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2005年9月 の投稿

アウシュヴィッツ博物館案内

カテゴリー:未分類

著者:中谷 剛、出版社:凱風社
 日本人青年がアウシュヴィッツ博物館で唯一の外国人公式ガイド(嘱託)として働いているというのです。私も、アウシュヴィッツ強制収容所跡地にはぜひ一度は行ってみたい、現地に行って人類史上最悪の愚行の現場に立って、人間とは何者なのかということを改めて考えてみたいと思っています。
 ところが、この本によると日本人の青年はあまり行っていないのですね。韓国からは年に2万人あまり行っているというのに、日本からは年に6700人ほどで、しかも年輩者が中心だというのです。もっと日本人の若者にも出かけてもらわないといけません。
 海外旅行大好き人間の多い日本なのですが、楽しいところではないので敬遠するのでしょう。残念なことです。といっても、現地はかなり交通の便がよくないようです。それでも著者は、この町に一家をかまえて14年になるというのですから、たいしたものです。
 博物館案内というわけですから、アウシュヴィッツの隅々まで図解と写真で説明されていますので、強制収容所当時のことが、かなり想像できます。でも、体験記を読まないと本当の苦しみや辛さは伝わってきません。ただ、その体験者も既にすっかり高齢者となっています。きちんと若者に語り継いでいく責務が、大人の私たちにはあります。
 ガス室で殺された人の半分は女性。収容所登録者の3割が女性。最大のとき、一時期4万5000人の女性が強制労働に従事させられていました。収容所の隣りに大きな戦時工場(I・G・ファルベン)などがあり、そこで働かされていたのです。
 なんともいいようのない辛い現実ですが、人類の歴史の真実から目をそむけるわけにはいきません。

未来をひらく歴史

カテゴリー:未分類

著者:日中韓3国共通歴史教材委員会、出版社:高文研
 日本と中国、韓国という3ヶ国の研究者と教師が3年間、国際会議を10回も重ね、共同して編集・執筆した近現代史のテキストです。画期的な労作だと思います。
 前事不忘、後世之師
 これは、歴史を忘れずに未来の教訓とするという中国のことわざです。いま、日本では「新しい歴史教科書をつくる会」が全国各地で、日本は侵略戦争なんかしていないという歴史的事実に反する、間違った内容の教科書を子どもたちに押しつけようとしています。でも、日本がしたのは侵略戦争ではなかった、アジアの民衆を欧米列強の植民地支配から解放し、生活向上に役立ったのだということを、中国や韓国に行って、また東南アジアの国々に行って胸をはって主張できると本気で思っているのでしょうか・・・。
 実は、私の父も三井の労務係りとして戦前の朝鮮半島へ人間を駆り出しに出かけたことがあります。強制連行の直前のことでした。あまり悪いことをしたという自覚が父に見られなかったので、不思議に思って尋ねると、当時、あっちには食うものも仕事もなかったので、彼らは日本へ喜んでやってきたというのです。これも、日本政府が当時、朝鮮半島から米を強制的に供出させていたことの結果なのです。そのことも、この本に明らかにされています(71頁)。現象だけをみていると、間違って理解することもあるのです。
 だれでも、楽しくない記憶は早くなくしてしまおうとする傾向がある。気楽に楽しく生きていきたいから。しかし、悪い記憶をなくしてしまうと、また倒れてしまうことがないとは限らない。過去のあやまちを覚えておくと、同じあやまちを犯すという愚かさを避けることができる。そうなのです。
 ところで、日本に流れ着いた朝鮮人漂流民が16世紀末からの270年間に1万人ほどいたそうです。すごい人数です。でも、考えてみれば当然ですよね。それだけ近いわけですから。同じように中国や朝鮮に漂流した日本人もいて、お互いに送還しあっていました。その程度の交流はあったわけです。
 清朝末期の政治家として有名な李鴻章は、生涯にわたって自分は外交の名手であると自負し、多くの重要な外交交渉にあたった。しかし、多くの不平等条約は、彼の手によって調印されたというのが歴史的な事実である。なるほど、そうですよね。
 日本が韓国を併合したのか強占したのか、国際法からみて不法かどうか、日本の学者のなかで結論が出ていないと書かれています。
 1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)は強制によるものだという点では理解が共通していても、「併合」以後の35年間に及ぶ植民地支配は国際法からみて不法だという点で韓国の学者は一致しているが、日本では一致をみていないというのです。本当でしょうか・・・。韓国では強制的な占領を意味する「韓国強占」と呼ばれていることを初めて知りました。知らないことは本当に多いものです。
 そして戦後60年近くたった2004年に、韓国政府は、「反民族行為真相糾明特別法」を制定し、親日派の調査に政府として取り組んでいます。つい先日、氏名公表がなされたという報道がありました。まさに親日派とは反民族行為をした存在なのです。このことを私たち日本人はもっと重く受けとめる必要があると思います。
 これは決して自虐史観などという低次元のものではありません。

中世ロワール河吟遊

カテゴリー:未分類

著者:アンドレ・カストロ、出版社:原書房
 この夏、トゥール近くのシャトーホテルに3泊し、ロワール川流域のシャトーを2日間かけてじっくり見てまわりました。フランス語でいうと la vallee de  la Loire といいます。 vallee というのは、一般に谷のことですから、行く前の私のイメージは、川の両岸に山が迫っていて、そそりたつ崖を利用したお城が点々と存在するというものでした。行ってみると、まったく違っていました。私の愛用する仏和大辞典によると、 vallee は普通、川の名とともに用いて平野を流れる大河の流域を言う。その場合は、日本の谷の概念からは遠い。まさに、そのとおりでした。見渡す限り広々とした平野をゆったりと大きなロワール川がたおやかに流れています。崖に立地しているお城(シャトー)はむしろ少なくて、たいていは平地にあるのです。
 夏の暑い陽差しのもと、2日かけて6つのシャトーを観光タクシーで見てまわりました。よく修復され、保存も行き届いている見事なお城です。往時を十分しのぶことができます。さぞかしシャトーの主の貴族たちが優雅な生活をしていたのだろうと想像しましたが、この本を読むと、それは見事に裏切られます。たいていのシャトーは実に陰惨な過去を秘めているのです。
 そもそもロワール河流域は、その昔はフランスの中心部でした。歴代の王が好んで滞在していたのです。それは国境から離れて安全だったことにもよります。ロワール河流域の別名はフランスの庭でした。15世紀にジャンヌ・ダルクが活躍したころ、ロワール河流域のシャトーは栄えていました。16世紀には、プロテスタント派(ユグノー)とカトリック派とに貴族が別れ、お互い見つけ次第に皆殺しするという限りない内戦状態にありました。キリスト教って憎悪の宗教なのかと、ついつい思ってしまいます・・・。
 スペインのフェリペ2世の無敵艦隊がフランスの海岸をゆっくりと遊戈していた。狙いはイングランドのエリザベス女王。しかし、フランスにとってもこれは脅威であった。カトリック派の貴族の首領でもあったギーズ公はフランス王アンリ3世にとって脅威であった。ギーズ公はブロワ城に三部会を招集することをアンリ3世に要求した。3部会ではギーズ公派の方が多く、国王派は全議席の4分の1も占めていなかった。
 ついにアンリ3世はギーズ公の暗殺を決意する。ブロワ城のなかの隠れ小部屋に45人隊を引きこみ、ギーズ公が1人になるように仕掛けたところを一気に襲いかかった。そして、弟のギーズ枢機卿も引き続き暗殺された。2人の死体は切り刻まれ、焼かれ、灰はロワール河に投げこまれた。
 うーん、実に凄惨な情景です。今もブロワ城に行くと、その部屋はあり、ギーズ公が暗殺される場面を描いた大きな油絵がかかっています。
 シャンボール城にも行きました。狩猟のためにつくられたという広大かつ華麗・荘厳なお城です。17世紀後半、ルイ14世の宮廷はシャンポール城にあったようなものでした。昼間は狩猟、夜は舞踏会と賭博でときを過ごすのです。
 私がまわったのは1日目がシュノンソー、シャンボール、ブロワ、アンボワーズ、2日目がヴィランドリーとアゼル・リドーです。シャトーめぐりも疲れるものではありました。
 シュノンソーは、川にまたがるお城として有名ですが、さすが別名「6人の奥方のお城」と呼ばれるだけあって、その優雅さは現地に立って見ても、なるほどとうなずかせるだけのものがありました。アンボワーズ城の近くにレオナルド・ダビンチの博物館があって、そこも見てきました。ここでレオナルド・ダビンチが晩年を過ごしたのですね。知りませんでした。てっきりイタリアで死んだとばかり思っていました。
 意外と良かったのがヴィランドリーです。花と野菜の庭園があり池もあって、庭が幾何学的に配置されて見事で、お城とほどよく調和していました。毎日の管理・手入れが大変だろうな。休日ガーデニングにいそしむ私は心配になったほどです。
 泊まったシャトーホテルは東京の酒井弁護士の紹介でした。広大な森のなかにある貴族の館です。日本人の団体客(といっても10人ほど)が夜7時に到着し、朝8時半には出発していきました。シャンデリアの輝く食堂で夕食をとったくらいで、シャトーホテルの周辺の森をゆっくり散策する時間がなかったのが気の毒でした。
 私も、20年ほど前にドイツの黒い森(シュバルツバルト)の森のなかの保養地(有名なバーデンバーデンの近く)に1泊したことがあります。例によって夜遅く着いて、朝早くの出発です。ドイツ人の老夫婦たちが食事のあと楽しそうにダンスをしていました。何泊するのかと訊かれて、1泊するだけと答えると、目を丸くして驚かれてしまいました。こんな保養地に来て、たった1泊とは・・・。だから、私は今回は3泊してみたのでした。やっぱり3泊すると、ゆったりして心地よい気分をたっぷり味わえました。

収容所から来た遺書

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著者:辺見じゅん、出版社:文春文庫
 司法修習生の原田さんから、最近読んで面白かった本としてすすめられて読んだ本です。
 関東軍は終戦直後には主要部隊を南方戦線に引き抜かれ弱体化していたところ、国境をこえて侵攻してきた150万のソ連軍にたちまち圧倒され、8月15日の終戦後、武装解除のうえ捕虜となりました。そしてシベリアへ連行されていくのです。その数、60万人と言われています。最近まで政財界の裏で暗躍していた瀬島龍三もシベリア送りとなり、日本人捕虜の団長として活動したことがありました。
 ラーゲリと呼ばれた収容所で辛く厳しい捕虜生活が始まります。この本を読むと、その辛さ、厳しさが想像できます。空腹にさいなまれ、希望を失って死んでいく捕虜が続出しました。
 この本の主人公は、満鉄調査部でソ連研究にあたっていたインテリでした。ところが、ソ連は彼を日本のスパイだと疑ったのです。ときはスターリン治世下ですから、それも当然のことです。
 主人公は私の亡父の一つ年下にあたりますが、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)のロシア語科に入りましたが、1928年の3.15事件のとき、共産党シンパとして逮捕され、退学処分を受けていました。
 ラーゲリで主人公たちはこっそり集まり、俳句をつくっていました。アムール句会と名づけられています。仲間たちが次々に日本へ送還されていくのに、主人公はずっとラーゲリに残されたままです。そのうち不治の病にかかります。ソ連当局が十分な治療を拒否し、いよいよ誰の目にも死期が迫ります。周囲で相談し、主人公に遺書を書いてもらうことになりました。
 書かれた遺書は全部で4通、ノート15頁にわたるものでした。その遺書を仲間たちが丸暗記して日本へもち帰ることにしたのです。というのも、ソ連当局に見つかるとスパイ行為として重労働25年の刑を受けてシベリア奥地に送られるからです。そうやって暗記された遺書が、日本に帰った仲間たちの手によって復元され、日本で帰りを待ちわびていた妻のもとへ届きます。それも1通や2通ではありません。なんと7通もの遺書が届いたのです。
 つくづく人間愛っていいなと思い、胸が熱くなりました。1954年8月に亡くなった主人公の自宅に7通目の遺書が届けられたのは1987年のことです。実に33年もたっています。すごいことです・・・。

明智光秀冤罪論

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著者:井上慶雪、叢文社
 本能寺の変が起きて信長が死んだのは6月2日の午前4時ころ。明智光秀が京都に入ったのは、その5時間後の午前9時。したがって、光秀は本能寺の変の主役ではない。誰かが、信長をほとんど丸腰状態で京都に呼び出し襲ったのだという説が展開されています。学術的にはナンセンスと評価されているかもしれませんが、この本にもありますようにケネディ暗殺事件では今も大きな謎が解明されていませんし、本当のことをもっと知りたいと思わせる十分の本でした。
 光秀が信長から、このキンカン頭めがー、と言われながら公衆の面前で頭を叩かれた等々の話は、すべて後世の物語でしかなく、史実に反するとされています。
 信長は家康と違って、征夷大将軍への就任を断ってしまいました。正二位右大臣にまですすんだあと、突如として官位を返上しています。ところが、信長はそれまで、右近衛大将(うこんえのたいしょう)だけは兼任していました。これは、武家の棟梁としての地位を確保する意義のあった位なのです。
 信長は、本能寺へ安土城から大名物茶道具を運び入れました。そして、京都に来たのは、最高位の茶道具を入手するためだったというのです。おびき寄せたのは博多の豪商茶人島井宗室でした。この本は、信長暗殺は黒田官兵衛が仕掛けたものであり、実際に本能寺を襲撃したのは蜂須賀ないし細川の軍隊だとしています。ここらあたりまでくると、本当かな・・・、という気もしてくるのですが・・・。
 信長と長男信忠の遺骸が焼け跡に見つからなかったのは有名な話です。ただし、この本が「武功夜話」を根拠としている点は、その偽書説の感化を受けている私には了解できないところではあります・・・。
 歴史的大事件には、疑問点も大いにあるものだと痛感した次第です。

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