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2006年9月 の投稿

アイフル元社員の激白

カテゴリー:未分類

著者:笠虎 崇、出版社:花伝社
 そもそも、浪費する人間を国家も企業も望んでいる。着実に貯金し、無駄遣いせず、物を大切にして、なかなか物を買わない、なんていう人間が増えたら、今の日本の経済システムではたちまち不景気になってしまう。ホントにそのとおりだと私も思います。浪費を前提として今の日本は成り立っています。
 借金してまで物を買わせようと、国家も企業もマスコミも必死になって、国民を借金漬けにしようとしている。そのことに気づかなければ、他人事だと思っている多重債務者に、あなたもなってしまうかもしれない。これも、まったくそのとおりです。多重債務に陥るのは、決して一部の不心得だけではありません。
 著者は、アイフルは狙い撃ちされたのだと主張しています。というのも、アイフルが銀行系列に入らずに独自路線をすすんでいるからだというのです。
 アコム、プロミスは銀行の軍門に下ってしまった。独自路線をいくアイフルは体制側・既得権益側にとっては、邪魔な出る杭なのだ。
 うむむ、そう言えるのですか。知りませんでした。そんな観点がある、なんて。
 金融庁は、国民無視の銀行を保護するための出先機関でしかない。まことに、そのとおりでしょう。サラ金の金利引き下げ問題で果たした負の役割を見たら、いよいよ明らかですよね。銀行とサラ金が一緒につくったサラ金CMがテレビでバンバン流されている。プロミスと三井住友銀行のアットローン、アコムと三菱東京UFJ銀行のDCキャッシュワンなど。ともかく、テレビも新聞・雑誌も、サラ金からの広告収入に大きく依存している。問題が起きれば批判キャンペーンを行い、そこで視聴率を稼いでもうける。そして、ほとぼりがさめたら、再び大量にサラ金CMを流して、またもうける。まことに、まことに、そのとおりです。テレビのサラ金CMこそ、諸悪の根源と言えるでしょう。あれが浪費をあおり、多くの国民を借金漬けにしてしまったのです。
 CM好感度白書によると、チワワで人気を集めたアイフルが、二年連続で一位になったそうです。借り入れをあおって多重債務者や自己破産者を増やしているのは、他でもない、テレビ局なのだ。そのとーり。
 お金にだらしのない人間は生活がだらしない。というより、生活がだらしないから、お金にもだらしなくなる。部屋が汚い債務者ほど返済が遅れる可能性が高い。きれいに整理整頓されている家は、返済もきちんとしてくれる可能性が高い。借金とは、生活習慣の問題。
 なるほど、まったく、そのとおりです。ですから、借金漬けから脱け出すのは容易ではありません。毎日の何気なく過ごしている生活を根本的に変えていく必要があるからです。
 サラ金は、借りようという人に借金のつかい道を執拗に訊く。それは、つかい道がしっかりしているかどうかで、その人の計画性と回収見込みが分かるからだ。これまた、なるほどですね。サラ金まみれの人がどうしてこんなに多いのか、どうしたらよいのか、について、元サラ金の有能な社員だった人の率直な指摘です。いくつかの異論はありましたが、同感できるところの多い本でした。

赤ちゃん学を知っていますか?

カテゴリー:未分類

著者:産経新聞取材班、出版社:新潮文庫
 赤ちゃんの目の前に二つの皿がある。一つは赤ちゃんの大好物なクラッカーが山盛り。もう一つは大の苦手な生のブロッコリー。そして大人が、赤ちゃんの目の前でクラッカーの入っている皿から一つを取り出して「うわっ、まずい」と顔をしかめる。続いて、ブロッコリーを取り、「おいしーい」と顔をほころばせて大喜びで食べる。そのあと、赤ちゃんに、「ひとつ、ちょうだい」と、その大人が手を出す。さあ、赤ちゃんは、どうするか?
 1歳2ヶ月の赤ちゃんは、迷わず自分の大好きなクラッカーを取って差し出す。1歳半の赤ちゃんは、自分は大嫌いなブロッコリーに手を出して大人に差し出した。1歳半になると、自分はクラッカーが大好きだけど、目の前の大人はブロッコリーが好きだと理解している。1歳半未満だと、自分と他社の区別がつけられない。だから、自分の好きなものを他人にも渡す。ところが、1歳半になると、自分と他者がそれぞれ別の欲求をもっていることが分かる。ひゃあー、そうなんですか。私もぜひ実験してみたいのですが、子どもたちには赤ちゃんがまだ生まれそうもありません(結婚もしていません)。残念です。
 ベビーサインをつかった子どもには、つかわない子どもに比べて、会話能力が4ヶ月半ほど進んでいる。ベビーサインというのも、かなり意味があるようですね。
 ヒトは、他の動物に比べて、おっぱいの出具合が悪い。生存という観点からみると、できるだけ連続して吸ったほうが効率がいいはずだが、これも言葉を習得するための本能的行動だという。赤ちゃんが吸うのを休むと、母親は、「よし、よし」と揺する。そして、赤ちゃんは、再び自分からおっぱいを吸いこむ。
 ヒトの赤ちゃんは、あおむけの姿勢をとることで、早い時期から両手を自由に動かせるようになった。あおむけやおすわりという姿勢こそ、ヒトがヒトになるカギを握っている。
 言葉の意味を解さない赤ちゃんにとって、大人の語りかけは、あなたに興味がある、私を見てくれるとうれしい、というメッセージなのだ。赤ちゃんの行動やしぐさ、音に丁寧に応じることの積み重ねで、赤ちゃんに、自分のやることは相手に反応をさせる効果があると思わせる。つまり、自分が主人公なのだ、と。その自己肯定の感覚が自信や意欲につながり、言葉を伸ばす。うむむ、なるほど、そうなんですか。
 面倒くさがって、赤ちゃんに言葉を記憶させるためにテレビをつかってはダメ。親がそばにいて、きちんと相手をしてあげないと効果がない。赤ちゃんがおとなしくテレビの画面を見ていることは、決して集中力がついたわけではない。
 乳幼児にテレビを見せるとき、巻き戻して見ない、一回に30分、終わったらスイッチを消す、誰かと一緒に見る、見終わったら同じ時間だけ外で遊ぶ。これが大切。
 赤ちゃんにとってテレビは百害あって一利なし。テレビに子守りをさせたら、親子間のふれあいがもてない。
 母乳は赤ちゃんが欲しがるあいだ、欲しがるように与えればよい。断乳すると、赤ちゃんは一番大好きなお母さんに裏切られたと思ってしまう。母親にとっても、乳房を吸われることによって、分泌されるホルモンは母親の下腹部やお尻の脂肪を母乳の脂肪に変える。長く母乳を与えると、母親は美しいプロポーションになれる。
 赤ちゃんって、ヒトがヒトになる前の大切な一時期だということがよく分かる本です。身近なわが家にいないのが、残念でたまりません。
 黄金色の稲穂が垂れ下がり、そばに紅い曼珠沙華が咲いています。百舌鳥の甲高い声も聞かれ、一気に秋の気配となりました。暑い、暑いと言っていたのが嘘のようです。

トンデモない生き物たち

カテゴリー:未分類

著者:白石 拓、出版社:宝島社
 カモノハシは単孔類というほ乳類の仲間。電気を感じる力がある。電気センサーはくちばしにあり、表面上はただの小さな孔に見える。しかし、その奥には電気感覚をもった神経がずらりと並んだ部分があり、高感度な電気を感じる器となっている。カモノハシは、生き物が出す生体電気を探査していて、それを手がかりに、小エビやザリガニ、水生昆虫などを食べている。
 シロアリはアリとはまったくかけ離れた虫で、どちらかというとゴキブリに近い。ムヘイシロアリは敵が来ると、自分の腹部を爆発させ、体に含まれる有毒物質などをぶちまけて敵に浴びせる。まさに自爆攻撃だ。
 ザゼンソウという植物がある。むかし、尾瀬あたりで見たような気がします。ザゼンソウは、自分で積極的に初熱し、恒温動物のように一定温度に調節する。周囲が氷点下に下がっても、20度の体温を維持することができる。
 クモの糸は紫外線を吸収しやすい素材でつくられている。紫外線は昆虫類にはよく見える。そのため、紫外線を反射しにくいクモの巣は昆虫にはとても見えにくい。
 ウズグモの糸には静電気があるので、近づいた昆虫を引き寄せる。
 ウミホタルは、敵に襲われると、体内の分泌線からルシフェリンとルシフェラーゼを別々に、だけど同時に海中に吐き出す。そして、その二つが混ざると、両者の作用で青く発光する。体外発光する。
 ペンギンは、水中で翼を上げるときも下げるときも前進できる。ふつうは下げるときだけなのに。ペンギンは潜水する深さを計算して息を吸うときの空気量を調節する。浅くもぐるときはちょっと吸い、深いときはたくさん吸う。これは浮力とのかねあい。深いところでは体内の空気が圧縮されて浮力が減るため。浮力と重力がつりあい自由に泳ぎやすくなる。また、ペンギンはもぐっているあいだは、脳以外の臓器への血流を止めてしまう。翼の筋肉にも血液が行かない。筋肉は無酸素で動けるだけ動くのだ。ええーっ、そうなんだ・・・。信じられないことです。
 植物体内にも光をつかった高速通信システムがある。光が植物体内をかけめぐっている。この光は可視光ではなく赤外線。光ファイバーと違って、光が通路すすみながら、少しずつもれている。これは、植物体内に光が供給されていることも意味する。
 わが家にも夜になるとヤモリがよく登場します。窓ガラスにペタリと貼りついて動きません。このヤモリの足の裏は、1本あたり50万本もの繊毛におおわれている。この毛の先端とガラス物質との間に分子レベルの引力がはたらき、接着力のもととなっている。ファンデルワース力という。計算上は、ヤモリ一匹で40キロの重さを支えられるという。たいていの大人は、私ももちろん、天井のヤモリ2匹をつかんだらぶら下がれることになる。本当なんでしょうか・・・。実験したら面白いでしょうね。

君を乗せる舟

カテゴリー:未分類

著者:宇江佐真理、出版社:文藝春秋
 サブタイトルに髪結い伊三次捕物余話とあります。いつものことながらたっぷり江戸情緒を味わうことができました。
 函館に生まれた著者は団塊世代。今も函館に住んでおられるようです。
 はいはいができるようになった幼女が脇役として登場し、話の展開にふくらみをもたせています。このあたりの情景描写も心憎いものがあります。
 髪結い伊三次の裏の仕事は同心の小者。北町奉行所、定廻り同心の不破友之進の配下にある小者として探索に歩き、事件を解決していきます。若者愚連隊(旗本の二男・三男が主力)を取り締まろうと苦労し、また、若い女性の誘拐事件を鮮やかに解決します。
 漢字をたくさん知ることができます。木場(きば)。贔屓(ひいき)。丁場(ちょうば。得意先)。熨斗目(のしめ)。銀杏髷(いちょうまげ)。月代(さかやき)。仕舞屋(しもたや)。束脩(そくしゅう。謝礼)。例繰方(れいくりかた)。紙魚(しみ)。胡散臭い(うさんくさい)。
 江戸情緒にどっぷり浸るには、これらの小難しい漢字が読めて、意味が分かる必要があります。私の娘が漢検に挑戦中ですが、私も、いずれは受けようと思っています。やはり日本人なのですから、日本語を知る必要がありますので・・・。

1968年、世界が揺れた年(後編)

カテゴリー:未分類

著者:マーク・カーランスキー、出版社:ソニー・マガジンズ
 1960年代後半になって、フランスは消費社会に変わった。突然、フランス人は車を持つようになり、家庭に屋内トイレが設けられるようになった。とはいえ、1968年までに屋内トイレを設けた家庭は、パリの半数にすぎなかった。
 1958年、フランスは17万5000人の大学生がいたが、1968年には53万人と、イギリスの倍になっていた。ところが、フランスの学生は4分の3が落第して退学したため、学位取得者はイギリスの大学の半数でしかなかった。だからこそ、ドゴールは最初のうち学生運動を歯牙にもかけていなかった。ドゴールは、運動に関わる学生は単に目前の試験を恐れているのだと考えていた。大学には学生たちが溢れ、パリ大学だけで16万人の学生を抱えていた。学生がデモを始めれば、その大義に共感したデモ参加者が数えきれないほどに膨れあがることになった。
 フランス共産党は、初めから学生たちのすることすべてに反対していた。そんな偽りの革命家どもは正体を暴かれてしかるべきだ、ジョルジュ・マルシェ書記長はこう言った。労働組合も同調しなかった。労働者もドゴール政権に怒りをつのらせていた。だけど労働者は革命を望んでいなかったし、ドゴール政権を転覆させることには関心があったが、それ以外の学生たちの問題については、どうでもよかった。労働者が望んでいたのは、労働環境の改善であり、給料値上げであり、有給休暇を増やすことだった。労働者と学生は、別々の運動だった。労働者が望んだのは、賃金や工場の抜本的改革。学生が望んだのは、生活の抜本的な改革だった。
 学生運動の高名な指導者であるコーン・ベンディッドはユダヤ系だった。左翼運動には多くのユダヤ系が参加していた。
 68年6月23日、ドゴール支持者は43%の票を勝ちとり、国民議会での絶対多数を獲得した。左派は国民議会の半数を失い、ニューレフトの学生は議席を得ることができなかった。
 1968年秋、ビートルズは最初の自主制作レコードをリリースした。片面がレボリューション、もう片面がヘイ・ジュードだった。
 アメリカで黒人暴動が起こるたびに、法と秩序を指示する白人有権者が増え、黒人とその権利にうんざりする人が増えた。人種差別撤廃運動に対する白人側の巻き返しは、一般にホワイト・バックラッシュと呼ばれた。ニクソンは、このバックラッシュ票をかき集めた。
 1968年の1年間のうちに1万4589人のアメリカ兵がベトナムで戦死し、アメリカ人戦死者の総数はそれまでの2倍となった。1968年は、もっとも犠牲の多い年だった。ひどい一年の締めくくりがリチャード・ニクソン大統領の誕生だった。
 この年、ビアフラで100万人が飢えに苦しみ、ポーランドとチェコスロバキアで理想主義が叩きつぶされ、メキシコで大虐殺が起こり、世界じゅうの反体制派が殴られたり無惨な目にあわされた。そして誰よりも世界に希望を与えた二人のアメリカ人が暗殺された。
 クリスマスの日、3人の宇宙飛行士が月面から100キロの軌道を周回し、上空から月面が灰色の荒涼としたでこぼこであることを明らかにした。
 1968年。私は大学2年生でした。6月から学園紛争が始まりました。いえ、他人事(ひとごと)のような紛争という言葉をつかいたくはありません。それに一兵卒としてかかわったものとしては、やはり学園闘争と呼びたいのです。大学がもっと学生の叫びと要求を真剣に受けとめてくれるものになってほしいと心から願っていました。ただ矛盾するようですが、もう一方では、勉強したくないという気持ちも強くありました。大学受験のような、押しきせの講義に対して反発していたのです。もちろん、好奇心の方は人一倍ありました。まったく矛盾する存在であり、行動でした。まさに20歳前後の分別のない年頃だったのです。この年に体験したことは貴重な青春のひとこまとして、今でも私の原点となっています。

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