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2006年1月 の投稿

魔王

カテゴリー:未分類

著者:伊坂幸太郎、出版社:講談社
 不思議な印象を受けた小説です。いままさに進行中の小泉・自民党政治を正面から扱っている。そんな気にさせるストーリーです。
 日本の国民は規律を守る教育を十分に受けていたため、大規模な暴動を起こすことはついになかった。やはり俺たちは飼い慣らされているのだと、ひとり納得した。
 こんな記述が出てきます。たしかに今の私たちは街頭でデモをすることも少なく、ましてストライキなんて、今の日本では完全な死語になっています。でも、ほんと30年前に、スト権ストがあって1週間ぶち抜きましたし、その前は順法ストライキをふくめてストは頻発していて、むしろ、そちらに慣らされていました。もっと前にさかのぼると米騒動、さらに前には百姓一揆もありました。いつも日本人がおとなしいとは限らないのです。いえ、私たち団塊の世代に限っていうと、半年以上も授業をまったく受けなかったのです(無期限ストに学生の半分が賛成したのです)。
 今、この国の国民はどういう人生を送っているか、知っているのか。テレビとパソコンの前に座り、そこに流れてくる情報や娯楽を次々と眺めているだけだ。死ぬまでの間、そうやってただ漫然と生きている。食事も入浴も、仕事も恋愛も、すべて、こなすだけだ。無自覚に、無為に時間を費やし、そのくせ、人生は短いと嘆く。いかに楽をして、益を得るか、そればかりだ。
 憲法と現実は合わせるべきだというのは、おかしいよ。だって、憲法には、人は誰でも平等に扱われるって書いてあるけど、現実には男女差別はある。そのときに現実にあわないから、男女差別はありって憲法を改正するなんてことにはならないだろう。
 国民投票は、一括方式。環境権とか聞こえのいいのを混ぜあわせておいて、抱き合わせ的に憲法9条の改正を飲ませようっていうコンタンなのさ。えー、そうなの・・・?
 小説に憲法9条の全文が引用されています。これも小説としては珍しいことでしょう。
 いま、若者に一目置かれる、手っとり早い方法は、より新しくて、より信頼できる情報をたくさん手に入れること。情報量だ。情報が尊敬につながっている。首相のブレーンはものすごいらしい。情報の質や量が圧倒的だから、議論も負けない。若者が揶揄する隙を与えない。それがだんだん憧憬とか信頼に変わってきて、支持される。
 小泉首相のやり方がこのようにきちんと分析されていて、うなずけます。それでいて、ちゃんとしたストーリーもあるのですから、世の中って、ホントに面白いですよね。

メディアの支配者

カテゴリー:未分類

著者:中川一徳、出版社:講談社
 上下2巻の大部の本ですが、なかなかの読みごたえがありました。
 今をときめくホリエモンが、ニッポン放送の株を50%も手に入れ、その乗っとりが大騒動をひきおこし、日本中を騒がせたことはまだ記憶に新しいところです。あまりに世間を騒がせたことが財界中枢の怒りを買ったせいか、ホリエモンは東京地検特捜部ににらまれ、ついに逮捕されてしまいました。
 それはともかくとして、乗っとられようとしたフジサンケイグループの日枝会長が、実は、自分自身も同グループ議長(鹿内宏明)を追放して乗っ取った張本人であることを知り、因果は巡ると思いました。しかも、日枝会長は若き日に、労組を認めないという右翼的な会社のなかで隠密裡に労働組合を結成したうちのひとりだったのです。変われば変わるものです。
 フジサンケイグループが躍進するきっかけとなったのは、箱根にある彫刻の森美術館だった。これにも驚きました。今では年間200万人もの見学者があり、経営としても安定している美術館です。私も、ずい分前のことですが、一度だけ行ったことがあります。見晴らしのいい高台にヘンリー・ムーアの大きな彫像があったことを覚えています。
 この美術館はグループ各社からの寄付金で成り立っているが、オーナーの鹿内(しかない)一族は自分たちの私有物であるかのようにふるまってきた。
 社内の人事抗争の激しさでは、産経新聞も人後に落ちない。
 1992年7月21日、午後1時から産経新聞の取締役会が開かれた。2つ目の議案に移ろうとしたとき、突然、鹿内宏明の解任を求める緊急動議が提出された。予定の議題にはない。鹿内議長は予定議題に「その他」がないので認められないとして却下しようとする。しかし、議長は特別利害関係人になるから交代して別の人が議長になるべきだという動議が続いて、ついに鹿内議長の不信任が可決された。クーデターが成功したわけだ。
 この本では、このクーデターが成功するまでの根まわしの詳細がことこまかに紹介されています。会社内で子飼いの部下のいない鹿内宏明はまるで裸の王様だったようです。
 産経新聞でクーデターが起きて自民党が心配したことは、その報道姿勢が朝日や毎日のようになったら困るということでした。だから、クーデター派は、そんな心配はいらないと必死でうち消しました。いかにも自民党好みの産経新聞です。
 司馬遼太郎は産経新聞OBだとのこと、私は知りませんでしたが、このクーデターにいちはやく祝辞を寄せ、クーデター派を力づけたそうです。右寄り史観の司馬らしい行動です。
 こんなクーデターがあったフジサンケイグループに、あるべき社史が存在しないのも当たり前のことかもしれません。これまでの日本史教科書を自虐史観として否定して右翼教科書のキャンペーンをはってきた産経新聞は、実は自らの歴史を編むことすらできない。こんな痛罵を著者は投げかけています。ふーむ、そうなんだー・・・、と思いました。
 ニッポン放送は共産党に対抗するためのラジオ放送としてスタートしたということも初耳でした。うまれる前から財界御用達の放送局だったわけです。フジテレビも、面白くて視聴率が高ければいいという軽薄さで若者を引きつけました。
 フジサンケイグループは中央マスコミで唯一、世襲が実現し、成功した。それは組織をあげて利益追求に突進する集団だったからだ。
 テレビ局は政官財有力者の子弟がコネで入社するのが横行するところだ。
 産経新聞は、ほかの新聞に比べて組織購読が多く、個人読者が少ない。その組織というのは、警察そして自衛隊だ。それから宗教団体。なーるほど、ですね。右翼新聞を支える実体が分かりました。
 日頃、面白ければいいと高言していたフジサンケイグループがホリエモン攻勢にあうと、一転して、メディアは公器だと言いはって心ある人の失笑を買いました。右翼テレビ・新聞のお寒い実体をまざまざと知らされる本です。

歓びを歌にのせて

カテゴリー:未分類

著者:ケイ・ポラック、出版社:竹書房文庫
 スウェーデン映画史上第3位という大ヒット映画をそのまま本にしたものです。スウェーデンでは2ヶ月間に160万人が見たそうです。国民の6人に1人は見たという計算ですから、すごいものです。
 辛いことも多い世の中ですが、しばし、それを忘れ、心あたたまる思いがしました。
 映画のなかでうわたれる歌のセリフが実に心をうちます。少しだけ耳を貸して下さい。
 私の人生は、今こそ私のもの
 この世に生きるのは束の間だけど、
 希望に向かって ここまで歩んできた
 私に残されたこれからの日々で
 自分の思うままに生きていこう
 生きている歓びを心から感じたい
 私は、それに価すると誇れる人間だから
 そう、私の人生は私のもの
 探し求めていた まぼろしの王国
 それは近くにある どこか近くに
 私はこう感じたい 私は自分の人生を生きた、と。
 ガブリエルが初めてのコンサートでソロを歌いあげたとき、観客席は一瞬、静寂に包まれました。そして、そのあとすさまじい拍手が巻きおこったのです。心にしみわたる天使のような歌声でした。うーん、これがクライマックス。きっと暴力夫も反省したことだろう。そう思ったところ、実は違うのです。やはり、世の中はそう甘いものではありません。
 そして、主人公のダニエルもハッピーエンドのようではありますが、みんなでウィーンに乗りこんだ合唱コンクールに指揮者として壇上に立つことはできませんでした。その直前に心臓発作を起こしたからです。それでも、彼は、子どものころからの夢を実現したのです。歌で、みんなの心を開くこと、自分の心を思いっきり開放することに、ついに成功したのです。
 親富幸通りの映画館はほとんど満員でした。見終わったとき、心満ちた幸せな気分で帰路につくことができました。人生万歳、です。生きていて良かった。そう思うことのできる映画です。
 正月以来、いい映画に何本も出会うことができました。博多駅そばの映画館でみたタイ映画「風の前奏曲」も、とても心うたれるいい映画でした。見ていて力が入り、ついつい手を握りしめてしまいました。ラナートというタイの伝統楽器(木琴のようなものです)の競演は手に汗にぎる熱演で、見事なものです。
 ところが、とても残念なことに、観客はまばらでした。こんないい映画が世の中に知られずに終わるなんて・・・。なんだか、悲しくなってきました。まだやっているようですので、ぜひ映画館で見てください。
 「ハリーポッター」も「あらしの夜に」も見ました。なんだ、おまえはまだ子ども向け映画なんか見てるのか。そう思わないでくださいね。子ども向け映画には本当にいい映画がありますし、だいいち私たちが子どものときの心を忘れてしまって、いいことはひとつもありませんよね。

ブレア首相時代のイギリス

カテゴリー:未分類

著者:山口二郎、出版社:岩波新書
 数十分の演説によって政策の内容を説明して国民の理解を得ることなど、はじめから放棄している。むしろ、テレビCMと同じく、15秒ほどの短い時間で、印象的な言葉を断片的に叫び、国民の好感を得ることこそが重要となる。こうした断片的な言葉をサウンドバイトと呼ぶ。メディアに映るリーダーのイメージを管理するのは、スピンドクター(メディア政治における演出家、振付師)と呼ばれる人々。
 リーダー個人の魅力やイメージによって国民の支持を動員し、選挙での勝利、重要政策の推進を図る政治の手法の拡大を政治の人格化と呼ぶ。この傾向がすすめば、国民は政策の中身をじっくり考えて判断するのではなく、特定の政治家の個性で政治の動きを正当化してしまう。人格化された政治は夾雑物を置かないといっても、テレビという媒介(メディア)が常にリーダーと国民との間に存在するのであり、直接的関係も仮想のものでしかない。
 これって、まるで日本の小泉純一郎のやり方ではありませんか。でも、ここではイギリスのブレア首相のやり方のことが書かれているのです。まったくウリふたつですよね。
 ブレアの下で党本部のコミュニケーション総局が力をもち、党幹部の演説・コメントなどすべてを管理している。政治家の言動は官僚的なコントロールに従った芝居のようなもの。細心の情報管理がなされている。
 イギリスでは労働組合という最大の支持基盤を、日本では郵政族議員と特定郵便局長を、それぞれ自ら切り離すことによって一般市民の支持を得るという成功を、ブレアも小泉も収めることができた。既成政党に対する飽きが広がった状況においては、人格化されたリーダーによる既成政党攻撃という手法は、一度は大きな効果を発揮する。
 しかし、このような政治の人格化がすすめば、権力の正統性根拠はカリスマに移る。そうなると、権力は属人的なもの、権力者の私物となりかねない。独裁の誕生を招いてしまう。
 これはこれは、いまの日本でもまったく同じです。自民党をぶっつぶせ。そう叫んで国民の快哉を得て首相になった小泉純一郎は、自民党をぶっつぶすどころか、史上空前の巨大議席を占め、日本という国と社会そのものをぶっこわしつつあります。そして共犯者ともいうべきマスコミは、今なお小泉を天まで高くもちあげ、今や小泉が誰を後継者として指名するのかにだけ注目するなんて、まるでお隣の独裁国家と変わらない記事にあふれています。いつから、日本はこんな国になってしまったのでしょうか・・・。
 イギリスには、かつて鉄の女と呼ばれたサッチャーがいました。中産階級出身から成り上がったサッチャーは、市場中心の「小さな政府」をつくるにあたって、社会などというものは存在しないと豪語しました。この世の中にあるのは、政府と市場と個人・家族だけであり、頼りとするのは自分と家族しかいないということ。くやしければ、がんばりなさい、というメッセージである。
 しかし、そうだろうか、と著者は反問しています。人は生まれるときに、親や家庭の経済環境を選ぶことができない。貧困家庭に生まれた人は、はじめから機会を奪われており、機会の不平等は、今も階級格差の著しいイギリス社会では、個人の努力なんかではどうすることもできない。だから、機会の平等の確保は、まさに政府の任務だ。社会から排除された人が大量に社会の底辺に滞留すると、犯罪や反社会的行動の増加、それにともなう警察や刑務所の拡充など、秩序維持のコスト増加、労働力の質の低下と経済活力の低下、貧困の増加による国内需要の減少など、さまざまな問題が生まれる危険は無視できない。すべての人が社会に帰属し、参画することが、経済活力にとっても、人々がよい生活を送るためにも重要である。
 著者のこの指摘に、私はまったく同感です。ホームレスを大量につくり出した社会では、安心してこどもたちを野外で遊ばせることすらできません。
 それでも、ブレアは労働党です。日本の小泉とまったく違うのは、ブレアが首相に就任するにあたって叫んだ言葉です。私がやりたいのは3つある。それは、教育、教育、教育だ。この点です。それで、教育予算を増やし、教員の志望者が増えました。本当に大切なことです。もっとも、ブレアは、ひどい成績主義路線をとっているようなので、手放しで礼賛するわけにはいきませんが・・・。
 今の日本の政治のあり方を考えるうえで、日英比較は大変参考になる。つくづくそう思いました。

植物という不思議な生き方

カテゴリー:未分類

著者:蓮実香佑、出版社:PHP研究所
 冬のわが庭は手入れの時期です。庭のあちらこちらを掘り返しては春に備えています。いま花が咲いているのはロウバイくらいのものです。その名のとおりロウそのものといった黄色い小さな花が枯れ葉に見え隠れしています。香りロウバイというのですが、私の鼻が利かないのか、残念なことに、あまり匂ひはしません。昨年はアガパンサスの青紫の素敵な花が少ししか咲きませんでした。今年はもっと花を増やしたいと思って株分けをしてみました。うまくいくことを念じています。
 水仙の茎がぐんぐん伸びてきました。あまりに増えすぎたので、心を鬼にして半分ほど始末してしまいました。やはり、庭にはいろいろの花を四季折々に咲かせたいので、仕方ありません。
 サボテンの子どもたちがたくさん増えていましたので、こちらは始末するのはさすがに忍びがたいので、小さなポット苗を30個ほどもつくって、知人にわけてやりました。わが庭のサボテンは、もう少くなくとも3代目です。両手をあわせて輪をつくったくらいの大きさになると、白い花を咲かせ、たくさんの子どもサボテンを自分の周囲につくって、親(本体)は、そのうちスカスカになって枯れてしまうのです。
 ジャコウアゲハの幼虫はウマノスズクサという毒草を餌にしている。ウマノスズクサの毒は、虫の食害から身を守るためのもの。ところが、ジャコウアゲハの幼虫は平気でウマノスズクサをたいらげる。それどころか、ジャコウアゲハの幼虫は、毒を分解するのではなく、ウマノスズクサの毒を体内に蓄えてしまう。こうしてジャコウアゲハは毒を手に入れた。こうなると、鳥はジャコウアゲハの幼虫には手が出せない。
 多くのハチが中空にぶらさがった巣をつくる理由は、アリに襲われるのを恐れてのこと。ハチの巣の付け根には、アリの忌避物質が塗られている。
 コガネムシは、花粉を媒介する昆虫の中で、もっとも古いタイプの昆虫だ。
 昆虫界で紫色を好むのは、ミツバチなどのハナバチの仲間。アゲハチョウは情熱の赤色を好む。そのためチョウをパートナーに選んだ花たちは赤色や橙色をしている。ユリやツツジの花がそうだ。
 日本でイチョウの木はありふれているが、実は、欧米ではほとんど見ることのできない木だ。銀杏は美味しいけれど、臭いですよね。
 古代ギリシアの学者アリストテレスは、植物とは逆立ちした人間であると評した。人間の口に相当する根が一番下にあり、胴体に相当する茎がその上にある。そして、人間の下半身にある生殖器が、植物の一番上にあう花だということ。
 一方、プラトンは、人間とは逆立ちした植物であると言った。人間には神様に与えられた理性がある。だから、理性をつかさどる頭が天上の神に近い一番上にある。つまり、植物が大地に根ざした存在だとすれば、人間は天に根ざした存在なのだ。
 この本は、何もモノ言わない植物が実は、いかに賢い存在であるか、よく分からせてくれます。自然界って、ホント、奥が深いですよね。

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