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2007年5月 の投稿

テレビは戦争をどう描いてきたか

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:桜井 均、出版社:岩波書店
 第二次大戦と日本人の関わりをテレビがどう映像で取りあげたのかを後づけた貴重な本です。ハーバート・ノーマンは次のように語った。
 みずからは徴兵制軍隊に召集されて不自由な主体である一般日本人は、みずから意識せずして他国民に奴隷の足枷をうちつけるエージェントになった。
 なーるほど、言い得て妙の指摘だと思います。
 中国戦線に配置された兵士たちの多くは劣勢の太平洋(南方)戦線への転戦を命じられた。そこでの苛酷な転戦と敗北の過程で、被害体験を蓄積して生還した兵士たちは、中国大陸での加害の記憶をすっかり相殺していた。
 うむむ、そういうことだったのですかー・・・。
 井上ひさしが『父と暮らせば』で書いた言葉が紹介されています。すごい言葉です。
 他者の犬死にの上に生きのびた人間が、犬のように生きることは許されない。
 犬死にを強いたもの、これから犬死にを強いるかもしれないものに立ち向かうしかない。
 そうなんです。平和憲法をなくして、日本を戦争できる国にしたら、またぞろ徴兵制が復活します。若者があたら犬死にさせられるなんて、まっぴらごめんです。今のうちに憲法9条2項を守れと叫んでたたかいましょう。
 レイテ島の戦いで、日本兵8万4000人のうち8万1500人、97%が戦死した。軍上層部は、無謀な命令を出しておきながら、部下に抗命権を一切あたえず、兵に武器弾薬食糧を補給せず、投降する自由を認めなかった。
 そして、司令部と第一師団の主力800人は隣のセブ島に転進した。1万人以上の兵がレイテ島に置き去りにされた。私はレイテ島に行ったことがあります。密林なんてどこにもありませんでした。苛烈な戦火にあって、密林が消えてしまったのです。こんなところで多くの日本人の若者たちが餓死、病死そして殺されていったのかと、不思議な気がしました。いま日本企業がレイテ島にも進出しています。私は弁護士会の調査団の団長としてODAでたてられた三菱重工業の地熱発電所を視察しに行ったのです。
 大岡昇平の『レイテ戦記』には、フィリピン人に日本軍が何をしたのかという視点が欠落している、そんな指摘もなされています。なるほど、と思いました。
 昭和天皇は戦争の原因として次のように述べたそうです。
 わが国民性について思うことは、付和雷同性の多いことで、これは大いに改善の要があると考える。かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。軍備が充実すると、その軍備の力を使用したがる癖がとかく軍人の中にあった。
 つまり、付和雷同する国民と軍部の独走、この二つが結合したところに戦争の原因があったというわけです。そこには、天皇自身の戦争責任の自覚というものはありません。さらに、次のような天皇の言葉には驚かされてしまいます。
 負け惜しみと思うかもしれぬが、敗戦の結果とはいえ、わが憲法の改正もできた今日において考えてみれば、わが国民にとっては勝利の結果、極端なる軍国主義となるよりも、かえって幸福ではないだろうか。
 何千万人という多くのアジアの人々を侵略していった日本軍が殺し、また何百万人もの日本人が死んでいった戦争の悲惨さを自らの問題としてまったく自覚していない、いわば単なる傍観者的評論家としての言葉でしかありません。呆れ驚きます。
 昭和天皇を戦犯としなかった功績から、アメリカ軍のフェラーズ准将に対して1971年、日本政府は勲二等瑞宝章を贈った。この事実を知ると、日本が戦争責任をいかにあいまいにしているか、改めて実感させられます。質量ともに大変ずっしりとボリュームのある本でした。

アフリカにょろり旅

カテゴリー:アフリカ

著者:青山 潤、出版社:講談社
 東大の研究者は、ここまでやります!というのがオビのうたい文句です。東大でなくても同じでしょうか、ともかく学者って、大変な職業だと、つくづく思いました。なにしろウナギを求めて地の涯、海の涯まで、どこまでもどこまでも旅を続けるのですから・・・。たいしたものです。
 一般に川の魚と考えられがちなウナギであるが、実は、はるか2000キロも離れたグアム島付近の海で産卵する降河回遊魚であり、繁殖という生物のもっとも重要なイベントを太平洋のど真ん中で行う立派な海洋生物なのである。
 なんていう、小難しい話は出てきません。ウナギ全18種類を机の上に並べてみたい。ウナギの形態と遺伝子を調べるためには、世界に生息する全種類のウナギの標本を自分で採集するほかない。この本に登場するのは、これを前提としての話です。これが簡単なようで、実は大変なことなんです。
 アフリカ大陸に乗りこむ。マウライ、モザンビーク、ジンバブエの3ヶ国を10数時間で走り抜ける国際路線バスがある。時速100キロ。道の両側には未処理の地雷が埋まっている。検問所の壁には、ライフルや自動小銃からロケット砲まで、さまざまな武器がかかっている。おー、怖いですね。アフリカでは各地で内戦が起きていますからね。
 モザンビーク。気温は52度。体内の血液が沸騰しているかのよう。頭の中がグワングワンと回転する。シャワーから噴き出すのは40度近いお湯。
 湖にボートを浮かべ、また湖岸で釣り糸をたれてウナギを求める。湖岸は実は地雷原だった。なんという幸運。
 ホテルのベッドカバーには、小さな赤いアリがウジャウジャとはいまわっている。
 次に泊まったモーテルにはトイレがない。ドアを出たら、いくらでも空き地があるから好きなところでやりな。でも、あんまり家の近くでしたらだめだよ。
 うーん、なんということ・・・。
 モーテルの近くの人々にウナギ集めを頼む。インチキな宣伝だ。
 皮膚に斑紋をもつウナギを見つけたら1000クワッチャあげる。それ以外だったら 100クワッチャ。架空のウナギに1000クワッチャの値段をつけてみんなをウナギ捕りに巻きこみ、目的のウナギ(ラビアータ)を捕ってもらうという画期的な方法だ。さて、これがうまくいったか。残念ながら、ノー。
 ところが、ふり出し地に戻ったところで、ついに待望のウナギ、ラビアータに遭遇することができた。しかし、喜ぶのはまだ早い。学者の任務は、これを30匹集めること。
 どこの世界にも変わり者はいる。形態にしろ遺伝子にしろ、一匹だけの結果が、本当にその種類を代表しているかどうかは分からない。そのため、ある程度の個体数を集める必要がある。その目安が30個体なのだ。だけど、8匹しか集まらない。でも、もう2ヶ月のアフリカ生活で神経が切れる寸前まで行っていた。だから日本帰国を決断した。
 ニホンウナギは、新月の夜、マリアナの海山で産する。
 これが学者の仮説だ。なんとロマンチックな仮説だろう。しかし、そのロマンを支えているのは血と汗と涙なみだの体験だった。いやー、すごいすごい。あんまりすご過ぎるので、私はとてもアフリカに行く気にはなりません。

カブールの燕たち

カテゴリー:アラブ

著者:ヤスミナ・カドラ、出版社:早川書房
 タリバン支配下のアフガニスタン。公開処刑がありふれた日々。
 何が変わった? 何も変わっちゃいない。まったく何もだ。出回っているのは、同じ武器だし、だれもかれも同じ面をぶら下げている。吠えているのは同じ犬、通るのは同じ隊商だ。おれたちはずっとこうして生きてきたんだ。国王が去って、別の権力が取って代わった。そりゃあ紋章の絵柄は変わったさ。だが、それが要求するのは、同じ悪習なんだ。幻想を抱くなよ。人間の精神構造は何世紀も前から変わっちゃいない。 新しい時代を期待するなんて無駄さ。いつの時代も、その時代とともに生きる者もいれば、その時代を認めない者もいる。物事をありのまま受け止めるのが賢い人間だ。賢い人間はわかっている。おまえも理解したらどうだ。
 こんなセリフが語られます。そうかもしれませんね。乾いた、精気のない人々の日々が描かれています。
 彼は疲れていた。堂々めぐりを続けることに、渦巻く煙を追いかけることに疲れていた。朝から晩まで自分を踏みにじる無味乾燥な日々に疲れていた。なぜ20年間、伏兵からも、空襲からも、爆弾からも生き延びてしまったのか。まわりでは、女も子ども家畜も集落も容赦されることなく、数多くの肉体が打ち砕かれたというのに。その結果、これほど暗く不毛な世界で、いくつもの死刑台がたち並び、よぼよぼで無気力な人々がうろつく混乱しきった町で、細々と生き続けているのだ。
 「今日は、どうしてそんなにおしゃべりなんだ?」夫が妻に問う。妻がこたえる。
 「病気よ。病気というのは、大切な瞬間、真実がわかる重大な瞬間なのよ。自分に何も隠せなくなる」
 チャドリを身に着けるのはいや。あんなに屈辱的な束縛はないわ。あの不吉な身なりは、わたしの顔を隠す。自分が自分でなくなってしまうのよ。
 あの呪われたベールを着けると、人間でも動物でもなくなってしまう。障害のように隠さなければならない恥か不名誉でしかなくなるのよ。それを受け入れるなんて、あんまりよ。何より、かつて弁護士で、女性のために闘ってきた女にとっては耐えがたいことだわ。 そうなんです。彼女は、タリバンが支配するまで、女性弁護士として活躍していたのです。それが今では町中に出るのに顔を隠さなくてはいけなくなったのです。
 タリバンの宗教指導者は叫ぶ。西洋は滅びた。もう存在しない。西洋はいんちきだ。崩れ去りつつある大いなる茶番だ。進歩などいかさまだ。破れかぶれで進んでいるだけ。うわべの巨大化は猿芝居だ。さも奮闘して見えるのは、混乱のあらわれだ。西洋は絶対絶命だ。苦境に立っている。袋の鼠だ。信仰を失った西洋は、魂をなくした。空母と見かけ倒しの軍隊で我々を思いとどまらせるつもりでいる。
 この本は、タリバン支配下にあるカブールで暮らす2組の夫婦をとりあげて描いています。通りで笑い声を上げるだけで宗教警察から咎められます。市民の気晴らしは公開処刑。石打ち刑に加わって、死刑囚に石を投げつけて「楽しむ」のです。ぞっとします。
 この本の著者はアルジェリア軍の将校だった人で、フランスに亡命しています。イスラム原理主義を告発する本です。アフガニスタンに住む人々の心の内面をじっくり描き出しています。こころがささくれてしまう日々です。

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