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2005年12月 の投稿

全盲の弁護士 竹下義樹

カテゴリー:未分類

著者:小林照幸、出版社:岩波書店
 活字中毒の私には、目が見えなくなったら絶望するしかありません。でも、まったく見えないのに点字本で法律書を理解して司法試験に合格した人がいるのです。信じられません。しかも、今や2人のイソ弁(居候弁護士。つまり、所長に雇われている弁護士)、職員8人をかかえる所長でもあるというのです。経営手腕もなかなかのようです。実にたいしたものだと感心してしまいました。
 竹下弁護士の話は私も何回か聞いたことがあります。本当にこの人は目が見えていないんだろうかと疑いたくなるほど敏捷な身のこなし、そしてダミ声に近い野太く迫力のある声で自己主張していくのに圧倒されてしまいました。いえ、決して竹下弁護士の悪口を言っているつもりではありません。人間としてのスケールの大きさにただただ圧倒されてしまったということなのです。
 この本は竹下弁護士の生い立ち、そして司法試験に合格するまでの苦難の道のりを刻明にたどっています。苦労人が必ずしも世の中にいいことをするとは限りません。それは田中角栄をもち出すまでもありません。妙にねじれたり、カネ、カネ、カネと我利我利亡者になってしまう苦労人を何人も見てきました。それは弁護士も同じことです。苦学して司法試験にせっかく合格したんだから、あとは楽させてくれとばかり、過去の苦しさと訣別して、ぜいたく三昧にふける弁護士も少なくないのが現実です。でも、そこが竹下弁護士は違います。障害者問題、福祉問題を終生の課題として離さないで、今もがんばっています。本当に偉いものです。
 竹下弁護士は、小学生のときは弱視でした。つまり生まれつきの全盲ではありません。相撲にうちこんでいました。この相撲のぶつかり稽古によって中学生のときに全盲になってしまったのです。やむなく竹下少年は盲学校に入り、弁論部に入ります。全国盲学校弁論大会に出場し、「弁護士になります」という夢を堂々と語りました。なんとか、ボランティアの助けもかりて、龍谷大学法学部に入学することができました。大学に入学して早々、暮らすの自己紹介のとき、司法試験を受けて弁護士になると述べ、周囲からアホやと思われてしまいました。なにしろ、それまで龍谷大学から司法試験に合格した学生は1人もいなかったのです。
 大学でマッサージのアルバイトをしながら法律の勉強をはじめました。そのころは、盲人が司法試験を受けたことがありません。法務省に問い合わせをします。法務省が盲人の受験は不可能ですと回答しました。そこで支援の学生と一緒に上京し、法務省に乗りこんで受験を認めるよう直談判します。この運動の途中で、弁護士になって何をしたいのかが鋭く問われました。障害者問題に取り組む弁護士になりたい。これがこたえでした。
 彼女の親の反対を押し切って学生結婚しました。ようやく点字による受験が認められ、司法試験を受験します。しかし、もちろん簡単に合格できるような試験ではありません。しかも、試験会場には、立会人が5人もいるのです。点字の問題文にも間違いだらけ。
 国会の予算委員会で参考人として、点字による司法試験のハンディをなくすよう訴える機会を与えられました。委員会が終わったあと廊下へ出ていると、当時の稲葉法務大臣が激励の握手を求めてきました。
 点字六法は全51巻、12万円もしました。ボランティア仲間がカンパを集めて買ってくれたのです。
 9回目にして、ついに司法試験に合格。このくだりは何度読んでも目が曇ってきます。たいしたものです。ボランティアの手作りの点訳本200冊、録音テープ1000本によって合格をかちとることができたのです。周囲の援助と本人のがんばりが、ついに夢を実現させたわけです。
 竹下弁護士は弁護士になって3年目から、売上はトップクラスでした。10年たって、独立して竹下法律事務所を構えたのです。生活保護行政のあり方を問う。山口組とたたかう。何のために弁護士になるのか、その原点を忘れることなく活動しています。それも見事です。いま、日本に全盲の弁護士はまだ2人だけ。でも、ロースクールには全盲の学生が何人かいるそうです。
 竹下弁護士は美術館にもよく行きます。ラジオを持参して球場でプロ野球も観戦し、大相撲も見ます。いえ、スキーもし、ネパール登山もしました。ええーっ、そんなー・・・。私だって行ってないのに・・・と叫んでしまいました。
 法廷で証人の顔が見えなくても聴覚だけで、ウソを見破るというのです。うーむ、なかなかそこまでは・・・。明日に生きる元気の出てくる本です。

武士道と日本型能力主義

カテゴリー:未分類

著者:笠谷和比古、出版社:新潮選書
 本の題名からすると、なんだか固苦しくて面白くなさそうですが、とんでもありません。読みはじめたら胸がワクワクしてとまらないほどの面白さです。そうか、武士道って、そういうことだったのか。年功序列制度って、今に生きる日本型の能力主義のシステムだったのか。よくよく納得できる内容でした。
 きわめつけは甘木市の秋月郷土館にあるという島原陣図屏風「出陣図」です。島原の乱(寛永14年、1637年)に際して、秋月藩黒田家(5万石)が総大将の藩主黒田長興(ながおき)以下、2000人が出陣したときの行列を200年後に8年の歳月をかけて再現したというものです。見事な屏風絵ですが、その解説がまた素晴らしい。江戸時代の軍制がよく分かりました。
 総大将である大名を中心とする旗本備(はたもとぞなえ)は本営であり、作戦司令部として防御的なものであって、直接に戦闘に参加することはない。大名家の軍団のなかの最強の武士と部隊は「先備」(さきぞなえ)に配備されているのであって、大名主君の周囲にいるのではない。一人前の武士であり、自己の判断で敵との厳しい戦闘を勝ち抜きうると考えられている有力家臣たちは最前線の「先備」に配備されることをもっとも名誉としていた。大名家の軍事力のなかで、もっとも重要な要素は足軽部隊の鉄砲の威力であったが、これも「先備」に重点的に配備され、先手の物頭(ものがしら)の指揮の下に戦闘全体をリードする役割を担っていた。
 前線の指揮進退は、あくまで先備の旗頭(はたがしら)の裁量に委ねられている。つまり、中枢に位置する藩主の権威と身分は高いけれども、実際の活動は藩主のトップダウン指令という中央統轄型ではなく、むしろ出先ごとの現場優先・現場判断型の自律分散的なものであった。
 このような解説を読んで、ぎっしり2000人の将兵が出陣する様子を描いた「出陣図」の実物を、この目で一刻も早く見てみたいと思っています。
 著者は、あの「葉隠」も誤解されていると強調しています。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一句は、実は逆説なのだというのです。
 武士道とは、武士としての一生を、いかに理想的な形で生き抜くことができるかということを本質的な課題としていた。
 「葉隠」は、決して忠義の名のものに武士に対して奴隷のような服従を要求するものではない。自己の信念にテラして納得のいかない命令であったなら、主君に向かって、どこまでも諫言を呈して再考を求めるべきであるとする。すなわち、「葉隠」にあっては、まず自立した個人としての武士の完成が要求されているのである。
 武士道における忠義とは、阿諛追従(あゆついしょう)でもなければ、奴隷の服従でもない。主体性をもち、見識をもった自立的な武士の、責任ある決断としての献身的な行為なのである。だから、主君の命令がどうにも納得できないときには自己の意見を申し立てるし、主君を諫めて悪しき命令を改善する方向にもっていくように努力もする。忠義とは、そのような自立的な立場を堅持したうえでの献身の行為なのである。
 逆に、主体性や自立性が希薄な武士というのは、主君の命令に対して逆らいだてはしないから、よそ目には、いかにも主君に忠実であるかに映るのであるが、実のところそれは、主君の意向にただ唯々諾々と従っている媚びへつらい者にすぎない。
 江戸時代、藩主が酒と女におぼれて藩政をかえりみなくなったとき、主君「押込」がなされた。身柄を拘束され、大小の刀も取りあげられて座敷牢に監禁され、藩主は交代させられるのである。身近なところでは、久留米の有馬藩でも押込はあっています。
 この「押込」には形式が必要であった。藩主が表座敷に現れたとき、家老・重臣たちは藩主の面前に出て列座し、「お身持ちよろしからず、お慎みあるべし」と述べる。そして家老たちの指揮の下に目付・物頭たちが主君の大小の刀を取りあげ、座敷牢に監禁する。これは表座敷でなければならなかった。というのは、家老達の私欲にもとづいた陰謀ではなく、正々堂々たる藩の公式的な政治的決断としての行為であることを内外に宣言するものであった。つまり、これは謀反(むほん)ではなく、物理的強制力をともなう諫言という家老の職務的行為なのであった、というものなんだそうです。
 徳川吉宗は享保の改革のとき、足高(たしだか)制を導入した。これは能力主義的抜擢人事を展開しながら、なおかつ同時に旧来の権利関係を尊重した身分制的原理の擬制が貫かれている。この足高制によると、低い家柄の幕臣を上級役職に抜擢登用することが可能になる。これによって、武士と足軽のような下級武士との断絶を克服することができた。
 現実に、農民身分の出の者が幕府の財務長官である勘定奉行にまで一代のうちに昇進していった実例がある。幕末の外交で活躍した勘定奉行の川路聖謨(としあきら)は、日田の代官所構内で生まれた。父は一介の庶民でしかなかった。やがて、父は御家人株を買って就職した。その子は能力があったので、トントン拍子に出世していった。
 年功序列と呼ばれている制度は、非能力主義的なエスカレーター型自動昇進方式ではなかった。それは能力主義的原理にもとづく競争的な昇進方式であった。職務経験を通したスキルアップを基礎とするOJT型の能力主義的昇進システムであった。
 徳川時代の武士道思想のなかに「御家の強み」という言葉がしばしば出てくる。堅固な御家とは何か、つまり永続する組織とは何かということである。
 武士の社会はいわゆるタテ社会であるから、主君の命令と統率のもと、決して苦情やわがままを口にせず、全員一丸となって一糸乱れぬ行動をとって目標に邁進していくような組織というのは誤りなのである。このような絶対忠誠の精神にもとづく組織は、外見上は強固なように見えて、実は非常にもろくて滅亡することは遠くない。そうではなく、自己の信念に忠実であり、主君の命令であっても、疑問を感じる限りは無批判に随順せず、決して周囲の情勢に押し流されていくこともない、自律性にみちあふれた人物をどれだけ多くかかえているかに組織の強さは依存する。
 自負心が旺盛で、主体的に行動する者たちは、主命に反抗的な態度をとることもしばしばであるが、このような自我意識が強烈で容易に支配に服さないような者たちこそ、御家つまり組織のためには真に役に立つという逆説的な関係が存在していた。
 これは、今日の組織にも十分生かされるべきではないのか。著者はこのことを何度も強調しています。なるほど、なるほど、私もよく分かります。まったく同感です。
 私と同世代の学者ですが、学者って、ホントにすごいと感嘆します。

清冽の炎

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著者・神水理一郎、出版社:花伝社
 1968年の東大駒場寮に住む寮生がセツルメント活動にうちこみながら、東大闘争がはじまると、そちらにも参加しつつ、自分の生き方をあれこれ悩んでいくという展開で第1巻が始まりました。
 私も同じころ駒場寮で生活していました。6人部屋です。カーテンもなにも仕切りはなく、机とその上の本棚だけが区切りになっていました。ベッドが6台あり、床はリノリウム張りです。スリッパでペタペタ歩いていました。学生運動はなやかなりし頃ですが、セクトの活動部屋もあったものの、700人からの寮生は平穏に生活していました。いえ、もちろん、ときにはストームもあったりして、騒々しい夜もありました。でも、たいていは真面目に本を読み、勉強していました。テレビは見た覚えがありませんが、マンガ本はよく読んでいました。「あしたのジョー」とか「カムイ伝」とかに熱中していました。
 6人部屋で、当然20歳前後の学生ばかりでしたが、猥談をした記憶はほとんどありません。経験に乏しく、そのネタもなかったのでしょう。よくダベっていましたが・・・。
 アメリカによるベトナム侵略戦争に反対するのは当然だという雰囲気でした。将来、自分は何になるのか、何をめざすのかという青臭い議論を真面目にしていました。といっても、そんな議論を冷ややかに眺めて、傍観している寮生もいました。
 囲碁のプロをめざすと高言して全然授業に出ない寮生がいて、みんなで心配したこともあります。
 クラスに出ると、自家用車を乗りまわす都会派のカッコイイ金持ちのボッチャンが多くてコンプレックスを感じました。それでも寮に戻ると、貧乏学生でも気にならない、そんなアットホームな気分に浸ることができました。方言まるだしで、家庭教師に出かけて恥ずかしい思いをしたこともあります。関西弁はどこでも堂々とまかりとおっていましたが。
 東大闘争がどうして始まったのか。なぜ、あれほど一時期、過熱したのか。そして闘争のあと、みんなおとなしくなりすぎたのはなぜなのか。これは私の一生かけて解明したいと思っている謎です。団塊世代からの政治家って、本当に少ないでしょ、人口比の割に。かつて学生時代に騒いだ割には、あまりにも政治に関わっている人が少なすぎると私は考えています。保守的な気分の強い無党派層の中核をなしているのが、大卒の団塊世代だという分析を知り、本当に驚いています。打倒・自民党というわけではないのです。団塊世代は会社に入って企業戦士になったと言われていますので、体制打破というより体制に順応してしまったのですね。
 見るべきほどのことは見つ。そんな心境なのでしょうか。内ゲバと浅間山荘事件などの悪影響が尾を引いているのでしょうか。サルトルのアンガージュマンの提唱に心ひかれた学生が多かったと思うのですが・・・。
 学生が地域に出かけていき、現実とふれあうというセツルメント活動は、今こそ残念ながらありませんが、当時は大変な盛況で、全セツ連大会には何百人ものセツラーが集まっていました。そして、今の40代の人々までは一定の影響力をもっています。そのセツルメント活動って、どんなものだったのか、何をしていたのか。その記録がほとんどないのが私には残念でなりません。この本は、子ども会活動そして青年部サークルのことが紹介されています。
 東大闘争というと東大全共闘ということになりますが、もう一方には民青(民主青年同盟)がいましたし、クラス連合(クラ連)というノンセクトもいました。
 この本は、そんな学生集団の動きを当時の記録をもとに忠実に再現しながら、悩める青年たちの恋愛を描く小説としてたどっていこうとする意欲的な労作です。読みものとしてはもうひとつという気がしますが、1968年のあの息吹を伝えるものとして、一読を強くおすすめします。
 今朝の朝日新聞の一面下に広告ものっていますので、ぜひ本屋に注文してください。

透明な卵

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著者:ジャック・テスタール、出版社:法政大学出版局
 フランスにおける補助生殖技術の第一人者による本です。著者は1982年に体外受精による赤ちゃんの誕生を成功させました。
 男性の精液提供について、アラブ人は気安い提供者だが、黒人は抵抗を感じる人々だ、としています。民族(?)性が現れるそうです。日本人はどうなのでしょうか・・・。
 受精卵は冷凍保存することができる。すでに数十人が誕生に成功した。
 男性が受精後数日たった胚を自分の腹部に受け入れて、妊娠することも可能だ。単なる幻想ではない。ヒトの胚は子宮の外でも腹腔の中なら、しまいまで成長することができる。出産は帝王切開すればいい。妊娠中のホルモン調整については、適切なホルモン注射を用いれば、卵巣がなくても確実にできる。
 オーストラリアでは、卵巣機能をもたない女性が、体外受精によって、別の女性の卵子から得られた子どもを、その子宮に宿すことができた。ただし、男性の妊娠は、女性の子宮外妊娠と同じく生命にかかわる危険をともなう。
 ご冗談でしょう。そう言いたいところですが、真面目な話です。もちろん、単なる可能性であって、現実になされたということではありません。でも、人間の誕生が、科学技術の発達で、ここまで操作することを可能にしているというわけです。本当に怖い話です。いかにもフランス人らしく難解な哲学的用語の多い本書を、私が紹介しようと思ったのは、このくだりを読んだからです。
 すでに200人以上の子どもが私の試験管の中で宿ってから生まれた。そのうち10人は冷凍受精卵から育った。5人から10人の新しい赤ちゃんが、これから毎月うまれてくる予定だ。1982年から4年間で、600人以上の子どもが32のフランスの医療チームの試験管の中で宿った。すごいですね、現実はそうなってるんですね・・・。
 この本の最後には、試験管内で受精させる方法が簡単に図解されていて、理解を助けます。ところで、この本で問題としているのは、人間が人間自らを身体的に変える可能性を手にしたということです。
 人間がもっている無数の欠陥、たとえば、顔が美しくない、音痴だ、頭が悪い、気が短い、足がのろいといったものを遺伝させない技術が、たいした費用もかからず実現できるとして、これを無視できるだろうか、ということです。
 そうですよね、それはたしかに難しいことでしょう。でも、本当にそうなったら・・・。怖い世の中になってしまいそうです。ええ、はっきり言って、そんなこと、考えたくはありません。

CM化するニッポン

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著者:谷村智康、出版社:WAVE出版
 今では、ライフスタイルとしてテレビを持たない人は珍しくない。
 これは、この本の出だしの言葉です。そうなんです。私の家にも昨年からテレビがありますが、私自身は今でもテレビとは無縁の生活を毎日送っていますし、私の身近にもテレビを持たない人が何人かいます。テレビを見ないで本当に困るのは災害情報くらいですが、これもイザとなればラジオで足ります。とくに困るということはないのですが、テレビのCMももちろん見ませんので、ほら、今テレビで盛んにコマーシャルしてるでしょ、あれですよ、なんて言われたときにはキョトンとしなくてはいけないのがチョッピリ困ります。いえ、年の功で、なんとかうまく逃げきってはいるのですが・・・。
 テレビは、もうかつてのような話題の中心ではなくなった。変わったのは、もっともうけようという貪欲さが増したこと。そして、もうけるためのテクニックが非常に進歩したこと。ところが、それは視聴者を裏切るものだ。テレビ局にとって、本当の商品は広告であり、番組は広告を売るための客寄せにすぎない。
 テレビ局はCMを流すにあたって、スポンサーと「量」で契約する。たとえば、合計視聴率100%で1億円と。視聴率20%の番組なら5回、CMを流したら契約を完了できる。災害情報などの臨時ニュースのテロップは、番組中に流されることはあっても、CM中には絶対に流れない。それほどCM放送は優先されている。
 「見えない広告」については、日本が世界で一番すすんでいる。たとえば、番組の主題歌も、実は広告枠として売られている。また、ニュース番組に似せて、同じキャスターをつかってニュースではない広告が流されている。これって悪どい騙しの手口と同じです。
 月曜日夜9時から始まるテレビドラマは「月9」と呼ばれている。F1と呼ばれる20歳から34歳の若い女性を狙ったドラマだ。働く若い女性は、週末は夜遊びに出る。週初めは残業も少ないので、オフィスで話題となりやすい月曜日の夜に放映しているのだ。
 「金ドラ」は金曜日夜10時からのドラマで、こちらはもう少し上の年齢層がターゲット。F2(女35〜49歳)、M2(男35〜49歳)にあわせている。こうした家族持ちは、「ハナ金」にはコンパになんか行かない。トヨタのコマーシャルは、「月9」には比較的安い車のCMを、「金ドラ」には、高級車のCMを流している。
 このようにテレビ番組もCMも、視聴者の細かな生活情報をふまえてつくられている。
 ところが、視聴者はCMをますます見なくなっている。テレビや新聞の広告売り上げは横ばい。だからサラ金CMにますます依存せざるをえない。
 テレビCMの実態と本質について、広告代理店で働いていた経験にもとづく告発の書として、大変勉強になりました。

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