法律相談センター検索 弁護士検索
2006年6月 の投稿

うぬぼれる脳

カテゴリー:未分類

著者:ジュリアン・ポール・キーナン、出版社:NHKブックス
 つがいのサルを17年間、継続的に全身の映る大きさの鏡のある環境に置いたが、年間5000時間以上も鏡にさらされたにもかかわらず、2頭とも、自己認知の徴候をいっさい示さなかった。つまり、鏡に映った自分の姿を何者か理解することができなかったというわけです。
 女性は、自分の声に対する好感度評価は、いろいろな自己関連の刺激のなかで、もっとも高かった。つまり、自分の手や筆跡と比較して、自分の声は呈示刺激のなかで、もっとも好ましいと評価される率が高かった。
 ところで、自分の声は自分のものと分かりにくい。それは、他人が聞く自分の声は空気を通して伝わるが、自分のしゃべる声はそれだけでなく、骨伝導によっても聞こえるから。
 ユーモアを理解するのは、脳の右半球が関与している。主として右前頭葉が寄与している。病的な嘘は右半球と関係している。病的な嘘は、作話と呼ばれる障害とは違う。作話の場合、患者は一般に嘘をついている自覚がなく、その嘘で得をすることも通常はない。また、作話をする患者は記憶障害があり、欠失部分を埋めようとして嘘をつくと考えられている。「心の理論」の嘘とみなされる嘘の場合は、だます相手の心のなかに入りこまなくてはならない。作話をする患者たちは、それをしていないし、彼らの嘘は信じがたいものが多い。真の欺瞞は、だます相手の心を考慮に入れる。
 左利きの人(右半球優位になる機会が多い人)は、右利きの人よりも、実際に欺瞞の検知にすぐれている。つまし、もしあなたが左利きなら、右利きの人よりも嘘を見破る可能性が高いということです。えーっ、本当にそうなのでしょうか・・・。ぜひ、体験を教えてください。
 人はよく嘘をつく。配偶の機会を確実にするのに有用だとわかっている場合はとりわけそうだ。人間は、いくつかの理由から、ほかの霊長類よりもこの種の欺瞞を得意とする。人間は、ほかの類人猿とは違って、生涯にわたる一夫一婦婚の関係をつくることが多いので、おそらくそれが欺瞞を実践する舞台を設定するのだろう。
 生殖の機会を最大にしたがる男は、ほかの場所で配偶相手を探し求めるし、婚外の関係をもった女性は、生まれた子どもを夫に扶養させるために、自分の子どもだと思わせなくてはならないだろう。こうして妻は夫をだまし、夫は妻を欺く。
 実験の結果、女性は欺瞞者を見分けるのがうまく、男性はあてずっぽで推測していた。ところが、男性は女性より成績が悪かったのに自分の判断に自信をもっていて、非常に成績の良かった女性の方が、それほど確信をもっていなかった。
 女性は、男性が嘘をついているときのほうがそれを判断するのがうまく、女性が嘘をついていたときにはそれほどでもなかった。つまり、女性の欺瞞検知器は、配偶の機会が問題となっているときに敏感に働くようになっている。すなわち、女性は配偶がかかわる可能性があると、男性の嘘をより敏感に察知する。
 ふむふむ、そうなんだー・・・、本当にそうなのかなー・・・。ホントのところを知りたいと恋する女性にふられた私はつい思ってしまいました。いえ、嘘をついたつもりはまったくないのです。はい。

古文書はこんなに魅力的

カテゴリー:未分類

著者:油井宏子、出版社:柏書房
 古文書(こもんじょ)がすらすら読めたら、どんなにいいことでしょう。これは、私の長年の夢です。とてもかなえられそうもありませんが、それでもこうやって未練がましく古文書解読の本に手を出してしまいます。つれあいの亡き父親も古文書解読に挑戦しておられました。カルチャー教室に通って勉強していたのです。それだけでもすごいと尊敬していました。
 この本は本文だけ読むと、いかにも楽しい語り口なので、いまにもスラスラ古文書の難解なくずし文字が読めそうな気がしてきます。でも、くずし字にいろんなパターンがあるのを知ると、すぐに腰くだけになってしまうのです。ひぇーっ、ここまで字をくずしてしまうの・・・、と叫びたい気持ちです。でも、私の手書きのくずし字を解読して、ほとんど間違いなく素早く入力してくれる事務局の毎日の苦労を思うと、そんなこと他人事(ひとごと)みたいに言っておれないでしょ、と自戒させられてもしまうのです、ハイ。
 この本の面白いところは、2つの実例を紹介しているところです。まずは京都の相良郡山城町の庄屋であった浅田家文書です。そこに出てくる利助氏の顛末が紹介されています。当時31歳の利助氏は農業のかたわら綿を扱う小売商をしていたのですが、商売に行き詰まって、村を出奔(しゅっぽん)してしまったのです。6人家族でしたが、欠落(かけおち)したのです。この場合、欠落とは男女が手をとりあって逃げるということではなく、失踪したという意味です。借金を返せなくなって村を逃げて出ていったのでした。40貫匁の借銀(ここは関西ですから銀本位制です)をかかえていました。換算の仕方で異なりますが、今の2700万円から2億円にあたります。いずれにしても、相当の借金ではあります。夜逃げするのも当然のことでしょう。村役人は借銀返済のため、利助氏に所持している家屋敷・諸道具・田畑のすべてを売り払い、稲小屋に住めと裁定しました。利助氏はそれに納得できず、村を出たのです。そして、近隣の村で百姓の手伝い、紙商内の手伝い、農業の手伝いをしたあと、3ヶ月ほどして村に帰ってきました。村役人は、それを受け入れて帰村許可を当局に願ったのです。そして、それは認められました。そのころは、帰村を願ったら認められていたのです。村としても貴重な労働力を逃がしたくなかったからす。
 古文書には、主語がときどき分からなくなるので、注意するように、とされています。古文書の解読はやっぱり難しいのです。利助氏は村へ戻ってからは大工職で生計を立てていたようです。その顛末も分かって、勉強にもなる楽しい本です。
 次に、江戸は日本橋の白木屋の奉公人六兵衛の話です。そうです。白木屋と言えば、映画「男はつらいよ」のタンカバイにも出てくる、あの白木屋です。天保10年(1839年)から、安政6年(1859年)にかけて、白木屋の日本橋店の奉公人を取り調べた記録が残っているのです。店に対して何らかの不正を働いた奉公人120人の事例が記録されています。日本人って、昔から記録魔がいるのですよね。私は、それほどではありません。
 六兵衛は仙台様の御屋敷に掛売り代金の回収に出かけたはずなのに、帰って来ませんでした。9日後に居所が判明して戻されました。いったい、そのあいだ六兵衛はどこで何をしていたのでしょう。その謎が解き明かされていくのです。たしかに難しいくずし字にもだんだん慣れてきた気がします。
 白木屋では、手代たちが、3月、5月、9月の節句前、10月の恵比須講前、そして盆・暮と年に6回掛取りに回っていました。ただし、手代の心構えとしては、この6回に限らず、常々からお客様に油断なく催促して、少しでも残掛を減らすように工夫することが肝要であるとされていました。
 実は、六兵衛は、この掛売りの回収がうまくいかないのを悩んで、成田不動尊へ参籠するつもりになり、それが途中で気が変わって、実は日光に向かったのでした。苦しいときの神頼みに走ったのです。ところが、帰る途中で、知りあいの商人に出会い、もう一度、日光に出かけ、そして一緒に江戸に戻ってきました。
 江戸と山城(京都)で書かれたくずし字はほとんど同じだった。江戸時代全般にわたって、ほとんど全国的にくずし字は同じに統一されていた。青蓮院流が江戸時代に大衆化した御家流に全国統一されていたのだ。方言はいろいろあっても、書き言葉の方は文字は同じだった。これが日本の特徴だそうです。
 やっぱり、くずし字は難しい。でも、チャレンジしたい。そんな気にさせる本です。
 グラジオラスが咲きはじめました。ピンクのふちどりのある白い花です。清楚な印象を受けます。日曜日に青梅がザル2杯分とれました。ラズベリーの赤い実もなりはじめました。夜、ホタルを見に出かけると、見物客の方が多いくらいでした。

グッドナイト&グッドラック

カテゴリー:未分類

著者:ジョージ・クルーニー、出版社:ハヤカワ文庫
 映画をそのまま本にしたものです。この映画は福岡・天神の映画館で見ました。今も映していますので、まだ見てなかったら、ぜひ見てください。
 いまどき珍しい白黒フィルムの映画ですが、それが余計に時代を感じさせる迫真のストーリー展開です。かつては、テレビもこんな青臭い正論を堂々と論じていたんだと改めて感嘆しました。今は田原総一郎をはじめ、あまりにも小泉・自民党べったりで嫌になってしまいます。マローは、マスコミ人向けの講演会で、こう言いました。
 50年後、100年後の歴史家が、もし現在の三大ネットワークの一週間分のテレビ番組を見たならば、彼らはこの世にはびこる退廃と現実逃避、一般社会との隔絶を感じることでしょう。今の我々は裕福で肥え太り、安楽さの中に浸り切って、不快な、または不安をもよおすニュースにはアレルギー反応を起こします。マスメディアもそれに追随しています。だが我々はテレビの現状を直視しなければなりません。テレビは人を欺き、娯しませ、そして現実から目をそらさせる。そのことに、制作者も視聴者もスポンサーも気づかなければ、手遅れになってしまうのです。
 ええっ、これっていつの講演なんだろう・・・。なんと今から50年前の1958年 10月15日のことなんです。昭和33年10月です。まさか、と思うでしょ。今はテレビはもっと堕落がすすんでいます。1950年2月にアメリカで始まった赤狩り旋風に CBSのエド・マローが敢然と反旗をひるがえしたのでした。
 マローは、あまり表情を変えず、平板だが、よく通る語り口でテレビに向かって話した。
 マローの家は貧しくて、高校を卒業しても、大学に進学させるだけの家計の余裕がなかった。そこで、マローは自分で稼ぎはじめた。森林監督の仕事だ。そしてカレッジに入り、スピーチ学部に所属した。大学卒業してマローはCBSに入り、第二次大戦中のイギリスに渡り、ロンドン空襲を実況中継して有名になった。マローがマッカーシーの赤狩りを問題だとして取りあげようとしたとき、CBSの経営陣は、こう言った。
 経営は編集に介入しない。だが、編集が何百人という従業員の身を危うくさせることは許せん。
 それを乗りこえて、マローはマッカーシーを次のように厳しく弾劾した。
 ウィスコンシン州選出の新進上院議員の行動は、同盟諸国に驚きと狼狽を与え、我々の敵国を有利にしました。これは彼一人の責任でしょうか。彼が恐怖を生みだしたのではなく、それをうまく利用したにすぎません。ブルータス、悪いのは運命の星ではない。我々自身なのだ。グッドナイト、そしてグッドラック。
 このマローの番組を、およそ4000万人のアメリカ人が見ました。CBSには、2日間で1万3000件がマローを支持し、1400件がマッカーシー支持の電話をかけてきた。電話と電報の洪水は、1万件以上。手紙は数日間で7万5000から10万通に達した。良識あるアメリカ人はマッカーシーを苦々しく思っていて、マローのような勇気ある告発を待ち望んでいたのです。
 ニューヨーク・タイムズは、次のようにマローの番組を高く評価しました。
 ジャーナリストとしてのはっきりした責任感と、勇気に裏づけられた報道だった。これまで弱腰のそしりをまぬがれないテレビ報道の中にあって、しっかりとした市民権を主張した画期的な番組であった。
 マローは、マッカーシーと違って、イージー・カム、イージー・ゴーではない。取りつきやすく忘れやすいのとは違って、もっと深いところから考えさせる。マローの言い分は、緩効性である。そのかわり忘れないし、しっかりと根づく。要するに、マローは目覚めなのである。教育なのである。
 マローはマッカーシーに反論して、こうも言いました。
 マッカーシーのやり方を非難したり、反対したりするものは誰でも、共産主義者だと見なされる。それが真実なら、この国は共産主義者だらけということになる。
 なるほど、そのとおりです。今の日本にもぴったりあてはまる言葉ではないでしょうか。
 テレビが単なる娯楽と非難のための道具であるだけなら、もともと何の価値もないということなのです。テレビは単なる電線と真空管の詰まった箱にすぎないことになります。
 今の日本のテレビって、ほんとうに何の価値もないんじゃありませんか。いえ、むしろ有害な存在なのでは・・・。

血染めの銭洗弁天

カテゴリー:未分類

著者:伊藤昌洋、出版社:作品社
 鎌倉にある銭洗弁天には私も何度か行ったことがあります。この本では、マネーロンダリングに通じるものとして登場してきます。なるほどマネーロンダリングは銭洗ですね。
 主人公は司法研修所を出ているのに弁護士でなく、予備校の講師として働いています。実は父親は高名な弁護士でした。この点は中坊公平元日弁連会長をモデルとする記述になっています。その妻(主人公の母)が、ある日、惨殺されます。東京で弁護士会副会長までした高名な弁護士の妻が玄関先で殺された事件を想起させます。そのとき、弁護士である父は女性と2人で海外旅行中だった。母を殺したのは父が追及していたカルト宗教の信者。ここはオウム真理教がモデルになっています。
 そして、主人公が拾われる法律事務所はマネーロンダリングをやっているのです。なにやら、あの「ローファーム」を想起させる場面です。ところが、いかにも日本的なのは、悪徳弁護士のはずが、いかにも人間味をもつ人物として描かれているところです。
 大沢在昌の「新宿鮫」を思わせるチャイニーズ・マフィアが登場したり、いろいろマネーロンダリングについて学ばされたり、盛りだくさんの社会派ミステリーになっています。
 公害訴訟や住民運動に熱中したあげく、経営に行き詰って解散した法律事務所があるという話がでてきます。本当でしょうか?
 また、医療過誤訴訟で原告(患者遺族側)がうまくいってなかったところ、看護日誌を出させたのが凄いアイデアで、それ一つで逆転勝訴したという記述があります。ええーっ、そんなバカなー・・・と思いました。これって凄いアイデアなんていうもではありませんよね。
 少年時代には秀才と呼ばれ、将来の日本を背負って立つ大志を抱いたはずの彼らが自分でも気づかないうちに、この世の中に生きるうちに少しずつ心が蝕まれ、いつの間にか金に支配され、良心も清潔さも麻痺し、自己を省みない人間に堕落していくんだ。こういうセリフが出てきます。これは、たしかに弁護士になった人は、私をふくめて大いに自戒すべき指摘だとつくづく思います。

藤沢周平、心の風景

カテゴリー:未分類

著者:藤沢周平、出版社:新潮社
 藤沢周平の故郷であり、映画「蝉しぐれ」などに出てくる海坂藩のモデルとなった山形県鶴岡市は私にとっても思い出深いところです。弁護士になって2年目からだったと思いますが、山形地裁鶴岡支部まで何回も通いました。石油ショックのとき石油元売りメーカーが「千載一遇のチャンス」として闇カルテルを結んで価格をつりあげました。それによって損害を蒙った消費者が元売り各社を訴えたのです。この裁判は東京地裁と山形地裁鶴岡支部に同時に提訴され、私も原告弁護団の末席につらなりました。原告弁護団員としては恥ずかしながら何の貢献もできませんでしたが、あたかも一人前の弁護士のような顔をして毎回の法廷に鶴岡支部にまで通いました。
 当然のことながら前泊します。冬の寒い日に近くの温海(あつみ)温泉に泊まったり、大勢の原告団との打合せに参加し、法廷にのぞみました。
 静かで落ち着いた城下町であること、鶴岡生協が住民をよく組織していること、灯油は温かい地域に住む人間にとって想像できないほど不可欠のものであること、などなどを身にしみて体感しました。
 この灯油裁判は、消費者を敵にまわしたら大変のことになることを石油業界だけでなく、産業界全般に深く自覚させるきっかけとなった大きな意義のある裁判でした。この裁判を通じて、再任拒否された宮本康昭元裁判官や後に国会議員となった岩佐恵美氏と知りあうこともできました。お二人ともエネルギッシュであり、理論的に秀れていて、いつも感嘆していました。
 この本には、藤沢周平の「蝉しぐれ」を傑作とほれこんだ井上ひさしが、小説に出てくる海坂藩の城下町を地図に示したものまで紹介されています。しかも、小説上の矛盾点まで指摘したのは、さすがは井上ひさしです。
 映画「蝉しぐれ」のオープンセットがそのまま残されており、有料で見学できるそうです。ぜひ、また行ってみたいところです。
 私は司法修習生のころ、同期生(今は石巻市で活躍している庄司捷彦弁護士)からすすめられて山本周五郎の本を夢中になって読みふけりました。江戸情緒たっぷりの周五郎ワールドにずんずん身が引かれました。藤沢周平にこのところ熱中しているのは、山田洋次監督の映画の良さにも影響されています。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.