法律相談センター検索 弁護士検索
2005年7月 の投稿

江戸の養生所

カテゴリー:未分類

著者:安藤優一郎、出版社:PHP新書
 私は、20代のころ山本周五郎を夢中になって読みました。しっとりとしたうるおいのある雰囲気に心が洗われる気がしたからです。「赤ひげ診療譚」も好きな本でした。その舞台となった小石川療養所は、いまの東大・小石川植物園内にありました。黒澤明監督によって「赤ひげ」として映画化され、世界的に有名になっています。本書は、その小石川養生所の実像を描き出した本です。
 小石川養生所の収容定員はわずか40人。享保7年(1722年)、4万坪の小石川御薬園の一角(1000坪)に発足しました。養生所に診療・入所を希望する病人があまりに多かったので、定員は40人から100人へと増やされました。7年後には150人定員にまでなりましたが、そのあと少し減って、117人定員で幕末を迎えました。養生所の医師は、幕府の歴とした役職であり、医学館として医師養成の機関でもありました。
 ところが、養生所への入所希望者は次第に減っていきました。というのは、養生所の医師の大半が治療に熱心でなく、いい加減な治療しかしないという定評があったからです。しかも、入所者にとっては、なにかと物入りの生活でもありました。月に最低500文、今でいうと数万円は必要だったのです。つまり、ある程度の金銭的余裕がないと、養生所に入ることはできませんでした。また、管理する人間が物品を横領するのは珍しくなく、入所者への虐待行為もあり、病室では酒盛りや博打の開帳があっていました。衛生状態が最悪のうえに、所内の風気は頽廃していたのです。
 幕末を迎えて、養生所周辺に大名屋敷が建ち並ぶようになり、そこで射撃訓練まで実施されはじめました。これでは小石川養生所はもちません。
 小石川養生所の入所者総数(140年間)は3万2千人。そのうち全快した人は1万6千人。入所患者の平均は200人ほどでした。うーん、そうだったのか・・・。江戸の実情を少し知った思いです。

ニコライ・ラッセル

カテゴリー:未分類

著者:和田春樹、出版社:中央公論社
 帝政ロシアのナロードニキ時代を生きた人物が、日露戦争で捕虜となったロシア兵を革命側に工作するため日本にやってきて、それなりの成果をあげていたというのです。まったく知りませんでした。その人物が本書の主人公、ニコライ・ラッセルです。
 ヴ・ナロード(人民の中へ)と叫んでいたナロードニキ運動は、学生時代にセツルメント活動に3年あまり没頭していた私にとっては、なんとなく親近感を覚えるものです。でも、ロシア皇帝(ツァーリ)暗殺などの結果、ナロードニキ運動は壊滅させられます。ラッセルはアメリカに亡命し、ハワイで上院議員にまでなります。そこへ、再びロシアから亡命者がやってきて、ラッセルは祖国ロシアの変革を志すのです。たちまち、日露戦争で7万人もいたロシア兵の捕虜への工作を始めます。
 ロシア兵捕虜へ日本が人道的な扱いをしたことは定評があります。第二次大戦のときとは、まるで違うのです。九州にも、福岡と久留米そして熊本に各2000人以上ずつ捕虜収容所がありました。
 世の中に知らないことの多いことを改めて思い知らされました。

清帝国とチベット問題

カテゴリー:未分類

著者:平野 聡、出版社:名古屋大学出版会
 儒教も漢字も共有していないモンゴルやチベットなどが、なぜ漢民族を中心とする中華民俗の不可分の一体となりえているのか。この疑問を清時代にさかのぼって解明しようとした本です。よく分からないところが多かったのですが、清王朝について少し理解することができました。
 清王朝はもとは女真族ですが、その信仰する文殊菩薩のマンジュシュリーにちなんだマンジュ(満洲)も改称したのです。初めて知りました。
 賢帝として名高い乾隆帝は、漢の人を満洲族が抑圧した歴史を抹殺しようとして「文字の獄」という禁書(書物を焼却した)をしたということも知りました。
 雍正帝は、モンゴルの活仏が北京に来たとき、自分より上座にすわらせ、敬意を表しました。
 李氏朝鮮は北方の野蛮人「オランケ」にすぎない清帝国への服従を拒絶しようとしました。それでも力にはかないません。そこで、朝鮮は表向きは清帝国に服従しながらも、内面では、女真=胡=オランケが支配する中国は真の中華ではありえず、今や中華の精髄は儒学を高度に発展させた我が国(朝鮮)に承継されている。したがって、我が朝鮮こそ中華である。このような「小中華」思想をうみ出しました。
 少しだけ歴史が分かったような気がしました。

NHK

カテゴリー:未分類

著者:松田 浩、出版社:岩波書店
 NHKの放送総局長が安倍官房副長官のもとに出向いて番組の事前説明をした。そして、その直後に番組内容が変更された。NHKはこのことが発覚したあと、それは通常業務の範囲内だと正当化し、逆に内部告発したチーフ・プロデューサーをジャーナリストとして軽率だと非難し、さらに記事にした朝日新聞を虚偽報道と決めつけた。なぜ、こんな権力におもねる偏向が「みなさんのNHK」で起きるのか・・・。
 結論は、NHKの新財源確保という金もうけにあった。海老沢体制のNHKは視聴者と正面から向きあおうとせず、永田町にばかり顔を向けていた。NHKは、デジタル化やハイビジョン普及という国策推進とひきかえに、将来の新財源を確保し、放送・通信融合時代の新サービスを手に入れようと、権力との間でギブ・アンド・テイクの経営戦略をすすめていた。権力とのもちつもたれつの関係は、政治と太いパイプをもつ派閥がNHK内で発言力を増大させることになった。
 かつてのミスターNHKともいうべき礒村尚徳は、日本のメディアはアメリカに完全に洗脳されている、コインランドリー・オブ・ブレイン(自動洗脳機)という評もあるほどだと公然と批判しました。なるほど、NHKは有事法制反対などの政治的な性格をおびた集会やデモをほとんど報道しません。
 NHKの会長は、政治的な意見の対立が国民の間にあるときには、その対立を激化させないのがNHKのモットーだと高言しました。ということは、権力側の言い分のみ報道するということにほかならなりません。たとえば、田中角栄が収賄罪で捕まり、ようやく保釈されて目白台の私邸に戻ったとき、当時のNHK会長がまっ先にお祝いにかけつけました。
 名高い民法学者である我妻栄がNHKの経営委員長になれなかったことを初めて知りました。60年安保のとき、安保反対を表明したからです。また、憲法学者の伊藤正己もNHK会長に内定しながら自民党の反対にあってなれませんでした。この2人がトップになれなかったというNHKが不偏不党であるはずがありません。
 NHKの受信料の支払い拒否・保留件数は75万件にもなっています。わが家もそのひとつです。もともと私はテレビをほとんど見ませんので支払わなくてもいいように思うのですが、視聴者の声を放送に生かす気がないところにお金だけとられるのはまっぴらごめんです。

靖国問題

カテゴリー:未分類

著者:高橋哲哉、出版社:ちくま新書
 靖国神社については、新聞を丹念に読んでいるので、ほとんど知っていると思っていましたが、それがまったくの間違いだったことをこの本を読んで深く認識させられました。汗顔の至りです。
 靖国神社は1869年に東京招魂社として創建されたものです。その前からあったわけではありません。10年後の1879年に靖国神社と名前を変え、別格官幣社となりました。日本の戦没者祭祀の中心施設となったのは日露戦争後のことです。
 靖国神社には、日清、日露、第一次大戦だけでなく、台湾出兵から台湾霧社事件や「不逞鮮人」討伐など、日本が植民地を獲得し、そこでの抵抗運動を弾圧するための日本軍の戦闘行為がすべて正義の戦争とされ、そこで死亡した将兵が英霊として顕彰されています。
 靖国神社は、戦士を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとするところである。家族を失って悲嘆の涙にくれる戦死者を放置していたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達することはできない。戦死者とその遺族に最大の国家的栄誉を与えることによってこそ、自らの国のための「名誉の戦死」を遂げようとする兵士たちを動員することができるのだ。
 この本には、靖国神社に合祀されている遺族の陳述書が紹介されています。大阪地裁に提出されたものです。
 「靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺して下さい。たった一言、靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれだし、それが見渡すかぎり、戦士たちの血の海となって広がっていくのが見えるようです」
 しかし、小泉首相が靖国神社参拝をくり返し強行することについては、中国や韓国そしてアジア諸国の犠牲者の遺族からの激しい怒りと哀しみがぶつけられています。この点について、著者は次のように指摘しています。
 日本の側に遺族感情や国民感情があるならば、アジア諸国の側にも、仮に感情の量を比べることができるとしたら、その何倍にもあたる遺族感情や国民感情がある。
 まことにそのとおりだと私も思います。実は、私の亡父も中国大陸に2等兵として渡り、戦場を転々としています。幸いにも病気(腸チフス)のため日本に送還されて命を助かりましたが・・・。また、三井の労務係として、朝鮮半島から徴用工を連れて帰る仕事にもついています。日本人に加害者の側面があることを決して忘れてはいけません。これは自虐史観という問題ではありません。諸国との友好を考えるなら、必要不可欠の視点です。
 身内から戦死者を出せば遺族は当然のことながら悲しみます。ところが、その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。悲しみから喜びへ、不幸から幸福へ、遺族感情が180度逆のものに変わってしまう。著者はこのように指摘しています。戦う国家とは祀る国家であり、祀る国家とは戦う国家なのである。このように喝破しています。まことにズバリ本質をついた言葉です。
 この本では、2004年4月7日に出た福岡地裁による小泉首相の靖国神社参拝を違憲とした判決を高く評価しています。私も大賛成です。たまには裁判所も勇気ある判決を下すものだとの感動を覚えました。それほど、ふだんは裁判官の勇気のなさに絶望的な思いにかられているからでもあります・・・。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.