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2006年1月 の投稿

ダブル・ヴィクトリー

カテゴリー:未分類

著者:ロナルド・タカキ、出版社:星雲社
 第二次大戦中、アメリカ軍のなかでは黒人兵に対して、ひどい人種差別が横行していた。それは基地内でもあったが、より大きな不安は基地の外で待ちかまえている暴力だった。黒人兵士は上官から「基地の外に出るな。出ると帰ってこれなくなるぞ。リンチされてな」と警告されていた。実際、黒人2等兵が後ろ手にしばられて木に吊された死体となって発見されることがあった。
 黒人女性も兵士になっていった。しかし、軍服を着ても、市民として平等な権利を得たことにはならなかった。バスの待合室では相変わらず黒人専用のものしか認められなかった。だから、黒人たちはデトロイトとニューヨーク(ハーレム)でついに暴動をおこした。それをヨーロッパの戦場で聞いた兵士たちは、白人兵士も黒人兵士も、そして日系兵士も、連名で「なぜ、自由と平等と友愛の国であるはずのアメリカでこんなことが起きているのか。いったい我々は何のために戦っているのか」という書面をアメリカの新聞に送った。
 アメリカは大戦が始まると、日系人を強制収容所に隔離した。ジャップはジャップであり、一度ジャップに生まれれば、ずっとジャップなのだ、と。しかし、日系兵士としてアメリカ軍に従軍した若者たちが3万3000人もいた。
 アメリカ人が日本軍をどう見ていたか。このことも紹介されています。
 ヨーロッパでは、敵は食うか食われるかの存在であったことは確かだが、それでも人間だった。しかし、日本兵はゴキブリやネズミのような忌避すべき存在だ。
 真珠湾を忘れるな。奴らを殺し続けろ。これが海兵隊のモットー。ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、ジャップをもっと殺せ。こう言ってハルゼー提督は部下を叱咤した。
 俺たちは黄色いネズミを殺すんだ。殺さないと平和はない。だから憎め、殺せ、そして生きるんだ。これは海兵隊の大佐が訓示した言葉。
 猿の肉をもって帰ってこい。これは出撃する部下へのある提督のはなむけの言葉だ。そして、本当にアメリカ兵たちは戦死した日本兵の頭皮、頭蓋骨、骨、耳を戦利品として収集し、本国へ持ち帰った。しかし、ドイツ兵やイタリア兵の遺体から歯や耳や頭蓋骨を収集することなど、まず考えられない。そんなことが知れたら大騒ぎになるのは間違いない。その意味で太平洋の戦いは人種戦争の側面を持っていた。
 アメリカ史上、おそらく日本兵ほど憎まれた敵はいなかった。激しかったインディアンとの戦いが終わって以後忘れ去られていた感情が、日本兵の残忍さで呼び覚まされたのだ。
 トルーマン大統領は、日本への原爆投下を決断したとき、けだものを相手にするときには、それ相応に扱わねばならないと考えた。しかし、さらに10万人を殺すのかと思うと、たまらない気持ちになって、トルーマン大統領は3発目の原爆の使用を禁止した。
 うーむ・・・。これを読むと、本当に複雑な気持ちになります。いずれにしても、アメリカには最悪の人種差別をする傾向と、同時に民主主義を守り育てていく力の両面があるということなのでしょう。だから、昔も今も、アメリカ万歳と手放しで賞賛し、追随していくなんて、私には絶対にできません。
 ところで、この本を読んで、映画にもなったあの「ミシシッピーバーニング」の被害にあった白人学生たちがユダヤ人であったことも知りました。1964年夏に有権者登録運動のために南部に赴いた学生たちの半分以上はユダヤ人だった。ミシシッピー州でジェームズチャニイと一緒に殺された公民権運動活動家のアルドルー・グッドマンとマイケル・シュワーナーもユダヤ人だった。それから、マルチン・ルーサー・キングの側近や、NAACPの有力な活動家はみんなユダヤ人だった。
 なるほど、そうだったのかー・・・。アメリカにおける人種差別の根深さを改めて思い知らされる本でした。

極刑

カテゴリー:未分類

著者:スコット・トゥロー、出版社:岩波書店
 私は、目下、死刑相当事案を国選弁護人として担当していますので、大いに関心をもって読みました。著者は私と同じ団塊世代であり、アメリカの現役の弁護士です。といっても、これまでに「推定無罪」「有罪答弁」「われらが父たちの掟」「囮弁護士」など、次々にベストセラー小説を書いています。私も感心しながら、これら全部を読みました。
 まず、前提事実としてアメリカと日本の死刑囚について、相違点を確認しておきます。
 アメリカには2004年12月時点で3471人の死刑囚、うち少年が80人がいます。死刑判決の件数は2004年は130件でした。1999年は282件でしたから半減しています。死刑執行も半減しており、1999年に98件でしたが、2004年には59件となっています。アメリカで死刑が再開された1973年から2004年までに944件の執行が確認されています。なかでもテキサス州は死刑執行が多く、全米の4割を占めています。イリノイ州では、死刑判決をするには通常の「合理的な疑いを越えて」より高いレベルの「いかなる疑いも越えて」を要求するという法案が審議中です。
 いま、日本の死刑囚は74人。死刑執行は年に1〜3人。死刑判決は2004年に14件と、2000年に入ってから2桁台を維持しています。
 アメリカでも死刑制度の見直しが議論されており、連邦最高裁のスティーブンス判事は、これまで非常に多くの死刑判決が誤って執行されたと語ったそうです。
 著者は1978年にシカゴで検事補になりました。アメリカには10人殺した殺人犯とか、33人もの少年を殺したという人間がゴロゴロいて、アメリカ社会の殺伐さに心が震えてしまいます。
 死刑が犯罪抑止効果があるかどうかという点については、どんな調査・統計によっても、その証明はされていない。むしろ、結果として、死刑が実は殺人を鼓舞しているとさえ指摘されている。
 アメリカの警察署長へのアンケートによると、回答した386人のうち67%は死刑によって殺人件数を減らすとは言えないと回答した。ただし、その多くは哲学的な理由から死刑制度を支持している。
 アメリカでは、死刑判決が出てから執行されるまで平均して11年半かかっている。その間の費用を問題にする人がいるが、それは国家財政の規模からみると、まったく問題にならない。
 イリノイ州では、第一級謀殺で有罪となった被告の70%は黒人、白人は17%でしかない。しかし、いったん有罪となると、白人の殺人犯は黒人の殺人犯の2.5倍の割合で死刑判決を受ける。そして、白人を殺害した犯人は黒人を殺害したときよりも、3.5倍の確率で死刑判決を受ける。
 著者は死刑執行を停止する制度に賛成しています。いま日弁連が提案しているのと同じです。
 死刑は被告人の改心の機会を奪ってしまう。我々と同じ道徳基盤に立って、責任を自覚して遺族に謝罪できたということは、本人のとって、また、法にとって崇高な勝利だ。
 このような体験が紹介されています。死刑制度について、よく考えられたアメリカの弁護士による本として一読に値すると思いました。

アジア南回廊を行く

カテゴリー:未分類

著者:宇佐波雄策、出版社:弦書房
 福岡県うまれの団塊世代の朝日新聞記者による本です。バンコク特派員、ニューデリー支局長、アジア総局長などを歴任したあと、九州国際大学でアジア概論の講義もしています。
 インドでは大理石はありふれているので、ちっとも珍しくない。木材の床の方がよほど高級である。富豪ほど、木造の住宅インテリアを好む。うーん、そうなんですかー・・・。
 ヒンドゥー教徒は、お墓を一切もたない。遺灰はガンジス川や海に流して、自然に環ることを最高の幸せとする。インド人にとって、死体は魂の抜けた遺体であり、単なるボディーにすぎない。
 ヒンドゥー教にとって、牛は313の神々宿る生き物としてあがめられる。牛殺しは母親殺しよりも重罪なのだ。ところが、水牛は死の神ヤマが乗る乗り物とされ、牛より劣る存在だ。だから、牛肉は食べないが、水牛の肉は食べている。
 インドのラジブ・ガンジー首相はスリランカのタミル人女性の自爆テロによって、1991年に首都ニューデリーで暗殺された。インド軍をスリランカに派遣したことへのうらみからである。スリランカでは歴代の大統領がタミル人反政府ゲリラに暗殺されている。1993年にプレマダサ大統領を暗殺したタミル人テロリストは2年間も忍耐強く時間をかけて大統領の日常行動、警備状況を徹底的に調べ、大統領のそばに徐々に近づいていって、ついに爆殺した。
 むむむ、これはすごいことです。これでは報復の連鎖が止まるわけはありませんよね。
 アジア全体のエイズ感染者は820万人。そのうち510万人がインド。インドでは南アフリカに次いでエイズ感染者が多い国。エイズ感染の危険度がもっとも高い売春婦はインドに230万人いる。そのほとんどが人身売買で売られてきた女性だ。売春女性の多くは文盲。コンドームの普及に取り組むNGOがある。コンドームの品質改良は韓国の医療メーカーが協力している。
 1997年にインド大統領になったナラヤナン氏は被差別カースト出身だった。インドの先住民であるドラビダ族の末裔である。独立インドの憲法を起草したアンベドカル博士も被差別カースト出身であり、カースト差別のない仏教に改宗していた。
 インドで1954年に発見されたという狼少年は、まったくの誤解だとされています。身体障害者の捨て子だったというのです。生後まもなく小児マヒになって、半身がマヒした男の子だった。
 インドでは、今でも狼に襲われて44人が死亡し、32人が負傷した。しかし、これは人間の人口が急増して狼の領域に侵入したり、ウサギやキツネのすみ家であった森林にすむウサギやキツネなどの小動物が減ったからだ。
 インドにはアンバサダーという国産車が走っている。何十年者あいだ同じスタイルで生産されている。この車は、インドの悪路で圧倒的な強さがある。部品に鉄製部品が多用されており、デザイン変更が長くないため、ちょっとした故障は簡単に直して走れる。
 日本の自動車メーカーであるスズキは軽乗用車をインドで生産しています。占有率7割といいますから、たいしたものです。

国家と祭祀

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著者:子安宣邦、出版社:青土社
 正月に小泉首相が伊勢神宮に参拝するのは、定例化された公式行事となった。小泉首相の靖国神社の公式参拝もまた、近隣諸国の抗議(いや、アメリカも同じく冷ややかだ)をはねのけ、あえて定着させた行事となっている。
 ところが、民主党の菅代表(当時)も伊勢神宮には参拝している。小泉首相の靖国神社には批判的であるのに・・・。
 明治2年(1869年)3月、明治天皇は東京への遷幸に先だち、伊勢神宮に参拝した。
 神宮・神社は、まず神道的に純化されなければならない。そして、神道的に純化された「国家の祭祀」としての位置が与えられていく。「国家の宗祀」とは、神社が国家の重要な構成契機としての祭祀体系だということを意味している。
 靖国神社にある遊就館は、戦前は武器博物館であった。2002年7月に本館を改修し、新館をもうけた。そこは表裏一体の二つの大きな使命があるとされている。一つは英霊の顕彰。二つには近代史の史実を明らかにすること。
 英霊と呼ばれるのは、すべての戦争犠牲者ではない。明治維新から西南戦争に至るまでの内乱においては、一方の側の死者しか対象としない。誰が、どうして、そのように判断したのか、明確ではない。
 遊就館は大東亜戦争を公然と肯定している。しかし、帝国の挫折自体は抹消できない。著者は、靖国神社を特権化しようとする言葉と行動とは、むしろ死者たちを汚す生者がつくり出す騒音と臭気でしかないと断じています。
 われわれが歴史に見てきたのは、また今なお世界に見ているのは、それ自身に宗教性と祭祀性とをもってしまった近代世俗的国家の国家という名による暴力であり、戦争を行使する主権国家という亡霊の跳梁ではないか。非キリスト教世界にあって、キリスト教的世俗国家を範として、暴力行使を正当化し、死を賭しての献身を可能にする神聖国家を比類のない形でいち早く形成した日本が完全な世俗主義的原則を表明したことは、国家と国家連合の名による暴力が宗教の名による対抗暴力を連鎖的に生み出しているいま、あらためて積極的な意味をもつと考えられる。
 かつて日本人は天皇のために自己を犠牲にし、他国民を殺した。それは決して戦後に連続しない。戦う国家とは祀る国家である。日本が戦う国家であり、したがって英霊たちを祀る国家であったことの何よりの証拠が靖国神社の存在である。靖国とともに連続が語られる国家とは戦う国家であり、英霊を祀る国家である。だからこそ、自衛隊のイラク派兵を推進する小泉首相による靖国参拝は執拗に続けられるのである。盆踊りと同じようなものだという子どもだましの言葉によって欺かれてはならない。
 戦う国家とは英霊を作り出す国家であり、英霊を祀る国家であるゆえに、国家の宗教的行為もそれへの関与をも憲法は禁じたのである。戦う国家を連続させない意思の表示であった戦争放棄と完全な政教分離をいう日本国憲法の原則は、いま一層その意義を増している。
 まったく同感です。日本を戦争する国にしてはいけません。

乳母の力

カテゴリー:未分類

著者:田端泰子、出版社:吉川弘文館
 昔の日本、たとえば戦国時代は政略結婚の時代であり、女性は政略のために「駒」のように動かされる悲劇的な存在であったという常識はまったく間違ったものです。
 平安時代の乳母の地位は高く、天皇に仕える女房のうちのトップに位置していた。王臣家に仕えた女房のうち、上級女房の筆頭はやはり乳母であった。乳母が子連れで奉仕していたこともある。
 「源氏物語」にも葵上(あおいのうえ)の遺児「夕霧」の乳母「宰相の君」は、乳母の役割と女房一般の役割を同時に果たす左大臣家でも重要な位置を占める女房であった。
 保元の乱が起きたとき、後白河天皇の乳母は藤原朝子(あさこ)で、その夫は藤原通憲(みちのり)である。通憲は後白河天皇の政治的顧問であったが、それは天皇の乳母であった妻の力によるところが大きい。乳母とその子は、主君にとって身内よりも濃い結びつきを形成していた。このことは、主君が不遇になったときに、より鮮明に現れる。妻が天皇の乳母であったことは、その夫にとってどれだけ政治的地位の上昇に有利であるか計り知れない。
 後鳥羽上皇などの院政期に入ると、新興公家輩出の背景は、一族の女性が乳母の地位を獲得することが、まず手始めであった。新興公家は、はじめから中宮の地位に娘をおけるはずもないから、娘を女房にあげ、あるいは男性が時めいている乳母と婚姻をとげることによって娘を天皇に近づけることができた。中下級の公家から上級公家まで、こと結婚の相手に関する限り、年齢には関係なく、公家の男性は天皇家の乳母をもっとも理想の婚姻相手と見ていた。天皇の乳母は三位(さんみ)という高い位をもらった。
 この本では、次いで鎌倉・室町時代の乳母の地位と役割をも紹介していますが、割愛して江戸時代の三代将軍家光の乳母であった有名な春日局(かすがのつぼね)に移ります。
 春日局の父は斎藤利三、母は稲葉通明の娘であった。父利三は本能寺の変を起こした明智光秀の有力な家臣の一人であった。この当時、乳母は女性の仕事の第一位であると考えられていた。教養のある女性が働く職業として一番に目ざしていたわけである。そして稲葉正成と離婚したあと、26歳のときに家光の乳母に抜擢された。
 春日局は江戸城大奥の統率という大役を与えられた。将軍の正室(妻)をさしおいて。それまでも大名の証人(人質)のうちの女性に関する事項を管轄していたのに、大奥の統率の役目が加えられた。それだけの能力を有すると認められたわけである。
 乳母の力がこんなに大きかったとは・・・。なるほど、自分の幼いころに受けた恩は権力者になっても一生忘れないものなんですね。よく分かる気がします。

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