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2006年12月 の投稿

ドイツ戦車、戦場写真集

カテゴリー:未分類

著者:広田厚司、出版社:光人社
 戦車って戦場では万能の兵器のように見えますが、実は故障率が高かったのですね。ナチス・ドイツ軍が1993年にポーランドに侵攻したとき、戦車の4分の1が故障したというのです。
 ロンメル将軍もアフリカで戦車を動かしたわけですが、砂漠の砂とホコリは戦車の敵でした。戦車のエンジンの寿命を3分の1にしてしまいました。
 ナチス・ドイツ軍は、修理システムが十分でなく、また、多種の車輌による部品のため戦車戦力の15〜30%はムダにしていた。つまり、ヒトラーのナチス・ドイツ軍は補給のことを十分に考えていなかったのです。
 装甲部隊の作戦と戦力維持のための組織力に欠けていた。
 そして、ドイツ軍の機能化師団にとってもっとも深刻だったのは、燃料不足で進撃速度が落ちたこと。補給ラインが伸びて燃料が届かない。列車での輸送は、軌道幅が違うためにできない。船は黒海にソビエト艦隊がいて実行できない。空輸では、とてもまかなえない。さらに、ソ連軍のT34戦車にドイツ戦車は負かされていた。
 ヒトラーの求める狂信的な「撤退せず」という指令が、いつもドイツ軍の装甲部隊の致命傷となった。
 200枚もの戦場におけるドイツ戦車をとった写真集です。そこに戦争に悲惨さはまったく出てきませんが、その愚かさは十分に分かります。スターリングラードやレニングラードの戦いなどを先に紹介しましたが、それらの戦場の様子を具体的にイメージできる本です。

超・格差社会アメリカの真実

カテゴリー:未分類

著者:小林由美、出版社:日経BP社
 アメリカに26年も暮らしてきた著者が、自分の経験と知見をもとに、アメリカとはどういう国なのか、日本がアメリカのような国になっていいのかを根本的に問いかけた本です。
 アメリカの社会は4つの階層に分かれている。特権階級、プロフェッショナル階級、貧困層、落ちこぼれ。
 特権階級は、400世帯しかいない純資産10億ドル(1200億円)以上の超金持ちと5000世帯の純資産1億ドル(120億円)以上の金持ち。
 プロフェッショナル階層は、35万世帯の純資産1000万ドル(12億円)以上の富裕層と純資産200万ドル(2億4000万円)以上で、かつ年間所得20万ドル以上のアッパーミドル層からなる。彼らは、高給を稼ぎ出すための高度な専門的スキルやノウハウ、メンタリティをもっている。
 特権階級とプロフェッショナル階級の上位2階層をあわせた500万世帯、これは総世帯の5%未満となる、に全アメリカの60%の富が集中している。アメリカの総世帯数1億1000万のうち、経済的に安心して暮らしていけるのは、この5%の金持ちたちだけ。
 アメリカは、人類の求める究極の社会なのか。アメリカの本質を理解した人は、ためらうことなく、一言で、ノーというだろう。
 アメリカの人口2億9000万人のうち、16%の4500万人は医療保険をもっていない。大人の5人に一人は医療保険がない。
 減税というのは、ワーキング・クラスからの徴税を大幅に増やし、投資収入で生きるトップクラスの税負担を減らす、というもの。
 アメリカの中産階級は、1970年代以降、アメリカの国力が相対的に低下する過程で、徐々に二分化してきた。メーカーなどで働く中産階級の大半は、貧困層への道をたどっている。
 アメリカ社会の最下層にいるのは、社会から落ちこぼれている層で、貧困ラインにみたない人々。アメリカの人口の25〜30%を占めている。
 著者は日本がアメリカのような国になってはいけないことを強い調子で訴えていますが、まったく同感です。

ユーゴ内戦

カテゴリー:未分類

著者:月村太郎、出版社:東京大学出版会
 チトーの率いていたユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国は、チトーの死後、1991年初夏から1995年冬の内戦のなかで解体していった。
 ボスニア内戦の犠牲者は20万人、難民は250万人。1981年のボスニアの人口は412万人だったから、全人口の5%が死亡し、60%が居所を追われたことになる。
 ボスニア内戦と同じ時期に起きていたルワンダ内戦と比較すると、ルワンダでは1994年4月からの3ヶ月間で人口750万人のうち50万人以上が虐殺された。ところが、国際社会の注目はボスニア内戦に集まり続けた。それはなぜか?
 アフリカでは、それまでも大虐殺が何度もあっていたのに対して、第二次大戦後のバルカン半島では、終戦直後のギリシア内戦、1956年のハンガリー動乱、1989年12月のルーマニアの混乱を除くと、大量の流血を目撃する事態とは無縁だったから。
 そもそも、ユーゴ内戦は民族紛争なのだろうか。クロアチア内戦で実際に戦ったのは、クロアチア人主体のクロアチア政府警察隊、国防軍とセルビア人武装部隊だったことは事実だ。しかし、民族紛争として単純にとらえきれない面がある。各民族の構成員全員が民族を争点とする民族政治を求めていた訳ではなく、かなりの人々が他民族共存状態の継続や復活を希望していた。また、武装部隊の民族構成も必ずしも民族的に単一ではなかった。
 では、なぜ深刻な内戦が続いたのか。
 それには、各民族の政治指導者の自己保身とデマゴギー戦略が大きいようです。それまでユーゴスラヴィアを支配していたチトーは、両親をクロアチア人、スロヴェニア人としていた。チトーは1980年5月4日に、87歳で亡くなった。
 セルビア人共和国軍は、短期的には戦況を有利に導いたかもしれない。しかし、長期的には欧米に根強いセルビア人悪玉論が強まるという悪影響をもたらした。こんな評価があります。ここでもマスメディアの操作が有効だったのです。
 クロアチア軍がセルビア人勢力に勝ったのは、軍人コンサルタント企業が軍備の増強や部隊の訓練などによってクロアチア軍を増強しただけでなく、作戦内容も助言したからだという指摘がある。
 ユーゴ内戦を事実経過にしたがって丹念に分析した学術書ですので、読みやすい本ではありません。それでも、結局は軍事行動だけで決まるものではなく、投票結果が大勢を決めているという気がしました。やはり、力だけでは何ものも長く支配することはできないのです。良識は必ず生きている。しかし、その前に多大な犠牲を払わなければいけないことがある。こういうことのようです。
 でも、やっぱり政治家のデマゴギーって許せませんよね。小泉の優勢民営化選挙のとき刺客で負けた議員のほとんどが自民党に復党しました。なぜかマスコミが大きく取り上げませんが、年末までに議員が復党すると、自民党に2億5000万円の政党助成金が入るのですよね。これって、もちろん税金なんです。自民党をぶっつぶせ、は一体どこへ行ったのでしょうか。国民をバカにするのもほどがあります。それなのに、自民党の安倍内閣の支持率が6割以上だなんて、とても信じられません。いったい日本人はどうしたんでしょうか・・・。

悪魔のささやき

カテゴリー:未分類

著者:加賀乙彦、出版社:集英社新書
 ハンディな新書ですけれど、中味はギッシリ詰まっていて、興味津々、ともかく面白く、知的刺激に充ち満ちている本です。
 たとえば、今の日本社会は刑務所化しているという指摘がなされています。
 マンションも学校もオフィスビルも、鉄とコンクリートの塊でつくられ、整然として人間管理が行き届いている。好きなものを食べ、気に入った服を選んで着ているようで、実は食料品も衣類も、画一的な大量生産品。刑務所というのは一般社会と無縁なところだという思いこみを捨て、身のまわりを眺めてみると、けっこう似ているところが多い。
 囚人は刑務所に閉じこめられっぱなし。それに対して、私たちの生活は、果たしてのびのびと生活を楽しんでいると言えるだろうか。
 社会が刑務所化すると、刑務所で起こるのと同じような問題が発生する。その一つが、心理学でいう爆発反応。ほんの些細な刺激で完全キレ、予想外の行動をとる。
 社会の刑務所化によってひきおこされるもう一つの問題が、関心の狭隘(きょうあい)化。刑期が10年から無期にわたる長期囚は、興味をもつ対象の幅が極端に狭い。話題のほとんど、いや、すべてが、ごはんの内容、看守の動向、囚人仲間の悪口というような刑務所内の日常生活に関することに限られる。外の世界で起こっていることについては、政変も戦争も娯楽も文化も、まったく関心がない。日々の単調な生活、狭い時空に自己の精神をぴったり合わせてしまっている。
 これをプリニゼーションと呼ぶ。そのような状態に陥っている本人は、そのことに気がつかない。新聞や週刊誌を読み、テレビをなめるように見ているはずなのに、かえって他人のことに無関心になっている。興味は一過性のものにすぎない。
 いつもいらいらして、心に余裕がない。自分のことだけで一杯いっぱいで、他人の都合や気持ちには極端に狭量。刑務所化する社会で暮らすストレスから、自分を抑制する力が弱まり、ちょっとしたことでキレやすくなっているのは子どもだけではない。
 うーん、なるほど、言われてみればそうですよね。
 自殺のかわりに人を殺す。人を殺し死刑になることで自分を破滅させようとする。そんな犯罪者は決して少なくない。破滅したいのなら自分一人で命を絶てばいいけど、それは寂しいし、怖い。自分自身をふくめた人間全体に対する不信感や憎しみ、自分の不遇を周囲の人や社会のせいだと考える被害者意識があるため、他人を巻きこんでしまう。
 なーるほど、そうなんですか・・・。
 日本の知識人は、学識は豊富で知性が高くても、本当の意味で自分の思想をもっていない人が多い。いやあ、そうなんですよね。これは、自戒をこめた私のつぶやきです。
 人の心には残虐性や殺人への願望が隠れている。低きに流れる怠惰さや依存心も、たっぷりと持ちあわせている。性悪説や性善説といった単純な二元論では人間は割り切れない。悪魔や天使のささやきのようなものによって、内なる悪しきものや善きものが呼び覚まされやすく、その表れ方も激しい。
 人間は誰もが弱く、罪深く、心の奥底に悪しきものを棲まわせている。今のような混沌とした時代においては、無自覚に暮らしていると、内なる悪魔に突き動かされ、悪をなしてしまう危険性が高くなる。
 うむむ、なるほど、なるほど、たしかにそうだよなー・・・。そんな納得の指摘が満載の本でした。

近代ヴェトナム政治社会史

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著者:坪井善明、出版社:東京大学出版会
 ヴェトナムが現在の姿になったのはここ2世紀のこと。西山党の光中帝(グエンフエ)が200年以上に及んだ鄭(チン)氏と阮(グエン)氏の対立に終止符を打ち、国を事実上統一した。中越国境からシャム湾までを名実ともに政治的に統一したのは、阮朝の初代皇帝・嘉隆(ザロン)帝(在位1802〜1820年)。
 中国が統治した時代が1000年以上も続いた。10世紀に中国から独立し、中国にならって君主政体を採用した。そして、19世紀前半まで、チャム人やカンボジア人を犠牲にして南に勢力を伸展させ続けた。チャム族は、現在は10万人にみたない少数民族にすぎない。しかし、2世紀末から、現在のヴェトナム中部のクアンナム・ダナン省を中心として強力な王朝をうちたてていた。インド文化を取り入れた社会を形成し、海上貿易を富の源泉とした。中国人は、この国を「林邑」と呼んだ。
 16世紀末に、ホイアンに日本町もうまれた。
 ヴェトナムと中国との関係は政府間の交渉関係にとどまるものではなかった。中国人は、何世紀も前から商人としてヴェトナム、とくにトンキンとコーチシナに定住していた。それに加えて、中国の海賊は米を運ぶヴェトナム船を頻繁に襲った。また、中国の海賊は、また沿岸地方に上陸し、食糧や女子どもを強奪した。このようにヴェトナム民衆は日常的に中国人と接触していた。
 阮(グエン)朝は独特の世界観をもっていた。ヴェトナムは中国と同じで、自らを世界の中心に位置すると称し、中国と兄弟であり、対等の国家とみなしていた。そこで、ヴェトナムの用語では、中国は「北朝」、ヴェトナムを「南朝」と呼んでいた。ヴェトナムの君主たちは、中国の皇帝と全く同じく、皇帝という称号を自ら使用していた。大南国皇帝と名乗った。しかし、フエ宮廷の使節は、北京の中国皇帝の前では「越南国王」の代理人としてひざまずいた。
 ヴェトナムは阿片を中国から密輸入した。これは、中国への米の不法な輸出と結びついていた。阿片と米が交換されていた。ヴェトナム人が阿片を吸う習慣は、19世紀初頭からまずコーチシナの華僑のあいだに広まり、その後、少しずつヴェトナム社会に浸透していった。フエの宮廷は定期的に阿片常用禁止令を発布した。が、効果はなかった。常用も密売も、なくならなかった。
 11月末から5日間、ベトナムへ行ってきました。その活気に圧倒される思いでした。かつてアメリカがベトナムに侵略・支配してベトナム人民と10年以上にわたって激しい戦争を展開していた爪跡はまったく残っていませんでした。いえ、博物館はあります。そこには教師が生徒を引率してきていて、生徒たちは真剣にメモをとって学習していました。しかし、終戦後30年たって、どこもかしこも平和に繁栄しているのです。町のなかはオートバイの洪水です。中心部にわずかに信号があるだけですので、通りを横断しようにも、決死の覚悟が必要です。ともかくゆっくり、走らないこと。バイクと車のあいだをゆっくりゆっくり、縫うようにして歩いていくのです。
 有名なクチに行って、そのトンネルにもぐってきました。アメリカ軍の支配を許さなかった集落です。サイゴン(現ホーチミン)からわずか60キロしか離れていないところに解放軍の確固たる拠点があって、そこを維持し続けたというのです。すごいものです。地下3層からなるトンネル構造のほんの100メートルほどを中腰ですすみました。おかげで翌日から膝のあたりがガクガクしてしまいました。真っ暗闇のなか、狭い狭い通路です。もちろん真っ直ぐではありません。曲がりくねり、下におり、上にあがりする通路です。平地でアメリカ軍とたたかうことの困難さの、ほんの一端は身をもって体験しました。でも、このちょっとした体験で初めて、ベトナム全土が30年前まで戦場だったことを実感することができました。
 今、ベトナムは大変化の真最中です。これからどう変わっていくのか、引き続きウォッチングしていきたいと考えています。
 一緒に旅行した仲間の皆さんに感謝します。とりわけ、企画した大塚弁護士、そしてクチ・ツアーを実現した伊達・黒木両弁護士にお礼を申し上げます。旅行会社の添乗員である今里氏には、またまた大変お世話になりました。

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