法律相談センター検索 弁護士検索
2006年7月 の投稿

憲法「私」論

カテゴリー:未分類

著者:水島朝穂、出版社:小学館
 著者の講演を私も聞いたことがありますが、きわめて明快で、説得力がありました。
 自衛隊がイラクへ持っていった重装備には驚かされます。
 84ミリ携行式無反動砲。これはカール・ダスタフといい、スウェーデンのFFV社が開発した。従来の無反動砲には、発射後に後方へ噴出する火炎が大きくて、うしろにいる味方は注意を要し、命中しないと敵の格好の餌食となるという欠点があった。そこで、目立ちにくく、確実性が高く、使いやすいということで導入された。
 110ミリ個人携帯対戦車弾。パンツァーファウストというドイツ製の使い捨て成形炸薬弾。これは化学エネルギーで戦車の装甲に高熱・高圧の爆風を当て、穴を開けて内部を破壊する武器。300メートルの距離から700ミリ以上の装甲板を貫通することができる。
 軽装甲機動車。ライトアーマーと呼ばれ、最高速度100キロで、高機動車より装甲が厚く、対戦車ロケットなどの発射も可能。
 96式装輪装甲車。クーガーと呼ばれ、12.7ミリの重機関銃または96式40ミリ擲弾銃をのせるもの。最高時速100キロで、通常は四輪駆動で走り、オフロードでは八輪駆動へ切り替えができる。コンパクトタイヤを使用しているので、火力脅威のなかを高速で人員を輸送できる。
 このように機動力と火力を大幅にアップしており、明らかに戦闘行動を想定している。
 私は、これらの映像を北海道の佐藤博文弁護士から送ってもらって、パワーポイントで拡大して見ました。すごい迫力です。自衛隊がイラクへ戦争をしかけに出かけたことがよく分かりました。憲法違反の行為だと、つくづく実感します。
 陸上自衛隊は8月までにイラクを撤退するようですが、航空自衛隊のほうは逆に増強されるのです。アメリカ軍が戦死者を減らすために、地上戦より航空戦重視に切り替えるのに符丁をあわせた行動です。いつまで、どこまで日本政府はアメリカの言いなりになるのでしょうか。まったくやり切れません。
 ちなみに、毎日新聞のコラムによると、毎日新聞がイラクから自衛隊が「撤退」と記事にかいたら、けしからんという抗議がとんできたそうです。「退」の字は「敗退」をイメージさせる。だから、小泉政府は「撤退」を「撤収」と言っているのだ・・・。そうだったんですか。ちっとも知りませんでした。でも、アメリカ軍がイラクの人々に勝っていないのですから、その目下の同盟軍である日本の自衛隊が「勝てる」わけがないことは自明の理です。「戦う」前から「敗けている」ことは事実でしょう。少なくとも、私は、そう思います。もちろん、戦わないほうが断然いいのです。
 著者はいろんな歴史グッズを収集しています。私も講演のときに見せてもらったことがあります。なんと自衛隊の地雷まで入手したというのです。どうなっているんでしょうね。自衛隊の武器保管は大丈夫なのでしょうか。アメリカ軍の地雷探知機も持っているそうで、写真で紹介されています。手榴弾もあるそうです。最近、暴力団員の国選弁護人になりましたが、暴力団の武器庫には、それこそ手榴弾から機関銃まで大量にそろっているというのです。恐ろしいことです。
 武器は決してオモチャではありません。これまで人を殺したことのない自衛隊は果たして軍隊として役に立つのか、アメリカ軍は疑っているそうです。いいえ、それでいいんです。人を殺すのに慣れてしまったアメリカ人なんて、人間の顔をした狼にすぎないんです。と言ったら、狼が怒りだすのではないでしょうか。オレたちは無闇やたらな殺生はしない・・・、と。殺したり、殺されたりすることのない世の中にしたいものです。つくづく、そう思います。

まる儲け!

カテゴリー:未分類

著者:大田 勝、出版社:角川ワンテーマ21新書
 成功している化粧品会社の社長の苦労話です。どんな化粧品なのか、実は、まったく知らないのですが、書いてあることに共感を覚えましたので、紹介します。
 出る杭は打たれるが、出すぎれば認められる。たった一度の人生、かけがえのない人生なのだから、言いたいことは言い、思うように生きたいものだ。
 基礎化粧品なんか要らない。洗顔が基本だ。25歳はお肌の曲がり角。だから基礎化粧品で肌に栄養を与えてあげないと、老化が早まってしまうなんていう化粧品業界のコマーシャルは根拠がない。
 新陳代謝や皮膚呼吸がスムースに行われ、皮脂が十分に分泌されていれば、皮膚の表面には皮脂や汗が混じりあった皮脂膜が形成され、バリア機能が働く。つまり、皮膚は上部になり、アレルギーなどの外敵にも負けにくくなる。肌には何よりもまず、洗顔が大事なのである。皮膚の角質層に届くのは、せいぜい保湿成分であり、皮膚の奥深くに栄養が吸収されることなどありえない。これは皮膚学の常識だ。皮膚に栄養を供給するには、口から食べるしかない。
 長年クリームやら美容液を肌に与え続けてきたため、肌が本来分泌すべき皮脂を、もう十分に足りているから分泌する必要はないだろうと勘違いさせる。過剰な手入れによって肌本来の機能まで失いかけているのだ。
 大衆に説得は無用。大衆は、まわりくどい説明の一部始終を辛抱強く聞いてくれるほどヒマではない。うーん、たしかにそうなんでしょうね・・・。でも、そこをなんとか乗り切らないと・・・、とつい思ってしまいます。
 大衆の目線でモノを見、生活感を忘れないこと。心に訴えなければ、成果は望めない。
 サラリーマンを15年以上続けた人は、無理をせず、そのままサラリーマンでいたほうがいい。脳細胞がすっかりサラリーマンになってしまっている。脳細胞の危機管理能力は衰えている。経営に必要な勘が働かなくなっている。無駄なことはしないのが、私のモットー。実は、わたしもそうなんです。
 赤信号で左右を見て安全を確認して渡る人は多い。しかし、赤信号で待つくらいの余裕はもっておきたいもの。赤信号は誰に向かっても危険を知らせるサインであり、これに用心するのは当たり前。しかし、人生の不幸は、実は青信号のときに迫っていた危機に気づくのが遅れたために起こるものだ。自分自身の目と耳で、安全をしっかり確認してから確実な一歩を踏み出す。社会のルールなどに依存せず、まずは自分を信じて歩き出す。それが自信というもの。自信は、依存を捨てた心にしか芽生えない。
 どうしようもないことに、くよくよ悩まない。これも、わたしと同じです。といっても、放っておくとくよくよしたくなりますので、気分一新を図る工夫が必要です。わたしの場合は、それは本を読むことです。本の世界に没頭していけば、くよくよしていたことなんか、きれいさっぱり忘れることができます。
 日本は、消費者一人あたりの化粧品消費額が世界トップ。市場規模はアメリカに次いで世界第2位。実は、日本の国内化粧品市場はここ何年も伸びていない。しかも、そのなかで、アメリカやヨーロッパの外国製品がじわじわとシェアを拡大し、1兆7000億円の市場の16%は海外製品が占めている。
 親が子どもに教えてやるべきことは、義務感ではなく、好奇心の大切さだ。わたしも、本当にそうだと思います。世の中って、知らないこと、不思議なことだらけですからね・・・。そう思いませんか。いつのまにか57歳になってしまったわたしは、毎日毎日、ええーっ、世の中ってこうなってるのか、と新鮮な驚きを感じています。
 きのう(9日)、セミの鳴き声を今年はじめて聞きました。ヒマワリも一つだけですが大輪の花を咲かせています。庭はヒマワリとコスモス畑になってしまいました。エンゼルス・トランペットが淡いピンクの花を咲かせ、芙蓉も枝をぐんぐん伸ばしています。いよいよ梅雨が明けて夏到来です。

カメの文化誌

カテゴリー:未分類

著者:ピーター・ヤング、出版社:柏書房
 亀が2億2500万年も生きながらえてきたということを初めて知りました。ツルは千年、亀は万年といいますが、亀一族の歴史が、そんなにも古かったとは、驚きです。
 亀がこんなに長く生き残ったのは、外骨格、身体をしまいこむ骨質の甲羅をもっていたから。これは長い時間をかけて進化した。はじめは肉を保護するため、ウロコが生えた。このウロコ板が外からの脅威に対応して大きくなり、最終的につなぎあわさって、今のような甲羅ができた。そして、背中と胸の皮膚や筋肉は機能が衰え、萎縮して、骨と甲羅が接触するようになった。ついには体内の骨の大半が、現在の骨の外被と融合し、首と尾の骨が自由に動く状態で残った。
 亀は冷血動物、性格には変温動物のため、体温を維持するのは周囲の環境を頼りとする。亀は温暖な環境に生息する。オーストラリア・ニュージーランドにはいない。
 ゾウガメの強みのひとつは、首と脚を伸ばして寄生虫を外にさらし、鳥についばんでもらうこと。
 亀は冬眠する。野生の状態で6〜10週間、最長で6ヶ月間、亀は飲まず食わずで生き、静止状態の四肢は、そのまま。冬眠に入る数週間前に摂食を停止し、老廃物を一掃して体内で腐敗をおこさないようにする。冬眠のあいだ、亀は水分を行って来も摂取しない。
 亀は基本的に声を出さない。例外的にオスは交尾のクライマックスで歓喜のあまり、口を開いて、金切り声をあげる。ええーっ、本当でしょうか・・・。
 ある女性が1.6キロも離れた場所に引っ越した。飼っていた亀を一緒に連れていくのを忘れていたところ、7年後に、新居に現れたという。信じられません・・・。
 イギリスだけでも、100年間に1000万頭をこえる亀が輸入された。しかし、輸入されて1年をこえて生き延びたのはわずか100万頭だとみられている。
 イスラム教では亀の肉を食べるのは禁じられている。しかし、亀の卵は食べてもよい。ふつうの亀の寿命は30〜50年。しかし、つい先日死んだガラパゴス亀のように175歳の誕生日を元気に迎えた亀がいることも間違いありません。
 福岡城のお濠に、大小とりどりの亀が群がって、よく日なたぼっこをしています。人間も、亀のおおらかさに学びたいものですよね。

となり町戦争

カテゴリー:未分類

著者:三崎亜記、出版社:集英社
 不思議な雰囲気の戦争物語です。いえ、日常生活に戦争が入ってくると、このようにして戦争は身近なものになっていくのでしょうか・・・。
 たとえば、本日の戦死者12人。町の掲示板にこう書かれるのです。いま警察署の正面掲示板に「本日の交通事故による死者○人」と書かれているのと同じです。
 市役所の職員の手になる小説だということです。道理で、職場の情景描写が実にリアルです。主人公は戦略特別偵察業務従事者に町長から任命されます。要するに、交戦状態にある隣り町の様子をスパイとして探ってこいということです。
 それでも、日常生活は、戦争が始まったとは、とても思えないほどの単調さと平穏のなかで続いています。まさに、現代日本の状態です。
 次第に1日の戦死者は増え、53人にもなります。やはり、見えないどこかで戦争がたたかわれているのです。ちょうど、イラクと日本の関係のようです。アメリカのイラク侵略戦争に日本は全面的に加担し、重装備の自衛隊までくり出しました。しかし、日本人の毎日の生活には、イラク戦争はまったく見えてきません。
 僕は、異国の、名も知らぬゲームの競技盤の上にいた。香西さんの弟が、佐々木さんが、主任が、おかっぱの男が、そして多くの死んでいった兵士たちが、盤上の駒として並べられていた。それぞれの駒は何者かによって定められた道筋どおりに動かされ、今は役目を終えて、石のように動きを失っていた。それは勝ち負けを目的としたものではなかった。そしてゲームですらなかった。
 これが、戦争なんだね。
 これが、戦争なんですよ。
 イラクの戦場に出かけた自衛隊員は5500人をこえました。幸い、今のところ一人として殺されることなく、またイラク人を殺したこともありません。日本の自衛隊員が一人死ぬと、2億5000万円の一時金と月70万円ほどの年金が出る特別支給がなされることが、小泉純一郎の一声で決まっていました。この発動がなかったのは、なによりです。でも、報道によると、日本に帰ってから自殺した自衛隊員が3人いるそうです。やはり、イラク派遣がどこかで心身の変調をもたらしたのでしょうね・・・。

江戸庶民の楽しみ

カテゴリー:未分類

著者:青木宏一郎、出版社:中央公論新社
 三代将軍家光が江戸城内の大広間で町人向けの「お能拝見」のイベントを催したというのです。そんなこと初めて知りました。寛永11年(1634年)のことです。この年、江戸の主な町の町人を江戸城内の庭に集めて銀5000貫を配るということもしています。もちろん、町人の人気取りのためです。町人といっても全員ではなく、江戸に20年以上居住した世帯主であることという条件があったそうです。もらった町人は町総出で大騒動のお祝いをしました。そりゃあ、そうでしょう・・・。
 「お能拝見」は、観世、金春、宝生、喜多の四座の能役者が総出演し、午前8時から夜9時まで昼夜入れ替え制で、酒や折詰も支給されました。そして、町人は無礼講状態だったというのです。将軍の前だからって、町人がコチコチだったというのではなかったんですね。なんだかイメージがまるで違いますよね。
 尾張藩の下屋敷で、御町屋なるものをつくって将軍たちが町人ごっこをしていたというのにも驚かされます。御町屋というのは、宿場町を再現したものです。現代のテーマパークですね。小田原宿と呼ばれていたそうですが、南北に36の町屋が140メートルの長さの町並みを連ね、本陣、旅籠屋、米屋、酒屋、菓子屋、本屋、植木屋、鍛冶屋などが忠実に再現されていた。ここには本物の町人は1人もいかなったが、将軍たちは庶民の日常を疑似体験できた。将軍家斉は、この御町屋が気に入り、再三たずねていた。ただし、外聞があるので、鷹狩りのついでに立ち寄るという形で、裏門から入り、裏門から出ていった、というのです。
 ベルサイユ宮殿にあるプチ・トリアノンを思い出しました。マリー・アントワネットが村を再現して遊んでいたというものです。洋の東西を問わず、支配層は庶民の気ままで自由な生活にあこがれて、同じような遊びを考えるんですね。
 天保の改革にとりくんだ水野忠邦が失脚したあと、寄席が自由化された。江戸に66軒あったのが、とたんに700軒になった。寄席芸人が800人もいた。すごいですね。当時の江戸の人口を考えたら、これって大変な人数ですよ。江戸時代は日本全体で人口3000万人ですからね。江戸に100万人いたとしても、今の東京の10分の1です。
 さらに、相撲取り(力士)がストライキを決行したこともありました。ええっー、まったく知りませんでした。嘉永4年(1851年)に、相撲の人気が高まり、力士の志願者が増えた。しかし、取組数がふえないので相撲を取れない者の不満が爆発し、それを支援する力士が回向院念仏堂に立てこもった。相撲の観客数は、一場所10日で5万人をこえていた。このように、江戸時代、庶民はおおらかに楽しく生活していたようです。
 日米条約を結ぶためにアメリカから日本にやってきて、伊豆の下田に3年近く滞在して日本の庶民の生活を隅々まで見ていたハリスは次のように述べています。
 人々は楽しく生活しており、食べたいだけ食べ、着物にも困っていない。家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちが良い。世界のどんなところよりも、労働者の社会で下田におけるよりも良い生活を送っているところはないだろう・・・。
 そうなんです。今の日本の方が異常なんです。みんな、仕事のし過ぎですよ。あなたは、どうですか・・・。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.