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2006年1月 の投稿

かんじき飛脚

カテゴリー:未分類

著者:山本一力、出版社:新潮社
 著者の筆力には、いつものことながら感心させられます。ぐいぐいと本の中の世界に引きずりこまれてしまいます。
 ときは寛政の改革をはじめた松平定信が老中首座にすわった江戸時代です。吉宗の孫として、紀州御庭番を思うように操り、天下の雄藩である加賀の前田藩のお取り潰しを狙うのです。そうはさせじと、前田藩の用人が画策し、飛脚が登場してきます。
 江戸時代、将軍家と雄藩とは水面下で激しく対抗・抗争もしていました。表面上はにこやかに笑顔を交わしつつ、その内実はお互いに足を引っぱりあっていたのです。
 老中定信は、幕府の財政支出を抑えるため、ぜいたく禁止令を出し、札差し(当時の金貸し)の貸金(借りた大名や武士・町民からいうと、もちろん借金)を帳消しにしてしまう棄捐令を発布しました。ところが、借りていた大名・町民が借金がゼロになって喜んでいたのは、ほんの2ヶ月ほどのこと。あとは札差しがお金を貸せず、ぜいたくもしなくなったことから、世の中の動きがすこぶる悪くなって、大層な不景気をまねき、老中定信の人気(威信)は一瞬のうちに凋落してしまいました。
 加賀前田藩には幕府当局に知られたくない2つの秘密がありました。それを御庭番の働きによって探知した老中定信は、前田藩に無理難題を吹っかけます。ここで救いの主として登場するのが飛脚なのです。
 飛脚のなかにも御庭番と内通する者がいたりして、雪中に走る飛脚が狙われてしまいます。ここらあたりの描写の緊迫感は何とも言えない心地よさがあります。
 史実とかけ離れている話なのでしょうが、歴史小説として大変面白く読みました。

731

カテゴリー:未分類

著者:青木冨貴子、出版社:新潮社
 戦争中、中国東北部(満州)に関東軍731部隊が巨大な施設をつくって細菌戦をすすめていました。京都帝国大学から助教授、講師クラスの若い研究者が次々に参加しました。
 中国人の捕虜などが憲兵によって「特移扱い」とされると、「マルタ」と呼ばれ、人間扱いされなくなる。野外で杭にしばりつけられ、ペスト感染の実験材料にされたり、細菌を注射する人体実験をして生体解剖するということが連日あっていた。
 終戦後、日本軍は徹底した証拠隠滅を図った。しかし、石井四郎部隊長は軍中央の命令に反して、研究データの多くを日本に持って帰った。これが後にマッカーサーのアメリカ占領軍との貴重な取引材料となり、石井四郎たち731部隊の首脳陣の助命を可能にした。この徹底防諜という指令は東京の参謀総長からの命令だった。これは細菌戦をすすめていた731部隊のことがばれたら天皇にまで累が及ぶという心配によるものだった。
 石井四郎部隊長ほか多くの軍医は終戦のとき、爆撃機で東京に逃げ帰った。それは8月22日から26日までの間のことであり、厚木か立川の飛行場に降り立っている。
 ところで、アメリカが大戦中にもっとも心配したのは、ドイツの細菌戦だった。あれだけ医学のすすんだドイツが細菌兵器に手を出したらと、・・・。その脅威は絶大だった。しかし、戦争が終わってドイツを占領したアメリカ軍は、細菌製造工場をどこにも発見することはできなかった。つまり、細菌兵器はなかったのである。
 ところが、日本軍は、その細菌兵器を完成させ、実戦でつかっていた。ペスト菌をただばらまいても病気をひきおこすことは難しい。しかし、ペストに感染したノミをばらまけば有効だということが実証されていた。ペストノミは731部隊が発明した当時の最新秘密兵器だった。
 終戦直後、石井四郎が満州から帰国して、東京・若松町の自宅にいることをアメリカ占領軍のトップ(マッカーサーとウィロビー)は知っていた。ところが、それを隠し、ワシントン政府をだまし、ワシントンから派遣されてきた調査官まで欺いた。
 石井部隊にいた研究者たちは、持ち帰った研究データをロシアにはまったく秘密にし、アメリカに対してのみ提供する。ソ連の訴追を免れるよう保護されるという保障をアメリカ軍から得て、秘密のうちに調査報告書を作成した。
 大東亜戦争は中国・朝鮮の文明化に貢献したのだと恥ずかし気もなく高言する日本人が増え、マスコミのなかで勢いづいているのは怖い気がします。731部隊のやったことひとつだけをとっても、そんなことが言えるはずはありません。
 日本軍の細菌戦を主導した石井四郎が、なぜアメリカ占領軍から戦犯とされるどころか、免責され庇護されてきたのか。それを資料にもとづいて明らかにした貴重な本です。

カテゴリー:未分類

著者:秋山徳蔵、出版社:中公文庫
 昭和天皇の料理番だった人が語った本です。さすがにプロの言うことは違う。なるほど、なるほどと、すっかり感心してしまいました。
 大正天皇の御大礼の宴会を準備したときのことです。なにしろ2000人が参加する宴会ですから、50人もの料理人で担当したそうです。
 献立を考えるのにひと月かかった。料理にも、重点が一つあって、それが光っていなければならない。その他のものは、それ自身としてはもちろん立派なものでなくてはならないが、重点になる料理の光を消すようなギラツキがあってはいけない。そうして、コース全体が渾然とした調和を保ってこそ、最上の料理といえる。頭に浮かんでくる献立を、思い切って片っ端から落としてしまう。ところが、そのなかに、どうしても落としきれないものが残ってくる。10ぺん考えても、20ぺん考えても、その献立が頭の中に坐っている。それがホンモノである。こうして煮つめて煮つめて、最後に一つの献立を決定した。
 献立の次は、材料の心配だ。生ま物が大部分だから、早くから買い込んでおくわけにはいかない。そのときになってパッとそろうように、もし甲の方に万一のことがあったら乙の方で間に合わせるようにと、万全の手配をしておく。不測の事故ということも考えなければならない。たとえば、スープの鍋をひっくり返したら、どうするか。出さないわけにはいかない。かといって、それだけのものを二重につくっておくことはできない。それで、ダシや味の素を用意して、お湯を湧かしておいて、万一のことがあったら、即座に代わるべきものをつくる。
 料理の一番の奥義は何か。やっぱり香りだ。ことにフランス料理は香りだ。材料の香り、補助味の香り、香料の香り。そういったものが渾然となって、味と色彩とともに一つの交響楽をつくりあげる。これがフランス料理の芸術たるゆえんだ。だから、料理の修業は鼻の修業といってもよい。
 とにかく、料理を専門にする人は、鼻を大切にしなければならない。風邪もひかないように気をつける。また、歯も大切にしなければならない。入れ歯をすると、味に対する感覚がガクンと落ちてしまう。
 うーむ、なるほど、なるほど、そうなんだよね・・・。すとんと腹に落ちることが書かれていて、とても感銘深く思われました。

戦争案内

カテゴリー:未分類

著者:戸井昌造、出版社:平凡社ライブラリー
 靖国神社に小泉首相が参拝をくり返し、中国・韓国をはじめとしてアメリカからも批判されながらも憲法9条2項を廃止して戦争のできる国への変身を遂げようとしている今日、まさにタイムリーな本です。
 昭和18年12月、早稲田高等学院2年生だった著者は20歳になると兵隊にとられてしまいました。東条英機首相の命令による学徒動員の第1期生になったわけです。それから3年間、兵隊そして下級将校として戦争を体験し、中国大陸からなんとか無事に帰還するまでの、まことに不合理いや不条理な日々を思い起こしたものです。軍隊というものの、馬鹿馬鹿しいほどの不条理さが、そくそくと読み手に伝わってきます。戦争なんて、本当に絶対、体験なんかしたくありません。
 第一次の学徒動員で出陣したのは全国で3万5000人。軍隊のしくみが図解されていますので、視覚的にもよく分かります。必ずしも確固たる反戦思想の持ち主ではなかった著者が動員される前に、親しい友人に対して、この戦争はおかしいよ。おれたちが死ぬことはないと言ったところ、きみは非国民だという言葉が返ってきたそうです。
 著者は迫撃兵として入隊します。実は、国際法違反の毒ガス部隊でした。でも、肝心の迫撃法もなかったというお粗末さです。
 軍隊内での初年兵のしごきが紹介されています。本当に理不尽で、非人間的ないじめです。でも、人間性をなくさせる効果はあったわけですから、決して一部の下士官のはねあがりではなく、イジメは軍隊の体質そのものです。
 終戦後、日本に帰ってきたとき、兵隊たちがそれまで受けたいじめの仕返しのため将校を裸にして土下座させて謝罪させる場面も紹介されています。でも、土下座くらいですんだのは、兵隊たちにまだ人間性が残っていたということなのでしょう。
 見習士官の服装と装備一式をそろえるのが自前だったということを初めて知りました。700円、今のお金で100万円ほどかかったというのです。お金がないと、見習士官にもなれないのですね。ただし、着ているものと装備の全部が私物になるので、員数あわせの苦労から解放されるわけです。
 著者は応召して所属部隊に向かう途中で病気になり、単身で中国大陸に渡ることになります。到着するまで3ヶ月かかったというのですから、ノンビリしているといえば、ノンビリしています。
 中国大陸の日本軍の前線には、まず弾丸が届き、次に塩、その次に慰安婦がやってきた。従軍慰安婦の確保は日本軍の大事な業務のひとつだった。国は関係ないなんて、とんでもありません。
 戦闘は中隊単位でおこなわれるから、大隊長以上で死んだ人は少ない。将校以上で死ぬのは、兵隊と一緒にたたかった中隊長と小隊長が圧倒的に多かった。著者たち日本兵は中国人を蔑視していた。侵略者であった。
 23歳で生きて帰国して、著者は早稲田大学に復学しました。ところが、クラスメイト46人のうち、人間を社会的視野からとらえ、人間性をないがしろにする戦争に反対し、社会の構造的矛盾に気づいて社会変革のための行動に参加していったのは、わずか3人しかいなかった。
 うーん、やっぱり少ないですよね。これでは戦争に流されてしまったのも無理ないという気がします。今も同じようなものです。その他大勢というのは、いつ世にもいて、ただただ流されていくのですね。ですから、気がついた人から立ちあがって隣りの人に声をかけていくしかありませんね。憲法9条2項を廃止するなんて、戦争を招き寄せるようなものですから、私は反対します。

ハードワーク

カテゴリー:未分類

著者:ポリー・トインビー、出版社:東洋経済新報社
 イギリスのジャーナリストが身分を隠して公営福祉団地に住み、最低賃金の職場で働いた体験をまとめ、告発した本です。
 イギリス労働者の3割を占める低賃金労働者にとって、より高い収入、より充実感のある仕事への道は閉ざされている。派遣労働力に頼る民間企業は職場訓練に熱を入れない。このことを知って著者はショックを受けます。
 イギリスでも組合の弱体化は著しい。公共部門の組織率は65%、民間部門にいたっては19%にすぎない。ストライキという武器が大衆の支持を得にくくなってきた。
 つい先日、アメリカ・ニューヨークで地下鉄など公共輸送機関の労働組合がストライキに入り、ああ、アメリカでもまだストライキやってるんだと思いました。どうでしょう。日本ではストライキなんて、プロ野球選手会が何年か前にやって世間の注目を集めただけではありませんか。ホントに日本って、おかしな国です。労働三権の保障なんて、どこへ行ってしまったのでしょうか・・・。そう言えば、連合って、最近、ほとんど耳にしませんし、影が薄すぎますよね。もうひとつの全労連っていう言葉がマスコミに登場してくることもありません。
 昔は労組も強かった。サッチャーが出てくるまでは・・・。あいつが炭坑労組はもちろん、イギリス中の労組をぶっつぶしちまいやがった。いまじゃ国のやりたい放題よ。なにもかも民間に移して、労組は頼りにならないし、俺たち労働者はふんだりけったりだ。
 著者は、その仕事中に顔見知りの議員や記者に会ったとき何と弁解したらいいだろうと悩んでいました。しかし、誰も彼女に気のつく人はいませんでした。乳母車を押して歩く女など別世界の住人であり、数にも入らない。完璧な透明人間だ。
 コールセンターや電話セールスの従業員は現代の奴隷船だ。電話セールスの従業員は 40万人以上もいる。イギリスの労働者の50人にひとりがコールセンターで働いていることになる。当然ながら従業員の入れ替わりは激しい。聴覚性ショックがこの産業の新しい職業病となっている。電話をかけ続けることによって、抑うつ症や大きな音に耐えられなくなる症状が現れる。たしかに誰でも、この仕事を数時間するだけでうつになりそうだ。
 ときには小さなウソも必要よ。今は正直にしていたら損をする時代なんだから・・・。私は、このクダリを読んで、すぐに豊田商事のテレホン・レディーを思い出しました。時給1000円で彼女らは明らかにウソのセールストークをまくしたてていました。それにひっかかった人がいると、時給とは別に1件1万円とかの高額の報奨金がもらえるシステムでした。セールストークが本当なら、自分がやればいいのです。でも、テレホン・レディはそうしませんでした。明らかにウソと分かっていても仕事だと割り切って、電話をかけまくっていたのです。
 幼いころに適切な教育の機会を与えることは、成長してからさまざまな援助金を出すよりはるかに役に立つ。貧しい家庭の子どもたちに就学前の2年間、集中教育を施したところ(リンドン・ジョンソン大統領のときの取り組み)、30年後の追跡調査によると、高等教育を受け、いい職に就き、家を持ち、社会保障の世話になったり、犯罪をおかしたりしない者の比率が、同様の境遇に育ち、このような教育を受けなかった者に比べて、はるかに高い。この計画に費やされた予算1ドルにつき7ドルも、国は、子どもたちが成長してからかかるはずだった費用を節約することができた。
 3人に1人が大学に進学し、万人に門戸が開かれているいま、階級は消滅した。階級が消えたという思いこみは、私の世代から本格化した。しかし、底辺の30%がハシゴを上るのは難しい。貧しさのなかで育った子どもたちが貧しさから解放されるのもきわめて難しい。現代は平等な時代だというのは神話だ。しかし、この神話は必需品だ。この神話のおかげで、自分の生き方が正当化され、夜は安眠できる。
 勝者が敗者の200倍もの賃金を稼ぐとすれば、蓄積した富と力は当然に子どもに引き継がれ、次の世代からは平等なスタートが切れなくなる。つまり、平等な社会を目ざすのであれば、機会と結果の二者択一は不可能だ。
 いまの日本では、ホリエモンに見られるような勝ち組が異常にもてはやされています。でも、本当にそう簡単に勝った、負けたと浮かれていていいのですか。誰だって年をとれば「負け組」に近い存在、つまり弱い存在になるのですよ。身体が自由に動かない、思うことをきちんと表現できなくなるのです。そんな弱者を無用の存在と簡単に切り捨てる社会なんて、考えただけでもおぞましいものです。政治は弱者を救済するためにあるものでしょう。強い人は、お金の力で何でもできるのですから、そんな人のために政治まで動いてはいけません。
 「ハローワーク」に、いつも行列ができていることを聞くたびに、企業と政治家は弱い者を救済するのがその最大の責任であること。強い人間は放っておいたら、とんでもないことをするようになるので、規制が必要であることを自覚して、その責任を果たすべきだと痛切に思います。

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