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2006年3月 の投稿

八犬伝の世界

カテゴリー:未分類

著者:高田 衛、出版社:ちくま学芸文庫
 「八犬伝」は小学生のころ、胸をワクワクさせながら読んでいた記憶があります。最近、「八犬伝」全集を買って読もうとしたら、現代語訳ではなかったので、これはしまったと思って本棚に飾ったままになっています。
 この本は、「八犬伝」について、見事に分析し、評価しています。さすがは学者です。たいしたものだと、ほとほと感心してしまいました。
 「八犬伝」は、本当に息の長い本です。たとえば、八犬士の所在と名前が出そろうのは、初版(文化11年、1814年)が出てから13年目の文政10年(1827年)のことです。八犬士が全員めでたく会同するのは25年目の天保10年(1839年)のことというのです。まったくもって、気の遠くなるような話です。
 江戸城を築いた太田道灌は管領扇谷定正の重臣であった。扇谷定正は、道灌の高い評判をねたんで、自分の館に招き入れて謀殺した。
 「八犬伝」において八犬士は相互に位階的に対等である。これが特徴のひとつ。だから、八犬士がすわるときも、たとえば八畳の座敷に八人の団坐(まとい)の席が円環状に配してある。大八を除く七犬士たちは、それぞれに物語に主役であり、脇役ではない。
 「八犬伝」の読者は、江戸時代すでに北は松前(北海道)から、南は筑前(福岡)、薩摩(鹿児島)に及んでいました。馬琴は読者サービスとして、「八犬伝」の意義を解説する本まで出しているそうです。
 「八犬伝」は中国の「水滸伝」をもとにしています。私も「水滸伝」を読みましたが、同じように胸をドキドキさせながら読んだ記憶があります。それでも、単に日本と中国という、お国柄の違いというだけではない違いを感じました。
 「八犬伝」をぜひ再び完読してみたい。そんな気にさせる分厚い文庫本でした。

狼の帝国

カテゴリー:未分類

著者:ジャン・クリストフ・グランジェ、出版社:創元推理文庫
 パリに住むアンナは不可解な記憶障害に苦しんでいた。高級官僚である夫は、アンナに脳の生検をすすめる。そのころ、パリの街で不法滞在のトルコ人女性たちが何人も殺された。その死体の顔はひどい損傷があった。なぜか・・・。
 昨年、久しぶりにパリに行ってきました。英語はまったく話せない私ですが、フランス語の方はなんとか日常会話には不自由しませんので、外国に行くならやっぱりフランスです。12年前にノートルダム寺院すぐ近くのカルチェ・ラタンのプチ・ホテルに1週間泊まったこともあります。ゆっくりパリの良さを味わうことができました。この本は、そのパリの裏側、怖い面を教えてくれます。
 テロリストの力はひとつだけ。それは秘密だ。やつらは気のむくままにどこでも攻撃する。それを止めるにはひとつしか方法がない。ネットワークに入りこむことだ。やつらの脳に入り込むんだ。それをやって初めて、すべてが可能になる。
 トルコ人の起源は中央アジアの草原にさかのぼる。その祖先はアジア人のように切れ長の目をして、モンゴル族と同じ地域に住んでいた。たとえば、フン族はトルコ人だった。こうした遊牧民族は中央アジア全体に広がり、10世紀ころ、キリスト教徒のいたアナトリアに押し寄せた。
 ヘロインを液体にする。麻薬をプラスチック梱包材の気泡に詰める。液体になった最高級のヘロインを梱包材に隠れて送り、空港の貨物区画で受けとるのだ。
 推理小説なので、詳しい内容を紹介できないのが残念です。パリにトルコ人による暗黒街があること、フランス警察の一部がそれにつるんで甘い汁を吸っていること、美容整形が意外なほど発達していることなど、この本を読みすすめていくうちに分かります。
 それにしても、技術の発達が人間の心を野蛮な方向におしすすめるとしたら残念です。でも、ホリエモンやそれをもてはやしているマスコミを見ていると、暗い気持ちになるのも事実です。
 パリの暗黒街の話なんて他人事(ひとごと)だと思うと大きな間違いです。日本でも、そして福岡の中洲でも、裏で支配して甘い汁を吸っているのはヤクザなのです。残念なことに暴力追放のかけ声を唱和するだけでは決してなくならないのがヤクザです。

パチンコ、30兆円の闇

カテゴリー:未分類

著者:溝口 敦、出版社:小学館
 パチンコ業界については、これまでに何冊も本を読みましたが、この本を読むと、最新のIT化の波に乗って大変な状況にあることを知り、驚かされます。
 パチンコ業界の売上は30兆円。これは、自動車産業41兆円、医療関係31兆円に匹敵する規模です。中央競馬3兆円、競輪1兆円、競艇1兆円、宝くじ1兆円、ゲームセンター6千億円、テレビゲーム・ゲームソフト5千億円です。
 30兆円の売上は、全国で1万6千店です。パチンコ店ひとつで年間20億円の売上。従業員総数は33万人。関連業種を含めると40万人。アメリカのカジノ産業の従業員は36万人なので、ほとんど同じ。アメリカのカジノにおいてスロットマシーンで遊ぶ客は平均7千円つかうのに対し、日本のパチスロは平均1万3千円。
 1995年には、年2900万人がパチンコして遊んだ。それが2003年には1200万も減って1740万人になった。だけど売り上げは30兆円のまま。ということは1人あたりの投資金額が増えて、射幸性が高くなっている。パチンコ店の業界ナンバー1、2位の店の売り上げは1兆円前後。
 換金の仕組みは、法的にあいまいであり、警察のさじ加減ひとつなので、警察はいいようにパチンコ店を扱える。
 パチンコ店をつくるのに10億円はかかる。でも、銀行が借りてくれと列をなすほど。といっても、パチンコ店が過当競争に入っているのも事実。警察官は、生活安全課に行きたがる。警察署長は異動するたびに500万円ほどの餞別が入ってくる。3回動くと家が建つ、と言われているほど。警察はパチンコに関するかぎり、上から下まで握っている。パチンコ店は警察のいい子にならなければ、営業停止だって喰らいかねない。
 警察OBはパチンコ業界に再就職する。警察OBは一県あたり1000人もパチンコ業界に再就職している。業界の序列では、一番に警察が偉く、次にパチンコ台のメーカーが偉い。その下がパチンコ店。
 パチンコ店は小作人、パチンコ台メーカーが地主。そして、その上に悪代官の警察がいる。パチンコ台は、遠隔操作されている。ファンは、パチンコで遊んでいるつもりでも、実は業界にいいようにもてあそばれている。
 私は国選弁護人として、体感機をつかっていたことがバレた若者の事件を2件やりました。体感機は、低周波治療機に他の部品を組みあわせてつくったものです。1セットで 100万円前後するのですが、たしかに当たる確率はいいそうです。でも、それだからこそ、パチンコ店も異常な気配に気がつきやすいのです。
 パチンコ、スロットマシーン攻略法でだまされたというケースも扱いましたが、この本によると、そんな攻略法なんて存在しないということです。
 パチンコ台の性能を検査する保通協という組織があります。そこでは、職員96人のうちの3分の1、32人が警察出身者です。会長は、つい最近まで元警察庁長官でした。ここは試験検定料だけで年に16億円あまりもかせいでいます。
 うーむ、すごい。パチンコ店の表と裏を眺いてしまって、なんだか暗い気分になってしまいました。

白バラの祈り

カテゴリー:未分類

著者:フレート・グライナースドルファー、出版社:未来社
 いま上映中の映画「白バラの祈り」の完全版シナリオが本になっています。
 1943年2月18日、ミュンヘン大学でゾフィーは反ナチのビラをまきました。それが見つかり、ゲシュタポに連行され、裁判にかけられます。なんと裁判で死刑が宣告され、4日後にはギロチンにかけられてしまいました。ビラを大学にまいた、それだけで、たった4日間の裁判によってギロチン刑とは・・・。とても信じられません。
 この本は、旧東ドイツの秘密警察の文書保管所にあったゾフィーの尋問調書によって取調べ状況を刻明に再現したという点に価値があります。
 ゾフィーは普通の女子大生であったようです。ヒトラーユーゲントのメンバーにもなっています。ゾフィーは婚約しており、彼はドイツ軍大尉で、東部戦線にいました。ゾフィーの弟もドイツ軍兵士です。
 ゾフィーは、ナチが精神障害をもつ子どもたちを毒ガスで処理したことを知って、大変なショックを受けました。それを尋問官に問いただすと、彼らには生きる価値がないという答えが返ってきました。なんということでしょうか・・・。尋問官は、ユダヤ人殺害も子ども殺しも、すべて嘘だと言いはります。
 そして、ゾフィーに対して、兄を信頼して単に手伝っただけじゃないのか、と甘い声でささやきかけます。助命しようという良心があったのでしょう。でも、ゾフィーは、きっぱり断わりました。それは真実ではないと言い切ってしまいます。
 ゾフィーの国選弁護人は、被告人であるゾフィーと目を合わせようともしません。彼の言葉は次のとおりです。
 長官、私はなぜ人間にこのようなことができるのか、まったく理解できない。私は兄の被告ハンス・ショルに対して適正な刑を求める。妹の被告ゾフィー・ショルには、やや穏やかな刑を望む。彼女は、まだ若い娘だから。
 ゾフィーは、法廷で堂々と自分の信念を貫きます。裁判官に向けた彼女の言葉は次のようなものです。
 私がいま立っている場所に、もうすぐあなたが立つことになるでしょう。
 この言葉を聞いていた傍聴席の人は怒りというより、困惑と不安にさいなまれていました。直ちに判決が言い渡されます。死刑の宣告です。ハンス・ショルが叫びます。
 今日はぼくたちが処刑されるが、明日はおまえたちの番だ。
 ゾフィーの方は、恐怖政治は、もうすぐ終わりよ、と言いました。
 法廷内にいた司法実習生が、すぐに恩赦の嘆願書を提出するよう両親にすすめます。しかし、直ちに却下されるのです。
 最後の面会のときの父娘の会話が紹介されています。父は、すべては正しいことだった。おまえたちを誇りに思っているよと呼びかけます。ゾフィーは、私たちは全責任を引き受けたわ、と答えました。もう、おまえは二度とうちには帰ってこないのね、という母に対して、ゾフィーは、すぐに天国で会えるわよ、と答えたのです。
 ゾフィーは、1943年2月22日の午後5時、ギロチンにかけられました。
 このとき死刑になったのは、7人です。そのほかにも、13人が懲役刑に処せられています。
 ゾフィーの死後、さらに戦争は2年以上も続き、何百万人もの人々が殺されていきました。でも、決っして、ゾフィーたちの行動が無駄で終わったというわけではありません。ドイツでは、このように反ナチのために生命をかけて闘った人々を思い出させる映画がくり返し製作・上映されます。日本ではそれがほとんどないのが、本当に残念でなりません。

指揮官の決断

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著者:山下康博、出版社:中経出版
 明治35年1月、八甲田山の雪中行軍が敢行された。青森歩兵第5連隊210名のうち、生き残ったのは11名のみ、しかも元の健康体で社会復帰できたのは3名だけだった。そして、実は、このとき同時に、もう一つの雪中行軍隊がいた。弘前歩兵第31連隊の37人である。この37人は、3日間、八甲田山中を歩き続け、1人の落伍者も出さずに、無事に全員が青森に生還した。
 新田次郎の「八甲田山死の彷徨」(新潮文庫)であまりにも有名な八甲田山の雪中行軍の実際が描かれています。生き残った弘前隊には新聞記者(東奥日報)が1人加わっていました。ですから、写真もよく残っています。
 青森の1月は新雪の時期。雪は軟らかく、人が踏み込めば、胸まで雪に沈んでしまう。一歩まちがえば、窒息死する危険性は高い。寒冷地で凍傷におかされる危険の第一歩は汗をかくこと。
 私が、この本を読んで初めて知ったことは、当時の日本軍は、ロシア軍が青森に上陸することを想定して対策を講じようとしていたということです。これには驚きました。ロシア軍の想定上陸先は北海道ではなかったのです。ロシア軍は、陸奥湾に侵攻して青森に上陸するか、太平洋側の八戸に上陸すると想定していました。そこで、青森第5連隊の雪中行軍は、酷寒の八戸港に上陸したロシア軍に対し、物資輸送と救援隊の派遣のため八甲田山の豪雪をおかして青森との中間にある十和田湖(三本木原)に急行し、これを迎え撃つという想定のもとに行われた。今からすると、まるで荒唐無稽の話ではあります。
 遭難した青森隊は、案内人をつけるように地元からすすめられて、断った。どうせ、お金ほしさだろうという理由で。行軍してまもなく、前途に大いなる不安を覚えた。そこで、山口大隊長は幹部を集めて進退を協議した。このとき、将校は慎重論をとったが、見習士官や長期伍長たちは軍の威信を全面に押したてて強硬に進軍を主張した。山口大隊長も、ついに進軍を決した。将校たちも部下の強硬論をはね返すだけの勇気はなかったのです。これが悲劇をうみました。いつの世にもカラ威張りの強硬論が幅をきかします。今の自民党若手代議士のタカ派がまるで同じです。
 青森隊は、行軍初日から、いきなりひどい寒気のなかを13時間にわたって峠をのぼりおりした。隊員のなかには、出発前夜のふるまい酒で夜明かしに近い状態も少なくなかった。この日、最高気温がマイナス8.5度。凍傷者の発生は、最低気温が異常に低いことより、最高気温が低く、風力が激しいという条件下で多い。人間の体温は28度以下になると蘇生が困難な状態に陥り、20度以下になると死をもたらす。
 弘前隊は、行軍の途中で青森隊の死者2人を発見し、歩兵銃も発見した。しかし、たとえ戦友が負傷しても、それを介護してはならない。自分の任務に向かって突進せよ。この精神で何もすることなく、そのまま行軍し、脱落者を出さなかった。
 そして、弘前隊の教訓は日露戦争で中国大陸における戦闘のときに生かされた。しかし、弘前隊の福島隊長は、このとき戦死してしまいました。
 八甲田山の死の雪中行軍の実情と、そこから何を教訓として学ぶべきか、実によく分かりました。

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