法律相談センター検索 弁護士検索
2006年7月 の投稿

革命のベネズエラ紀行

カテゴリー:未分類

著者:新藤通弘、出版社:新日本出版社
 いま南アメリカが大きく変わりつつあります。反米政権が次々と誕生しているのです。
 チリに出来た社会主義を目ざすアジェンデ政権がアメリカの謀略によってピノチェト司令官によって倒されたのは1973年のことです。ところが、今や、ベネズエラだけではなく、ブラジル、ボリビア、ウルグァイ、アルゼンチン、ガイアナがアメリカの帝国主義的支配にノーをつきつけています。メキシコの大統領選挙でも左翼が健闘中です。
 この本は、ベネズエラですすめられている政治変革の実情と問題点を具体的に明らかにしながら、大変読みやすい現地紀行文となっています。
 1960年代に西田佐知子が歌った「コーヒー・ルンバ」がベネズエラの曲だとは知りませんでした。ベネズエラの人口は2510万人。混血(メスティソ)66%、白人22%、黒人10%、先住民2%。国民の2〜3割を占める富裕層には白人が多く、7〜8割を占める貧困層は混血、黒人、先住民。
 ベネズエラには美人が多いそうです。この24年間の世界の三大美人コンテストで、ミスユニバースを4回、ミス・ワールドを5回、ミス・インターナショナルを3回、合計12回も一位を受賞した。小学校から高校まで美人コンテストがあるという。そして、キューバと同じく、野球が国技となっている。日本のヤクルトのペタジーニ、西武のカブレラがベネズエラ出身。
 ベネズエラの憲法は五権分立となっている。ええーっ、何のこと。三権分立じゃないの。いったい、あと二つは何なの・・・。立法、司法、行政のほかに、ここでは市民権力と選挙権力というのがあるのです。市民権力というのは分かる気がしますが、選挙権力って聞いたこともありません。市民権力には、オンブズマン制度もふくまれます。選挙権力の独立性は、ラテンアメリカで不正選挙が日常化していることによります。
 ベネズエラとキューバは、契約を結んでいます。キューバは3万人の医師をベネズエラに派遣しています。その見返りにベネズエラは年間530万トンの石油をキューバへ供給するのです。これはキューバの年間石油消費の55%にあたります。
 ベネズエラは文盲を一掃し、今また奇蹟計画をすすめています。13万人の視覚障害者(主として白内障患者)をキューバに送って視力を回復させるのです。
 チャベス大統領は、与党の議長と書記長を兼任しています。ただし、その与党は大会も定期的に開かれず、党規約も発表されず、まだ政党の体をなしていません。
 ベネズエラ共産党は1960年代に4万人の党員がいたものの、武装闘争を放棄したキューバ共産党と激しい論争し、ソ連からの資金援助も受けて自主路線を確立できず、1990年はじめに壊滅した。いま再建されて国政選挙で15万票をとるまでになった。
 ベネズエラでは、大土地所有が発達している。その農地を配分しようとして、大土地所有者から強力な抵抗にあっている。この2年間で180人もの農民リーダーが殺されている。
 チャベス大統領は社会主義を唱えている。しかし、国有化すればうまくいくというのは間違いだと著者は主張しています。
 キューバ国営企業の非効率、労働規律の低さ、生産性の低さを長いあいだ見てきた者として、国有化して、はたして現実経済が効率的に機能するか、疑問だとしています。
 現在のチャベス政権の弱点は何か?
 それは、汚職と官僚主義である。在任中に私腹を肥やさないものは馬鹿だといわれる風潮がある。政府高官になると、家族、親類縁者が寄ってたかって、特権にあずかりたいと集まってくる。ラテンアメリカの汚職はどこもひどい。コスタリカでは、90年代の大統領が3人も汚職で逮捕された。
 こんな大変な状況のもとで、チャベス大統領は1998年の大統領選以来、10連勝を記録しています。その元気な息吹が伝わってくる本でした。

裏社会の日本史

カテゴリー:未分類

著者:フィリップ・ポンス、出版社:筑摩書房
 「ル・モンド」の日本特派員をつとめるフランス知識人が日本のやくざと貧苦の人々について書いた本です。ここまで日本の文献を読みこんでいるのかと感嘆してしまいました。
 著者は、住民の大半が定住農民であった日本において、旅人は恐怖と猜疑の目で見られた、と書いていますが、私は最近そうではなかったのではないかと考えています。日本人は、昔から自由気ままに旅行するのが大好きな、好奇心旺盛の民族だったという説が最近では有力です。それを裏づける旅行記が数多く存在するからです。日本人の旅行ブームは昔からあったと考えるべきです。そんなに一朝一夕に民族性が変わるはずはありません。
 そういう異論もありますが、著者の指摘は大半あたっていると私は思いました。
 1872年。東京には5万6000人、大阪には1万6000人の車夫がいた。人力車の車夫である。もと駕籠かきであった人々が車夫に転職した。彼らは貧民窟の住人でもあった。
 東京都はホームレスの人数を公表していない。民間の統計では、1998年に東京23区に1万2000人のホームレスがいた。山谷の住民8000人のうち、2500人が高齢のホームレス。
 賭け事の世界には掟がある。組の親分とその手下との間には、もうけの分配について、厳格な原理が存在している。頭に60%、手下に40%である。
 旅順や大連など、遼東半島南部にあった日本租界は、1906年から日本政府の管轄下にあり、日本人やくざの界隈となっていた。雇われていた中国人やくざは1930年代初めに23万人もいた。
 現代日本では、権力の舞台裏で暗躍する黒幕の仲介により、やくざと極右と保守陣営とが結びついている。政治とやくざの癒着はすっかり定着している。九州新幹線を建設するについても、自民党の有力政治家と暴力団が手をつないでゼネコンから大金をせしめ、三者もちつもたれつの関係にあると見られています。ところが、マスコミはまったくこの実態を報道しません。
 敗戦直後の東京には370のテキヤの組があり、7000人の親分と2万人のメンバーがいた。1963年、暴力団は5300のグループ、18万4000人いた。1996年、組は3120、メンバーは8万人。そのうち66%が三大暴力団(山口組、住吉会、稲川会)に所属していた。
 山口組は上納金システムをとっている。関西の16組が月3億5000万円、中部地方が2億4000万円、関東の組が1000万円、北海道の組は3億5600万円。この上納金システムは、幹部らが非合法な事件に直接かかずらわなくてすむようにし、逮捕の危険を阻止するためのもの。また、この上納金により、系列下の組への組織の保護が保証される。暴力団の総売上は1兆3000億円で、その3分の1の4530億円は、覚せい剤の取引によるもの。
 警視庁の統計によると、やくざの60%が中流家庭に、40%が恵まれない層に属する。80%は義務教育をこえる教育をうけていない。多くは失踪の癖があり、また不和を抱えた家庭の出身である。日本のやくざのかなりは被差別マイノリティ出身である。
 野村證券は稲川会に巨額の融資をした。
 佐川急便は、京都の暴力団会津小鉄会と結び、政治家にお金をバラまいた。
 日本の社会の隅々にまで暴力団がはびこっていることを弁護士として実感する毎日です。彼らにちょっとでもたてつくと、チンピラヤクザが鉄砲玉になって飛びかかってくるというのは決して大ゲサな話ではありません。そんな現実をマスコミが紹介しないものだから、少なくない日本人がノホホンとして、ホラー映画で恐怖心を味わっているのです。そんな映画を見なくったって、恐怖はあなたのすぐ隣りにあるのですよ。私は、そう教えてやりたいのですが・・・。

テレビと権力

カテゴリー:未分類

著者:田原総一朗、出版社:講談社
 活字メディアとは醒めたメディアで、読者は冷静に読む。テレビは、声、怒鳴り方、目の光り方、表情、身ぶり、手ぶりと、あらゆる表現手段を総動員して、視聴者に訴えるメディアで、言葉は表現のワン・オブ・ゼムに過ぎない。テレビでは、山崎拓、小泉純一郎が、顔を晒し、怒りを満面に込めて、唾を飛ばさんばかりの口調で、海部首相の傀儡ぶり、その無惨なまでの軽さ、経世会の傲慢さを、これでもか、これでもかと糾弾する。
 活字メディアでは、論理がすべてだが、テレビでは論理でさえ、ワン・オブ・ゼムなのだ。ここに新聞とテレビの大きな差異がある。
 活字メディアでは、言葉としてつじつまがあっていればよいのだが、テレビでは言葉としてつじつまがあっていても、全身の反応が矛盾を露呈させてしまう。
 著者は、60年の安保改定反対運動を次のように批判します。
 実は、岸安保は吉田安保を、よりアメリカと対等の条約に近づけようと図っての改正、つまり改善だったのである。
 私は、これに大きな違和感を覚えました。これは、要するに、あくまで安保条約を是としたものです。それを前提として、ベターかベストか選べというものだと思います。まさしく悪魔の選択です。そこには、安保条約をなくせ、という視点は、そもそも欠落しているのです。「よりアメリカと対等となる」という論理は、アメリカの従属を前提としています。私は、こんな奴隷根性を拒否します。
 著者は、テレビの世界で生き続けていくための条件は三つある、と言います。一つは、一定程度の視聴率をとること、二つは視聴者から一定程度の評価を受けること、三つは、スポンサーに降りられないことです。そのためには、企画力と実現力がすべて、です。
 ところで、私は久しぶりに「一定程度」という言葉にぶつかりました。これは、私が大学生になった、今から30年以上前の学生運動家の口癖のような用語です。私には、ものすごく違和感がありました。著者が今も、その学生運動用語を引きずってつかっていることに驚いてしまいました。
 著者が松下幸之助に取材した話が面白いので少し紹介します。
 部下を抜擢するとき、頭のよし悪しは関係ない。むしろ、頭のいい人物はダメ。小ざかしいよりは鈍な人物の方がいい。健康も関係ない。健康に自信のある人は社長が先に立って走るから、よくない。誠実も関係ない。人間は誠実にもなるし、不誠実にもなる。それは経営者の問題だ。その人間に期待して、もっている能力をどんどん使ってやると、その人間はいやでも誠実になる。会社から評価されたら、会社への忠誠心が湧き、誠実にもなる。では、何なのか?
 松下は、運です、運のない人はあきまへん、これが第一です、と答えた。そして、それは顔を見たら分かるという。
 愛嬌のない人間はあきまへんわ。明るい魅力、それがないと人間あきまへん。社長が暗い、愛嬌のない顔をしていると、その下で働く社員がみな暗くなる。みんな評論家みたいに、後ろ向きの批判ばかりするようになる。ところが上司に愛嬌があって前向きだと、みんな前向きの提案をするようになる。
 なーるほど、そうなんですね・・・。いい話を聞きました。みなさん、いかがですか。
 最近、日本経団連の会長になったキャノンの御手洗冨士夫は23年間もアメリカに住んでいた。ところが、御手洗はアメリカ的経営はダメで、日本式がいいと主張する。御手洗は、一番が従業員の生活の安定、二番目が株主への利益の還元、三番目が社会貢献、四番目が持続的発展をするための自己資本をうみ出すこと。今も、これをちゃんと実行してくれているのでしょうか・・・。
 どうして日本は宴会・接待が多いのか。その理由は二つある。
 会社のなかで、あるいは取引先とトラブルが起きたとき、日本では、まあ一杯ということで、料理屋や飲み屋で酒をくみかわしながら話をつける。アメリカでは、すぐに弁護士を呼んで訴訟にもちこむ。料理屋をもうけさせるか、弁護士をもうけさせるのかの違いである。アメリカのビジネスは、徹底して質つまり付加価値の勝負だ。日本では、義理と人情と浪花節が生きている。
 私の娘は田原総一郎なんて大嫌いだと言います。いつも偉そうに威張りくさっていて、しかも、自民党を陰に陽に応援するから、とても好きになれないというのです。私も同感と言いたいところですが、テレビをまったく見ない私は、幸いにも田原総一郎のいやな面も見なくてすむのです。

ジェーン・フォンダ

カテゴリー:未分類

著者:ジェーン・フォンダ、出版社:ソニー・マガジン
 ジェーン・フォンダというと、わたしにとってはアメリカの勇敢な反戦女優というイメージです。ただし、彼女の出た映画を見た覚えはありません。この本は驚きの連続でした。まさに衝撃の書です。
 私の人生の大きな特徴は、変化が多く、しかもその変化に連続性がないことである。私は社会、家庭、職業という人生の大切な部分で人の目を気にせず、いつも成功よりまず努力することを念頭において生きてきた。なるほど、この本を読むと、それが実感として伝わってきます。
 子どもの私は父(ヘンリー・フォンダ)の関心を勝ちとるために本心を隠す習慣を身につけてしまっていた。完璧に、もっと完璧に。私には、それができた。私は悲しみの隠し方を父から教わった。
 性的虐待が子どもに及ぼす影響を調べてわかったことは、悪いのは性的虐待をした大人のほうであることをまだ理解できない年齢の子どもたちは、トラウマとなるその経験を自分が悪いからだと思いこんでしまう現実がある。この罪悪感を背負いこむことで、少女はことあるごとに自分を責め、自分の体を憎み、その埋め合わせに自分の体を完璧なものにしなくてはと思いこむ。そして、この感情は母から娘へ受け継がれることがある。
 性的虐待を受けてきた子どもは、自分には性的な価値しかないと思いこむ。そして、この思いこみは、よく青春期の派手な性的関係となって表われる。ときとして、性的に虐待されてきた子どもたちは奇妙な輝きを放っているように見えることがある。それは性的なエネルギーがあまりに早い時期から彼らの人生に押し入ってくるからだ。男性は、明かりに引き寄せられる蛾のように性的虐待や近親相姦の犠牲者である女性たちに引きつけられていく。
 父親のヘンリー・フォンダは14歳のとき父親と一緒に黒人レイプ犯が民衆からリンチを受けて殺されるところを目撃した。その黒人の男は留置場から引きずる出され、市長と保守官の立ち会いのもと街灯の柱に吊された。もちろん、何の手続もなしに。そして、群衆の銃弾男の体を蜂の巣にした。一部始終を黙って見ていたヘンリー・フォンダは家に帰ってからも何も言わなかった。これが「十二人の怒れる男たち」などに反映した。
 ヘンリー・フォンダは、人種差別と不公正は悪であり、決して許されるべきではないという固い信念を抱いていた。
 ジェーン・フォンダは父から愛され、母からは愛されていないと思ったそうです。
 私は母の虚ろな眼差しに凍りついた。この人は私を愛していない。本当の愛とは心を込めて相手を見返すことであって、何かのついでに偶然ぼんやり視線を向けることではない。うむむ、すごい。感受性が鋭いんですね。
 ヘンリー・フォンダは、アメリカにマッカーシー旋風が吹き荒れていたとき、これを共産主義の名を借りた魔女狩りとみなし、テレビを蹴飛ばしたこともあった。
 ジェーン・フォンダはずっと過食症でした。14歳のとき、決して太っていなかったのに、女としての完璧な肉体をパワーや成功と同一視するようになった。友人から大食いして吐くという方法を教えられた。
 呼吸はセックスの最中のように速く、恐怖に駆られたときのように浅くなった。食べる前にミルクを飲む。それは、まず胃にミルクを入れておくと、後で吐くのが楽になるからだ。太るということは死にも等しいことだ。食べること自体が気分を高揚させ、心が鼓動する。食べ尽くすと、食べたものが体に定着してしまう前に出してしまわなければという強迫観念に襲われる。
 アルコール依存症と同じで、拒食も過食も現実を拒絶する病気だ。ただ、アルコール依存症と違い、過食を隠すのは難しいことではない。一日せいぜいリンゴを少し、かたゆで卵をひとつ食べるのが精一杯だった。ジェーン・フォンダが摂食障害から解放されたのは、40代になってからのこと。
 ジェーン・フォンダは18歳のとき、1年間も処女を捨てようとがんばったのですが、結局うまくいきませんでした。3人のボーイフレンドと喪失の一歩手前まで行ったものの、どうしても最後まで行き着けなかったのです。リラックスできなかったからです。
 ジェーン・フォンダは、役者になるための演技指導を受けました。単に親の七光りではいやだったからです。マリリン・モンローも一緒で、彼女は熱心な受講生でした。
 手にもっているコーヒーカップの熱さや重さといった実際の感覚を数分の演技であらわすセンスメモリーというものを受けました。これは、感覚を研ぎすまし、集中力を高めるものでした。
 冷たいオレンジジュースの入っているはずのグラスに指をあて、目を閉じた。感覚が研ぎすまされ、すべての雑念が消えていくのをじっと待つ。指先に冷たさが感じられるようになると、目を開け、ゆっくりグラスを持ち上げる。グラスの重さが手に感じられるようになるのを待ってグラスを口に持っていくと、舌の味蕾がその甘酸っぱい液体に目覚めた。初めて役者にしか分からない感覚を経験していた。観客が見ているステージで演技しているのに、その瞬間、たった一人だった。
 キミには才能がある。指導していた演劇専門家からこう評価され、ジェーン・フォンダに自信をつけたのです。
 人間はリラックスしていなければ実力を出せない。俳優にとって、肉体は楽器なのである。俳優にとってもうひとつ重要な課題は、いかにしてインスピレーションを得るか、だ。
 ジェーン・フォンダは乳房を大きくしようと思って整形外科医に胸を見せて、もっと大きくしたいと言った。すると、その医者は、キミはどうかしてるね。バカなことは忘れて家に帰りなさいと彼女を叱った。えらい医者ですね。
 ジェーン・フォンダが反戦活動をするようになったのは、彼女がフランスに何年間か生活して共産党への偏見が少なかったこともあるようです。一般のアメリカ人とちがって、共産主義に対する恐怖感を持っていなかった、としています。そして、彼女のフランス語はスウェーデン人と間違われるほどきれいだということ。うらやましい限りです。
 マーロン・ブランドはブラック・パンサー党を支持していたとのこと。ジェーン・フォンダも保釈金を集める活動に短期間かかわっていた。それで、FBIのファイルに彼女はのったのです。常に尾行されるようになりました。政府の諜報活動の標的とされ、電話はずっと盗聴されていました。ジェーン・フォンダの盗聴記録はブレジネフの発言と同じウエイトをもってニクソンやキッシンジャーが読んでいました。
 ここまで自分の気持ち、身体のこと、セックスのことが書けるのか、読んでいて、うむむと、つい唸ってしまいました。さっと感情移入して、頁をめくる手がもどかしいほどでした。これは上巻です。下巻が待ち遠しい・・・。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.