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2005年10月 の投稿

アポロとソユーズ

カテゴリー:未分類

著者:ディヴィッド・スコットとアレクセイ・レオーノフ、出版社:ソニー・マガジンズ
 いったい月世界にアメリカの飛行士たちは本当に着陸し、歩いたのか・・・。それを知りたくて読みました。ソ連の宇宙飛行士だったアレクセイ・レオーノフとアメリカのスコット宇宙飛行士がかわるがわる語っていく形式をとっていますので、当時の米ソの宇宙開発競争の実情がよく分かる本です。
 ソ連のガガーリン少佐が世界初の宇宙飛行に成功したのは1961年4月のことです。
 私は中学生でしたが、人間が宇宙に羽ばたいていったことをすごいことだと感嘆しました。手塚治虫の鉄腕アトムの世界が目の前で現実のものとなった気がしました。
 宇宙飛行士になるテストのひとつに片耳だけ氷水を注ぐというのがあるそうです。片耳が温かく、片耳が冷たい状態になったとき、そのアンバランスに内耳がどう反応するのかを調べるテストです。脳は初めてのことで勝手が分からず、目玉がぎょろぎょろ動き出すのだそうです。いい気分ではないでしょうね・・・。
 宇宙酔いを克服するもっとも有効な対策は、実際に酔ってしまわない程度まで、くり返し頭を揺すぶることです。吐き気をもよおすほどの不快さをレベル4として、レベル2程度までくり返し頭を揺すぶって、身体を適応させるのです。ええっー、いやですね、こんなこと・・・。
 アメリカでもソ連でも、多くの優秀な宇宙飛行士たちが事故にあって死んでいきました。宇宙船内では不具合が続出し、原因不明のまま必死に対応しているうちになんとか地球に帰還できたものの、そこはマイナス30度の世界だったという状況もありました。
 宇宙船内になぜか水があふれ出してくる。無重力では水は落ちない。水はくっつきあって大きな水滴となり、その表面張力でゆっくりとはじけるように宙を漂っている。だから、どこから水漏れしているのかをつきとめるのは至難のわざ。うーん、怖い・・・。
 月に着陸したアメリカ人の宇宙飛行士は12人います。スコット飛行士は7人目です。
 地球人にとってもっとも印象的なことは、月世界の静けさ。空気もなく、風邪も起こらず、月面で動いているのは影だけ。花も草もなく、動物も鳥もいない。自然の息づかいは月面にはまったくない。
 スコット飛行士は、月面のくぼみに、月面到着レースの過程で亡くなった米ソの宇宙飛行士14人の名前を刻んだプレートを埋めました。ほかにも死んだ飛行士が2人いたようですが、それにしても14人(16人)とは多いですよね。
 月面を歩いた12人が一堂に会したことは1回もないそうです。そして、6人のパイロットは、うつ病とアルコールに苦しんだ人、プロの画家になった人、宗教にのめりこんだ3人、上院議員と地質学の研究者を続けた人に分かれた。6人の船長は、事業家兼大学教授(アームストロング)、銀行家、NASA、そして事業家2人になった・・・。
 いや、ともかく私は本当に彼らが月面を歩いたという見える証拠がもっとほしい。そう思ってしまいました。なにしろ、スコット飛行士だけでも月面に3日間もいたというのです。もっとたくさんの写真があれば・・・、と思いました。
 34年も前に月世界におりたち歩いた人類は、今ではそんな高度な技術があったのか不思議に思われるほど、後退してしまった印象があります。それは今回のスペースシャトルの出発と帰還がヒヤヒヤの連続だったことにもとづきます。米ソの宇宙開発競争には、まだまだたくさんのことが隠されている気がしてなりません・・・。
 ところで、私の夏の夜の楽しみは、寝る前にベランダに出て望遠鏡で月の素顔を眺めることです。静かな海とか、月面のクレーターの陰影などを見ていると、はるか彼方にある月世界がとても身近に感じられ、逆に地球上の煩わしい人間関係のしがらみや俗世間のことをしばし忘れることができます。

江戸の男色

カテゴリー:未分類

著者:白倉敬彦、出版社:洋泉社y新書
 男色(なんしょく)は、日本では奈良・平安時代の公家・僧侶の社会、鎌倉・室町の武家社会、そして江戸時代には庶民をもふくんで連綿と続いてきた性風俗です。
 織田信長と小姓の森蘭丸の関係はあまりにも有名です。これは主人と小姓との間の忠義(主従関係)と、武士間の年長者と年少者との念契(男色上の契約)という二重契約が成立していたと著者は指摘しています。武家社会では男対男の関係が、女色に優先していたという特徴があります。
 江戸時代、男色は梅の香のごとく清らかに芳(かぐわ)しい、というのが当時の主張(考え)であったそうです。とても本当だとは信じられません。
 この本にはたくさんの浮世絵、いわゆる笑い絵です、が紹介されています。いずれも、男色がいかに横行していたかということを意味しています。
 江戸時代、上級の武士たちが若者を男色の相手として楽しんでいたのですが、若衆狂いは女性も負けていなかったそうです。
 三代将軍家光の男色好きは有名だったとのことですが、五代将軍綱吉となると、寵童(ちょうどう)を150人もかかえていました。恐るべき人数です。
 江戸の武家社会は男色・女色とりまぜての融通無碑だったのです。
 男色を売る陰間茶屋が繁盛しましたが、18世紀中期以降は、役者買いの主役は女性にとってかわりました。
 それにしても、武士の息子たちまでが長振袖などを着て町中を闊歩していた、坊主が白昼堂々と陰子(男色を売る若い男)を連れて物見遊山に出かけていたというのです。江戸時代を固苦しいものと考えていると、とんだ間違いをしてしまうようです。

ローマのガリレオ

カテゴリー:未分類

著者:W・シーア、出版社:大月書店
 ガリレオは、立ち上がるとき、それでも地球は動いている(エプール・シ・ムオーヴェ)と小声でつぶやいたと一般に言われている。心の中ではそう確信していたかもしれないが、判事たちの前ではそれを出さないだけの思慮深さはもっていた。
 ガリレオを呼び出して裁いた検邪聖省の法廷は、ガリレオに対して七つの贖罪の詩篇を向こう3年間、週1回20分間唱えるという判決を下した。判決文が読みあげられたあと、ガリレオは膝まずいたまま暗唱し、正式な異端教棄の宣誓書に署名した。宣誓書は次のようなもの。
 私は異端の疑いが濃いという判決を受けました。それは、私が太陽は世界の中心にあって不動のものであり、地球は世界の中心にはなく動いているという説を信奉していたことによるものです。私は異端を放棄します。これから先、二度と口頭でも著述の形でも、ふたたび私に疑いがかけられるようなことを口にしたり断言したりいたしません。
 ガリレオは1632年に監獄に収監するという判決をうけたものの、実際には、トスカーナ大公のメディチ荘に移され、その後はシエーナ大司教の招待を受けて2、3ヶ月を過ごした。大司教はガリレオを善良なカトリック信者の賓客として扱い、夕食に招いた。それから、フィレンツェに戻った。フィレンツェではガリレオの著書である「対話」の値段が急騰した。もともと半スクードだったのが、6スクードにまではね上がった。
 ガリレオは、聖書が誤るはずはないが、その解釈には誤りが生じうるという立場だった。
 異端審問所の法廷では、被告は召喚されたら、自分の弁護はできず、ただ誤りを認めて撤回するしかなかった。自らの罪を認めて告白する方が賢いというよりは、無理やりそうするようにし向けられた。ただ、有罪が確定していたとしても、その量刑は尋問のあと初めて決定される。ガリレオの人間像に迫った本です。

非武装地帯

カテゴリー:未分類

著者:イ・キュヒョン、出版社:PHP研究所
 1979年、韓国の朴正熈大統領がKCIA部長に暗殺されました。以後、49日間にわたって大統領が不在という非常事態のなか、北朝鮮軍の精鋭部隊が非武装地帯に侵入してきます。それを韓国軍の捜索隊が阻止して、戦闘状態に入ります。
 当時、実際に部隊の一員として非武装地帯の警備にあたっていたという体験にもとづく小説だけに、圧倒的な迫力があります。
 北朝鮮軍が南侵のために掘りすすめていた地下トンネルが、これまでに4本発見されています。地下50メートルから160メートルの深さで、長さは2キロから3キロもあります。幅は2メートル、高さ2メートルほどです。北朝鮮は一貫して南のデマ宣伝だとしてきましたが、北朝鮮がつくったものであることは間違いないようです。この本では、北朝鮮による地下のトンネル掘進工事を発見するのを任務とする韓国軍の部隊がいたことを明らかにしています。
 この本や、「JSA」「シュリ」「シルミド」「ブラザーフッド」などの韓国映画を見ると、韓国と北朝鮮が朝鮮戦争後も、何度も本格的戦闘行為の寸前までいったことがよく分かります。それほど緊張度の高い社会だったわけです。
 それにしても、徴兵制度のある韓国に生まれなくて幸いでした。軍隊の理不尽かつ野蛮な鉄拳制裁には、「軟弱な」私なんか、とても耐えられません。しかし、そんな道理の通らない軍隊生活のなかでも要領よく泳いでいく人間がいるのですね。やはり暴力だけでは上に立てないようです。コネとお金と運をフルに駆使して上にはい上がっていくわけです。そうみると、案外、いまの「平和な」日本社会だって本質的にはそう変わらないのかもしれません。勝ち組、負け組などという嫌味な言葉が平然とまかり通る世の中なのですから。あー、やだやだ・・・。

E=mc2

カテゴリー:未分類

著者:ディヴィッド・ボダニス、出版社:早川書房
 アインシュタインがE=mc2 の論文を発表して100年になるそうです。
 光の速さを測定する方法というのを知りました。ガリレオの時代です。ある夏の夜、1マイル離れたふたつの丘の中腹に、それぞれランタンを持った人が立ち、1人がランタンの覆いを先にとり、その光が見えた瞬間にもう1人も覆いをとる。そこで生じた時間差が、光が平地をわたるのに要した時間というわけだ。しかし、この実権はもちろんうまくいかなかった。光があまりにも速すぎることが知れただけで終わった。
 18世紀のフランス。ヴォルテールの庇護者であり愛人でもあったデュ・シャトレ夫人は重りを柔らかな土の上に落とす実験をした。小さな球体を、前に落としたときの2倍の速度で落としたところ、球は土に4倍の深さの穴をつくった。速度を3倍にすると、深さは9倍になった。こうやって、物理学者は、物質の質量に速度の2乗をかけるということに慣れ、その物質のエネルギーを示す便利な指標を手に入れた。これがmc2の源なんですね・・・。
 ナチス・ドイツはノルウェーの工場で重水をつくりはじめていました。その開発を阻止するために、イギリス軍が精鋭をノルウェーの工場へグライダーで送りこんだ。しかし、 30人の若い兵士たちはナチス・ドイツに発見され、全員殺されてしまった。次いで、9人の亡命ノルウェー人が派遣された。今度はなんとかうまくいって、重水の製造工場は爆破された。これによってナチス・ドイツによる原爆開発は阻止されたのだ。
 こんなことがあったなど、ちっとも知りませんでした。

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