著者:西村 誠、出版社:光人社
2万人の日本兵が斃れ、餓島とも呼ばれた苛酷な戦場だったガダルカナル。その今を現地踏査し、カラー写真で再現した本です。
澄み切った青空と太平洋の海原に囲まれた南海の楽園の島です。ここが、あの有名なガダルカナル島と言われても、ちょっとピンと来ませんでした。
ガダルカナルの日本軍はもっとも多いときには3万人からいた。日本軍が次々に敗退し撤収作戦が始まった昭和18年1月の時点での日本軍は1万4千人ほど。3度の撤収作戦はいずれも成功したとされ、残った日本兵の大半が引き揚げた。
アメリカ軍のかまえる堅固な陣地に突撃した一木支隊は2000人のうち生存者はわずか128人のみ。一木大佐の最後は不明とされている。無謀な突撃を敢行した一木大佐は廬溝橋事件のときの現地の大隊長。銃剣突撃による夜戦の達人とされていた。アメリカ軍が砲兵と機関銃で鉄壁の陣をしいているところへ、真昼間、歩兵が銃剣突撃をしてバタバタと倒れていったというのですから、そのお粗末さと、兵の命を軽んじているのはお話になりません。一日で一木支隊が壊滅してしまったのも当然です。
そのあと、今度は6000人の川口支隊がジャングルから攻めこもうとし、アメリカ軍の猛反撃にあって1000人もの死傷者を出して敗退します。残った5000人は、ジャングルのなかを歩くうちに飢えと過労でバタバタと倒れていきました。
ジャングルは、今でもムッとする熱気で、20メートルも入ったら方向感覚を失うといいます。四国の3分の1ほどの大きさがあるそうですが、こんなきれいな島でかつて悲惨な戦争があり、日本兵が上官の無謀な指揮によって無駄死にさせられたかと思うと、本当に哀れです。靖国神社に私は行ったことはありませんが、無謀な戦争を起こし、上官の命令は絶対だなどといって兵をむざむざ死地に追いやっていた軍上層部の反省がないことは絶対に許せません。
ガダルカナル
