大きいので、あえて苦言を述べさせてもらいました。
 そんなわけですから、みなさん、「清冽の炎」第3巻をぜひ読んでください。
(2007年7月刊。1890円)

銀漠の賦

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:葉室 麟、出版社:文藝春秋
 第14回の松本清張賞を受賞した作品です。なるほど、なかなかよくできていると感心しました。
 江戸時代の藩内の政治が語られます。百姓一揆もあります。藩主交代による政争があります。いかに英邁な藩主であっても、その子どもが成長すると、安穏ではいられません。息子を藩主として擁立し、父親を早く隠退させようとする勢力が出てきます。
 藩の経済状況の改善も重要な課題です。新田開発、そして、商人の活用が重要な施策となります。しかし、それは商人との癒着を生み、賄賂政治につながります。田沼政治は悪政だったのか、その次の定信の寛政の改革は善政だったのか、難しいところです。
 この本は小説なので、アラスジを紹介するのは遠慮しておきます。印象的にいうと、山田洋次監督の最近のサムライ映画・三部作の原作である藤沢周平の小説をもう少し明るくして、青春時代小説「藩校早春賦」(宮本昌孝、集英社)のイメージをつけ加えた感じです。
 暮雲収盡 溢清寒
 銀漠無声 転玉盤
 此生此夜 不長好
 明月明年 何処看
 日暮れ方、雲がなくなり、さわやかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような明月が音もなくのぼる。この楽しい人生、この楽しい夜も永遠に続くわけではない。この明月を、明年はどこで眺めることだろう。
 著者は北九州に生まれ、西南学院大学を卒業して地方紙記者などを経て作家としてデビューしたとのことです。なかなかの筆力だと感心しました。
 ただ、松本清張賞というより直木賞ではないのかと、素人ながら私は疑問に思いました。

盗聴二・二六事件

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:中田整一、出版社:文藝春秋
 2.26事件を新たな視点で掘り下げた本だと思いました。
 2.26事件が始まると、逓信大臣の命令のもとに電話の盗聴が開始された。これは陸軍省軍務局との協議のうえのことだった。しかし、実は、盗聴は憲兵隊によって事件の1ヶ月以上も前から始まっていた。そして、試作段階にあった円盤録音機をつかうことになった。戒厳司令部、陸軍省、逓信省が協力し、了解のもとで盗聴され、録音された。
 2.26事件のとき、戒厳令はすんなり施行されたのではない。この機に乗じて軍部が軍政を布き、政治的野望の実現を図るのではないかと警戒する人々がいたからである。たとえば、警視庁は強く反対した。海軍も当初は反対した。
 西田税は5.15事件(1923年)のとき、陸軍側の参加を阻止したことから、計画を他にもらす恐れがあるとして血盟団員からピストルで撃たれた。2.26事件については、計画から決行・終結に至るまで終始、部外者の立場にあり、むしろ事件を起こすのには反対だった。
 盗聴記録によると、誰かが北一輝の名を騙って電話をかけている。謀略が進行していた。偽電話をかけたのは戒厳司令部の通信主任の濱田大尉であった。
 陸軍上層部は、北一輝や西田税ら、外部の民間人が2.26事件の首謀者であるという図式に固執していた。2.26事件の軍事裁判にあたっては、青年将校に激励の電話を入れたにすぎない北一輝と西田税を極刑に処すというのが初めから陸軍中央の方針であった。北と西田が悪いんだ。青年将校は、単にくっついていっただけ、というわけである。裁判長は北と西田を首魁とするには証拠不十分であるとした。死刑に反対する裁判長と死刑相当という残る4人の判事とで見解が分かれた。
 そのため、10ヶ月も審理は中断し、昭和12年8月13日、弁論再開、証拠調べ終了、8月14日、判決宣告、8月19日に死刑が執行された。銃殺刑であった。北は54才、西田は36歳だった。同年9月25日、真崎甚三郎大将には無罪の判決が下された。
 これは、いかにもひどい政治的な裁判ですよね。判決宣告して、わずか5日後に死刑執行だなんて、まさしく日本は軍部独裁体制にあったのですね。おー怖い、怖い。
 陸軍は、事件処理に名をかりて、着々と軍部独裁の政治体制を確立していった。青年将校らのテロリズムは、軍国主義の暴走に格好の口実を与える結果となった。
 防衛庁が防衛省に昇格してしまいました。アメリカ軍に隅々まで統制されている自衛隊は、自民党の改憲案(新憲法草案)では自衛軍になるということです。軍部独走を果たして止められるでしょうか。軍事裁判所は司法権の独立を貫くことができるでしょうか。心配になるばかりです。

ヤモリの指

カテゴリー:未分類

著者:ピーター・フォーブズ、出版社:早川書房
 自然界の生物が実はトンデモナイ能力をもっていて、それを人間が少しずつ模倣し、技術として生かそうとしていることが紹介されています。生き物って、ホント、超能力者の集まりなんですね。
 クモの糸の強度は、軟鋼の半分。だが、鋼鉄の密度はクモの糸の8倍なので、単位重量あたりの負荷で考えると、クモの糸は、鋼鉄の6倍の強度をもっていることになる。それにクモの糸は、伸延性の点でも鋼鉄よりも優れていて、切れることなく30〜40%も伸びる。伸延性はナイロンに比べて2倍、ケブラーの8倍ある。そして、クモの糸の特殊性は、伸延性があると同時に強靱でもあるという点にある。輪ゴムはクモの糸よりもよく伸びるが、引張強度はとても低い。クモの糸は、並外れた伸延性と、高い引張強度をあわせもつ唯一の物質である。
 一匹のクモは、最高7種類までの糸をつくることができる。
 クモは、恐竜の登場する前から、4億年以上にわたって、この世に存在している。
 ヤモリは、片方の手のひら一面にヤモリテープを付けるだけで、人間ひとりが天井からぶら下がることが可能になる。
 ステルス攻撃機は、なぜ、敵から見つかりにくいのか?
 ステルス攻撃機は、マイクロ波を反射しないようにしなければならない。そのため、ステルス攻撃機の形状には、曲線部分が一切ない。レーダーからのマイクロ波を反射してしまうような角度は、一時には、ごくわずかしか存在しない。レーダーに映ってしまうのは金属部分であるが、F117の反射性の機体表面は、たいがいの角度からレーダーにとらえられないようになっているうえに、ステルスの表面加工のおかげで、レーダーの発信信号のほとんどは金属部分に届かないようになっている。
 なーるほど、そういうことだったのですか・・・。それなりに厚味のある機体がなぜレーダーに映らないのか、前から不思議に思っていましたが、ようやく謎が少し解けた思いです。

ブッシュのホワイトハウス(上)

カテゴリー:アメリカ

著者:ボブ・ウッドワード、出版社:日本経済新聞出版社
 ブッシュにとって、直観は第二の信仰にひとしい。わたしは教科書どおりにはやらない。勘でやるんだ。これは、ブッシュの言葉です。あまりたいした勘ではありませんよね。
 ブッシュ大統領は、ブッシュ・シニア(パパ・ブッシュ)と典型的な父と子の確執があった。50年以上にわたる父と息子の緊張関係、愛・喜び、ライバル意識、失望という、傍目(はため)に分かりにくい微妙なものも、あからさまなものもあった。
 モルモン教徒であるスコウクロフトの推測によると、ブッシュは、45歳まで自分が何者か分かっていなかった。それが今、大統領になった。恐るべきことだった。
 2001年7月10日、CIAのテネット長官は、アルカイダが近々アメリカを攻撃する可能性が強まっていることを会議の席上、報告を受けた。48歳のテネット長官は夜もおちおち眠れなくなった。確実な情報は得られていないが、データの量は莫大だった。なにかが起きると、情報機関の長としての勘が告げていた。
 NSAは、ビン・ラディンの配下の不気味な会話を傍受していた。全部で34件あった。ゼロ・アワー(決行時刻)は近いという不吉な宣言や、めざましい出来事が起きるというきっぱりした言葉が聞かれた。
 国家安全保障会議の全体秘密会議で、ビン・ラディンに対する武力行使が検討された。ヘルファイア対戦車ミサイルを発射できるプレデター無人機で、ビン・ラディンとその副官たちを暗殺するという計画だった。秘密工作の予算は5億ドル。ビン・ラディンの殺害を許可するという大統領のサインがあれば実行されただろう。しかし、予算をどこが出すのか、ミサイル発射の権限はどこがもつかで、CIAは国防総省と激しく論争した。
 2002年1月18日、ブッシュ大統領は、身柄を拘束しているアルカイダやタリバンのテロリスト容疑者にはジュネーブ条約を適用しないことを決定した。彼らは不法な戦闘員であり、戦時捕虜ではないから、ジュネーブ条約によっては守られていない、と宣言した。しかし、これでは、捕虜になったアメリカ人将兵の虐待を引きおこしかねない。アメリカ政府部内でも異論がおきた。
 そこで、ジュネーブ条約は、タリバン兵の被拘束者には適用されるが、アルカイダの国際テロリストには適用されない。ただし、タリバン兵は戦時捕虜とはみなされない。こんな声明がなされた。
 なんだか、分かったようで分からない声明です。ウソかホントか分かりませんが、フセイン元大統領の次のような言葉が紹介されています。
 わたしは、目を見れば、その人間のことが分かる。忠誠かどうか見分けられる。瞬(まばた)きをしたら、そいつは裏切り者だ。そうしたら処刑する。裏切り者かどうかがはっきりしなくても、裏切り者を見過ごしてしまうよりは、殺しておいたほうがいい。
 ムムムッ、ホントにこんなことを言ったのでしょうか・・・。でも、いかにも、ありそうですね。
 CIAのテネット長官は、腹心の部下にこう言ったそうです。
 自分の勘では、イラク侵攻は適切とは思えない。ブッシュ政権上層部は、イラクに侵攻して政権を倒せばいいと考えているが、あまりにも考慮が浅い。まちがいだ。正気の沙汰じゃない。
 しかし、テネット長官はブッシュ大統領にこの自分の意見を進言しなかった。
 テネット長官はブッシュ大統領に訴えた。イラク国内のアルカイダ支援にサダム・フセインの「権限、指示・統制」がある証拠は何もない。チェイニー副大統領はフセインとアルカイダとの結びつきをことさら強調する演説をしようとしているが、CIAは、それを支持できないし、支持するつもりもない。ブッシュは、このときテネットの肩をもった。
 こんなブッシュ大統領がリーダーのアメリカに日本がいつでも、まるで言いなりなんて、もうそろそろ止めましょうよ。
 お気づきのかたもおられると思いますが、この書評を愛読していただいている大坂の石川元也弁護士より、本の発刊日と値段を書いてほしいとの要望が寄せられましたので、なるべく末尾にのせるようにしました。
(2007年3月刊、1890円)

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