法律相談センター検索 弁護士検索
2005年9月 の投稿

アフリカ発見

カテゴリー:未分類

著者:藤田みどり、出版社:岩波書店
 日本におけるアフリカ像の変遷というサブタイトルがついています。アフリカ「発見」とあり、発見にはカギカッコがついています。私は、この本を織田信長の側近にアフリカ黒人がいたことを紹介しているとの書評を見て買いました。なんと、あの本能寺の変のとき、信長と最後をともにしたらしいというのです・・・。
 黒人という言葉には、白人と違って差別のニュアンスがあります。でも、ここでは、あえて黒人という言葉をつかわせてもらいます。日本の文献にはじめて黒人が登場するのは「信長公記」だそうです。
 きりしたん国より黒坊主(くろぼうず)参り候。年の齢(ころ)26、7と見えたり。全身の黒きこと、牛の如し。この男、健やかに、器量なり。しかも、強力なこと、十人並以上(少し原文を変えてあります)。
 イタリア人巡察師ヴァリニャーノは従者として1人の黒人を連れていた。信長は噂を聞いて自分自身の目で確かめようと、本能寺に呼びつけた。黒人の肌の色が自然であって人工でないことが信じられなかった信長は、黒人に着物を脱がせ、その場で洗わせた。しかし、黒人の皮膚は白くなるどころか一層黒くなった。
 ヴァリニャーノにとって予想外だったのは、信長があまりにも黒人を気に入ったため、献上物に加えて、その黒人を手放さなければならなかったこと。
 この黒人は、モザンビーク生まれのアフリカ黒人であった。もとは喜望峰周辺の住人である。少しではあるが日本語を話し、多少の芸もできた。身長6尺2分。名前を彌助といった。彌助は本能寺で戦い、信長の死後に、信忠のいる二条城へ駆けつけ、最後まで果敢に戦った。光秀は殺さないでよいとした。しかし、その後の消息は不明である。
 豊臣秀吉も、肥前名護屋城でポルトガル人の連れてきたアフリカ黒人に会っている。あちらこちらに飛びはねる踊りで、爆笑の渦につつまれたという。
 安土桃山時代にある程度の人数の黒坊が日本にいたことは、南蛮屏風のなかに数多くの黒人が描かれていることで分かる。
 ところで、このころポルトガル国内に多数の日本人奴隷がいたといいます。ええーっと驚きました。ザビエルが鹿児島に到着した頃(1949年)、多くの日本人が奴隷として海外に売り渡されていたのです。ちっとも知りませんでした。ポルトガル人が、日本人を男は労働者として、女は売春婦として輸出していたのです。
 龍造寺隆信と有馬晴信との戦さでも1人のアフリカ黒人が有馬陣営の大砲の砲手として活躍して有馬側に勝利をもたらしたというのです。これまた大変おどろきました。
 世の中って、本当に知らないことって多いんですね。

腐蝕の王国

カテゴリー:未分類

著者:江上 剛、出版 銀行を舞台にした小説をこのところ何冊も読みました。この本も読み手をぐいぐい銀行の内幕に引っぱっていく力をもっています。さすがプロの筆力は違う、と唸りながら(妬みも感じながら)一気に読みすすめていきました。
 銀行内で順調に来た人間に対する嫉妬は並大抵ではない。一人落ちれば、一人上がるという社会だから。銀行は不祥事に備えて、警察官僚の退職者を顧問として雇っています。なにかのときに警察を抑えてもらうのです。警察は典型的なタテ社会だ。だから、元警視総監から依頼されて、断ることのできる地元署の署長など、いるわけがない。こう書かれています。きっと、そのとおりなんでしょう。
 不祥事のときの記者会見に、中途半端な知識でのぞむのは失敗のもと。記者会見はともかく時間が過ぎればいい。記者会見をやって頭を下げたことが重要なのだ。知らない、調査中だ。なんと言われようと、これで逃げ切る。記者会見の冒頭、8秒間、ゆっくり頭を下げる。声を出さずに、ゆっくり数を一、二、三、四・・・、八とかぞえるのだ。
 リーダーとは、人一倍欲のある人間だ。その欲を上手にコントロールできれば権力者になれる。しかし、欲を支配できなければ、滅びる。
 銀行は大蔵官僚の接待のためなら、予算の上限など気にせずにお金をつかう。一銀行で億単位だ。気をつかえばつかうほど、役人は喜び、便宜を図ってくれる。
 銀行の内側の雰囲気がよく出ている小説です。バブル時代に突進し、今では不良債権の処理に汲々としている様子がよく描かれています。そのあまりのおぞましさに、銀行なんかに勤めなくて良かった。そう思いながら、ほっとした思いで最終頁を閉じました。
社:小学館

志ん生長屋ばなし

カテゴリー:未分類

著者:古今亭志ん生 30年ほど前、ひところ落語のテープをよく聴いていた。子どものころ、落語全集があったので、それも読んでいた。ラジオでも広沢虎造の浪曲や古今亭志ん生の落語を聴くことがあった。
 私の同期の裁判官に、今もたまに高座に出るほど落語にうちこんでいる人がいる。難しい法律の話をさせても、いつのまにか落語を聴いているような気分になり、頭のなかにすーっと入ってくるから不思議だ。やはり人の心をつかむ話術というのは、すごい力がある。
 志ん生の長屋を舞台とした古典落語を読むと、いつのまにか寄席にすわって落語をじっくり聴いているような気がしてくる。座布団にちょこんとすわって、道具といえばせいぜい扇子と手ぬぐいくらいなのに、この世のものすべてそれらで表現されるという不思議な世界が目の前に現出する。
 江戸時代の長屋に生活していた庶民のたくましい息づかいが伝わってくるところが実にいい。 
、出版社:ちくま文庫

スノーモンキー

カテゴリー:未分類

著者:岩合光 有名な動物写真家による長野県の地獄谷のニホンザルの一年と一生をうつした大判の写真集です。眺めているだけで、なんだか心がゆったり、ほのぼのとしてきます。
 白い雪を頭にかぶりながら、温泉につかっているサルの写真は、まるで、タオルを頭の上にのせて雪見酒を飲んで顔が赫くなってしまった人間(ヒト)の写真です。子ザルたちが群れをなして遊んでいる写真には生命の躍動を感じます。母ザルと子ザルとのあいだの親密な関係もうつされています。人間の赤ん坊とそっくりです。
 春になって木々が芽ばえてくると、サルたちも生き生きしてきます。ヤマザクラの花も食べます。サルの赤ん坊は、4月から6月にかけて次々に生まれます。必死で母ザルにしがみつく赤ん坊ザルの可愛いらしさといったら、ありません。そして、姉さん子ザルが赤ん坊の面倒をみたがるのです。
 秋は、サルたちの交尾期。オスもメスも顔や尻を真っ赤にします。秋のオスは、ひたすら交尾に集中するのです。メスもそれを受けいれます。
 サルは母系家族。ほら、似てるでしょ。そう言われても、なんだかみんな同じような顔に見えます。でも、じっくり見ていると、たしかにサルごとに違った顔をしていますし、似てもいる気がしてきます。
 サルの寿命は25年から30年と言われています。ひっそりと死んでいくそうです。
昭、出版社:新潮社

兵士であること

カテゴリー:未分類

著者:鹿野政直、出版社:朝日新聞社
 兵隊は一銭五厘の葉書で、いくらでも召集できる。
 このようによく言われます。しかし、これには2つの間違いがあります。召集令状は葉書では送られていません。役場の兵事係の人が一軒一軒たずねて手渡すのです。郵便配達夫ではありません。召集令状は受領証がついていて、本人が何時何分に受けとったというハンコが必要で、左の方には汽車の無料乗車券がついていました。それに、葉書は1銭5厘のときもたしかにありましたが、日中戦争が本格化したころには2銭になっていました。
 1942年にコンドームが軍需物資として3210万個つくられています。「慰安所」へ行かない兵士がいると、その兵士は特殊視されました。慰安所へ行かない兵士は気違いだとののしった将校がいました。ある陸軍軍医中尉の報告にのっています。
 日本軍が中国の女性を腰ひもでくくって地雷踏みをさせていたという話も出てきます。山羊や羊の群と同じことをさせていたのです。むごいことです。
 中国戦線に配置された兵士たちが、故郷への手紙のなかで、ほぼ一様に伝えるのは、中国人の抵抗の強さでした。日本兵も強いが、支那兵も相当がんばります、と書いていました。小便一丁、糞八丁という言葉をはじめて知りました。尿意・便意を催し、用を足しているあいだに、部隊がその距離ほどをいってしまうという意味です。
 ある軍曹が、突如便意を催し、やむなく道路のそばのヤブで用を足し、終わって道路に出てみたら、もはや見渡すかぎり人の気がなかった。つい先ほどまで敵の跳梁していた壕所にたった1人いる。かつてない恐怖を覚えた。なんとなく、分かる情景です。
 当時の青年は、人生25歳説をとなえていたというのです。戦争のなかで、長く生きることはまったく保障されていなかったわけです。私は、今やその2倍以上も生きていますが、本当に良かったと思います。まだまだ、知りたいこと、やってみたいことがたくさんあります。
 にもかかわらず、現代日本で人生25歳説を実践しようとする若者がいるのです。もっと自分を大切にしようよ、と私は叫びかけたい気分です。
 日本人は平和ボケしている。そのように言う人がいます。でも、人を殺したことのない人ばかりの社会って、本当にいいことだと私は思います。韓国と違って徴兵制のない日本では、幸いなことに軍隊に無理矢理に入れられて人殺しの訓練をさせられることもありません。人を殺すことも、殺されることもない今の日本の平和を大切に守りたいと思います。
 アメリカでは人を殺せるようになって初めて1人前の男と認められるという本を読んだことがあります(ダグラス・スミス氏の本です)。なるほど、私の世代でいうと、ベトナムの戦場に駆りたてられて、大勢の罪なきベトナム人を殺しまくりました。たくさん殺せば殺すほど英雄になるのです。その点は、お隣の韓国でも同じでした。
 でも、私は、アメリカみたいな戦争をしかける国に日本をしたくありません。ですから、私は日本国憲法9条とりわけ2項を絶対に守り抜きたいと考えています。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.