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2005年12月 の投稿

生きて死ぬ智慧

カテゴリー:未分類

著者:柳澤桂子、出版社:小学館
 私の父が死んだのは72歳のときですから、もうかなり前のことです。胃ガンに始まり、いったん全快しましたが、肺に転移して亡くなりました。病院で父が好んで読んでいたもののひとつに般若心経がありました。
 般若心経(はんにゃしんきょう)は、全文わずか14行の短い文章です。でも、漢字ばっかりですから、意味を理解するのはとてもできません。
 この本は、長く病気に苦しめられてきた生命科学者である著者による解説と英訳までついていますので、なるほど、そういう意味だったのかと得心することができます。
 色即是空
 空即是色
 有名な文句です。これを著者は次のように解説しています。
 お聞きなさい。私たちは広大な宇宙のなかに存在します。宇宙では、形という固定したものはありません。実体がないのです。
 宇宙は粒子に満ちています。粒子は自由に動きまわって形を変えて、お互いの関係の安定したところで静止します。
 お聞きなさい。形のあるもの、いいかえれば物質的存在を私たちは現象としてとらえているのですが、現象というものは時々刻々変化するものであって、変化しない実体というものはありません。
 実体がないからこそ形をつくれるのです。実体がなくて、変化するからこそ物質であることができるのです。
 うーむ、なんだか量子力学の解説書のようです。ちょうど量子力学について少し本を読んだばかりでしたので、とっさにそう思いました。極小の世界と宇宙のはての世界とが同じようなものだということに、すごく魅かれてしまいます。
 それはともかくとして、実体はないけど、私はいまここに存在しています。不思議な存在です。100年前にも、100年後にも私は存在しませんが、私を構成する粒子は、どちらにも存在するのです。
 乃至無老死
 亦無老死尽
 こうして、ついに老いもなく、死もなく、老いと死がなくなるということもないという心に至るのです。老いとか死が実際にあっても、それを恐れることがないのです。
 いかにも仏教図のような絵がバックにあり、解説文の雰囲気を伝えてくれます。心が洗われる気のする本です。

霊長類のこころ

カテゴリー:未分類

著者:ファン・カルロス・ゴメス、出版社:新曜社
 ゴリラは、生後10ヶ月から12ヶ月のあいだは、目的物に身体が到達する延長として棒をつかい、生後24ヶ月から26ヶ月では手が届く範囲を拡張するため道具をつかう。人間の赤ん坊では、その逆がおきる。似てるようで、違うんですね。
 チンパンジーは、好きな飼育係が天井からぶら下がったバナナを取ろうとしてむなしくあがいているビデオを見せられると、その次に、何のためらいもなく、その飼育係が箱によじ登っている写真を選ぶ。逆に、ビデオにうつっている人間が嫌いな人間だったら、問題が解決されたという写真ではなく、箱から転げ落ちるなど、ひどい結果になる写真を選ぶ。えーっ、そうなんだー・・・。驚いてしまいました。
 サルたちのかわしあう声には大きな意味がある。ヒョウに対する警戒音を聞いたときには木に登る。ワシに対する声を聞いたら、草むらに入った空を探す。ヘビに対する警戒音のときには、すぐに二本足で立ち上がって地面を探す。サルは、それぞれの警戒音に適切に反応する。
 自閉症の子どもは他人の手をとって身振りするときに、その人の目を見ないのが普通。しかし、ゴリラは、他人の手をとり、その人の目をのぞきこむ。
 チンパンジーのベルという名前のメスは順位が低かった。ベルが情報源となって仲間を食物のありかに連れていく役まわりのときには、ベルは食物にありつけない。なぜなら、他の高順位のオスなどが先に食物に走っていき、全部食べてしまうから。
 だから、ベルは食物のある方向へ歩いていくのをやめた。しかし、賢いチンパンジーがいて、ベルの行動をよく見て、ベルの視線の方向から食物のある方向を見抜いた。そこで、ベルは最後には、ばれないように目をそちらに向けないようにしたうえで、違う方向に歩いていった。うーん、チンパンジーは本当に賢いんですね。仲間をだます術も身につけているわけです。

更年期

カテゴリー:未分類

著者:マーガレット・ロック、出版社:みすず書房
 日本でふつう言われている更年期の症状はアメリカのメノポーズにともなうものとはかなり違っている。アメリカではメノポーズとは閉経のことであり、ホットフラッシュと突然の発汗のみ。頭痛などの身体の痛み、めまい、肩こりは女性も医師もメノポーズに関係があるとは考えない。日本人女性は、ホットフラッシュを訴えず、急な発汗もまれだ。
 更年期をメノポーズと訳してはならない。アメリカの女性の大多数の頭のなかで、メノポーズと閉経(月経の終わり)とが同義語になってきた。
 人間の最長可能寿命は90歳から115歳のあいだと推定されている。これは過去10万年のあいだ、人間は理論上、この高齢まで生きることが可能だったということ。
 日本の平均寿命は1891年から1989年のあいだに44歳から82歳にまで上昇したが、50歳の女性の平均余命は21年から33年に延びただけ。この100年のあいだ、ヨーロッパでも日本でも、女性はひどい搾取や貧困にさらされないかぎり、乳幼児期をのり切って成人し、お産で死ななければ、70歳以上まで生きられる可能性は高かった。
 日本食には大豆と豆腐、味噌など多くの大豆製品が含まれ、植物性エストロゲンに富んでいる。天然のエストロゲンを含む食生活はホットフラッシュの発生にかなり大きな違いをもたらしうる。
 日本の平均寿命は世界一で、男性76歳、女性82歳。100歳以上の人口は3000人をこえている。もし、現在の傾向が続けば、2025年には225万人以上が認知症(老人性痴呆)を患い、その3分の2が女性。200万人以上が寝たきりで、またその3分の2が女性。現在、65歳以上で寝たきりの人は60万人をこえ、その大多数が自宅にいる。
 高齢の1人暮らしの女性は男性の4倍の128万6000人いる。特別養護老人ホームの入居者の70%以上、一般の老人ホームの入居者の93%が女性で占められている。自宅で介護を受けている寝たきり老人の93%も女性。アルツハイマー病の高齢者の80%も女性。
 女性は、いま日本の全就労者の40%を占め、15歳から64歳の女性のうち58%が現役で働いていると推定されている。
 ロマンス小説からも社会の変化が読みとれる。かつては、どの本もシンデレラ物語風のものばかりだった。しかし、近ごろは、ヒロインは結婚しようか、キャリアをもとうかと迷っている。
 多くの日本女性は、それなりに満足のいく人生を送っており、調査に回答した人の90%が現在の生活を幸せだと思うと答えた。しかし、話を聞いてみると、多くの女性が苦労を経験したばかりでなく、いまも不当な扱いを受け、不安定な生活を余儀なくされているという。では、なぜ大部分の女性が自分は幸せだと答えのか。そのひとつの理由に、もっと苦しい目にあった人もいるのだから、自分は今の境遇に感謝すべきだと話をしめくくるのだ。回答者の53%は現在の日本社会は女性を不公平に扱っていると考えている。
 中年女性に訊くと、年齢によって経験が増すので、年をとると、なすがままに少々遊び心でもできるようになる。成熟の結果として新たに手に入れた自由を存分に楽しんでいる。 しかし、多くの女性が平均寿命(82歳)まで生きたいと願っていないのが非常に興味深い。45歳から60歳までの人間の年齢は、成熟期、つまり十分に円熟した時期と呼ばれる。
 アメリカでは、2005年に50歳から64歳の女性が2500万人をこえる。これらの女性のためのホルモン補充両方の薬剤と医師のフォローアップ・ケアのための費用は、全米で年に35億ドルから50億ドルになるだろう。
 メノポーズとその副産物は、現在、大きなビジネスになり、アメリカ国内の1990年のエストロゲンの売上だけでも4億6000万ドルにのぼる。
 この本は2005年9月に出版されたものですが、1980年代に日本人の女性を調査した成果をまとめたものなので、今とは異なっているところがかなりあると思いますが、やはり変わらないところもあると思いながら興味深く読みました。2段組みで400頁以上ある大部の本です。
 実は、私は、この本を人間ドッグ(いつも一泊しています)に持ちこんで読んだのです。男にも更年期があると聞いて久しいのですが、実感はしませんでした。同年代の男性からもあまり聞いたような気はしません。ただ、同世代でも男女を問わず、とてもくたびれた顔つき、身体をしている人が多くて、本当に驚きます。生き生きしている人の方が少ない気がします。それだけ、この社会に生きていくのは厳しいことなんだな、失業せず、定年退職の心配もない私は本当に恵まれているんだと実感をさせられます。
 人間ドッグの結果では、総コレステロールが少し高いので、糖分の取りすぎに注意するように、とか、体重を減らしなさいということでした。減量って、本当に難しいんですよね。鏡を見ると、我ながら中年太りのひどさに目を覆いたくなります。
 身体を動かすのは週1回の水泳(30分間の自己流クロールで1キロ泳ぎます)と日曜ガーデニングくらいです。あとは、毎日、規則正しい生活と7時間の睡眠時間の確保、そして大量の本を読んでの気分転換というのが私の健康法です。

20世紀、日本の歴史学

カテゴリー:未分類

著者:永原慶二、出版社:吉川弘文館
 明治維新以来、学問としての歴史学がどのように展開してきたかを系統的にふり返った本です。門外漢ながら、大変勉強になりました。
 明治24年(1891年)、帝国大学(これは、それまでの東京大学を改めた名称です)の久米邦武教授が神道は祭天の古俗という論文を発表しました。神信仰は、どの民族においても共通に見いだされる祭天の古俗だとしたのです。それを、日本だけの宗教であり、国体の基礎であるという説は根本的に誤っているとしたわけです。ところが、神道・国学派から激しく反撃され、ついに久米は帝国大学教授から放逐されてしまいました。
 明治44年、国定教科書が南北両朝併立説に立って記述されていることが国会で問題になりました。ときの桂太郎内閣は、南朝を正統王朝と決めて、教科書を訂正させてしまいました。北朝は吉野の朝廷と表現されたのです。両朝併立問題という長いあいだ学説が対立してきたことが、政治的に決定されてしまうというのは学会にとって屈辱的なことであり、学問が権力によって支配されることを意味します。
 著者は網野善彦氏の中世社会史像について高く評価しつつ、イデオロギーと現実の混同があると厳しく批判もしています。
 網野は、中世を民衆世界に生きつづけた本源的自由が失われていく過程であり、女性の地位が低下していく時代として悲劇的に描いている。網野の歴史認識はペシミスティックで、世の中は悪くなるという見方である。網野の歴史観は一種の空想的浪漫主義的歴史観の傾向をもっている。近現代を否定的にとらえ、本源的自由という幻影や「無縁」的自由を礼賛的に描き出す手法に不安を感じる、としています。
 また、支配−被支配関係抜きの「平民」論からは「統合」の問題について論理上からも展開が難しいと言って批判しています。
 うーむ、なるほど、そのような批判があるのかと思い知らされました。著者は昨年(2004年)に亡くなりましたが、日本の歴史学の第一人者として大きく貢献してきた人物です。

財界とは何か

カテゴリー:未分類

著者:菊池信輝、出版社:平凡社
 まだ30代の学者による財界分析ですが、すごく切れ味よく小気味のいい本でした。やっぱり学者って、たいしたものですね。勉強になりました。
 少し前には財界四天王と呼ばれる経営者がいた。経済界全体ににらみを利かせて資本自由化を強行した小林中、中小企業が共産党・社会党を支持しているのを知って政府に中小企業対策を拡充させた永野重雄、経営危機に陥って労働組合が実権を握りかけていた文化放送に単身乗りこんだ水野成夫、賃上げは生産性の範囲内にせよと宣言した日経連の桜田武。この4人は、財界の機能を非常にわかりやすく世間に見せてくれていた。しかし、経済団体がそれ自身として財界機能を果たせるようになってしまえば、この4人のような存在はいらなくなってしまう。今や経済団体は公明正大に政治を牛耳り、マスコミは、そのあまりの自然さに、財界を報道しなくなり、ニュース性がなくなったから、財界が人の口にのぼらなくなってしまった。
 財界の政党への政治献金システムが完全に確立している。国民協会に改編されてから、1963年から65年には自民党への献金の10分の1が社会・民主党へ献金された。それ以後、疑獄事件は「財界」の網がかかっていない新興産業(たとえばリクルート)や外資系企業(たとえばロッキード)を中心にしか見られない。こうしたシステムを作りえたことは、戦前の財界に比べてはるかに戦後財界の方が政治への安定的な影響力行使システムを備えているというわけだ。
 財界は、政治から自立していないと、いざというときに政治に文句が言えなくなる。
 財界にとって湾岸戦争は、世界中に広がった市場経済秩序の維持に対する貢献の必要性が明らかになった。市場経済秩序から仲間はずれにされたら日本経済の未来はない。その秩序の維持には、ふだんの競争を度外視し、他国と協力しなければならない。しかも、その協力は血を流すものでなければ理解されない。この意味を悟った財界は、急速に平和憲法とそれを支える社会党をはじめとする国民の平和意識を問題視しはじめた。

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