法律相談センター検索 弁護士検索
2007年7月 の投稿

春の日の別れ

カテゴリー:社会

著者:長瀬佳代子、出版社:手帖舎
 著者は岡山に住む元ソーシャルワーカーです。私が30年前まで関東にいたときに知りあいました。もう永くお会いしていませんが、古希を迎えられたそうです。その記念に作品集を一冊の本にまとめられました。自分で装丁を考えられたそうですが、とても上品な味わいある本です。
 岡山文学選奨賞に入選した「母の遺言」など、12篇の随筆を思わせるような淡々とした展開を示す作品が掲載されています。
 長く地方自治体の職員として働いてこられただけに、その職場での体験を生かした情景の描きかたが迫真的でみごとです。人情の機微をよくとらえていると感心しました。
—– ぼくには福祉の仕事が向いていないんです。
—– みんな、そう言うな。本当は嫌なんだよ。考えてみりゃ、福祉って他のことが面倒な比べて仕事に比べて面倒なことが多いからな。それに最近は厚生省の指導が厳しいし、仕事がやりにくくなって嫌気がさすのも無理はないが・・・。
——- 長く続けてするのは大変ですが、でも、勉強にはなりました。
——- そうさ、社会の縮図を実際に見られるのだからな。役所の仕事をしていくうえでは、絶対、福祉現場を体験しなくちゃいけないんだ。ところが、だいたい三年でさよならしてしまう。福祉に生き甲斐をもって仕事しようという人間なんかほとんどいない。役所の仕事に上下なんかないのに、福祉というと低くみるんだ。おかしいと思わんか。
——- 分かりません。
——- お前なんか、まだ先のことと思っているかもしれんが、おれたちの年齢の者が考えてるのはポストのことばかり。今度は誰があのポストにいくか、自分は出世コースに乗ったか、はずれたか。そんな話を、飲みながら探りあうんだ。
 ホントに今夜もこんな会話が、全国にある市役所近くの一杯飲み屋で、かわされているのでしょうね。著者の今後ますますの健筆を祈念します。

捜査指揮

カテゴリー:未分類

著者:岡田 薫、出版社:東京法令
 私と同世代の元警察キャリアの人が刑事警察官の身につけるべきポイントを本にしたものです。私の知らなかった言葉をいくつか知りました。
賞詞・・・警察職員として多大な功労があると認められる者に対する表彰。ランクが高く、特別昇給を伴うことも多い。
賞誉・・・表彰の一種で、賞詞よりランクが下がる。
手口原紙・・・犯罪手口の分析が犯人割り出しに有効と考えられる罪種=手口犯罪(強盗、窃盗、詐欺、性的犯罪、殺人等)の被疑者を検挙したときに、作成する被疑者の手口に関する情報を記載した原紙。今はコンピューター化されているので、手口記録と呼ぶ。
可惜身命・・・あたらしんみょう。誘拐事件捜査などでは被害者の命の安全が最大の目的である。一番に被害者を無事に救出しなければならない。そのうえで犯人を逮捕する。
牛の爪・・・元から割れている事件のこと。
 組織では、上司よりも部下のほうが、その担当分野の専門家であり、精通しているということはよくある。そういう時期をどう乗り越えるかが勝負の分かれ目である。そのときには、その人より多く働くことしかない。その人たちに、あの警部は、ど素人だけども、少なくともオレよりは仕事をしている。オレよりは努力をしていると思わせるようにしなければ誰がついてくるだろうか。
なーるほど、たしかに、そのとおりでしょうね。努力して乗りこえるしかありませんよね。
 著者は打つ手に困ったときにどうするか、次のことを提起しています。
 情報を見直す。何回も何回も見直すと、何かのヒントが出てくる。
 常識的になっていることを疑う。ただし、捜査資料をよく読みこまないと疑いというのはなかなか出てこない。
 多角的な目で捜査資料を見る。捜査資料を別の発想で見ていくことが大切である。
 ポイント(流れ)をつかむ。
 実は、この本を読んで、一番、私の心に響いたのは次の指摘でした。
 決断の本質というのは捨てることにある。捨てられない人は決断できない。
 うーむ、なかなか含蓄のある言葉ですよね、これって・・・。
 決断力があるといって、何でも捨ててしまう人は困る。あまりにも思い切りがよすぎてもいけない。最高幹部にとって、もっとも重要な資質は簡単に決断しないことだ。
 さらに、常識的な知識・経験があったうえで、固定観念にとらわれないことが大切だ。
 さすがに、25万人もいる警察という巨大な官僚組織のトップに立った人の言葉には深みがあり、感心しました。

雇用融解

カテゴリー:社会

著者:風間直樹、出版社:東洋経済新報社
 液晶テレビ「アクオス」をつくるシャープ亀山工場では、総就労者2800人のうち、少なくとも200人の日系ブラジル人が請負労働者として働いていた。ところが、彼ら日系ブラジル人の社会保険未加入が発覚したため、今では、外国人労働者はゼロになったという。しかし、これはシャープ工場内だけのこと。隣接する関連・下請企業には相変わらずブラジル人などが働いている。その一つ、日東電工には1700人の就労者のうち  1000人が請負労働者であり、そのうち800人が日系ブラジル人である。ほかにフィリピン人労働者も別の工場で働いている。
 亀山市はシャープを工場誘致するため、前代未聞の45億円もの巨額の補助金を交付した。別に三重県も90億円の補助金を拠出している。この補助金は固定資産税の9割相当を15年間にわたって交付するというもの。交付限度額が45億円ということである。
 では、シャープは地元に雇用効果をもたらしたか。
 2006年6月、シャープの正社員は2200人。非正規雇用は1800人。その内訳は請負労働者1100人、派遣労働者700人。正社員は、よそから来た社内異動組であり、三重県内出身者で新規に正社員として雇用されたのは、のべ130人のみ。亀山市に増えたのは、他県や南米出身者で、この地に定住することのない請負労働者だった。
 これでは地元に批判が高まっているというのも当然ですよね。地元住民の福祉の向上にこそ地方自治体のお金はつかわれるべきですからね。
 請負労働者は1日12時間拘束勤務。それで年収は300万円。正社員の半分以下でしかない。さらに問題は、何年はたらいても、正社員ではないので昇給することなく、この低賃金にずっと固定されるということ。これで果たして結婚し、子育てすることが可能だろうか。
 業務請負業として有名なクリスタルはグループ全体の従業員が7〜8万人いる。創業したのが1974年で、2002年度の売上高は3590億円。
 『週刊東洋経済』はクリスタルについて報道したところ、クリスタルから名誉毀損として訴えられました。請求額は10億円あまり。2006年4月25日、東京地裁は一部の記事取消と300万円の賠償を認める判決を下しました。ところが、控訴審で、和解が成立し、クリスタルは訴訟を取り下げて終結しました。自信がなかったのでしょうね。
 業務請負会社の活用にもっとも積極的なのがソニーだ。正社員と請負社員とが同数いて、全工場で同じく製品を正社員ラインと請負社員ラインの両方でつくらせて、生産性を競わせている。
 ええーっ、これって、なんだか露骨すぎる労務管理ですよね。そのあまりに前近代的なセンスを疑ってしまいます。
 厚労省の労働政策審議会の労働条件分科会委員であるザ・アールの奥谷礼子社長は次のように言い切りました。
 はっきり言って労働省も労働基準監督署もいらない。ILOというのは後進国が入っているところ。ドイツもアメリカも先進国はほとんど脱退している。下流社会だと何だの、これは言葉の遊びでしかない。社会が甘やかしている。結果平等というのは社会主義のこと。社会主義に戻すなんて、まったくナンセンス。何のために規制改革をやり、構造改革をやろうとしたのか。昔と違って、今の時代は労使は対等だ。むしろ、労働者のほうが対等以上になっている。経営者は、誰も過労死するまで働けなんて言ってない。過労死をふくめて、労働者の自己管理の問題だ。
 ええーっ、いくらホンネの放談とはいえ、信じられないほどのひどさです。経営者の優越感に酔って、過信しているとしか思えません。こんな頭の人が労働条件を考える審議会のメンバーだというのですから、労働条件はひどくなるのも当然です。
 いま日本経団連会長を出しているキャノンも請負・派遣労働者に大きく頼っています。
 日本の労働現場の問題を鋭く告発する本です。

赤軍記者、グロースマン

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:アントニー・ビーヴァー、出版社:白水社
 大変面白い本です。いえ、単に面白い本だというと、顰蹙を買ってしまうでしょう。なにしろ、独ソ戦を、赤軍に従軍した記者として描いたグロースマンの生涯を追いかけて明らかにする内容ですので、ずっしりとした重味があります。戦争の悲惨さ、ユダヤ人迫害の実情を深く知ることのできる本です。
 グロースマンは、ユダヤ人でした。スターリンの圧制下に、幸運にも辛うじて生き延びることができました。きっとグロースマンの書いた記事がソ連の民衆に評価されていることをスターリンも無視できなかったのでしょう。
 独ソ戦の初期、スターリンの判断の誤りにより、ソ連軍は壊滅的な敗北を続けました。50万人ものソ連軍捕虜が出て、ドイツ国防軍から残虐な処遇を受けます。生き残った人々は、今度はスターリンから残酷な扱いを受けることになりました。
 そのソ連軍連敗のまっただ中にグロースマンも従軍していましたから、リアルな描写となるのも当然で、読者の評判となりました。
 グロースマンは、壕内の灯心ランプのもとで、野外で、ベッドに寝ながら、すし詰めの農家で、どんな悪条件のなかでも記事を書く特技を身につけた。ただ、筆は遅かった。
 グロースマンは、スターリングラードの戦いにも従軍しています。
 ドイツ軍は、防御陣地をなるべく居心地よく構築しようとした。それを見て、粗末な待遇に慣れていた赤軍兵士はいつもびっくりしていた。なにしろ、赤軍兵士は、零下35度の酷寒のなか雪の上で寝ていたのです。赤軍兵の多くが最大の執念を燃やしたのは、アルコールまたはその代用品の入手だった。
 スターリングラードでは、赤軍兵士が前線から恐怖のあまり逃亡するのを阻止するため、NKVDとコムソモールの逃亡阻止部隊が活躍した。前線の赤軍兵士は、前方にナチス・ドイツ軍がいて、後方には阻止部隊の銃が待ちかまえるなかで戦争させられた。スターリングラード防衛を補強したのは、非情な軍紀だった。戦闘の5ヶ月間に1万 3500人もの赤軍兵士が処刑された。その大部分は初期のころであり、このころは士気が阻喪した兵士が多かった。脱走を試みた戦友を阻止・殺さなかった兵はすべて共犯とみなされた。銃殺されるか、懲罰大隊へ送られた。それは、実質的に死の宣告にほかならなかった。いつも一番危険な任務を与えられ、攻撃する部隊の戦闘に立って地雷原を通過させられた。懲罰大隊の死者は42万 2700人にのぼる。
 その一方、スターリングラードでは女子高生が大活躍していた。女子高生の操作する高射砲隊はおどろくべき奮戦ぶりを見せ、37の砲座が戦車砲で全部破壊されるまでドイツ第16装甲師団の進撃をくい止めた。
 若い女性衛生兵の勇敢さは、全員の尊敬の的となった。第62軍衛生中隊の隊員の大多数はスターリングラードの高校生か卒業生だった。負傷した若い女性がグロースマンの取材に応じた。
 以前あたしが想像していた戦争は、すべてが燃え、子どもらが泣き、ネコがそこらじゅうを走り回るというものだった。スターリングラードに来てみると、すべてがそのとおりで、ただ、もっと悲惨なものだと分かった。
 ただし、ソ連軍にはペペジェと言われる女性たちがいた。陣中妻のことである。高級将校たちは、看護婦や司令部勤務の通信兵や事務員などの女性兵士をメカケとしていた。
 映画『スターリングラード』は狙撃手ザイツェフが主人公でした。グロースマンも狙撃手ザイツェフを取材しています。しかし、ドイツ軍の狙撃手が「ベルリン狙撃手学校」の指導者だったとか、数日間にわたって狙撃手同士の対決が続いたというのは、まったく宣伝バージョンのフィクションのようです。
 ソ連軍の狙撃手が水を運ぶ兵士を片っ端から射殺するので、飲料水欠乏に悩むドイツ軍は一片のパンで現地住民の子どもを買収し、ヴォルガ川への水汲みに行かせた。狙撃手は理由のいかんを問わず敵に協力する民間人は、たとえ子どもであっても射殺せよとの命令が与えられていた。悲惨な話です。
 ここでは数メートルの移動が通常の野戦の条件下での数キロメートルもの移動に匹敵する。隣の建物に立てこもる敵との距離は20歩ほどしかないこともある。師団司令部は、敵から250メートルの距離にある。各連隊や大隊の指揮所も、肉声で簡単に連絡できる。呼べば聞こえるし、そこからも肉声で大隊に伝達できる。
 スターリングラードの息詰まる戦いが想像できます。
 ソ連兵士は、一般に手足を失ったり歩行不自由になるのを死よりも恐れた。四肢を全部失った将兵はサモワールと呼ばれ、首都でうろつかれては見苦しいという理由で、一斉取締の対象となり、極北に移送された。傷痍軍人に対する戦後のソ連当局の処遇は信じられないほどひどいものだった。
 ユダヤ人のグロースマンは、ナチスによるユダヤ人迫害の事実を当然のことながらニュースとして知らせようとしました。しかし、スターリンがそれを認めませんでした。ユダヤ人が被害者であるという発表は禁じられたのです。これにはウクライナ人がユダヤ人の迫害に一役買っていたという事情もありました。
 1944年になると、赤軍派いつのまにか強大な戦闘マシーンと化していた。ソ連の装甲戦力は、ウラルの彼方から続々と送られてくる戦車で絶えず補充されていた。そして、アメリカから供給される車輌によって、赤軍はドイツ軍をはるかに上まわる機動力を獲得した。アメリカの援助は赤軍の急速な前進と中部ヨーロッパの制圧に大いに貢献した。これは今もロシアの歴史家の認めたがらない史実である。
 ずしりと重たい500頁の大作です。読みごたえがあります。
 著者のアントニー・ビーヴァーの『スターリングラード1942ー1943』、『ベルリン陥落、1945』もあわせて一読をおすすめします。
 ヒトラーとスターリンについて知りたかったら、これらの本は必読だと私は思います。

自販機の時代

カテゴリー:社会

著者:鈴木 隆、出版社:日本経済新聞出版社
 日本全国にある自動販売機の数は550万台。アメリカに次ぐ。人口一人あたりではアメリカの2倍、世界一の普及率。世界中、どこの街にも自動販売機があるわけではない。自動販売機は世界の中で、日本の特別なシステムだともいえる。
 たしかにそうですよね。フランスでは全然見かけませんでした。駅の切符売り場などは自動化されていますが・・・。
 自動販売機を通じて売られる飲み物やタバコ、切符などの総販売額は年間7兆円。コンビニの総売上とほぼ同じ。全国のデパートの売上げ総額に迫る。
 コカ・コーラの普及と停滞の歴史は、自動販売機のそれと一致している。コカ・コーラは、日本に自販機を定着させる役割を果たした。
 ところで、このコカ・コーラは、2005年末に、ニューヨーク株式市場で、時価総額においてペプシコーラに抜かれた。
 三菱重工業、日立製作所、三洋電機は、この自販機メーカーであったが、今では撤退している。松下はまだ残っている。
 富士電機と三洋電機とが自販機をめぐって激しく争い、富士電機が勝った。なぜか。
 富士には「あと」がなかった。三重工場に働く1500人の労働者にとって生き残りをかけたたたかいだった。しかし、三菱にも日立にも三洋にも、「あと」どころか、手が回りきらないほど「未来」があった。
 客の要望にこたえるべく富士電機家電は、設計の子会社をつくった。はじめ50人、やがて100人の大所帯となった。設計陣をそろえたことが富士の自販機躍進のキーポイントだった。
 瓶から缶へ。瓶入りは瓶を製造元に送り返さなければならない。ツー・ウェイである。缶入りは消費者が缶を処理してくれるワン・ウェイであり、流通上の大きな革命であった。
 このワン・ウェイは日本に大きな公害問題をひき起こすことにもなりました。ちまたにアルミ缶やペットボトルが氾濫し、その収集と処理は、消費者と自治体にまかされ、製造・販売メーカーは何の責任もとらず、負担もしなかったのです。便利なものには、深い落とし穴もあるという見本です。
 1972年にホット・オア・コールド機が出来、1976年にホット・アンド・コールド機が出来ました。ホット・アンド・コールド機は、季節ごとに機械を置き換えなくてすんだ。ホット・アンド・コールド機では、一台で、同時にホットコーヒーもアイスコーヒーも提供できた。値段は40万円。コーヒー自販機中心に自販機が普及した。1971年の17万4000台から、1776年の31万5000台、1979年の51万6000台へと飛躍した。
 私は今でも不思議です。あの大きくもない自販機が一台で、ホット缶もコールド缶もボタンを押すだけで手に入るカラクリが不思議でなりません。
 1974年、自販機の普及台数は513万9000台と、500万台の大台に乗せた。出荷台数も1989年には73万5000台を記録した。しかし、これが頂点だった。
 1991年ころ、酒店などの店頭にある自販機が道路にはみ出していることが全国的に社会的な大問題となった。たしかに歩道上に我が者顔で自販機がのさばっていましたね。
 そこで、1992、1993年には、自販機をいかに薄型化するかについて、メーカーは激しく競争した。そして、1994年を境として、自販機価格は暴落の時代に入った。
 自販機は、各国、文化によって好まれる設計・仕様がちがう。アメリカでは簡単・頑丈な機械が好まれ、日本では精巧・緻密な機械が普及した。
 これからの問題は、中国に自販機が根づくかどうかだ。
 また、ノンフロン対策の問題もある。松下はプロパン、富士は炭酸ガスをつかっている。炭酸ガスを圧縮するのにはプロパンより高圧が必要となり、その分コストが高くなる。
 自販機を開発し、普及するまでの苦労話がよくまとめられています。欲を言えば、もう少しメカニズムについての初歩的な解説もいれてほしいところです。私はアンチ・コンビニ派ですが、アンチ自販機ではありません。よく利用しています。それにしても、夏を迎えた今、街頭にあるほとんどの自販機がコールド一色なのが不満です。熱いコーヒーを飲みたいことだってあるのです。幸い、弁護士会館内の自販機はいつもホット・アンド・コールド機となっています。デミタス・コーヒーを愛飲しています。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.